
総合評価
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powered by ブクログ目が覚めると、意識が戻る。 でも、目が覚めたのに、身体が動かない。 それが金縛りだ。高校時代、何度か金縛りにあった。初めてなった時は怖くてパニックになった。 意識のスイッチは入っているが、運動系のスイッチが入っていない、そんなズレから起こるらしい。 養老孟司さんの本を読んでいると、脳のメカニズムに興味がわいてくる。 現代の都会生活が、意味に直結する感覚所与だけを残して意識中心になっていることに警鐘を鳴らしている。都会と田舎の参勤交代生活を提唱している理由がやっとわかってきた。 効率や経済で計れば、下位に置かれる感覚。デジタル化がさらに感覚を下に下に追いやっている。田んぼや森、山に行けば感覚が働き出し、鋭さを増していく。 意識と感覚のバランスを失っている現代だからこそ、感覚の復権、復元を訴えている。田舎育ちの昭和な私にはその主張がずっと入ってくる。 ヒトが本来もっているものに気づくための経験。それを子どもたちとも共有したい。
73投稿日: 2025.08.31
powered by ブクログ特に心に残ったのは、「同じという機能を持った意識も、違うものがなければ具合が悪いと、暗黙のうちに知っているに違いない」という一節です。 私たちはつい「みんなと同じ」であることに安心しがちですが、実は「違い」があるからこそ社会も自分自身も成り立っているのだと気づかされました。 また、アートが「同じ」を中心とする文明世界の“解毒剤”であるという視点は新鮮でした。 理論や正しさだけでなく、感覚や曖昧さ、違和感を大切にしていい――そう思えることで、どこか安心した自分がいました。 養老先生の語り口は、時に数式や哲学、社会問題まで広がりますが、どこかユーモラスで肩の力が抜けるような読後感があります。 「正しさ」や「同調圧力」に息苦しさを感じている人にこそ、ぜひ手に取ってほしい一冊です。
0投稿日: 2025.07.16
powered by ブクログメモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1891792413401972788?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
0投稿日: 2025.02.18
powered by ブクログ遺言。 著:養老 孟司 新潮新書 740 帯には、80になったので、言い残したことを、遺言として書いておこうとある エッセイとして、書き綴ったものであるので、一貫性を求めるのは酷かもしれないが、 科学の匂いがしているのは、ちょっとうれしいかもしれない 2024年現在、86となっている、この知の巨人は、「当面死ぬ予定はない」なのである あと、題に、「。」がついているのもなんだかなあ、説明はない 気になったことは、以下です ・ヒトとはなにか、生きるとはどういうことか、根本はそれが主題である ・それが正しいとか、正しくないとか、そんなことは考えていない 考えというのは、そういうものである ・コンピュータにより良く学習をさせるためには、きれいなデータだけではなく、入力に白色雑音を加えてやる そのほうが学習効果は高くなる ・鳥は中脳動物だ 大脳は嗅覚、中脳は視覚、後脳は、平衡感覚と聴覚に関連して発達したといわれる ・意味のあるものだけに取り囲まれていると、いつの間にか、意味のないものの存在が許せなくなってくる ・中島敦の「古潭」のなかに、「文字禍」という短編がある アシュル・バニ・アパル大王の御世、老博士ナブ・アヘ・エリバは、大王の命によって、文字の霊の追求を命じられる …… 老博士は、躊躇なく文字の霊の存在を認めた これはおそらく、中島敦自身の経験に依拠している ・アイコンを徹底して嫌う文化がある、それはイスラム文化である イスラム社会は先に定義した意味での偶像=アイコンを排除するのである ・意識という「照明」はついたり、消えたりする 眠ると消えてしまい、起きると点滅する 死んだら、意識はもはや戻らない ・金縛りという現象がある この場合、意識は戻っているが、運動系のはたらきが完全に戻っていない ・クオリア:感覚的な意識や経験のこと ・日本では、方丈記や、平家物語に流れている諸行無常、西洋では、ギリシア時代に発見している ヘラクレイトス学派の万物流転である 目次 1章 動物は言葉をどう聞くか 2章 意味のないものにはどういう意味があるか 3章 ヒトはなぜイコールを理解したのか 4章 乱暴なものいいはなぜ増えるのか 5章 「同じ」はどこから来たか 6章 意識はそんなに偉いのか 7章 ヒトはなぜアートを求めるのか 8章 社会はなぜデジタル化するのか 9章 変わるものと変わらないものをどう考えるか 終章 デジタルは死なない ISBN:9784106107405 出版社:新潮社 判型:新書 ページ数:192ページ 定価:760円(本体) 2017年11月20日発行
16投稿日: 2024.05.31
powered by ブクログ著者、養老孟司さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。 ---引用開始 養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )は、日本の医学者、解剖学者。東京大学名誉教授。医学博士。ニュース時事能力検定協会名誉会長。神奈川県鎌倉市出身。 2003年に出版された『バカの壁』は450万部を記録し、第二次世界大戦後の日本における歴代ベストセラー5位となった。 ---引用終了 で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 これだけは言っておきたかった――80歳の叡智がここに! 私たちの意識と感覚に関する思索は、人間関係やデジタル社会の息苦しさから解放される道となる。知的刺激に満ちた、このうえなく明るく面白い「遺言」の誕生! ---引用終了 そして、本書に登場する方々を少々見ておきます。 池田清彦さん(1947~)---生物学者 津田一郎さん(1953~)---数理科学者 内田樹さん(1950~)---フランス文学者 茂木健一郎さん(1962~)---脳科学者 内田さんと茂木さんは、著作が多そうなので、何か読んでみようと思います。
29投稿日: 2024.03.18
powered by ブクログヒトとは何か。生きるとは何か。 2章で感覚所与の話があったが、 人は教育を受けているから、感覚所与が優先されず、動物は優先されるという話があった。 ということは、動物には共感覚はない? →複数の感覚刺激よりも、感覚所与が優先されるから
0投稿日: 2024.01.28
powered by ブクログ還元論的に意識を分解していけばそんなものは消える、私たちは意識という名の宗教徒なのかもしれないな あと「私の芸術に関する結論は簡単である。芸術はゼロと一の間に存在している。」が私の芸術に対する考え方で声出た、サグラダファミリアの設計士ガウディに通じるものがある、ガウディは人のゼロからの創造を否定している、すでに存在するものを発見しそこから出発するのが人の創作。おんなじこと言ってる!おもろ!
0投稿日: 2024.01.25
powered by ブクログ意識と感覚の乖離の話を面白く感じました。 自身の教養の無さと普段いかに考えないで生きているかに気付かされる本でした。
2投稿日: 2024.01.13
powered by ブクログタイトルから、かの東大名誉教授による集大成と思いきや、壁シリーズの第5段らしい いつもながら、世間一般的ではない様々話が展開されていき、ものすごいところをついているような気がする。 今回はご自身による書き下ろしということで、ややカタイ文章だけどもわかりやすい。
0投稿日: 2023.12.29
powered by ブクログ「意識」「感覚」というものについて、神経や解剖生理学の立場から書かれている。数式が出てきたり、哲学的な内容に触れたり、社会問題に物申したりと、著者の見識の深さに唸らされる。理論的な正しさだけを求めるのではなく、感覚的な部分ももっと大事にしてよいのだなと感じて、どこか安心した。
2投稿日: 2023.04.26
powered by ブクログ養老先生の書き下ろし。2度目の挑戦で読了しました。頭の出来が違いすぎるのか、理解不能な箇所もありました
0投稿日: 2023.04.25
powered by ブクログ養老孟司(1937年~)氏は、東大医学部卒、東大大学院基礎医学博士課程修了、メルボルン大学留学、東大教授、東大総合研究資料館館長、東大出版会理事長、北里大学教授等を経て、東大名誉教授。専門の解剖学に加えて脳科学などの見地から多数の一般向け書籍を執筆しており、『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞(1989年)、2003年に出版した『バカの壁』は、出版部数400万部を超える戦後日本の歴代4位となっている。尚、現在までに「壁」シリーズとして、『死の壁』、『超バカの壁』、『「自分」の壁』、『遺言。』、『ヒトの壁』の計6巻を刊行し、シリーズ累計の出版部数は660万部超。 私は新書を含むノンフィクションを好んで読み、興味のある新刊はその時点で入手するようにしているが、今般、過去に評判になった新書で未読のものを、新古書店でまとめて入手して読んでおり、本書はその中の一冊。(シリーズの中では『バカの壁』、『死の壁』を読んだ) 本書は、『バカの壁』以降「聞き書き」が続いた中での久し振りの「書き下ろし」で、養老先生が、最近の世界・社会は変だと感じる中で、何故そう感じるのかを筋書き立てて書いたもの、見方を変えれば、「ヒトとはなにか、生きるとはどういうことか」をまとめたもの(養老先生はそう言っている)である。 聞き書きの本は一般に理路整然としていないことが多く、本書は書き下ろしということで期待したが、やはり、所謂教養新書的ではなく、エッセイ的な書き振りなので、読後感は必ずしもすっきりはしない。 それでも、私なりの理解をラフにまとめると以下である。 ◆通底するテーマは「同一性(同じ)」と「差異(違い)」の二項対立であり、それは、「意味・意識」と「感覚所与」、「理論」と「現実・事実」などと言い換えられているが、私の理解では、更に、「抽象」と「具象」、或いは「左脳的」と「右脳的」などとも言えるように思う。 ◆そして、動物とヒトの決定的な違いは、動物は後者(差異)しか理解できないのに対し、ヒトは進化の過程で前者(同一性)も理解できるようになったということである。そして、現代のヒトは前者を追求するあまり(都会的な生活や情報のデジタル化はその典型)、すべてのものには意味がなければならないと思い込み、かつ、自分に理解できないものの存在を許さなくなっている。 ◆前者を理解できることがヒトがヒトであることを特徴付け、その結果、言葉、お金、民主主義、宗教(究極は一神教)が生まれたのであり、そのこと自体を否定するわけではないが、一方で、前者と後者の乖離が、様々な社会問題における分離・対立を生んでいるのも事実であり、ヒトはもっと両者のバランスを考えて生きるべきである。 私は本書を読みながら、これまでに読んだ様々な本を思い出したのだが、例えば、ユヴァル・ノア・ハラリのベストセラー『サピエンス全史』では、ホモ・サピエンスがあらゆる生き物の頂点に立てた最大の要因として、「虚構」を認知・共有できるようになった「認知革命」を挙げているが、これは養老先生の言う「同一性(≒抽象)」という概念を獲得したことと同意である。また、現在の現代思想(=ポスト・モダニズム思想)は、「同一性」を重視した「大きな物語」を前提としたモダニズム思想のアンチテーゼとして、「差異」に着目した議論を展開しており、そのあたりは千葉雅也の『現代思想入門』等に詳しいが、これは、養老先生がもっと「差異」を意識すべきということと合致する。更に、山口周の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』では、今のビジネスにおいては、MBAのような画一的な知識よりも美意識が大事だと書かれているが、これは本書の中で、「アートは「同じ」を中心とする文明社会の解毒剤」と言っていることと繋がる。要するに、本書に書かれていることは、現在実に様々なところで注目・議論されているテーマなのである。 「同一性」の追求によって進歩してきた現代文明は、IT、バイオテクノロジー、プラネタリーバウンダリー、資本主義等、様々な意味において分岐点にあり、「差異」の重要性を再認識するべきという主旨に同意する。 (2022年12月了)
2投稿日: 2022.12.09
powered by ブクログ「ぼちぼち死んでも当たり前の年齢(80歳)になった。それなら言い残したことを書いておこう。とは言っても当面死ぬ予定はない・・・」 動物とヒトとの違い、ヒトが 生きるとはどういうことか? を思索し、デジタル社会での人間関係 の息苦しさから解放されるには〝考え方ひとつで、人生は凌ぎやすくなる〟と説く、養老先生が書下ろした10章の『遺書』▷ヒトの「意識」という照明は、眠ると消え起きると点灯する。身体の都合、脳の都合で戻る。▷「脳」が消費するエネルギ-は、覚醒している時と寝ている時、ほとんど違わない・・・など。
7投稿日: 2022.08.05
powered by ブクログ壁シリーズの第5段です。古本屋で見つけたので購入してみました。今どきの話題にふれつつ、愛猫まるをたまに登場させつつも、『バカの壁』と同じように、けっこう集中力と頭脳労働が求められる本です。「おじいちゃんの遺言かぁ、モー娘みたいにタイトルに「。」つけちゃって可愛い〜」なんてニヤニヤしながら読むと痛い目にあいます。さすが壁シリーズ。 自分は建築について考察する部分で、けっこう腑に落ちました。空間を共有すると簡単にいうけれど、確かにそれぞれの体験は全然別だよなと。 たとえば実家にしても、その家にいる感覚は、親と子ではまったく違うでしょう。自ら数十年ローンを組んで、日々苦労と充実感を重ねながら自分の稼ぎで手に入れた家に住む人間と、なんとなくあるのが当たり前な感覚で住む人間の体験が、同じであるわけがないのです。でも、そんなことも、こうしてあえて意識しなければ、存在しないも同然です。それを、私たちはごく普通に同じ空間を共有していると信じています。 これは改めて考えると、怖い事だし、同時に心踊ることでもあります。他人の体験は永遠に自分のものにはならなず、想像したとしてもそれは「仮にその状況にある自分」の体験でしかないという、この分からなさ、ある種の断絶の感覚こそ、逆にいえば新たな体験を予感させる要因だからです。 すべて分かりきった世界にどんな喜びがあるというのでしょうか。人や事物にレッテルを貼り、分かったつもりになる時に人は、自分自身の「思考」もしくは「記憶」しか見ていません。 もちろん、どうにもよく分からない「他者」はストレスの元ではあります。だから排除しようという恒常的な意識の働きがあるのでしょう。でも、言ってしまえば、意識(思考)にとって、身体こそがまず最初の大自然であり「他者」なのです。 「意識」は永遠に若く元気で生きるべきだと考えますが、「身体」は自然の法則にしたがい粛々と死にむかいます。そんな自然たる身体を、思い通りにしたところで、グロテスクな結末にしかならないのではないでしょうか。オルダス・ハクスリー『素晴らしい新世界』がまさにそんな世界を描いています。養老先生の本を読んでから読むと、かなり面白いと思います。 というようなことを、読みながらつらつら考えました。 ひとまず、養老先生の遺言は、個々人が生々しく体験する刺激であるところの感覚所与と、思考が作った抽象概念は、現代人が思っている以上に乖離してきており、社会がだいぶまずいことになってるぞ〜そろそろ身体に気づけ〜、という事だと受け取りました。
4投稿日: 2022.04.06
powered by ブクログ「人と動物に違いはあるのか〜医学的観点から〜」 医学の観点から人と動物はどのように違うのか。 今の時代に沿った、変わるもの変わらないものについても紹介されている。
0投稿日: 2022.04.03
powered by ブクログ養老孟司さんの「壁シリーズ」です。 「意味があるとは」「イコールとは」「意識とは」などの側面から、都市化した社会について考察された本です。 ぜひぜひ読んでみてください。
9投稿日: 2022.01.20
powered by ブクログ読書開始日:2021年11月27日 読書終了日:2021年12月4日 要約 ①感覚所与を意味のあるものに限定し、世界を意味で満たす。それがヒトの世界、文明世界、都市社会。 ②都市社会の弊害は全てに意味があることを強い、意味ないものを徹底的に排除する。それにより人間本来の死生観との乖離が起きている。人生についても意味あることへの強迫観念が強いられる。 ③意識と感覚の違い自体を意識することが重要。 所感 養老孟司さんの本は本当に面白い。 都市社会を、説明によって理解することができた。 意味の強要。 自分も経験してきた。 自分はSNSから距離を置いた。 この意味の強迫がとても居心地悪かった。 残された学生生活、残された20代、楽しまなきゃ損。俺はこんだけ楽しんでる。談笑だけでは飽き足らず、一生残る情報として書き記す。自分が精一杯自分の人生に意味をつけた証として。 既に一般市民の若年層にも意味強いは浸透している。 個性尊重もそのせいだ。 個性なんてものは今の自分がそもそも個性で、その個性すらも諸行無常。 自分なんてない。 むしろせせらぐ川のように流動的に、時に濁流のように、移ろうものが自分だ。 その中でもイメージする川に矯正する、矯正してもらえるような存在が必要。 その関係は、もちろん移ろうを前提とした関係だ。 前提は前提としていながらもそこに向かうことにきっと幸福はある。 意味づけがダメと言っているわけでは全く無いんだ。 ただそこには人間としての感覚も入れないと、ただのコンピューターに成り下がる。 再読したい。
0投稿日: 2021.12.05
powered by ブクログ養老孟司の書き下ろしの本である。 著者自身が述べているように、これまで出版された本の「まとめ」のような内容であるから、私は概ね理解できたが、本書に対する低評価のレビューを見て驚いた。養老孟司の本はいつも発見がある。私はそう思うが、低評価が付くのはなぜだろう。読み解けていないのは低評価を付けたその人なのか、それとも自分なのか。そんなことを考えながら読んだ。 本書で改めて著者が強調しているのは「意識と感覚の問題」である。「意識は同じ」と主張するが、「感覚は違う」と主張する。 そして、養老氏があることを言うとき、やはり「同じ」と「違う」が話題になる。例えば、絶対音感について。動物には絶対音感があり、人間にはない。 しかし、赤ん坊には絶対音感があるはずと述べる。つまり、赤ん坊と動物の聴覚は同じであり、大人と動物は違う。低評価のレビューを読むと、特にこの部分に対する指摘が多い。絶対音感に関する氏の主張はデタラメだと。その指摘は正しいのかもしれないが、それは枝葉の問題である。氏は「動物は感覚の世界に、人間は意識の世界に生きている」と主張するために絶対音感の例を挙げたに過ぎないからだ。枝葉にこだわると幹を見失う可能性がある。 思えば、書物は文字である。言葉である。つまり、意識である。本を読むという行為は「意識の世界」そのものである。そこではやはり、「同じ」なのか「違う」のかということが問題になる。 養老氏の本はいつも気軽には読めない。論理を丁寧に追いかけていかないと、途中で分からなくなる。 それでも本書の理解度は8割程度。終盤は理解できないところがあったが仕方がない。相手は知の巨匠である。時をみて再読しよう。
0投稿日: 2021.11.11
powered by ブクログまるが逝き、養老センセも「知の引き継ぎ」兼ねてまじめに遺言書く気になったかと手にしたが、初版の発売日見て勘違いに気づく。まるが登場する件は楽しめるが、全体的には…。「雑草は大事」同感。「都市は意識の世界であり、意識は自然を排除する」「感覚入力を一定に限ってしまい、意味しか扱わず、意識の世界に住み着いている」のは誤り。
0投稿日: 2021.10.19
powered by ブクログ養老先生の本は「バカの壁」に続いて2冊目。 もうはっきり分かった。私には養老先生のスタンスは全く合わない。 ご専門に関係する脳科学的な話題は理路整然としているけど、哲学や社会学的な話題はだいぶ乱暴が過ぎるように感じる。この人はすぐこういうご自分の専門外の話題にも結びつけてさもありなんといった風に話したがる(なお、私はそのこと自体は別に否定しない。ちゃんと裏付けのある評論ならば。)けど、まるでワイドショーの司会者のようなお粗末なもので、色々と突っ込みどころが多すぎると感じ、途中で読むのをやめた。
3投稿日: 2021.01.20
powered by ブクログ「感覚」と「意識」に関する本。 物事の同一性に立脚する文明社会にとって唯一性が重視される芸術とは一種の解毒剤。外界に対する違和感を指摘する機能である「感覚」を言語化、つまり同一視することはできず、そこを何とか伝達可能にしようとする試みが芸術。おもしろい。
2投稿日: 2020.05.03
powered by ブクログ随筆のような自由な文章のせいかもしれないが、自分の知識や興味の在り方に問題があるのだろう。平易な言葉だけど難しい本だった。でもまたいつか読み返してみたい。
1投稿日: 2019.09.21
powered by ブクログ・われわれの意識は、多くの場合、感覚所与をただちに意味に変換してしまう。「焦げ臭い」から「火事じゃないの」という判断にただちに移行する。そうなると、それまで「その匂いがしていなかった」ことは忘れられてしまう。「匂いがなかった」状態から、「匂いが存在する」状況に変化したことは意識せず、焦げ臭い「感覚所与」=火事(意味)が意識の中心を占めてしまう。一般的に言うなら、だから「意味のない」感覚所与を無視することに、多くの人は意識的ではなくなるのである。それがヒトの癖、意識の癖だといってもいい。 ・すべてのものに意味がある。都会人が暗黙にそう思うのは当然である。しかもそれを日がな一日、見続けているのだから。世界は意味で満たされてしまう。それに慣れ切った人たちには、やがて意味のないものの存在を許さない、というやはり暗黙の思いが生じてくる。 ・この本の文脈でいえば、「分けない主義者」は同一性つまり意識を重視し、「分ける主義者」は違いの存在、すなわち感覚所与を重視する。たとえ虫好きの酒席での議論とは言え、じつはヒトの世界認識がそこには関わってくる。 分類学や解剖学のような「古臭い」分野は、常にこの問題を基本にしてきた。世界認識のいわば根本なのだから、そこでの食い違いは喧嘩になって当然であり、だから喧嘩をしていいのである。そこに「正解はない」からである。差異と同一性、それは人類の抱えるじつは大問題である。 ・現代社会のように、情報が溢れている中で育つと、すべては説明可能だといつの間にか信じ込む。少し意地が悪いと思ったけれど、私は言葉の限界についての無知を注意しただけである。クオリアは言語にならない。むしろ「感覚からわれわれが受け取るもののうち、言語化できない部分、ないし言語化しようがない部分をクオリアという」そう定義してもいい。 すでにくり返し述べたように、言語は「同じ」という機能の上に成立している。逆に感覚はもともと外界の「違い」を指摘する機能である。そう考えれば、感覚が究極的には言語化、つまり「同じにする」ことができないのは当然であろう。 ・建築で問題になるのは空間である。ここで意識ではなく、感覚のほうに基準を置くとする。すでに述べたように、感覚はひたすら違いを指摘する。百人のヒトがいれば、全員が違うヒトである。同じように、向かい合って話をしているとき、お互いに見ているのは相手の顔である。ヒトはすべて、いつでも、互いに違うものを見ている。「そうではないでしょう。同じ空間を共有しているんじゃないですか」意識はそういう。 ・すべての学問は意識の上に成り立っている。それなら意識を考えることは、自分が立っている足元を掘り起こすことである。学問が意識をタブーにしてきたのは、それが理由であろう。学問こそが、典型的に意味の上に成り立っているからである。でもここまで都市化、つまり意識化が進んできた社会では、もはや意識をタブーにしておくわけにはいかない。
0投稿日: 2019.08.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
動物は等価交換を理解できない。それは、感覚所与を優先するからだ。3+3=6という数学は理解できない。イコールがわからない。 感覚所与とは、感覚器に与えられた一次情報だ。例えば、白という字を黒の鉛筆でかく。感覚所与ては黒だ。そういうことだ。 だけど人間は違う。労働がお金になると言うことが理解できるからだ。働くとお金がもらえる。そのお金で好きなものが手に入れられる。と、繋げて考える事が出来る。金がすべてだと言うわけではないが、金がすべてだと言う人は、全てのものは交換可能だといっているということになる。そういう人は、まさに、頭の中に住んでいるということ、外の違いを、感覚という違いを無視しているのだ。 動物と人との違いのひとつは、人は他人の立場に立つ事が出来るということだろう。 人の意識の特徴は「おなじだとするはたらき」である。 そして、おなじ、おなじ、を繰り返していくとどうなるか。それは、ピラミッドの頂上に全てを含んだ唯一の存在となる。西洋では神という。 同じ立場に立脚する文明社会に、違うものはないだろうか。それは、アートだ。オリジナルにこだわるものだ。ピカソの絵をコピーしても、それは複写であってオリジナルではない。芸術におけるオリジナルは絶対的である。芸術が感覚からはじまる以上、それは当然である。世界を感覚で捉えたら、同じものは一つもないから。同じものがひとつもない世界で優れたもの、それを芸術作品というのだろう。真理は単純だが、事実は複雑だ。それは、感覚所与は多様だけど頭のなかではその違いを同じにする事が出来るから結果が単純になる。 芸術は宗教とも関連する。同じを中心とする一神教と、違うを認める多神教だ。 コンピューターは芸術を創るのだろうか?それは無理だろう。芸術に前提となる唯一性をもたないからだ。もちろん、コンピューターが創ったものを芸術と呼ぶことは可能だ。ただし、それは、作品から唯一性が失われていることになるが。生演奏がいあのは、そこに唯一性があるからだ。数学が、もっとも普遍的な意識的行為の追求、つまり、同じの追求だとすれば、アートはその対極をしめる、いわば、違いの追求といえる。アートは数学的にいうと、数学的なには誤差に過ぎないということになるかもしれないが、その誤差が非常に大きいと言える。その誤差の集合体が芸術であるのだろうか。 最後に本書は、現代の感覚所与を排除し、デジタルな1と0の世界に邁進していることについて、それが少子化を招いているという。デジタルは外乱をきらう。答えの分かるものを好む。感覚所与を押さえ込み、全てをデジタルに置換し普遍のものとして保存できるようにする。感覚的な雑音を排除することは、自分以外に受け入れることを拒否することだ。結婚相手や子供は自分にとっては雑音でしかない。現代の若者は、それを許容できなくなっている。
1投稿日: 2019.08.18
powered by ブクログ「自然」と対峙する。昨年の自分と今日の自分を比べると、感覚としては少し老けたと感じる。視覚的にも体力的にも、そう違いを実感する。しかし、意識としては、同じ私である─こんなことを確かめてしまったのは、ヒトの「感覚」と「意識」の関わりについて書かれた養老孟司新刊、『遺言。』を読んだからだ。 感覚を介して観察すれば「私」は絶えず変化しているのに、なぜか意識は同じだという。意識のもつ「同じだとするはたらき」がそうさせるらしい。感覚は外界の「差異」をとらえて分け、意識は分けない「同一性」を重視する。たとえば、バナナもブドウもリンゴも感覚では別々のものだが、意識は、それらを「クダモノ」と名づけて同じにする。こんなことができるのは、意識が、感覚を「意味」に変換する「=(イコール)」を獲得したからだ⁉️動物にも意識はあるが、ヒトの意識だけが「同じ」という機能を得て、言葉や金や民主主義を生みだしたのだ。かくして、ヒトは世界を意味で満たそうと努め、それを進歩と呼んで文明社会、都市社会を創りあげた。そして今、日本は少子化に頭を抱えている東京などの人工的な大都市ほど子どもが生まれないのは、なぜか? 養老は終章で、人々が〈感覚入力を一定に限ってしまい、意味しか扱わず、意識の世界に住み着いている〉ために、子どもという「自然」と対峙する方法を忘れてしまったからだと指摘する。 80歳になった養老孟司の抑えた怒りと願いがはっきり伝わり80歳の叡智がここに!私たちの意識と感覚に関する思索は、人間関係やデジタル社会の息苦しさから解放される道となる。 知的刺激に満ちた、このうえなく明るく面白い「遺言」の誕生‼️ 【目次】はじめに 1章 動物は言葉をどう聞くか バカな犬と恩知らずの猫/動物は絶対音感の持ち主/絶対音感は「失うもの」 ヒトはノイズを求める/鳥がしゃべる証拠 2章 意味のないものにはどういう意味があるか 感覚所与とは/役に立たないものの必要性/都会は意味で満ちている 文字禍/客観的な現実なんてない/感覚所与と意識の対立/「違い」を重視する科学とは 3章 ヒトはなぜイコールを理解したのか 動物はイコールがわからない/池田清彦の挫折と復活/「朝三暮四」と「朝四暮三」は違う イコールが生みだす「猫に小判」/ヒトは他人の立場に立つことができる 世界に一つだけの花 4章 乱暴なものいいはなぜ増えるのか 「an apple」と「the apple」/日本語の助詞/中国語の特性 意識と感覚の衝突/乱暴なことをいいやがって/サル真似の根拠 「誰でもわかる」のが数学 5章「同じ」はどこから来たか ヒトの脳の特徴と「同じ」/ヒトとチンパンジーの僅かな差異 視覚と聴覚がぶつかると/漢字と視聴覚の関係/「同じ」のゴールは一神教 動物には言葉が要らない 6章 意識はそんなに偉いのか 金縛りになる理由/臨死体験をする人しない人/脳は図書館のようなもの 意識に科学的定義はない/意識の分割 7章 ヒトはなぜアートを求めるのか 芸術は解毒剤である/征服者は世界を「同じ」にする/唯一神誕生のメカニズム コンピュータは芸術家になれない/生演奏は強い/その「赤」は同じか?一期一会のパイプ/アートの効用/建築は意識と感覚のどちらに重きをおくか 共有空間を受け入れられない人や動物/意識の集合体が都市 8章 社会はなぜデジタル化するのか 昨日の私と今日の私/『平家物語』と『方丈記』の時間/「私は私」と意識はいう 私の記憶喪失体験/デジカメのデータは変わらないのに/意識はデジタルを志向する 現代人は感覚所与を遮断する/情報は死なない/ジャンクにも意味がある あなたがあなたであることを証明してください/マイ・ナンバーに抵抗感がある理由 9章 変わるものと変わらないものをどう考えるか 変化するものを情報に変換するということ/時空はいつからあったのか 卵がなぜ私になるのか/進化の本質はズレ/メンデルの法則は情報の法則 「情報」の発見 終章 デジタルは死なない 自然保護とグローバル化/少子高齢化の先行き/コンピュータと人の競争 不死へのあこがれ おわりに
0投稿日: 2019.06.24
powered by ブクログ1月6日 BS朝日 著者談話が話題 80歳で執筆した遺言について、養老さんが語ったことで再度話題になっています。
0投稿日: 2019.06.19
powered by ブクログじじい特有の色々もうわかりあおうとするのは面倒だ、という態度が、うっせーじゃあ書くなよ本なんか、と思ってイライラする。そういう不徹底がだらしない。わかりあうのが面倒ならコミュニケーションやめればいい。 要するにただ歳とって色々面倒になっただけで、でも書きたいことや言いたいことはある。 それはそれでいいんだから、それで認めて普通に書けばいい。余計なことを言うから、いけない。余計なことを我慢するのが面倒なくらいじじいになってるんだろう。 それが老いかね。まぁ、遺言と自ら言ってるのだからそんなとこ追求しなくても?って思うかもしれないけど、そこの態度は醜悪だ。 1つ前が方丈記だったからかもしれない。方丈記にはそういう面倒な言い訳はなかった。 そういうものを抜きにして、内容は面白い。 同一性と差異、というのは、まさに人間の情報編集の基礎である。あ、これを読んだのは松岡正剛の千夜千冊に取り上げられたからだ。 そもそも養老孟司にはあまり興味がない。 バカの壁、も、読んだら負けな気がして(まったく意味のない思いですが)読んでなかった。 バカの壁を読むことにバカの壁が透けて見える。 で、同一性と差異、タルドの模倣の法則や、バーバラ・スタフォードがそのあたりの僕の文脈だけど、スタフォードが 「違う違うという時代の同じ」というような意味のことを言ってたけども、この本では、「同じ同じという時代の違う」を指摘してる。 なるほど、この同一性と差異はどこからうまれるのか それも興味がある スタフォードを先に読んだせいもあるが、僕は、今は違う違うという時代と感じる。 共同幻想は細分化され、個々人の関心はバラバラになる。 でもこれは、プラトンとアリストテレスがラファエロの画面で示した所作に要約されて常に問われ続けてきたことでもあるのだろう。
0投稿日: 2019.02.03
powered by ブクログ2019年2冊目。 親友に勧められて年末購入し一気に読了。 養老先生の視点というか、物事の切り取り方にはいつもハッとさせられる。当たり前の中に潜む違和感に気づかせてもらうというか、自分が漠然と思ってることを言葉にするというはなんて難しいことなんだ、、と痛感する。 もちろん、「それそれ!そういうことなんです!」と代弁してもらうきもち良さというか、言い得て妙、みたいな感覚は読書の醍醐味でもありますが。 作家の確固たる知識と豊富な経験値、鋭い考察とが炸裂した刺激的な一冊であることは間違いありません。
5投稿日: 2019.01.14
powered by ブクログ世の中にあるもの、存在するもの。当たり前に受け入れた時に、何をもって区別できるだろう。印象的なのは、雑草を草花でも余計なものと捉えると、じゃあいらないね、となっちゃうというくだり。いらないものなどない。世の中に存在するものをあるがまま受け入れることの大事さを感じた次第だ。
0投稿日: 2018.12.26
powered by ブクログこの本は語りおろしではなく、書き下ろしらしい。今まで感じたり考えていた事を自由に書いている。内容は今までのものより面白さはなかった。
0投稿日: 2018.11.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
とりあえず感覚器に与えられた第一印象を感覚所与という。感覚所与は「違う」けれどわれわれは頭の中でそれを「同じにする」。動物はイコールがわからない。等価交換ができない。動物は絶対音感がある。人間は忘れていくのだ。現代の若者が実際にヒトに接するよりSNSを好むのは生身のヒトは雑音を含みすぎている。都市は意識の世界であり、意識は自然を排除する。人工的な世界はまさに不自然なのである。子どもは自然である。とりあえず心に残った養老さんのつぶやきを書いておく。まあ考えてみればと言うこと。むずかしいけどおもしろかった。
0投稿日: 2018.11.15
powered by ブクログ動物の認知系統の話を軸に今の世の中に対する哲学的な内容を織り込んだ内容。単純なことだけど言われてみたら、へー。みたいな話題が多い。
0投稿日: 2018.10.25
powered by ブクログバカの壁で知られる養老孟司。 当時バカの壁は読んだけど、内容忘れてしまったような。また読んでみよう。 この、遺言。よりは分かりやすかったような気がする笑 結構難しい内容だった。 遺言だから、と思って読んでいたら、あまり遺言ぽくはない。養老孟司が常々思っている由無し事をこの際だから本にした、みたいな印象。 ヒトは動物と違って感覚所与だけで生きていない。 感覚所与から意味を持たせること、その意味だけに固執するようになってしまった。 同じとは、どういうことか?言葉は動物にはわからない。イコールという頭がないから。 などなど。頭の良い人はこんな事を考えて生きているのかと、そういう意味で勉強になったし、少しだけ知恵を分けてもらった感じ。
1投稿日: 2018.10.11
powered by ブクログ遺言というタイトルとは直接関連がないような 内容だと思います。 結局何を言いたいのか?少し難解な内容であった ような気がします。ちゃんと理解できなくても 著者が一生懸命、我々に訴えかけていることだけは わかります。 意識を研ぎ澄ませることもいいですが、感覚を もっと研ぎ澄まして、感覚で判断することが あってもいいのではないかということかと。
0投稿日: 2018.10.08
powered by ブクログ終活本と思うなかれ。感覚所与、意識と感覚の対立が語られる哲学書。はっきり言って難しいです。概要は以下参照。 https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2018/09/0902_1.html
0投稿日: 2018.09.09
powered by ブクログもっと楽しく生きやすい人生を歩むためのヒントが散りばめられているので、何かを求めるというのではなく気楽に読めばよいと思う。
0投稿日: 2018.09.08
powered by ブクログ私の思考回路にとってはまだまだ難易度が高かった!!!もう少し賢くなってから再読します。。 養老先生、すみません。。
0投稿日: 2018.09.04
powered by ブクログ『バカの壁』のときは、理解できないところが多々あって、それからずーと敬遠していました。脳科学や生物学の面白い本がたくさん出て、理解が増したのか、この本は、面白く読了しました。意識についての探究と発見が進むと、もっとわかりやすくなるのでしょう。
0投稿日: 2018.08.28
powered by ブクログなにか年を取りましたね。バカの壁興味深く読ませていただいた記憶があり、最近は「死」に興味があり、本書を読んでみることにしたが、遺言の内容では無いね。これこそ「乱暴なものいい」ではないか、紛らわしい。 出だしでくじかれたからか、内容もあまり頭に入ってこない。人間と動物との比較がどうとか。
0投稿日: 2018.06.15
powered by ブクログカナリア諸島への船旅 遺言1.0 広島の元宇品もとうしなの森 絶対音感を失った 喉頭こうとう 感覚所与 朝三暮四 動物はイコールがわからない イコールが生みだす「猫に小判」 等価とは「価値が同じ」ということで、交換も同じということだから、等価交換では同じが二重に使われることになる。「同じ」が一つだって動物にはわからないのだから、「同じ」が二重に使われるお金は、もっとわからなくて当然であろう。「金がすべて」という人が時にいるが、それは「すべてのものは交換可能だ」という結論になる。乱暴にいうなら、脳の中だけでいえば、すべてが交換可能である。なぜならすべては電気信号だからである。 ヒト社会は必ずしもボス支配にはならない。しかもいずれ民主主義に行き着くはずなのである。なぜなら人間は平等だからである。平等とは互いに「同じ」人間じゃないかということであり、互いに交換可能だという意味である。だからこそ逆に、SMAPは「世界に一つだけの花」と歌った。 当然が当然ではない社会 つまり違いを主張する感覚所与が排除されている社会 意識と感覚の衝突 唯脳論者 「同じ」のゴールは一神教 「象」がマンガから文字になるまで アイコンといえば温泉マーク オノマトペ=擬声語 言葉は「目と耳とを同じだとする働き」 還元論的に意識を分解していけば、そんなものは消える。そう考えてもいい。すべての細胞には「意識のもと」が含まれている。そう考えてもいい。私は正解を知らない。結論は後世に任せるしかないだろう。 芸術は解毒剤である 生前は誰も顧みなかったのに、作者の没後に売れる絵画がある。そこにはなにかの基準があるのだろうが、私には絵はまったくわからないといっていいから、その基準を知らない。ともあれ芸術であるかどうかは、相当程度に恣意的だと見做される。それでいいので、なぜなら、すべては違うという点に立脚する以上、本質的に一定の基準はないからである。 王侯貴族 音は耳だけで聞くのではない。身体だって振動する。それなら鼓膜は振動しないが、身体の別なところが振動してなんの不思議もない。これは超音波に限った話だが、じつはそれ以外に、生演奏にはなにが含まれているか、わかったものではない。意識はわかっていないことは、ないこととして無視する。そしてすべてをゼロと一にしてしまう。だから私の芸術に関する結論は簡単である。芸術はゼロと一との間に存在している。 クオリアは言語にならない。むしろ「感覚から我々が受け取るもののうち、言語化しようがない部分をクオリアという」。そう定義してもいい。既に繰り返し述べたように、言語は「同じ」という機能の上に成立している。逆に感覚はもともと外界の「違い」を指摘する機能である。そう考えれば、感覚が究極的には言語化、つまり「同じにする」ことができないのは当然であろう。そこをなんとか伝達可能にしようとする試み、それがアートだとも言える。さらにはそこにアートという行為の一過性があり、まさに一期一会なのである。鑑賞者の側からしても、同じ作品から、常に「同じ」感覚を受け取ったのでは、良い作品にはならない。 珍重される理由の根本 安心安全を旨として 脚下照顧きゃっかしょうこ トックリバチ 徳利の中には麻痺させた青虫を入れ なんのためにヒトがイヌを家畜化したのか 鳥獣害
0投稿日: 2018.05.15
powered by ブクログ現代の世の中で起きている様々な問題に対し、一つの補助線として意識(脳化、都市化、情報化)への過度な偏重を提示。 ・人間と動物の違い。人間は意識、動物は感覚を重視する。ここから人間は感覚から入力に対し、意味を見出すようになった。 →意味のないものを排除する傾向が強まった(自然の排除。都市化) ・意識によって「同じ」を理解できるようになった。お金や数式、相手の心の理解などを生み出した。他方、感覚は「違い」を重視する。 ・意識には科学的な定義はなく、脳によって支配されている。なのに意識は「自分が偉い!」と思ってしまう。 ・少しでも意識から離れ、感覚に近いものを求める向きもあり、それが音楽やアートに繋がっている。 ・政治の分断や自然保護なども意識と感覚の対立によるもの。特に少子化は都市化が進んでおり予測された社会の中で、子どもという自然に違い存在は予測不可能であり、避けられて当然 著者が今までの著書で述べてきたことのまとめであるように感じた。 会社役員や、政治家など意識中心で生きている人がなぜゴルフにハマるのか。作られたとはいえ自然が感じられ、自分は毎回同じスイングのつもりでも球が毎回違う方向に飛ぶ、予測不可能などスポーツだからなのかなと。 人間誰もが意識しないと「意識」偏重になってしまう。 だからこそ自然や感覚にもしっかり目を向けるように意識しないといけない。 著書の後半で印象的だったのが以下 「私に答えを要求しないでくださいね。毎日、こんなこと(様々な問題について)を考えて眠れないんですから」 80歳とはいえ研究者としてまだまだ悩みは尽きないんだなー。 だからこそあえて意識から離れるために、虫取りするかな。
0投稿日: 2018.04.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
意味のあるものだけに取り囲まれていると、いつの間にか、意味のないものの存在が許せなくなってくる。その極端な例が神奈川県相模原市で生じた19人殺害事件であろう(2016年7月に障害者施設で引き起こされた)。障害があって動けない人たちの生存に、どういう意味があるのか、そう犯人は問うた。(p.36) 秩序は限定された空間の中でしか成立しない。ここにもいわゆる自然破壊の根本的な問題が見え隠れている。文明とは秩序であり、それを大規模に作れば、自然には無秩序が増える。それを自然破壊と呼ぶのである。(p.101) 現代社会のように、情報が溢れている中で育つと、すべては説明可能だといつの間にか信じ込む。少し意地が悪いと思ったけれど、私は言葉の限界についての無知を注意しただけである。クオリアは言語にならない。むしろ「感覚からわれわれが受け取るもののうち、言語化できない部分、ないし言語化しようがない部分をクオリアという」。そう定義してもいい。(p.117) それをどう見るかによって、価値がまったく違ってしまう。私にとっては、この絵(マグリット「イメージの裏切り」)は書物の一冊分に相当する衝撃があるが、その対極には「ホウ、パイプの絵かあ」とただ思って終わる人もいるはず絵ある。(p.119) 数学が最も普遍的な意識的行為の追求、つまり「同じ」の追求だとすれば、アートはその対極を占める。いわば「違い」の追求なのである。それは直感的に多くの人が気づいているはずである。(p.121) 現代生活は人生の意味を剥奪しているのではない。むしろ「意味しか存在しない」社会を作っている。それが情報化社会である。情報とはすなわち意味でもあるからである。(p.148) 年は意識の世界であり、意識は自然を排除する。つまり人工的な世界は、まさに不自然なのである。ところが子どもは自然である。なぜなら設計図がなく先行きがどうなるか、育ててみなければ結果は不明である。そういう存在を意識は嫌う。意識的にはすべては「ああすれば、こうなる」でなければならない。 そうはいかないのが、子どもという自然である。努力して育ててみるが、どんな大人になるか、知れたものではない。うまくタレントになってくれるかもしれないし、犯罪者になってしまうかもしれない。そんな危ないもの、関わらないほうが無難じゃないか。(p.172)
0投稿日: 2018.03.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
養老孟司の`遺言`、私は、こんな事を考えてます、感じてます。 曰く、デジタルという情報系は、ゼロと一という二進法。生物は遺伝子を4つの塩基で記述、A:アデニン、T:チミン、G:ゲアニン、C:シトニン。 脳なら、ゼロと一の二進法で、遺伝子を設計するだろう、多分。 4つの塩基からなる遺伝子という情報系は、人の意識を構築する二進法のデジタル情報系よりも、遥かに多くの余剰を含んでいる。 時間と共に、変化する事象を、変化しない二進法の情報系でどう記述するのか、果たしてそれは、可能なのか。(無理でしょう、多分) 現在の社会は、ジャンクな遺伝子を多く含む遺伝子系情報から生まれる`感覚`(ジャンクにも機能がある)と、二進法の情報系から生まれる`意識`、が併存しつつ、かつ、乖離しているのではないか、と。 都市は、`意識`の世界、意識は、自然を排除する、そして、子供という自然の塊も排除され、少子化の流れになっている等々。 論旨、明快、納得であります。(星4つです)
0投稿日: 2018.03.02
powered by ブクログ学校でムスリムの女子がビジャブを被るのを、認めると特別待遇になるから差別的だというのか、禁止するとその子達の自由を害することになり、其方が差別だというのかの問題。これを、意識と感覚の違いから、すなわち同一性と差異の問題として考えたらどうですかという提案ですね。都市(化)は意識の世界、意味のないものを許さない同一性の世界ということになりますね。この視点は新鮮でした。平面的に見えた、同等の利益の対立が立面で見えてくる感じです。
1投稿日: 2018.02.21
powered by ブクログ意識と感覚所与の違い。 絶対音感はもともとみんな持っていんだけど、ただ音の高低でなく言葉が意味を持ってから失った。動物にイコールの概念がないので交換も起きない。日本語は冠詞のかわりにはやがの助詞があるが、中国語にはそれがない。感覚所与でなく意識で同じを繰り返して抽象化すると一神教に至る。都市には自然のように意味のないものがあることがある。エントロピーは増大するという法則が脳にも当てはまり、意識という秩序活動が起こっている分の無秩序が発生し、それを片付けるのが睡眠である。デジタルは不死。
0投稿日: 2018.02.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
意識論。なんだけれど。あまり遺言ぽくはない。1.0だそうで。説得力はあります。だけどなんか言いくるめられたような。で、5つじゃなく4つ。
1投稿日: 2018.01.24遺言。読みました。
以前よりAIに興味があり、脳科学や意識の分野にも飛び火して本を読んでいる間に、ちょっと息抜きみたいに読みはじめ強烈なカルチャーショックと言うか目から鱗の体験でした。 養老先生の本をもっと読みたい‼ 意識と感覚、同じものとする事、一神教の神 今現在、生涯一番好きな本となりました。 あえて断定しないで深く説明もしないが明快で考えさせる。 素晴らしい本です。 遺言。と言わずに、是非続編をお願いします。
0投稿日: 2018.01.19
powered by ブクログ養老先生、初めてかもしれん。NHKの人体に出てらした。 面白かったのです。「バカの壁」も読むべかな。
0投稿日: 2018.01.17
powered by ブクログ養老先生久しぶりの書き下ろし(ここ最近は語り下ろしが 多かった)。タイトルにも惹かれて手に取ることに。 唯脳論以来の養老先生の考え方がブラッシュアップという 感じできれいにまとめられている印象。今回は特にヒトの 「同じにする」という性質・働きをキーワードに様々な 事象を論じており、その分わかりやすくなっているのでは ないだろうか。 養老先生、まだまだ死ぬ予定はないとおっしゃっておられる ので、遺言2.0が発表されるのもそう遠いことではないと 思われる(嬉)。
0投稿日: 2018.01.16
powered by ブクログ20180115 現在の状況について自分の専門分野からの見解を丁寧に展開してもらっていると思う。理解が追いつかないのは読む側の問題なんだろうな。今、養老先生達が遺さないとこの先どうなって行くかの基準がなくなってしまう。その意味でこのタイトルは大事だ。
0投稿日: 2018.01.15
powered by ブクログ著者の人生観や思い、考えがまとめられている1冊。ただ、私的には共感できる部分が少ないので少々読みづらかった。
0投稿日: 2018.01.06
powered by ブクログ非常に興味深い。 禅や老荘でイマイチもやもやしてたことが 別な視点から理解できる気がする P141 現代社会、情報化社会はもともとあった 自然の世界に反抗して、 諸行無常ではない世界を 構築しつつある
0投稿日: 2018.01.01
powered by ブクログ意識と感覚。同一化と差異。わたしは、感覚を意識して生活していきたいなあ。土や木や草や花、小さな生き物たちと仲良くしていこう。センスオブワンダーを思い出した。レイチェル・カーソンを読み直そうと思う。
0投稿日: 2017.12.31
powered by ブクログ久しぶりの書下ろしということで購入した。もちろん、いくつもの著作を出されているが、このところ語り下ろしが多かったようだ。「遺書といっても当面死ぬ予定はない」とカバーに書かれている。これで安心して読み進める。内容は、たぶん「人間科学」などで読んだことが多い。それでもなかなか頭に入ってこない。もともと電車の中で気楽に読めるような本ではないのかもしれない。その中で、印象に残ったこと2つ。運動性言語中枢であるところのブローカ野に障害があって、話すことができない人でも、童謡などを医者に続いて歌うことができるという。どうやら歌詞というのは音楽の一部であって、言語とは少し違うところで認識しているようだ。まあ、ビートルズとか、意味を考えずに歌ったりするもんなあ。もう1つ。人は寝ているとき意識がない。そう考えると、一生のうち3分の1くらいは意識がないことにもなる。さて、ほかの動物に意識はあるか、という問題を考えたとき、起きているときと眠っているときは意識のあるなしの違いだと考えるならば、眠る動物には意識があるということになる。昆虫は眠っているのかどうかわからないが、眠りに関する遺伝子は見つかっているそうだから、昆虫にも意識があると言っていいのかもしれない。ダンゴムシに心があるという人もいるくらいだから。「おわりに」でお世話になったと紹介されている人物――池田清彦、津田一郎、内田樹、茂木健一郎、柴谷篤弘、中野幹隆(哲学書房)――どの名前を見ても私もお世話になっている(著作などから)。というか、始まりは養老先生で、そこから広がったのかもしれない。そして、もう1人前にいるのが森毅先生だ。そこから私の読書の人脈は広がった。そして、その前にもう1人、高校時代の友人I君だ。森先生を紹介してくれてありがとう!
0投稿日: 2017.12.10
powered by ブクログもう,どこが遺言なのかっ!と突っ込む.相変わらず網羅的な哲学から現状情勢を分析し,何がおかしくて頭を使うべきなのかを説く.遺言と同様なのは,受け手が我がこの内容をどう生かすかということにかかる.
1投稿日: 2017.11.22
