
総合評価
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powered by ブクログタイトル的に企業同士の癒着に着目した話かと思いましたが、そうではありませんでした。 広告を通した2つの共通項と、その歴史•発展のプロセスを準えた本でした。
12投稿日: 2023.09.27
powered by ブクログ関係者や業界の人にはわかりやすいのかもしれないが、門外漢の自分には理解しにくいないようだった。 それでもいかに人々が広告によって意識を作られているかがわかって、その部分は面白かった。 お金=心の豊かさ、のところはすごく納得できた。
0投稿日: 2020.12.27
powered by ブクログ電通・リクルートを発散・収束型広告と位置づけ、高度経済成長期から現在に至るまで、人々の消費行動・心理の変化を追いながら、両社の役割を紐解いている。データ分析界隈でも存在感を増している両社。今後が楽しみ。
0投稿日: 2020.12.20
powered by ブクログ電通が夢を与えるならリクルートは現実の情報を与える。広告という媒体は同じでも、やり方や内容は全く違う存在。だということは分かった。
0投稿日: 2018.11.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
タイトルだけで惹かれて読んだと言っても過言ではない。newspicksで両社の特集が組まれておりホットな企業。 「まとめ」 電通とリクルートという日本のメディアを支える2社の変遷を戦後日本社会の変遷とともにまとめている。広告は辞書の書き換えが役割で、情報誌は情報の整理が仕事であるという対比構造。その違いを発散型と収束型、農耕的と狩猟的、元栓と毛細管…、元博報堂ということもあり比喩など表現が豊かで両社のビジネスモデルの違いがイメージしやすかった。 また、広告の果たす役割が日本経済の発展及びメディアやIT環境の変化により変わってきており特に近年は大多数の人は検索により表示された情報が事実であると思い込み、「情報ありがとうございます」と動き出す。これは確かに人を動かす事にはなっているものの、本質である”本当に効果のある狙った人を動かす”事にはなっていないことを痛感した。 「感想」 タイトルがミスリードを生みがちだが、内容は日本の消費社会とメディアやその広告との関係について広く書かれた本である。広告業界に関わらず企業が自らの顧客に対して何をどのように伝えなければならないか考える意味で広く対象がいる印象。 世間では「電通が世の中を動かしている」などと影の役人的なイメージが付きまとっている。実際、メディアの”元栓”を握っていることによりメディアへの関与は想像でき、多少は否定できない部分もあるのだろう。一方で世の中を改めてみると現代の情報蒐集の主な手段は”ググる”ことである。ここで怖いのは、従来のメディアと違い自分で情報を選んだ”気になっている”点である。 「学び」 ・1消費者としては、自分で”聖書”を持ち続ける必要性を感じた。 これほど情報量が多い世の中、何となくググって出てきた情報で知った気になっていないか、自分がなぜその情報を欲しかったのか、自分はその情報で何をしたいのか見つめ直すこと必要性のことである。 ・逆にリクルートとしては、ただ整理するだけではなくより積極的に消費者に訴えかけ、良い消費者たりうるようにしていく必要があるのではないか。 (いっそリクルートが学校とか開いたら面白いのに笑)
0投稿日: 2016.11.08
powered by ブクログ広告と人材育成のキャリアを持つ著者の、職業人としての独白が根底にある。広告、情報ビジネスを厳しくみるなか、前向きであるためには受け手に負担をかけず、嘘がないコミュニケーションが望ましいとのスタンスである。 2社のスタンスの定義づけが示唆に富む。両社の関係性や、他のプレイヤーとの競争、新しいビジネスとの関わりなど、今後の動きを見るうえでもものさしになる。
0投稿日: 2016.04.29
powered by ブクログ消費社会とマスメディア・広告との関係について書かれた本。 発散志向広告の電通と収束志向広告のリクルートを取り上げ、その変遷と役割の変化が展開される。 なかなか面白く読めたが、論旨が良くわからない部分があった。
0投稿日: 2015.12.19
powered by ブクログモノを買うときに、自分への納得感が必要。広告が動機付けをするなどで、買う理由を与える。ネットで比較して賢い買い物してるなあと納得してみたり、ご褒美という名で買ってみたり、ネットで比較できることで、自分に合うものだけを選択できるようになった。 これが広告の目的。 広告で方向付けをして、価値観を変えていくことは面白いかも。ただ、広告で特定の商品を押し付けると言うのは個人的には嫌。ま、最後に書いてあるけど、地図と聖書があって、広告は地図。利用するためのもの。悩んだ時の決め手は、聖書など、読むもの。 とはいえ、お客様と一緒に作っていくというシステムエンジニアという仕事は、性にあっていると言えるなあとしみじみ。 幸福論について。モノの豊かさ、ココロの豊かさ。他人から離れれば傷つかないが、幸せになれない。 幸福の要素として、健康、家族関係、家計が挙げられる。 また、上位業種とは、食品、化粧品、交通・レジャー、飲料、通信、流通、医療品。広告マンは営業かと言われれば、一から新規開拓しないから、営業とはいわないとな。
0投稿日: 2015.04.25
powered by ブクログ情報産業の巨人である二つの企業の内実やビジネスモデルをわかりやすく紹介してくれると期待して本書を手にとってみたが、期待はずれだった。 わかりにくく、読みにくく、興味をひかない内容はちょっとがっかり。
0投稿日: 2015.01.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
戦後の日本の広告を牽引してきた電通とリクルートをあげ、それぞれの特質(共通点と違う点)に注目しつつ、戦後の人々の「消費のあり方」がどう変わっていったかを分析した本。 主張したい点はわかりやすかったのですが、若干議論が発散する点もちらほら。 しかし、全体としてはうまく整理されていて、広告や消費について勉強になりました。また、広告の未来を考える際のヒントにもなりました。 著者は博報堂の方で、広告に対する熱い想いが随所に感じられて、それがよかったです。
0投稿日: 2015.01.15
powered by ブクログ昔、博報堂にいた人が書いた本。前書きに書かれているとおり、広告のことやタイトル2社のこと、というよりは人々の欲望の作られ方、のような内容。全体的に過去の振り返りが主。これからのことについてはほとんど書かれていないが、今起こっていることも、しょせん、過去の繰り返しであることが、逆に良くわかる。 電通については良くわからないが、リクルートは知人が入社してたことがある。そこから聞く話と比べたら、本書に書かれている内容は掘り下げ方が少ないように思った。 広告会社でメディアについて研究していた人が書いただけあって、読み易いし、内容は新書というフォーマットにマッチしている。ターゲットは40代?同世代、同時代体験を期待するような昔話が多い。
0投稿日: 2014.08.02
powered by ブクログ広告企業の二社にスポットライトを当てて戦後からの広告業を追った本書は、タイトルから発せられる下世話な空気とは異なり真面目に書かれた内容であった。時代によって広告が変わり、企業もそれに対応していっており、中々興味深い。しかし内容が多岐に渡り、また詳細な考察ではなく、著者の感じた感覚で語られるために消化不良を起こしてしまっている。
0投稿日: 2014.06.22
powered by ブクログ電通とリクルート、この2者が作り出した「人々にとっての価値」の対比が面白い。今後どうなるのだろうか。
0投稿日: 2014.04.27
powered by ブクログ電通とリクルートの事業沿革とその歴史的背景を振り返ることで、人々の広告に対する反応や情報の求め方などを明らかにしようとした一冊。 筆者は元博報堂の社員。特徴は上記の二社よりも、消費者側の動向にスポットを当てている広告論だという点であり、企業内部や業界動向の話を期待していた自分にとっては肩透かしだった。 電通を「発散志向広告」リクルートを「収束志向広告」とカテゴライズし、それぞれが補完的に人々の欲求に答えてきたという観点は興味深かったが、肝心なその後の展望に関する記述が解りにくかった。
0投稿日: 2014.04.18
powered by ブクログ・発散志向広告と収束志向広告 ・広告の役割の一つ → 辞書(意味)の書き換え ・情報誌を高収益ビジネスとして実現するためには寡占化が必要 ・消費者自らが「買う理由」を欲している ・優秀な売り手は、多くの迷える客に対して「理由」を上手に提供している '広告は、夢を見せても夢への道のりを教えてこなかった。その道のりを知りたい、というニーズに応えたのが情報誌であった。' '人々が欲しかったのは「モノ」ではなく、「モノを買う理由」だったのだ。'
0投稿日: 2014.01.05
powered by ブクログ2011年6月初版 山本直人 著 == 日本の戦後情報産業史を、広告という領域でそれぞれ異なるアプローチで拡大させてきた電通とリクルートに焦点を当てることで、整理した一冊。 そうかそういう整理も出来るかーという意味では、 ありそうでなかったアプローチなのかもなあと思い、 いろいろと面白く読めました。 ただ、ちょっと乱文というか、 結構、一見すると論旨が蛇行して進むように読んでて感じるので、 「あれ、何の話だっけ?」みたいになる本で、 ちょっと、集中力を要しましたがw
0投稿日: 2013.12.28
powered by ブクログ情報に期待し過ぎていた自分に気が付いた。情報が多いからといって最適な選択肢や幸せは約束されない。あくまでも決断は"これまで積み上げてきた自分の価値観"に則る。
0投稿日: 2013.10.25
powered by ブクログブックオフにて105円で入手。しかし値段に反して面白かったです。 「電通が日本を動かしている」 「結局は電通だよ(諦」 みたいなことを臆面無く言う人がわりといる気がする一方、 広告業界のビジネスがよくわかってませんでした。 そのへんのことが書いてあるのかなと思い、書名に惹かれて購入。 結果としてはそのへんのことはよくわからなかったのですが(笑、 楽しく読めました。 これは情報産業を通じて、戦後日本の人々の価値観の変遷を分析した本です。 分析の視点もさることながら、さすが元広告業界の著者と言うべきか、 比喩の面白さというか、一つ一つの言葉のインパクトが印象に残ります。 特に美しく、かつ、本書の要旨がうまくまとまったくだりがあるので引用。 「自由な消費が始まろうとした頃、人々はマス・メディアという大きな船に乗った。そして、豊漁の後の嵐を経た頃に、小さな船が登場した。人々は徐々に、船を乗り換えた。そして、自ら情報の海を航海しようと試みた。 それがインターネットの時代である。 ところが、小さな船ほど潮の影響を受けやすい。気がつくと、小さな船は同じようなところに集まって、大きな船もまた近くにいる。いろいろな大きさの船が離散を繰り返しながら、結局は大きな潮に乗っている。」 前半は、高度成長期を背景にモノが社会に溢れる中、 人々は「買うためのストーリー」を提供してくれる発散型広告にのっかったということ。 しかしこうしたマス広告につきまとう誇大性(本書では「偽リアリティ」)に食傷気味となった大衆は、次第に自分の生き方を志向し始める。 大衆はマスではとらえきれず、分衆化、セグメント化していく。 この傾向に対応する存在としてインターネットが出現。 インターネットにより自分が情報を取捨選択できることで、情報の主導権が企業から人々の手に移ったかと思われた。 しかし、口コミサイトのレビューが、自分の体験を述べるというよりも「事前の期待値との答えあわせ」をしていることにも見られるように、 まだまだ外からの情報を求める人々がいる。 できる限り損をしないように、「情報との合一性に」による安堵を見いだしている。 しかし時代としては、広告は大きな変化の中にある。 という感じでした。 ちょっと乱暴な要約ですが。。。 広告について初心者すぎて、だいたいの記述を「なるほどなー」と素直に受け入れてしまいました。 これを読む事で何かすぐに役立つものがあるということはわかりませんが、小説に似た読み応えはあるかなと思います。
0投稿日: 2013.09.19
powered by ブクログ元博報堂社員による、情報(広告)と人の生き方の関わり合い方を唱えた本。私たちに情報を提供する、二大巨頭「電通」「リクルート」を対比させつつ、時代とともに、彼らが人々の欲望にどう応えてきたのか、これからどこに向かうのか?を論じた一冊。 なるほどヘェ〜!と頷ける部分もあったが、論体自体が抽象的で、なぞらえ方もなんかわかりにくく、結局何が言いたいんだこの人?ってのが、よくわからなかった。 彼が「おわりに」で主張しているとおりで、情報を発信したり整理する側が、「本当に人々のことを考えるならば、人々を情報への固執から解放してあげるという選択肢も考えるべき」とあるように、彼もまた、あえて読者に具体的にこうすることが大事だと伝えることの明言を避けているような気がした。そういう意味では、一貫してるんだけど、皮肉だが、逆にわかりづらいよ!という感想も半分(笑)。 ■電通とリクルートの対比 ・創業:戦前/戦後 ・基盤:元栓(電波)のうまみ/毛細管(中小企業まで網羅した営業力、編集力、起業力) ・広告の役割:発散志向(拡声と伝達)/収束志向(整理・ガイド) ・メディア:マスメディア/情報誌・情報サイト ・スキル:変換(意味の書き換え)/編集(規格化と検索性) ・対象:日用品/選択性の高いもの ・収益力:高売上/高利益率 →インターネットの登場で、現在は、線引きが曖昧になってきている ■感想 結局、彼が言いたいのは、「おわりに」の一文だと思う。 「(電通もリクルートも)多くの情報を与えてくれる一方で、時に情報による船酔いも起きてしまう」「(それらは地図でしかなく、決断するときには)指針となる読むもの、つまり聖書が必要」で、それは一人一人の中にあらる「それぞれの内面の聖書なのだ」。 電通もリクルートも、それぞれの強み・特色を活かして、世の中に欲望を生み出し、うまく距離をとりながら、広告というコミュニケーションをとり続けてきた。情報を使う我々消費者のほうも、うまくそれらの情報をケースバイケースで受け止めながら、ときに補完させながら、躍らされないよう・効率的に取得してきた。 でも、いくら受け取り方が変わってきても、これだけ情報量が増えると、意識的にも無意識的にも、誰ががつくった情報に依存してしまう。あまりにも情報が多すぎるから、つい探してしまうし、何を選べばよいか決め手が欲しい。でも、結局、情報はどう使うかでしかなく、最終的にどうしたいのか?は自分で決めること。情報に頼るだけではなく、結局自分は何がしたいのか?何のためにその情報が必要なのか?を見つめなおすことも大切ですよ。 …と、だいたいこんなところかな。 日本の一般的な小中高を経て、大学に入ると、必ず誰もが少なからず戸惑うだろうな、と思うのが、居場所。 それまでは、一定の枠組み(クラス)の中でカリキュラムが決められていた。その限られた範囲内で、自ずと自分の居場所が決まり、ある程度行動も決まっていた。それは言い換えれば、誰かがつくった枠組みの中で、行動も制限されていた、ということになる。 それが大学に入るとガラリとかわる。正確にはかわったわけじゃなくて、枠組みや制限自体は残っているんだけど、いっきに広がった感じ。 自分でどうしたいか?どう時間を使って、何をして、誰と過ごすかを、自分で考えて決めるというカルチャーショック。居場所を自分でつくっていかなくてはいけない焦り。 慣れれば最高、慣れるまでは大変。 いま考えれば、あれも大人への第一歩だったんだろうけど、情報の関わり合い方と似ている。そもそも自分の置かれている状況が限られている狭い社会や時代においては、上から降ってくる情報を鵜呑みにしがちだし、大衆化しやすい。でも、自由の幅が出てくると、情報が多すぎて決められないから誰かに整理して欲しいし、後押しが欲しい。自分が選ぶ方向は間違ってないかどうか答えが欲しい。 前者が小中高の私で、後者が大学生になりたての私。 そもそもどんな生き方があるかわからないから、情報を頼る。その生き方をするにはどうすればいいのかを知るためにも、情報を頼る。 どっちも欠かせない作業だけど、これまで自分がどう生きてきて、どうなりたいのか?は、自分しかわからない。 本当は、この作業を、大学に入るとか入らないとかの前に、みんなやったらいいと思う。 そういうことを思いださせてくれた一冊ではあった。
0投稿日: 2013.05.19
powered by ブクログ電通モデルを発散志向の広告、(ネット広告モデルのルーツとしての)リクルートモデルを収束志向の広告と位置付けた論述展開。 この2社をツールとした中での戦後から今に至る日本の消費分析が「なるほど」という感じで読めました。 電通は元栓を押さえることで収益の基盤を確立することで圧倒的なシェアを実現し、リクルートが毛細管の拡張と維持を最大の経営資産として勇躍した。 これからの時代、日本というマーケットだけで捉えた場合、彼らがどのようなアプローチをとり続けていくのか興味深い。 グローバル展開では、タイムマシンモデルによりこれまでのノウハウが役立つ場面も多々あるのであろうが、日本においてはどのような進化が必要なのかよく見えないので注目したい。 「キュレーションの時代」ではビオドーブと呼ばれていた、濃くて良質なビジネスマーケットとしての無数の塊を効率よく創造していくことが生き残りのための一つの術なのだろう。 そういう意味では、リクルートの次のチャネル展開が興味深い。
0投稿日: 2013.04.27
powered by ブクログ電通をはじめとする大手広告代理店の収益は、マス・メディアとの長い歴史の中で育まれた関係を維持することでもたらされてきた。広告ビジネスには、外部からの印象以上に、きわめて「農耕的」な風土がある。 それに比して、リクルートは次々とメディア自体を開発して、クライアントを開拓してきた。対比的にいえば、明らかに「狩猟的」である。p10 「発散志向広告」と「収束志向広告」 リクルートが毛細管の拡張と維持を最大の経営資産としていったのに対して、電通は元栓を押さえることで収益の基盤を確立した。p61 Cf. 「金曜日はワイン」→辞書的、文脈の書き換え 「幸福のペンタゴンモデル」 ①時間密度 ②手ごたえ実感 ③自尊心 ④承認 ⑤裁量の自由 Cf. 『幸福の方程式』p98 Cf. 『「分衆」の誕生』
0投稿日: 2012.11.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
1980年代から両社が拡散志向広告と収束志向広告で相互補完してきた歴史を通して、広告と消費社会の30年間がざっと分かった。 2007年に両社が資本提携したという「オチ」もインターネット時代の広告ビジネスをとりまく現状を考えれば必然だったんだろう。 なんにしても両社ともすごい会社だ。
0投稿日: 2012.09.27
powered by ブクログ企業論に見せかけて時代論。電通とリクルートをベースに戦後の広告業界が求められてきた社会への役割を概要で語る一冊。視点が遠距離すぎて電通とリクルートの内情なんて一切でてこない。数値としては売上利益の推移があるぐらいで、あとは電通の主な広告とリクルートが発行した媒体から時代のありようを茫洋と語るのが主題。分析の内容は納得できる部分がそれなりにあるにはあるが、それを裏付ける要素がなく、同じことを何度も何度も語るもんだから読めば読むほど説得力が下がっていく。人目を惹くタイトルで釣ってんだから「そうだったのかもね〜」以上の感想を読者に与える具体性が欲しかった。
0投稿日: 2012.08.20
powered by ブクログ著者の言う変換と編集の違いについて検討。意味自体の編集と、メタデータの編集。新たな疑問。メタデータはコンテクストか。コンテクストはメタデータか。 著者の対置に従えば、「電通的」とはコンテクスト編集であり、「リクルート的」とはメタデータ編集と言える。そこで先の疑問。本質的な違いは? リクルートは「住宅情報」で、怪しげな不動産広告市場をクリーンにする一助を担ったという。「徒歩一分=80m」に象徴されるように。いまの共同購入クーポン市場に必要なのもまさにそれだ。住宅情報創業に関する資料を掘り起こす価値はありそう。 「電通的広告」がいかに夢を語ろうとーすでに80年代からー「リクルート的広告」には現実が並んでいた。それは価格という現実だ。そこに人々は自分自身の情報を読んでもいた。ーこれは慧眼。 コミュニケーションとは「編集された情報の伝達・交換」ではなく、「編集構造・編集体系の伝達・交換」である、というのに似ている。情報誌に自分自身を読み、行動を決定するという行為もまた「編集」だからだ。 「電通的」は「コンテンツ的」、「リクルート的」は「アーキテクチャ的」。
0投稿日: 2012.04.12
powered by ブクログ『売れないのは誰のせい?』に続いて著者が新潮新書から出した一冊。隣どうしで並んでいたから手に取り、『売れない~』のほうはかなり納得して読めたんだけど、こちらはいまいち。ま、あくまでも憶測だけど、ネタに困っちゃったんじゃないかなと。前著で述べていたことが再出していたりもするし。そもそも、編集者の発案だそうだが、タイトル見たときに何となく違和感があったんだよね。コピーとしてのツカミはいいんだけどね、著者らしくはない。 書中では、電通とリクルートの両者を広告界の雄としつつ、前者のマス広告を発散志向、後者を現在のネット広告のような個人向けの収束志向と位置づけて対比的に論じている。いや、というよりは大筋では発散志向から収束志向へと流れてきた広告の世界、人々の思考性を論じている。そのあたりは著者の真骨頂でおもしろい。 いかにも自分で選択しているような現代人だけど、その実、大海を一人で漕いでいる小舟のようなものだとか(ま、いろんな船に乗り移れるのが実際の航海者とは違うと書いてあったけど)。そういう頼りない状況だから、一人で後悔しているようで、人の航跡をたどったり、コバンザメのようだったりするという。一人で選ぶのは酷だからネット評とか気にしてしまうという文脈なんだけど、これって医療とかにしたら顕著かも。治療法の選択とか、患者任せにされるのはそれなりに酷だよな。 ネット評といえば、事前情報との期待値で評価をする現代というのもおもしろいなと思った。「みんなが賞賛しているほどの名店じゃなかった」みたいな評のことを指すんだけど。 ただこの本、タイトルからすると電通とリクルートについて論じているみたいだし、実際のところタイトルで手に取った人はそれを期待するだろうから、自分もその一人でちょっと齟齬を感じたまま読んでしまったかな。そもそも、自分に広告界の知識がないこともあるかもしれないけど。
0投稿日: 2012.03.27
powered by ブクログ題名から、広告業界の泥沼で生き馬の目を抜く世界を紹介するのかと思ったら、戦後広告史を丁寧に俯瞰する良著だった。ちなみに著者は博報堂出身で、両者にたいして妙に距離のある書き方だったのもあとがきまできて納得した。
0投稿日: 2012.02.11
powered by ブクログ電通とリクルートという、非常に関心を引き付ける2社の歴史と共に日本人の情報との関わり、購買欲のあり方の変遷について論じる。 目新しい点は特に見当たらず。図書館で借りてもよかったかな。 今の時代は答えあわせをする、というようなことが書いてあり、確かにと思う一方、はじめから決めつけて結論に持っていっている感があり素直に頷けない。
0投稿日: 2012.01.11
powered by ブクログ最近この本の存在を知ったので読んでみました。発散志向の電通と収束志向のリクルート、という対比で展開される前半。そして、この十数年で広告が日本人の消費行動にとってどのような存在になったのかで展開される後半。個人的には、後半が興味深かったです。
0投稿日: 2012.01.06
powered by ブクログ(summary) 電通=発散志向型広告、リクルート=収束志向型広告と比較の視点を持ちつつ両社は相互補完的な役割を果たしながら消費者/労働者である同一の人に様様な影響をもたらしてきたとしている。ネットの浸透により広告は一つの情報ソースの一つとして組み替えられ再整理されたため、憧憬を生み出すことが困難となった。こうした中で、広告ビジネスのあり方は変化が求められており、それは自分で自分のことを決める際に本当に役に立てる情報を伝えること、つまり自由と自立への支援という原点への回帰である。 (memo) 電通とリクルートの相違点 •電通=関係維持のための営業/農耕的風土/発散志向広告/変換スキル •リクルート=新規開拓のための営業/狩猟的風土/収束志向広告/編集スキル 両社の共通点 •情報を加工して届ける •買う人/稼ぐ人という同一の人 •情報の流れの元栓を押さえる •インターネットによって企業ポジションに揺らぎが見える 広告のあり方 •消費活動と広告へのニーズは比例(GDPと広告費は比例)⇒消費の量的拡大が広告の使命 •拡声と伝達⇒1970s〜辞書の書き換え(=幻想への憧れ)⇒拡声と伝達(?) •欲求の多様化 •人々が欲しかったのはモノではなくモノを買う理由 •消費財のマス依存度UP=マス広告の効果が限定的に •広告も数多くの情報の中に再整理された •新たな意味を付け加えるのは広告からメーカーへと変遷した ex)DS,Wii,食べるラー油 •情報自体に感謝する時代 •情報の期待値と体験の答え合わせをする時代
0投稿日: 2011.12.19
powered by ブクログ本屋で見かけて色々ない見で興味深い2社なので気になって衝動買い(3時間で読了) 内容が必ずしも悪いわけではないが、電通とリクルートについてではなく、広告業界全体の社会や時代背景、それぞれの時代に両社がどのようなポジションでどのような戦略をとってきたのかということが書いてあるだけで、両社についての理解が深まるような内容ではなく、少々期待はずれであった。 電通は「拡散型情報」、リクルートは「収束型情報」というのは、そのとおりだと思うので、タイトル負けしている感じが強い。読む価値がないとは言わないが、そういうものと理解して読んだほうが良い本。
0投稿日: 2011.11.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
予想していた内容(どのようにしてこれらの会社ができたか)ではなく、広告と情報を題材にした本だった。 正直微妙だなあ・・・と思っていたが、中盤からは広告の移り変わりなどを示していて、なかなか楽しめた。 口コミランキングの部分は確かに!と思った。
0投稿日: 2011.11.02
powered by ブクログ電通を発散志向広告(マスメディア)、リクルートを収束志向広告(情報誌)と定義。異なる2社をモチーフにし、人々の消費行動の変遷を分かりやすく解説。情報との付き合い方を考えさせる一冊である。
0投稿日: 2011.10.28
powered by ブクログ電通の発散志向とリクルートの収束志向の「広告」という対比的な文脈で書かれた本であるけれど、決して二項対立的な位置づけではなく、むしろ相互補完的な二つの役割を担うシンボリックな企業として語られていて、とても面白かった。特にリクルートの果たしている役割というのが自分のイメージでは、職に関するものに限定されていたけれど、本書を読んで、その既成概念が取っ払われ、とても視野が広がったと思う。
0投稿日: 2011.10.23
powered by ブクログ日本の広告および情報産業というものを理解する上での必読書。なぜ?電通が広告業界トップなのか、リクルートが情報産業をリードしてきたのかが腹落ちする感覚を持って理解できます。 特にR系の企業文化を持つ会社にお勤めの人であれば「なるほど!」が連発だと思います。
0投稿日: 2011.09.22
powered by ブクログ両者の特徴というよりは、両者が生活者の変化にどう関わっていたかということが生活者中心で描かれている。 ちょっと読む目的とずれてたから、とりあえず積んどく
0投稿日: 2011.09.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
広告業界の変遷も含めて、2社を比較して整理されて書かれている印象。 発散志向広告 電通 収束志向広告 リクルート 「元栓のうまみ、毛細管の凄み」なんていい方はぴったりあてはまるイメージですね。 過去から現在までの変遷について、思い込みもあるとは思いましたが 一読の価値はあったかなと。
0投稿日: 2011.07.30
powered by ブクログ元博報堂の著者が元栓型の電通と、毛細血管型のリクルートについて、人の心の変化をベースに歴史を記している。リクルートを人材派遣サービス、編集業だと認識している人にとっては広告という視点で描かれているので面白いかも。私もフツーに読みました。図書館で借りた。 以下メモ •電通は日本広告株式会社、リクルートは大学新聞広告社が創業時の社名。 •サントリーが金曜日にはワインを買いましょうというキャンペーンを1972年に行った。金曜を木曜の次の日、というだけでなく、ワインを買う日と定義しようとした。また、ワインをぶどう酒だけでなく、家族で金曜に飲むもの、と定義づけた。広告の役割は辞書の書換。 •土用の丑の日、も同じ。 •より多くの人の辞書が書き換わることでより大きな市場の変化が起きる。 •広告の対象物自体が大きく変わらなくても辞書は書き換えることができた。 •百貨店はモノを作っているわけではなく、広告で特定の店で買うことになんらかの意味を持たせようとしたのが、西武やPARCOの、不思議大好き、や、おいしい生活。 •書き換え広告の頂点が、JR東海のクリスマスエクスプレス。単なる新幹線を、恋人達を結ぶ列車にした。 •広告クリエイターは変換スキルが求められる。新幹線は京都に連れて行ってくれる乗り物、ともいえるし、環境に優しい移動手段という位置づけもされた。 •人々は広告になかなか踊らされない。踊ってもいい曲をずっと待っていて、これならば、というときに踊る。 •クリスマスエクスプレスは新幹線の定義を書き換えただけでなく、キリスト教イベントのはずのクリスマスの日本的定義、好きな人と一緒に過ごす、を作ってしまったと言える。そしてそれを多くの女性が納得した。 •リクルートは徒歩1分80mというルールを作り出し、瑕疵物件や囮広告の審査機能を強化して、住宅情報、を作った。 •テレビ番組をただで見るコトができ、不動産の購入や結婚転職情報を調べるにはインターネットをみれば良い。こういうコトが可能になったのは電通やリクルートが頑張った結果。がしかし、わざわざ感謝しようとする人はいない。それどころか、広告は常に批判的な文脈にさらされる危険を持っている。陰で何かを仕組んでいるというイメージ。 •近年の広告論は、人々に情報を届ける技術、ばかりだった。情報を受ける人々の心の変化について論じなければならない。水路の技術ではなく、人々はどうしてコンクリートのようになったのか。人々の心を理解しなければ、どんなに上手に水路を作っておいしい水を届けても意味がない。皆蛇口を開けようとしないし、せっかくのおいしい水をおいしいと思わないから。 •ここ最近は、商品自体に革新性がなければ広告だけで付加価値をつけるコトは困難。UNIQLOは有名人を起用したイメージ広告によってブランドイメージを高めたかもしれないが、毎週印刷される数千枚のチラシとその価格と品質を実現するイノベーションがあったから支持された。昔のファッション広告とは違い、企業の総力でカジュアルファッションの定義を書き換えた。 •食べるラー油もそう。調味料を食べるもの、と定義し直した。商品自体に極めた広告的要素があった。 •オリンピックなどで、感動をありがとう、という声が目に付く。なぜ、おめでとう、ではないのか。自分の感動の期待値を満たしたコトによる感謝。食べログでのコメントも、自分の期待値についてどうだったか、のコメントばかりになっている。
0投稿日: 2011.07.24
powered by ブクログ電通とリクルートの二つの企業を、「広告」という共通項に基づいてその歴史や、そういった歴史を生んだ社会的な背景を書いた本。 電通はテレビや新聞などのマスメディアを利用した発散志向広告であるのに対し、リクルートはインターネットや情報誌などを利用した収束志向広告という風に対比し、その時代に人々はどういった情報を必要としていたのか、それに対して広告がどういったスキルでもって作られたのか等々について書かれている。 今まで、リクルートは人材サービスというイメージが強かったため、広告という違った切り口での捉え方、電通との比較は興味深かった。
0投稿日: 2011.07.03
powered by ブクログ2011/6/30読了。 日本人の消費行動の変化を、電通とリクルートという広告業界の変遷と、人々の欲求の変遷から考察した1冊。 電通のようなマス広告が得意とする発散型の広告と、リクルートが始めたライフステージ毎の重大な決断に必要な情報を集めた収束型の広告の隆盛は、それ自体が消費社会の姿を映す鏡であり、そこに社会的な趣向の変化を見出すことが出来る。単なる物質的な豊かさから選択できる豊かさへとシフトしてきた趣向が、今はその"選択"自体もある種の幻想であることが見えてきた時代であり、発散型と収束型の融合という広告の新たな地平が、人々をどう動かしていくか見ものである。 この本の中で一番印象的だったのは、現代の消費が、ランキングや権威のお墨付きという情報から得た"期待"の"答え合わせ"になっているという部分である。ホテルやレストランだけでなく、就職活動も一例にあげられており、振り返れば思い当たる節があった。消費そのものを喜びに感じる、つまりは自分で消費の価値を決めるという原点に立ち返ろうと感じた。
0投稿日: 2011.06.30
powered by ブクログC0236 元博報堂なのに第3者的視点なのが気になりますが、前半はよく出来ているかと思います。マス広告で夢を拡散させて、収束型で(辛い)現実に向き合わされるのは、なるほどと思いました。
0投稿日: 2011.06.28
powered by ブクログ広告と情報の戦後史 80年代をリアルタイムで過ごしてたら、リクルートのすごさをもっと感じてたもしれないなー。 広告って、なくても生きていけるものっていう点では自分とこの会社とは対極にあるようなものだけど、当たり前のようにそこにあるものっていう点ではすごく似たとこにいると思う。 絶対にないと生きていけないものを、当たり前のように存在させるために頑張る人達もすごいしけど、なくても生きていけるものものを当たり前のように存在させ続ける人達もほんとすごいなあと思う。 だからどっかで広告に携わる会社のことは他の会社より好きな気がする。
0投稿日: 2011.06.24
powered by ブクログ生活者を主語にしてまとめている、と本書では各所で言われていますが、基本的には2社の事業の歴史を、生活者の心の流れに沿って追った2軸展開。すごく分かりやすくまとめられています。
0投稿日: 2011.06.21
powered by ブクログ6/20 電通は発散型広告。リクルートは収束型広告。 営業っていうのは、ゼロから仕事を作ること。電通や博報堂とかの代理店の営業は営業ではない。リクルートのように自らメディアを開発して、そのためにあちらこちらに営業へ行くわけではない。いわゆる総合広告代理店の営業は代々にわたって引き継がれた取引関係を維持することが最大の責務だった。 一部の大手広告主が広告代理店に対してメディアバイイングの腕を競わせるようになってきた。二千年ごろから。 新聞を下から読め。江副さんの言葉。新聞の下、つまり何が広告されているか。そしてそれらの広告を新たにメディア上に再編集することにビジネスチャンスを求めた。 名刺交換。リクルートの出身者からは名刺を頂くという気持ちが強く伝わってくる。頂いた名刺が彼らにとってはビジネスの種。もらった名刺はやがて収益に変えなくてはいけない。 マス広告の全盛期の時代は広告のコピーが対象に意味を与えた。しかし、インターネットの時代で威力を持つのはランキングの数字だ。現在のランキングは【いま何が評価されているのか】を知り、消費のリスクを軽減させるための情報。 【物から心へ】というほど話は単純ではないり経済的には【まだまだ】と思っている人も多い。そうだとすれば【より自分の力を磨いて、豊か生活をしていく】ということが幸福になっていくことではないだろうか。 広告史を紐解くたびにいつも感じるのは、新たな地平を切り拓くのは現場で制作をするクリエイターの嗅覚だということ。そして、しばらく経ってデータや理論によって、そうした流れが体系化されて、新しい枠組みとなっていく。 分衆・少衆マーケティングはインターネットによってようやく具体的な戦術を実行できるようになった。 人々が欲しかったのは、モノではなく、モノを買う理由だったのだ。その中で重要なのが、ニュース、合理性、ストーリーという理由。 広告は徹底してリアルな情報を整理してら人々に届けることが使命となりつつある。しかし、気のきいたクリエイターであれば、実は人々がおとぎ話を望んでいることを知っている。だとすれば、価格や新モデルの情報をおとぎ話のフレームに包んで届けてやればいい。ソフトバンクの犬の話がうまく仕上げた例、 メッセージは価格などのリアルな情報。ところが、CM全体の構造はおとぎ話になっている。 答えあわせをするようになっている。消費自体によって喜びを得るのではなく、情報との合致性によって安堵を見い出している。食べログなど。 聖書は読むもの。地図は使うもの。リクルートは使うものをつくり続けてきた。情報誌の読者は現代のバスコダガマかコロンブスだと閃いて、リクルートは彼らのために地図を作るのだと認識を新たにする。
0投稿日: 2011.06.20
powered by ブクログ電通とRのビジネスモデルとここまでの歴史的背景、長所短所を分かり易く描いている。 この本から見るとあえて具体的には書かないけど、Rが外から見て評価されている点と、身につけると有効なスキルが顕在化する気がした。あくまで一意見だけど現場の人には一見の価値はあるかも。 電通を『元栓』、Rを『毛細血管』(笑)とはうまく言うものだ。
0投稿日: 2011.06.13
powered by ブクログ2011年40冊目。 「企業の情報を加工して届ける」という共通点を有する電通とリクルート。 両者のビジネスの違いや、その中でも補完し合っている部分を紐解きながら、 歴史の中で動いてきた人々の広告に対する意識を辿っていく。 電通のビジネスを「農耕的」「発散志向広告」「収益の高い元栓をおさえる」と表す一方で、 リクルートのビジネスを「狩猟的」「収束志向広告」「毛細管を張り巡らす」と表すなど、 ワーディングも非常に興味深く、記憶に残るものとなっている。 広告業界に興味ある人はぜひ読んでみて欲しいです。
0投稿日: 2011.06.04
powered by ブクログ電通とリクルート、どちらも消費社会の変化とともに発展した企業。広告は消費社会の鏡、二つの広告会社のビジネスの在り方を捉え直すことで、消費者の心を明らかにする消費社会論。わかりやすく、さらっと読める。
0投稿日: 2011.05.25
powered by ブクログ駆け足で読んだから、そこまで深く理解出来たわけじゃない。でも、電通とリクルートという二大情報発信企業の違いは分かった。岩波とかに比べると、新潮新書は分かりやすいね。
0投稿日: 2011.05.13
powered by ブクログ【感想】 広告をとおしてみる社会学で、奥が深い。 【ポイント】 25/消費の「量的拡大」が広告の使命であり、それを達成することで企業は 広告活動を評価してきた。 26/最も大切なことは、人々のこころの中にある「辞書」を書き換えること 「土用の丑の日の鰻」、1972の「金曜日はワインの日」 32/広告によって人々の価値観の書換えをはかった。 「モーレツからビューティフルへ」 35/戦後の日本では高度成長期においては広告の「拡声と伝達」機能が消費 の拡大に寄与。 70年代から「意味の書換え」の模索が始まり、80年代にピークとなった。 「ディスカバー・ジャパン」から「クリスマス・エキスプレス」 51/電通の高いシェアの要因: 広告ビジネスは長きに渡る「付き合いの深さ」がポイント 59/人々側に、特定カテゴリーの情報を一覧で比較検討したいというニーズ これに、リクルートが編集力で応え続けた。 出稿者を集める「営業力」がポイント。 60/「名刺は頂くもの」 いただいた名刺がビジネスの種 リクルートの強みは、このような毛細血管を張り巡らせ、その管がビジ ネスの脈として機能した。 61/リクルートはが毛細血管の拡張と維持を最大限の経営資産としたのに対 して、電通は戦後いち早い段階でリスクを取って「新分野」に挑んだ結 果の★「既得権益」 107/「物の豊かさ」と「心の豊かさ」 物の豊かさがみたされて初めて「心の豊かさ」のゆとりとなる幻想 物には満たされていて、これからは心だと思っていても、お金について は満足していない現実 110/得体の知れない「心の豊かさ」を求めるよりも、働いて得た富で、自分 や家族の欲求を少しずつ満たしていく。 そのプロセスの積み重ねのなかで、自然とこころが豊かになるし幸福の 瞬間が発見されていく。 123/「分衆」の誕生で捉えられた社会変化 →?「個人主義」という生き方との関連性と ?「階層」という経済側面との関連性 125/「貧乏ではないがゆとりを感じられない」という「擬似貧乏」の集団 →「ニュープア」 133/80年代の日本、行動の基準を自分で持っていなかった。 だから消費の理由を「外」に求めることになった。 「買う理由」が欲しい。 優秀な売り子は迷える客に『理由」を提供した。 161/80年代半ばまでの広告は「いつか私も・・」という憧憬を生み出す 偽リアリティ全開だった。 90年代で、多くの広告はガイダンス的になり、広告が情報にとりこま れ、パーツになった。 164/テレビのクイズ番組、90年代半ばまでは、世界の秘境、視聴者のしらな いことを紹介していた。 最近は、「常識」を競う。 テレビはもう見知らぬ世界を届けなくなり、知っている世界の知るべき 情報があふれる。 168/80年代になって、「自分で買うものを自ら決める」ようになった人々が、 21世紀になって、「自分で得たい情報を自ら決める」ことができるよう になった。 おカネの使い道とそのための情報の獲得を自らコントロールできるよう になった。 176/これからのマス広告はどのような役割を担うのか? →「拡声と伝達」の原点に帰ること。 食べるラー油は調味料を「食べるもの」と定義しなおして大ヒット。 →マス広告のつくり手には「シンプルさ」 180/「答えあわせ」する人々: 消費自体に喜びはなく、情報との合一性によって安堵を見いだす。 186/30年の船酔い: 1950年から80年まで、広告などの情報は「発散と全体化」を担っていた。 まさに電通が切り拓いたモデル。 80年からの30年は「収束と個別化」へと舵をきる。 リクルートが着目、事業化に成功し、インターネットによって定着したモデル。 【目次】 第1章 買いたい人と稼ぎたい人 第2章 元栓のうまみ、毛細血管の凄み 第3章 「次の幸福」というしかけ 第4章 情報誌を欲したのは誰か 第5章 CMから「憧れの景色」が消えた 第6章 「感動をありがとう」の正体
0投稿日: 2011.05.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
技術の進歩、経済の発展の影響で消えたマスコミ、変化した消費者。その様子が分かりやすく書かれていると感じた。
0投稿日: 2011.04.26
powered by ブクログ風呂場で半分くらい一気読みした。 いろいろ考える、というか、考え直すテクスト。 -- 後半は飛ばし読み。 本論とは関係ないが、NHKホールの音響の悪さには同意。
0投稿日: 2011.04.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
今回は、博報堂の恩師でもある山本直人先生の新刊「電通とリクルート」です。 電通とリクルートという強烈な個性を持つこの2社を通して、今までとそしてこれからの広告の役割について展開されています。常に繰り出される山本氏の独特の視座と深い洞察力は、さすがの一言です。 両者の決定的な共通点として「企業の情報を加工して届ける」というプロセスに付加価値を創造してきたこと、また「情報の流れの元栓をしっかり押さえてきたこと」としています。また、その一方でその付加価値創造のプロセスにおいて両者には大きな違いがあり、 電通が行ってきた広告を「発散志向広告」:商品についての拡声と伝達、リクルートが行ってきた広告を「収束志向広告」:消費行動(収束)へのガイドと位置づけ、同じ広告を扱うという巨人ながらもスキルや広告対象が異なる分野で各々が成長してきたことを論じています。 「モーレツからビューティフルへ」「ディスカバージャパン」などの70年代に広告代理店が世の中の空気をある意味形成してきた時代から比べると、広告代理店の仕事は今まで得意としてきた「定義の書き換え」から、「リアルの追求」を求められているし、提供し続けてきたように思います。それは今まで生活者に新しい価値観を先導して提供してきた立場から、既に存在し、かつ多様化している価値観をリアルに発見しそこに当てていく立ち位置に変わってきてしまったかと思います。リアルな分析と、リアルな結論と、リアルな結果から導きだされた更なるリアルな分析を高速回転させていく。このPDCAサイクルを高速回転する業務は、ややもすると広告代理店不在でもできてしまうことかもしれません。 しかし震災を経験し、生活者も広告主もメディアも確実に大きな変化を遂げることがわかっている今、新しい空気、新しい思想を日本に吹き込むことができるかどうかが、広告代理店また個人個人に求められているのではと感じます。衣食住足りた後の「心の復興」は、かつて時代の空気を先導して作ってきた広告代理店が担うべき領域かと。このPDCA+αを追い求めていくことこそが今こそ必要なのではないかと本書を読んで感じ至りました。 震災前に書かれた本ですが、震災後に読んで個人としてのこれからを考えさせられました。 山本先生、ありがとうございます!
0投稿日: 2011.04.14
powered by ブクログ拡散情報の電通。欲望をCMで世の中全体に拡散して喚起していく。 収束情報のリクルート。欲望を購買に情報誌で収束させていく。 という対比軸の設定がおもしろい。 広告はすべてソーシャルや検索連動になるというのではなく、やっぱり拡散型広告と収束型広告は常に必要だ。ネットは収束型を担うが拡散型は引き続き重要だとおもう。 東北のモノをみんなで買おう、という時代的気分をつくりだすのはまさに拡散型広告の真骨頂。
0投稿日: 2011.04.07
powered by ブクログ広告の、そして営業の雄と言われたかつての2大巨頭に関する本。広告は、そのデザインのみならず、消費者に対しその購買意欲を感化する目的を内在している。しかしながら、昨今では若者の消費傾向が変わったからか、そのアプローチの仕方も従来ほどは機能しなくなってきている。若者にとってはやはり、それがおりなす物語であったり、それに付随する付加価値に対して、消費する傾向があると言える。ただ、そうはいっても2つの会社においては、名だけでなく、その与える影響もまだまだ強い。多くの大衆をCMにおいて引きつけた電通。ニッチな市場を開拓し、その営業力で新たな広告戦略を確立したリクルート。これからも、両社においては更なる進化が求められていると言えそうである。
0投稿日: 2011.04.04
powered by ブクログ前半の電通とリクルートの生い立ち、マーケットでの位置づけなどわかりやすく書かれているが、後半はいまいち。
0投稿日: 2011.03.28
powered by ブクログ電通は「発散型広告」リクルートは「収束型広告」この2点を対比させながら日本の広告史を振り返り・教えてくれる。 期待してたのとは少し違ったけど、「発散型広告」「収束型広告」を軸に今後のコミュニケーションのあり方を考えられたのは良かったと思う。 より大衆が自ら選択する時代。1人1人の欲求にあったコミュニケーション・レコメンドをしていななくては!
0投稿日: 2011.03.28
powered by ブクログ広告の役割は「人々の辞書の書き換え」 電通=マス志向=発散型 リクルート=個志向=収束型 モノを買う理由 1 新規性 2 合理性 3 ストーリー性(ふさわしさ)
0投稿日: 2011.03.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
【電通=買う人が納得する「発散志向広告」/R=稼ぐ人が納得する広告「収束志向広告」】カスタマー主体・発信の広告論が多い中、面白かったのは二つの企業を対比しながら、情報ビジネスの歴史を追う点。 自立した人生の実現を後押ししてきたRのサービスについて、「情報は未来を約束しない」と受け手に釘差し。広告側だけに非をなすりつける論も、リクナビに踊らされる大学生を嘲笑するでもなく、あくまでも「提供された情報」として向き合うことなんだということ。自分のストーリーは「外注」などできないのだ。 ただ、もっと電通とRをボロクソに言っているのかと期待して手に取ったので(笑)、★★★★。最近読んだ広告論にはないタイプの視点が新鮮だった。
0投稿日: 2011.02.14
powered by ブクログ★主題は不明だがところどころに納得★たまたま目に付いたので、書店でざっと立ち読み。消費社会論ではないというが、それ以上のものはよく分からなかった。興味深い指摘は、 ・電通は広告を発散させ、リクルートは収束させる。対象はいずれも不特定多数だが、電通は様々な選択肢を選びうるなかでの候補を提示、リクルートは職というひとつの目的に絞り込ませる ・広告とは意味の書き換え。例えば、うなぎ→土用の丑の日、新幹線→クリスマスエクスプレス ・「感動をありがとう」は期待通りのことを確認できたことに対するお礼
0投稿日: 2011.02.12
powered by ブクログ電通とリクルートを題材に日本人の価値観を論じた本。 電通を発散型、リクルートを収束型と定義づけ、それぞれの盛衰とともに、働き、稼ぎ、消費してきた日本人の変異を描いている。23歳の自分にとっては戦後からバブル期までとは何だが昔の話の気もするが、面白い観点ではある。書いているのが、博報堂出身者で目線が見上げ気味なのも面白い。 「情報通信業界」で働く上では見逃せない点であるし、広告の教科書として勉強になった。とりあえず、著者が日本大好きなのも評価。 たしか新宿紀伊国屋で購入。したはずだ。
0投稿日: 2011.02.11
powered by ブクログ淡々とした内容ながら、さらっと読めた。 マス広告⇒小衆•分衆⇒情報誌⇒Web•ターゲッティング という世の中と広告の移り変わりが、理解できた。
0投稿日: 2011.02.11
powered by ブクログ電通とリクルートはそれぞれ、発散指向のマス広告と収束指向の情報ビジネスとあり、一億総中流の時代のマス広告から階層消費、分衆(格差で大衆が分割)の出現により細分化された人々に適切な情報を届ける情報誌そしてインターネットへ向かったとあった。 このあたりの流れは周知ではあるが、格差が80年代から始まっていたのが思っていたより早く意外でした。 細分化した情報を整理分類して提供するポータルから検索、そしてソーシャルメディアでの共感へ河岸を変えているネットですが、少々飲み過ぎた気がするのは年のせいだろうかw
0投稿日: 2011.02.01
powered by ブクログ「発散志向広告」の仕組みを築きリードしてきた企業が電通であり、「収束志向広告」のパイオニアがリクルートなのである。そして、人々は、「発散」された情報に反応する一方、情報の「収束」を求めていった。 という言葉がこの本の骨子を物語っている。 この本は決して2つの企業の読本ではなく、この2社が担ってきた日本人の欲望のお話しなのである。 広告は人々の欲望の映し鏡なのだ。高度経済成長の波に乗り、みんなが欲しいものを教えてあげてきた(作り上げてきた)発散志向広告から、検索に代表するような顕在化した欲求にストレートに応える収束志向広告。そのいずれもが独自の成長(環境への適応)をし、今日があるのです。 山本さんの本は、広告の担う役割の本質的な話しが書かれていて地味なんですが大きな納得を得られます。(若干この本は最後なにを言いたかったか良くわからんかったりもする・・・買う気の法則の方が好き)
0投稿日: 2011.02.01
powered by ブクログ広告という、人にモノを売るための動きについて、電通とリクルートという全く異なるアプローチで考えて行く。 しかし、メインは広告業ではなく、それを受け取る消費者の考え方がどの様に変わってきたか、それに応じて広告業はどう形を変えてきたのか。 広告業に興味があれば、読んで損はない一冊。わかりやすい論調で書かれているので、1時間ちょっとで読めてしまいますが、たくさんのことを考えさせられる一冊です。
0投稿日: 2011.01.31
powered by ブクログ発散志向広告の巨人「電通」と収束志向広告の巨人「リクルート」を通じた広告の遍歴、日本国内における消費行動の変遷をまとめた一冊。 電通とリクルートについての本かと思いきや、日本人の消費行動、生き方の変化を通じて”広告”がどのように変わっていったのかを著者が振り返っている。 振り返っているためか、必ずしも時系列に解説されているわけでもなく、もとに戻ったり新たな要素を取り入れて振り返ったりしているため、少し理解しにくいところもある。 しかし、広告から見た消費行動、生活様式の変化という観点では楽しめると思う。
0投稿日: 2011.01.30
powered by ブクログ■広告 ①「発散型志向広告」の仕組みを築きリードしてきた企業が電通であり、「収束志向広告」のパイオニアがリクルートである。 ②広告業界でまず求められる能力は、「変換のスキル」である。例)東海道新幹線をクリスマス・エクスプレスに。 ③80年代以降に、人々は自分のストーリーを作っていいことになった。ところが、それだけの創造力を持っている人は少ない。そこで、人々は自分のストーリーを「外注化」したのである。そして、雑誌やテレビ、そして広告がそのオーダーに応えた。 ④ネットのレビュー見ていると、ホテルでもレストランでも、本でも映画でも共通する傾向がある。それは、自分の体験を述べるというより事前の期待値との「答え合わせ」をしている表現がとても多いということである。
0投稿日: 2011.01.30
powered by ブクログ電通、リクルートともに企業として興味があったが、実際のこれまでの歴史や方向性についてはそれぞれ違ったバックグランドを持っているのだと知った。どちらも世の中の人々に対してメディアを通じて多くの情報を提供しているが、人々があこがれを抱きながらも現実的な選択を迫られているのは実感できる。人生の節目における情報を提供するリクルートと、CMを通じて人々によりよい生活やあこがれのイメージを提供する電通というのは、大きな夢や目標を抱きながらも日々の現実的な日常生活を生きていく上でこれからも意味のある役割を担ってくれると思った。
0投稿日: 2011.01.23
powered by ブクログ過去の広告産業を振り返り、これまでの日本人の情報収集のあり方を開設した本。 過去の振り返りであるがゆえに、特に真新しい知見はないように感じた。 電通とリクルートはその情報の特質に合わせ、全く逆の方向からそれぞれの方法で情報を編集し、世の中に届けてきた。 電通は「発散志向」、リクルートは「収束志向」、そしてどちらも情報の元栓を抑え、それにより強い影響力を持っていた。 ただ、それがインターネットの台頭により、急激に失速している。 最後の予言めいた部分に関しては、個人的にはこう読み取った。 これからの時代は、過去における電通やリクルートはもう存在しない、すなわち全ての情報を自分で取得し、判断していく時代が来ているということか。
0投稿日: 2011.01.23
powered by ブクログ題名にこの2社の名前が並んでいたことに違和感があったから読んでみた。どちらも名の通った超優良企業だけど、例えばトヨタとホンダ、最近ではyahooとgoogleみたいに、一緒に語られることはあまり無かった気がする。なぜだろうと考えてみると、それは世代による認識の違いではなかろうかと思う。 リクルートを知ったのは大学生の頃で、未上場だけれど十分な知名度があった。元気な新興企業だなんて勝手に思っていたけれど、実は歴史があると知った。にもかかわらずあのアグレッシブさなのかと驚いた記憶がある。 その頃のリクルートはリクナビのシェアも独占的ですでに今の地位を築いていたから、なんとなくリクルート=情報と思っていた感じがする。一方で電通=広告と漠然と考えていた。 この認識があったから、2社を一括にすることがなかったんだと思う。 著者は本の中で 電通=農耕的=発散志向広告 リクルート=狩猟的=収束志向広告 というわかりやすい整理をしてくれている。耐久消費財のようにいくらでも売れるし買えるといった商品ではなく、家や結婚、就職など1つをチョイスする。そのための情報を扱っているのがリクルートで、そんな情報を掲載することを収束志向広告と表現している。これまでリクルートが手を出してきたのは、というかゼロから作り上げてきたのは電通が捉え切れていなかった草の根的な部分だった。それは強力なマンパワーをもつリクルートだから出来たことでもあった。「家が欲しい」と思わせる広告と、「この家にしよう」と思わせる広告。2社は互いに補完しあう形で人々の欲望を引っ張ってきた。そして、この2社の成長の推移から、人々の欲望の変化がわかると言う。 最後に今後の展望として、広告は「辞書の書き換え」とう機能に特化して、より広告的になることによって続くだろうとしている。この展望には、広告の売り上げは今後減少していゆくということが暗に含まれている。広告=パルコ的なものしかないと思っていたから、広告と欲望について整理できてよかったと思う。
0投稿日: 2011.01.12
powered by ブクログ[20100109読了]電通を「発散志向広告」、リクルートを「収束志向広告」として対比しながら、戦後から現在に至るまでの消費者心理を解いている。
0投稿日: 2011.01.09
powered by ブクログ2社の広告展開と情報と人々の関わりを、1950年からの30年(発散と全体化)と、1980年からの30年(収束と個別化)と、大きく二つの社会的潮流を絡めながら解説。 人々が何を目的に情報を求めていたのか。 その情報に対して自己をどのように投影してきたのか。 これから人々はどのように情報と付き合っていくのかを考えさせられる。 【キーワード】 ・発散志向広告と収束志向広告 ・意味の書き換えと規格の統一 ・元栓と毛細管 ・「physical reality」「pseudo reality」「virtual reality」 ・事前情報と現実との答え合わせ ・情報は未来を約束しない
0投稿日: 2011.01.04
powered by ブクログ広告の話。 主に広告と消費者の関係から社会の変化と広告の影響を著している。(広告の手法ではなく) p.133 かつては大衆は自ら判断できる幅が狭かった。しかし、判断する力は一朝一夕に身につくものではない。 団体旅行の一群が旗を持ったツアーガイドの後をついて歩いている。そして、ある場所でガイドが言う。 「ここからは、皆さんご自由にどうぞ」 この時を待っていたとばかりに、歩き始める人はごく少数である。多くの人は、周りと相談したり、ガイドにおすすめを尋ねたりしている。誰かがどこかに歩き始めるのを待つ人もいる。
0投稿日: 2011.01.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
電通とリクルートが歩んできた道やそれを取り巻く日本経済の状況や日本人の趣向の変化などが分かりやすく書いてある。 電通は「発散志向広告」であり、リクルートは「収束志向広告」であったが、現在はそれらを合わせていく必要がある。これは広告業界全体に言えることである。 一方、情報を受ける側の人間は、情報への期待値を自ら考えなおさなければならない。なぜなら「隠れ家」のように、本来教えられない店情報が平然と出回っているからである。また、インターネットに探したい情報がすべてあると思い込むのはよくない。情報に踊らされずに、自ら自分自身のストーリーを書くことに価値がある。 また、p.97からの幸福の方程式への作者の考えにはなるほどなぁと思わされた。 流して読んだからじっくりまた読んでみたいと思う。
0投稿日: 2011.01.02
powered by ブクログ電通とリクルートという2社の比較の話かと思ったが、もちろんそういう部分もあるが、この30年の広告、マーケティングの変化についての筆者なりの解説。この30年というものは、私もナマに体験していることでもあり、「分集」など、古い言葉もありなつかしい。
0投稿日: 2010.12.22
powered by ブクログマーケティング/人材育成プランナー・山本直人氏による一冊。やや刺激的なタイトルが付いているが、業界の黒幕の正体を暴くといった類の本ではない。「発散志向広告」と「収束志向広告」を導いてきた二社の成り立ちを振り返り、これからの消費を模索するという、志の高いテーマである。 ◆本書で紹介されている、電通とリクルートの対比 ・発散と収束 ・意味の書き換えと検索性 ・変換スキルと編集スキル ・買う人の納得と稼ぐ人の納得 ・マスメディアの元栓と事業主への毛細血管 ◆本書で紹介されている、二社の共通点 ・情報の流れの元栓をしっかり押さえてきたこと ・ネットによって企業ポジションに揺らぎが見えること ・人々が情報を得るコストを大きく下げてきたこと ・「いかに働き、いかに消費するか」ということを考えつづけてたこと 前作「マーケタ―を笑うな」同様、目先の変化に泳がされない、足腰のしっかりした論旨である。今の変化だけを追っていては、見えてこない本質というのがある。様々な領域において、時代の流れは移り変わっていく。マスメディアからソーシャルメディアへ、紙の本から電子書籍へ、物資的な豊かさから精神的な豊かさへ。その中で、移り変わる以前の状態を、嫌悪するでもなく、礼賛するでもなく、謙虚に学びを得ることこそ、今、求められている姿勢ではないだろうか。 情報の受け手が主役の時代。これまでに、送り手側が行ってきた”意味の書き換え”や”編集”は、受け手に委ねられた。電通やリクルートのこれまでの営みに個人が学べることは、さぞや沢山あることだろう。
0投稿日: 2010.12.21
powered by ブクログ戦後の日本の情報産業を代表する二社について掘り下げた考察。それぞれの成り立ちから来る比喩、元栓を握った電通と、毛細血管を押さえたリクルートとの喩えが非常にうまい。二社の比較から始まって現在の広告が抱える問題点をえぐり、混沌の中に新しいコミュニケーションのあり方を考えている様子が窺える。興味深い内容。
0投稿日: 2010.12.20
powered by ブクログ現代日本において電通とリクルートの二社は、多くの陰謀論に象徴されるように、りゅーこぅやこぉーこくりょーなる悪魔を召喚すべく日夜奮闘している黒魔術師のようなイメージすらある。では、かれらは一体どのような存在なのか。元博報堂社員、つまりは「業界の人」である著者が、その歴史から戦後マーケティング戦略の変遷まで幅広く扱う。基本は教科書通り、理屈通りで目新しいような内容はないが、実際に現場で修羅場をくぐってきた人の言葉だけにそれなりの重さは感じる。
0投稿日: 2010.12.16
