
総合評価
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powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「蒲団」 昔の話なのに読みやすくて、おもしろかった。 主人公の男の自分勝手なこと! この時代では普通なのかもしれないけど。 「夫の苦悶には我関せずで、子供さえ満足に育てばいいという細君に対して、どうしても孤独を叫ばざるを得なかった。…家妻というものの無意味を感ぜずにはいられなかった。」 「妻と子ー家庭の快楽だと人は言うが、それに何の意味がある。子供のために生存している妻は生存の意味があろうが、妻を子に奪われ、子を妻に奪われた夫はどうして寂寞たらざるを得るか」 芳子が大学生に体を許したと分かった後は、 「どうせ 、男に身を任せて汚れているのだ。このままこうして、男を京都に帰して、その弱点を利用して自分の自由にしようかと思った。」 子どもっぽすぎる!妻と子のある家庭が幸せなんじゃないか!女を下に見るのもいい加減にしろ!と説教したくなる…。 明治時代の小説。今の時代はまだまだ男女平等とは言えないけれど、マシになったものだなぁ。 そして、私小説だとは、またもやびっくり。 私が妻だったらと思うとやりきれん。 「重右衛門の最後」 主人公は重右衛門にえらく同情していたが、私は村の人間としたらこうするしかなかったのかもなぁと村の人に同情する。 ラスト、重右衛門が死んだ以降に村が栄え、重右衛門の墓に花を手向ける人がいるというところがこういうものなんだよな…とおもしろかった。
1投稿日: 2025.09.09
powered by ブクログ■ 参加者の感想をピックアップ■ ・ストーリーはザル。ただ、文体が品があって素晴らしいと感じた。 ・素晴らしい文体と、気持ち悪い男の妄想の落差が、ある意味で感動的だった。 ・最後の一文にある(布団の匂いを嗅ぐシーン)、『性欲と絶望と悲哀』がとあり、この本のすべてを表していると思った。 ・今年読んだ本の中で一番の衝撃を受けた作品で、読まずに死ななくてよかったと感じた。 ・表面は女学生を気にする素晴らしくできた大人を装いながら、心の中ではエロいことを考えているのが面白かった。 ・エロおやじの妄想で話だけを見ると、ほぼコメディのように感じた。 ・男の間ではよくある妄想で、最後に行動を起こすか起こさないかが変態とそうでないかを分けるボーダーラインだと思った。 ■私的感想■ 田山花袋の『蒲団』を読むのは、ほぼみんな初めてでした。著者の写真を見る限り、普通の「オヤジ」が自分の経験を元にこんな気持ち悪い話を書くなんて、ある意味で自分の恥をさらしていてすごいなと思いました。ここまで自己分析ができて、自分の行動を客観的に見れるのに、それでも変態的な妄想を止められないのは、男の性なのかなと思ってしまいました。 特に、男子学生と体の関係があるのでは、と疑って手紙を読み漁るシーンは、めちゃくちゃ気持ち悪くて、思わず「うわぁ」と声が出ました。でも、それなのにサクサク読み進められるという、気持ち悪さと読みやすさが同居する不思議な作品でした。このギャップが印象に残る、面白い読書体験でしたね。 ■今月の課題本■ 田山花袋著『蒲団』 ■開催日時■ 2024年10月 ■参加人数■ 6人
0投稿日: 2025.09.03
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おもしろかった。 「蒲団」の女弟子への恋を抱えながら、女弟子の他の男への恋をも保護することになってしまった主人公の身勝手さと寂寥がとてもよい。 「重右衛門の最後」は、村の迷惑者、アウトローたる重右衛門に向ける目が冷静ながらも優しくて、重右衛門のようにあまり社会に馴染めない自覚のある私としては、彼を「自然児」と見た視点がありがたく沁みた。こちらの方が、個人的に蒲団よりも好きだ。 重右衛門の「私なんざア、駄目でごす…」と涙をこぼしながら言う姿、どうしても共感せずにはいられなかった。唯一重右衛門を支援しようと言った貞七が「駄目なことがあるものか。私などもお前さんの様に、その時は駄目だと思った。けれどその駄目が今日のような身分になる始となったじゃがアせんか。何でも人間は気を大きくしなければ好けない」と返したのも、重右衛門の側に自らを重ねた私には温かく響いた。 ただひとり娘っ子が、池に沈められた重右衛門の遺体を背に抱えて山を登り、たった1人で火葬して、最後は村中に火をつけて自分も火の中で亡くなっていたのは、物悲しさがあった。ラストで「墓には村人が時々花を手向けている」と描かれたのは、作中のやさしい救いであるように思われる。 「そして重右衛門とその少女との墓が今は寺に建てられて、村の者がおりおり香花を手向けるという事を自分に話した。諸君、自然は竟に自然に帰った!」 「実際、重右衛門だとて、人間だから、今のような乱暴を働いても、元はその位のやさしいところがあったかも知れない。けれどその体の先天的不備がその根本の悪の幾分を形造ったと共に、その性質もまたその罪悪の上に大なる影響を与えたに相違ないと、自分は友の話を聞きながら、つくづく心の中に思った。」 「『自然児は到底濁ったこの世には容られぬのである。生れながらにして自然の形を完全に備え、自然の心を完全に有せる者は禍なるかな、けれど、この自然児は人間界に生れて、果して何の音もなく、何の業もなく、徒らに敗績して死んで了うであろうか 否、否、否、── 敗績して死ぬ!これは自然児の悲しい運命であるかも知れぬ。けれどこの敗績はあたかも武士の戦場に死するが如く、無限の生命を有してはおるまいか、無限の悲壮を顕してはおるまいか、この人生に無限の反省を請求してはおるまいか けれど、この自然児!このあわれむべき自然児の一生も、大いなるものの眼から見れば、皆なその必要を以て生れ、皆なその職分を有して立ち、皆なその必要と職分との為めに尽しているのだ!葬る人も無く、獣のように死んで了っても、それでも重右衛門の一生は徒爾ではない!』と心に叫んだ。」
0投稿日: 2025.07.14
powered by ブクログ自然主義というが、確かに蒲団の主人公の情けなさには一片の美化もなく、今も昔も自分も含めた壮年の男性なら想っておかしくはない、取っておかしくはない行動に、共感出来る気持ちと共感したくはない気持ちがせめぎ合う作品でした。
1投稿日: 2025.04.30
powered by ブクログえええ、なんだこれは、面白いんだけど笑・笑・笑 私にとって「自分を振り返りましょう小説」で『地下室の手記』と並んでトップツーだわ。これだけ赤裸々で、しかし小っ恥ずかしくならずに笑ってしまえる小説は作者の力量でしょうか。 漢字も今と違って興味深いです。渠で「かれ」とか。遭遇すで「でくわす」とか。 36歳の文筆家の竹中時雄は中年の憂鬱の時期に差し掛かっていた。妻はもはや自分の妻というより「3人子供の母」になって心が動かない。(←あなたの子供ですよ!) 通勤中にすれ違う美人とのあんなことやこんなことを妄想する日々。 そんな時雄のもとに熱烈なファンレターが届く。差出人は岡山県から神戸の女学院に寄宿して文学を学ぶ19歳の横山芳子で「文学一筋に生きたいので弟子にしていただきたい」という内容だった。芳子の両親はクリスチャンで地元でも名家だが、時雄を東京の身元保証人として東京に出すことを承知した。 時雄は家の二階に芳子を預かり、東京での親代わり、監督役、文学の師匠として女塾に通わせることになった。 さあ!時雄の妄想が炸裂しますよ!時雄は「誰にも言っていないけどこの女は当然俺のもんだ」と決めつけて、読者に向けて醜態を晒して行くんです。 時雄は普段は「旧態の女性はダメだ。これからは新しい時代だ」と言いながら、芳子に対しては「預かったのだから」という口実の元行動を規制します。 芳子が京都の学生、田中秀夫と恋仲になったらもう大変。「君のため」と言いながらも恋人との仲を裂こうと一生懸命。俺こそ芳子に恋しているんだ、芳子は誰がどう見たって俺のものだろう!?(←違います。でもこういう考えの人いるよね) 男性のいう「時代遅れはダメ」ってつまり「世間に対しては淑女で、自分に対しては奔放であれ」って言ってるだけだからだなあ。 そして妻のことはつまらん、作家である俺の苦しみをわからない、所帯じみて(←あなたの子供たちです)みっともない、頭が悪い…などなどけちょんけちょん。 題名の『蒲団』に絡んだ最後の場面はもはや笑える… いやあよくここまで赤裸々に。 小説として楽しく、そして「うまいなあ」と思いながら読んだのですが、これは田山花袋と女性のお弟子さん、その恋人がモデルになっているとか。 お弟子さん本人に、先生は性欲の目で君を見ていたんだよって小説読ませちゃっていいの?作家にとっては恥はむしろネタなの? たしかに『蒲団』を読みながら「妻や、芳子はどう思ってるの?本当に時雄の気持ちに気がついていないの?」と思っていたんですが、作者が主人公であれば彼女たちの気持ちはわからないよね。 このような「自分の恥」を書く小説は色々ありますが、『蒲団』は身勝手ながらも客観的で小説としてとても楽しく読めまして。なんといってもこの力量は感心するばかり。いやあ、田山花袋いいなあ。 『重右兵衛の最後』 東京の学生の富山は、信州(長野)の山間の塩山村から出てきた山県、杉山、根本と知り合う。田舎モンだと思っていたが話してみると気が合うし漢文の趣味も合う。彼らは「東京で成功して故郷に錦を!」という夢を持って故郷を飛び出してきたのだ。富山は彼らの塩山村の話を聞くうちに、豊かな自然に囲まれた山間の素朴で静かな暮らしを想像する。 そして5年後。富山は彼らの故郷塩山村を訪ねに行くところだ。結局東京で成功した者は誰もいない。山県と根本は故郷に戻り(連れ戻され)、杉山は遊蕩に目覚めてから徴兵された。 道中の自然の大景といったらまるで絵巻物ようだ。山、木、雲、川…なにもが雄大で美しい。 塩山村に着き山県と根本との再会を喜ぶ。だが塩山村では今大変な騒動が起きているという火付けだ。下手人もわかっている。藤田重右兵衛という中老と、重右兵衛が何処かから連れてきた野生児少女だ。それでもどうしても火付けが止められない。確固たる証拠もないので警察も動けない。 村人たちは「あいつさえいなければ…」という気持ちが高ぶっていて…。 重右兵衛は手のつけられない暴れ者で村中からの鼻つまみ物。それは彼が体の不具を持っていたためのもどかしさ、受けた虐め、劣等感から着ている。重右兵衛だってそれなりの扱いを受ければ穏やかな暮らしが送れたかもしれない。しかしこの旧態依然とした村で、何十年前のことも皆が覚えていて、不具を抱えているという劣等感が積もりに積もってしまっては、もはや暴れて暴れて暴れるしかない。 そこで富山が自分が美しいと感じた自然の本当の姿とはなんだろうと考える。人間は「自然」そのものには生きられない。 終盤の村人と重右兵衛のやり取りの緊迫感、ラストの火!火!火!の場面。自然とは、なんの制限も受けない残酷を含む荘厳。 そして封じられた人間が、神として祀られるってこういうことじゃないのって思えました。 あとがき解説が福田恆存なんですが、なんかかなり手厳しい(^_^;) 他の作家と比べて、田山花袋は外国文学から文学的なものを読み取り自分のものにしていないとか、小説の体現を徹底していないとかそんなかんじ。要するに田山花袋は素朴で初々しい。小説読んだだけでそこまでわかるのも凄いが。 <芸術作品を生むものを、われわれは芸術家と呼ぶのであって、芸術家というものがはじめから存在していて、かれが生んだものを芸術作品と呼ぶのではない。(P225)> 福田恆存も筋の通った人だなあ。
37投稿日: 2025.01.19
powered by ブクログ田山花袋文学忌、花袋忌 …蒲団忌で良いのではと私は思う。 1907年の作品 私生活を告白して私小説的傾向に傾く 自然主義文学の一作 私小説なんかーい! 日本文学初の私小説と言われており、 その赤裸々な告白に当時の文壇に衝撃を与えたとか あらすじは 36歳作家妻子あり 地方から美しい女学生が弟子入りを希望してくる 文学をやる女は美しくないだろうと思っていたけど、美しかったのだ 最初は、健気な女子だったけど、恋人ができる 引き離そうとするが、上手くいかず 怒った作家は、父親の居る郷里に帰らせる 女弟子が去った後、彼女が使っていた夜着物と蒲団に顔を埋めて泣く 弟子とその恋人にもモデルがあり、個人情報漏れまくりではあるまいか ギリギリ師として理性を保っていたけど、 ラストは、思いっきり残り香を堪能する 妻は三人目を妊娠していたが、何かの間違いで死んだりしないかななんて思っている 妻がいなければ結婚したのにとか思っている 信頼される常識人としての作家の妄想の世界でした 「重右衛門の最後」 生まれつき肉体的障害を持ち 祖父母に溺愛され育った重右衛門 一見平和な山村で毎晩起きる付け火 犯人は検討がついている 父母に見捨てられ、不具の為友人にも馬鹿にされ 散財で財産を食い潰した重右衛門だろう たまりかねた村人達は、重右衛門を事故を装い最期にする 閉鎖的山村で信用を回復できず堕ちていった男
74投稿日: 2024.05.13
powered by ブクログ結末はあまりにも有名なので読む前から分かっていた。しかしながらいざ読んでみると矢張り名作の誉も宜なる哉。中年男性の悲哀と絶望、そして始末に負えない性慾と云う名のエゴイズム。それを最も巧妙に言語で表現したのが「蒲団」なのだろう。 一方で「重右衛門の最後」の方がシナリオの起伏と問題意識に富んでおり読んでいて面白かった。日本自然主義文学の嚆矢と言えば上述の「蒲団」、それに藤村の「破戒」が有名だが、本作にもゾライズムの片鱗が窺える。本書を手に取るまで寡聞にして知らなかった作品なので何となくお得感があった。
2投稿日: 2024.03.08
powered by ブクログ耽美派を読む時,私は焦らされているような感覚を期待して手に取る. 蒲団は私小説ということからか,その点があまり感じられなかった. 弟子芳子との関係において,師としてなのか男してなのかの葛藤の果てに,後者という渇きの道を選んだ主人公時雄には苦しみや一種の焦らされが認められるが,個人的には激情が過ぎた. 本作は通底して師としての選択による心象由来のマゾヒズム(焦らされ)があるが,最後の描写はその発散と言えるだろう. しかし個人的にはその関係は極めて直線的に感じられた.もうすこし揺らぎが欲しい.
1投稿日: 2024.02.01
powered by ブクログ田山花袋は自然主義派として有名で、その代表作品ということで「蒲団」がある。 自然主義というのは、そもそも日本と発祥の地のフランスでは異なっており、日本の場合には、「私小説」ということで良いのだろう。 ただ、現在、読む側からは、自然主義云々はあまり意味のないことで、作品自体をどう感じるか、ということに尽きる。 本著を読むモチベーションが、自然主義派を代表する作品だから、という消極的なものだったので、一抹の不安があったのだが、結果としては、とても面白い作品だった。 何が良かったか。 この作品が、近代日本における女性の立ち位置をうまく表現している、ということ。 当時は、特に若い女性は、女性の自立、自由についての希求が今よりも高く、純だったのだろう。 そして、主人公の竹中は、本音と建前のバランスを崩し、葛藤し、世の中の流れに乗り切れない。知識人でありながら。 そんな心理状態をうまく表現している。(芳子の心理状態を惹きたてる効果がある) 現在、ジェンダーのことが盛んに話題になっている中、同じような現象が起こっているわけで、その観点での普遍性についても面白いと感じたのだろう。 「重右衛問の最後」、も近代日本における地方コミュニティに関することが巧く表現されており、面白かった。批判的な側面もあるのだと思う。
2投稿日: 2023.12.24
powered by ブクログ田山花袋と云えば日本自然主義文学者の代表格に位置する作家、というように中学の時に習いはしたものの’自然主義文学とは何ぞや’については綺麗サッパリ忘れてしまった私。そんな私ですら『蒲団』の結末についてはよく覚えていたつもりでいて、’ああ、最後におじさんがどうした訳か女性の蒲団の匂いを嗅いで悶えて終わるやつね。’という身も蓋もない程度の前知識で気紛れに本書を手に取ってみた。 成る程、これこそが人間の’ありのまま’を描いたという自然主義文学ね……… そうなのか? 〈蒲団〉 まず、中学時分におじさんだと思っていた主人公の〈竹中時雄〉は「三十六」(p8)という事で現在の私と同い年である事に強烈な衝撃を受けました。 その時雄は東京で「ある書籍会社の嘱託を受けて地理書の編輯の手伝」(p10)を勤めていて、文学者としてはまだ燻っている現状に焦りや不満を抱いている様子。妻があり子どもは三人。 そんな彼は「出勤する途上に、毎朝邂逅(であ)う美しい女教師があった。渠(かれ)はその頃この女に逢うのをその日その日の唯一の楽み」(p14)とするような男で、むっつり悶々とアバンチュールへの欲望を秘めている訳だが、そんな彼の元へ岡山県新見町に住む〈横山芳子〉という十九歳の「渠の著作の崇拝者」(p14)にして文学者志望かつ弟子志願の女性よりファンレターが届くところから物語は勢いよく動き始める。 弟子入り・上京を許した時雄はあっという間に芳子に入れ込む訳だが彼女は当時としては大変開けっ広げに「男の友達が来る」「遅くまで帰って来ない」(p21)ようないわゆる社交的な陽キャなので、時雄としては一層悶々としつつも「男女が二人で歩いたり話したりさえすれば、すぐあやしいとか変だとか思うのだが、一体、そんなことを思ったり、言ったりするのが旧式だ」(p22)と当初は嘯き強がってみせる。 が、芳子が療養の為に独り行った先の京都で〈田中秀夫〉という二十一歳の恋人を作ってきてしまうと時雄の様子がいよいよおかしくなってくる。 表題の『蒲団』は作中三つの場面で登場する。最初は芳子に恋人が出来たショックのあまりに泥酔した時雄が「蒲団を着たまま、厠の中に入ろうと」(p29)する場面、続いて酔っ払った勢いで芳子の下宿先へ突如押しかけて、彼女を自らの目が届く監督下に移すべく芳子を下宿先から自宅に引っ越させた際の「押入の一方には支那鞄、柳行李、更紗の蒲団夜具の一組を他の一方に入れようとした」(p51)荷解きの場面、そして例の「時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷たい天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた」(p110)場面。 題にも冠されている『蒲団』が出てくるとつい意識して身構えてしまうが、上記3場面はそれぞれに印象深いシーン。『蒲団』が時雄の’関心・所有慾’を暗喩したものであると私は受け取った。 最初の泥酔場面での『蒲団』は妻が掛けてやったもので、心配した妻から呼びかけられても時雄は「それにも関(かま)わず」(p29)とにべも無い。そしてあろうことかその『蒲団』を掛けたままトイレという不浄な場所へ入っていく訳で、これらの状況から時雄の関心事は既に妻には無いことがありありと伝わってくる。まさに心ここに在らず、という感じ。 続く引越しの場面では芳子を自宅に移す事に成功したウキウキ感が「時雄はさる画家の描いた朝顔の幅を選んで床に懸け、懸花瓶には遅れ咲の薔薇の花を挿した」(p50)という行動からひしひし伝わってきて、まさに心は薔薇色、蒲団から「女の移香が鼻を撲(う)ったので、時雄は変な気になった」(p51)と、いよいよ慾望達成は近しと気持ちが昂まる。 最後のみっともなく絶望的な場面はもはや説明不要。もう芳子が使う事はない夜具や蒲団に包まって匂いに包まれながら泣く中年男の姿は哀れで仕方がない。「懐かしさ、恋しさ」(p109)が心中を「吹暴(ふきあ)れ」(p110)る轟音と泣き声を聞きながらの終幕。 けど、いっとき若い女に心乱されたとて、金銭を注ぎ込んだ訳でもなしに、彼には妻も子も職も家もあるんだよなあ。言ってしまえばおじさんの勝手な片想いが破れただけのお話。 三人いるはずの彼の子どもに関する描写が徹底して一切描かれないのも、明治という時代柄もあろうが、育児や家庭を顧みず若い女にうつつを抜かす彼の身勝手さが透けて見えてあまり好きではない。 〈重右衛門の最後〉 一般に『蒲団』が代表作という風潮があるけども、先に発表されたこちらの作品の方が圧倒的に好き。人間誰しもが持つ’悪玉’の深層深くまで分け入る…とまでは言えないかもだが、四方を山に囲まれた長野県牟礼村塩山(牟礼村は2005年に飯綱町と合併。塩山という住所については架空?ちなみに長野県には「塩」の付く地名がとても多いそうだ)という長閑な村で巻き起こる連続放火事件。その教唆犯である〈重右衛門〉と実行犯かつ彼の内縁の妻の〈少女〉はいわゆる村のはみ出し者にて、重右衛門は身体的障害を抱え、少女も「親も兄弟もなく、野原で育った、まるで獣といくらも変わらねえ」(p149)と村人から呼ばれるような人物。確かに重右衛門の内にはp175からp176にかけて書かれているように身体的コンプレックスに端を発する「憎悪、怨恨、嫉妬」(p176)が逆巻いていて、それらによる鬱屈や不平が彼を凶行に駆り立てたのであろうと思う訳だが、これらこそ犯罪心理学風に言う社会的問題の典型例なのではないだろうか。そういう意味ではかなり深い所まで’犯罪を起こす人の心理’について踏み込まれているのではと感じた。 そして、本作のもう一面の魅力は長野の美しい自然を描いている臨場感。特にp126からの描写は澄んだ空気や鮮やかな色彩が浮かんでくるくらいに素晴らしいと思う。 その雄大な美しさが目に浮かぶだけに、人間同士でチマチマやっている愚かしさが一層際立って感じられるのかなと思った。 巻末の福田恆存氏の解説も切れ味よくてめちゃくちゃ面白い。特に好きなのは「文学青年と作家志望者とは同一のものではありません。(略)文学青年とは一口にいえば、芸術家の才能なくして、芸術家に憧れるものです。かれらは芸術作品を創造することよりは、芸術家らしき生活を身につけることに喜びを感じるひとです。」(p226)の部分。 これって結構な真理を突いていて、意識高い系と本当に意識が高い人との違い・にわかオタクと真性オタクとの違いのような’自らを何者かにカテゴライズせねばやっていけない虚栄心’にかなりグサリと斬り込んだ文章だと思う。 86刷 2023.1.12
10投稿日: 2023.01.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
36歳とすでに男としての魅力は失われていて生活に華がない中、先生、先生と自分をしたってくれて可愛い一回り下の女性が寄ってきたらどうするのか。そんな枯れた男が男としての自分を取り戻せないまま、それでもその子のことが気になって彼氏っぽい男ができたら執拗に嫉妬して(特に肉体関係面での嫉妬はすさまじかった)引き離さんとする物語。
0投稿日: 2022.11.06
powered by ブクログ日本文学における私小説の走りと言われる田山花袋の代表作。 そこそこ売れた作家である主人公(竹中時雄)の元に美しくて若い女学生(横山芳子)が弟子としてやってくるところからストーリーが始まる。 時雄には妻子もあるが、やがて芳子に恋心を抱くようになる。芳子の恋仲である男子学生も後を追うように上京し、時雄は嫉妬を感じながらもやり場のない自分の恋心に悶えながら日々を送ることになる。 この主人公は田山花袋自身がモデルであり、彼が自分の若い女弟子に下心を抱いていたというのも事実に近いものであるらしい。 この作風というか設定が当時の日本の文壇に衝撃を与えた、と聞いて読んでみた。 100年以上前に書かれた小説であり、時代背景や表現が古いことを差し引いてもあまり面白いとは思えなかった。 これがなぜかを少しだけ客観的に分析してみたところ、こうした光景が現代にはありふれているからではないだろうか。100年の時を経てこのストーリーは陳腐化したのだ。 印象的なのは、周囲の人間がやたらと芳子の貞操に拘り、かつ若い人の「ハイカラな」考え方を遠いものとして捉えているところ。時雄と芳子は精々十何歳しか離れていないのに、まるで考えが違うようなことを時雄や妻は折々で述べる。 さらに、時雄は「温順と貞節とより他に何も持たぬ」自分の妻を比較して、芳子の闊達さを褒める。 「女子ももう自覚せんければいかん。父の手からすぐに夫の手に移るような意気地なしでは為方が無い。」とまで言ってのける。 これは明らかな矛盾であり、自分の思想と気持ちの折り合いがついていないように見える。それだけ当時の情勢(物理的にも精神的にも)の移り変わりが速かったということだろうか。 10年そこらで、少なくとも精神や文化面でここまで変化することは現代では見られない。そうした意味では100年前の方が余程「VUCA」の時代だったのかもしれない。
0投稿日: 2022.10.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
36歳の作家・竹中時雄が、女弟子の横山芳子に恋人ができたことに嫉妬する話。大人らしく分別ぶってみたり、親に知らせて二人の仲を裂いてしまおうかと悩んだり、イライラしてはやけ酒をあおって癇癪を起こす。 自然主義の代表作とされているのでもっと淡々とした内容かと思っていたが、案外面白かった。 「時雄は悶えた、思い乱れた。妬みと惜しみと悔恨(くやみ)との念が一緒になって旋風のように頭脳(あたま)の中を回転した。師としての道義の念もこれに交って、益々炎を熾(さか)んにした。わが愛する女の幸福の為めという犠牲の念も加わった。で、夕暮の膳の上の酒は夥しく量を加えて、泥鴨(あひる)の如く酔って寝た。」(p.27) 「かれの経験にはこういう経験が幾度もあった。一歩の相違で運命の唯中に入ることが出来ず、いつも圏外に立たせられた淋しい苦悶、その苦しい味をかれは常に味(あじわ)った。」(p.28) 「妻と子――家庭の快楽だと人は言うが、それに何の意味がある。子供の為めに生存している妻は生存の意味があろうが、妻を子に奪われ、子を妻に奪われた夫はどうして寂莫たらざるを得るか。」(p.67) そして、小さな山村の連続放火事件を扱った「重右衛門の最後」がそれ以上に面白い。前半は旧友との思い出と再会、後半は放火犯の重右衛門の半生を描き、最後は意外な結末を迎える。紀行文的な描写も美しい。 自然の欲望のままに生き、村の掟や習慣とは相容れなかった重右衛門の死を目の当たりにし、厳しく雄大な自然を服従させようとしてきた人類の歴史、自然と人間の相克関係に思い至る。 『金閣寺は燃えているか?』でも指摘されている通り、福田恆存の解説はまったく褒めていない。 「おもうに『蒲団』の新奇さにもかかわらず、花袋そのひとは、ほとんど独創性も才能もないひとだったのでしょう。」(p.219) 「たしかに花袋はわが国における文学青年のもっとも純粋で典型的な代表者だったといってよい。 (中略) 文学青年とは一口にいえば、芸術家の才能なくして、芸術家に憧れるものです。」(p.226)
2投稿日: 2022.09.01
powered by ブクログ明治時代の女性に求められていた処女性と、現代の貞操観念のギャップから少し理解し難いところはあったが、話の大筋と時雄の煩悩は理解できた。 そんな明治時代から今にも通じるものとして、「匂い」は遺伝子レベルで人の欲求を震わせるのだと言うことだと感じた。
0投稿日: 2021.06.03
powered by ブクログ(岩波文庫) 途中まで読んでつまらなくてやめた 解説でけっこうクソ味噌にかかれてて笑った その解説も70年前くらいのものか。
0投稿日: 2020.12.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
この私小説は、田山花袋自身の身に起こった出来事を告白した自伝の様なものだったので、花袋がどういう人物だったのかや、花袋自身の当時の感情などが非常に近く感じられるものだったと感じた。 この小説の思想性に関して、最後のクライマックス場面で(「女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。〜心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。」一一〇頁引用)とあるが、女(芳子)の油と汗、そして匂いと、においについて文字の使い方や表現の仕方が違うことに気づきその作者の思想性は何なのかを考えた。 油と汗は本質的には同じで体内から排出されるものであるが、油といえば体臭の匂いなどが想像出来るまた、汗は油よりも体から出るものになるのでその女の身体から出たものを素肌で蒲団に触れて感じ取る事によって、少しでもその女に対しての感情や想いなどが思い出されたり、そこに居るはずの無い女(芳子)がいる様に感じ取られるのでは無いのかなと考えた。また、「匂い」と「におい」にしても、良いに匂いの「におい」と、例え少し臭くても愛している人の「匂い」は愛おしく思えたりすると考えたのである。したがって、筆者は故意に「匂い」と「におい」で書き方を変えているのではないのかと考えた。さらにまた、時雄自身が女の蒲団を引き出して匂いを嗅ぐ時に女の匂いを分析する程の敏感な神経(女を愛するあまりの)が非常に備わっていたのだと感じる。このことから女に対しての花袋のもの凄く深い愛がこの作品に強くあらわれていたと感じる。
2投稿日: 2020.11.24
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蒲団言わずもがな…ああ、変態好き…。(笑) 重右衛門の最後が、結構ずっしりきた。 蒲団や少女病みたいな作品もあればずっしりくるものも書く…田山花袋って掴めなくてなんかいい。
0投稿日: 2020.06.04
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高校の現国かなんかの教科書に載ってた。 おじさん先生が、門下生?の女の子の蒲団の残り香をスンスンする描写がきもっっっっっち悪くて、何で教科書に載ってるの、、、?って思ったのを覚えている。 今、読み直したら、何か違う事を感じるのだろうか。。。
0投稿日: 2019.11.13
powered by ブクログ田山花袋を初めて読みましたが、プロフィールのところに自然文学とあり、読んでいて爽やかな描写が特に「重右衛門の最後」では感じました。 漢文を習っていたこともあり、当て字といいますか、所々にルビがあり放題で、この手の本が好きな私としては大変楽しめました。 なんとなく手に取った本ですが、読み始めるとぐいぐい惹き込まれて一気読みでした。 「蒲団」というタイトルが気になりましたが、そこは読んでみてのお楽しみといったところでしょうか。 蒲団が好きな方は蒲団の中で読むのも、また醍醐味だと思います。
0投稿日: 2018.11.15
powered by ブクログ生々しい内面的告白の性格を持つ"蒲団"と、傍観者的立場で物語が進行する"重右衛門の最後"2編を収録。
0投稿日: 2018.07.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
今更ながらの田山花袋。国語の教科書で、というより日本史の授業の明治文化のところで知った存在に過ぎない。最近のお気に入り作家の中島京子の『FUTON』を近々読もうと図書館に予約を入れてあるので、ベースとなっている(らしい)、原作(?)のほうを改めて読んでみたもの。 内容は知っての通り、ちょっと変態オヤジの孤独な呟き小説。あとがきの福田某が、「現代の読者の眼にはこの平凡稚拙な小説」と書くように(昭和27年時点)、なんだかな感が大きい(笑) けれど写実主義の流れを汲むだけあって、風景描写や季節の移り変わりを記すところは、現代(いま)にない高尚さを醸し出しているようで悪くない。もっとも、そんなダラダラ書いて話の進展に関係ない部分は、若い時分はとっとと読み飛ばしていたなと懐かしい。 あと驚くのは、今ならセクハラまがいの表記がさも当然と記されていること。 「女性には容色(きりょう)と謂うものが是非必要である。容色のわるい女はいくら才があっても男が相手を為(し)ない。」 昨今の復刻版とやらならば、巻末に「本書で用いられている用語や表現の中に、現在の日本では差別的表現とされる可能性のあるものが一部含まれていますが」云々と、作者および出版社に差別の意図がなかったことや、「当時の時代背景を鑑み」などと言い訳が付されているけど、本書にはなかった。 図書館で借りた古い本だが、初版の昭和27年当時は、これらの表現がなんら問題視されなかったんだろうなあ。面白いものだ。 また、獅子文六の小説でも(昭和30年代)、女性たるものは…という世相に反しての溌剌とした女性の活躍を反面で称えるように書いてあったが、田山花袋の明治の時代は、まだそうした女性を容認しようと頭で理解してても感情としては難しい感が出ていて興味深い。 「昔のような教育を受けては、到底今の明治の男子の妻としては立って行かれぬ。女子も立たねばならぬ、意志の力を十分に養わねばならぬとはかれの持論である。この持論をかれは芳子に向かってすくなからず鼓吹した。けれどこの新派のハイカラの実行を見てはさすがに眉を顰めずにはいられなかった。」 でもなんだろう、時代は巡り巡って同じようなことを繰り返している。いや繰り返すもなにも、人間の所業なんて少しも変ってないのかもしれない。 『蒲団』の有名なラストシーンは、恋い焦がれた女弟子の蒲団に潜って匂いを嗅いでしまうというものだが、平安の昔にも、思い初めし姫君の厠を覗きにいってその排泄物の匂いを確かめようとした変態男がいてなかったか?事前に察した姫のほうが香袋を置いておいて、あぁやはり憧れの君は排泄物ですら雅だと得心したバカ男の話。 『蒲団』の主人公時雄の行動も似たりよったり。むしろ可愛いもの。さらに、弟子をとる小説家ということで、文豪然とした50-60の親父を思い浮かべるが、時雄の設定は36,7歳とのこと。悶々とするのも無理はないし、むしろよくぞ老成した自制心で己を律したものだと明治男の道徳心に感心さえもするが。。。。 が、やはり、なんだかなあなお話というのは変わらないけど。 日本文学史における自然主義文学の端緒となった作品。まさにそこに価値があるんだね。物事の自然な状態を観察し、人の心の在り様までも、ありのままに書く、写実に徹する。たとえそれが後の世で変態呼ばわりされようとも。 過去の前例を凌駕する。文化というものの価値を改めて理解することが出来るお手軽な作品。
0投稿日: 2018.05.23
powered by ブクログ再読です。 若い時に読むのとは違い、この年になると感慨深いものがあります。 「蒲団」は、何とはない話なのですが、作家の先生の難しい心の移ろいが、読むものを翻弄します。 当時の貞操の概念が二人の仲を引き裂きます。 最後がとにかく印象的な作品です。
0投稿日: 2017.11.21
powered by ブクログ高校の現国かなんかの教科書に載ってた。 おじさん先生が、門下生?の女の子の蒲団の残り香をスンスンする描写がきもっっっっっち悪くて、何で教科書に載ってるの、、、?って思ったのを覚えている。 今、読み直したら、何か違う事を感じるのだろうか。。。
0投稿日: 2017.07.10
powered by ブクログ中島さんの作品の後に読むとなんとまあ、時雄の行動の幼稚なこと。全くもって私は「妻」の視点からでしか鑑賞できなくなっている。これはちょっと失敗。これから中島さんの『FUTON』を読まれる方花袋のを先に読む方がいいでしょう。いろいろ抜きにして純粋な感想。この小説「中年男が失恋後恋人の蒲団で泣く」という一文で表され、それでまかり通っているけれど、そんなことはない!なんてことはない。その通り。結果失恋して泣くんです。発表当時は女々しいとのお声もあったでしょうが、現代では無問題。時代が追いつきましたよ、花袋先生。
2投稿日: 2017.05.24
powered by ブクログ蒲団 複雑な心境がよく描写されており、読みやすい。結末の主人公の様子は気持ち悪いと言われることが多く、実際に読んで「ああこれか(笑)」と思ったが、その人間らしさがまた作品として味わい深い。 重右衛門の最後 不遇な重右衛門に深く同情した。八つ墓村と重ねてしまうところがあったのは私だけ? 同じ自然主義の関連として島崎藤村、ゾラも読みたい。
0投稿日: 2016.12.05
powered by ブクログずっと読みたくて、でも大筋で話が分かるから情けなさすぎで読むのを躊躇っていたこの本。 読んでみると、まず主人公が思っていたよりずっと若く、今の自分と大して変わらない歳であることに驚く。 そして、女性の方からも何らかの思わせぶりな誘惑があったのかと思っていたのに、他に恋人を作って全く主人公を意識もしていないという。 ほんとに、全て主人公の妄想で、ただ結婚生活に飽きた男が若い娘にときめきたかっただけの話。 現在絶賛育児中のわたしからすれば、ふざけんなと言いたくなるけど、こういうのって男性も同じなんだとわかった。 そして、合わせて収録されてる話。 『蒲団』にしか興味なかったので、読まずに返そうかとも思ったが、読んでみるとなかなか面白かった。 生まれつき通常の状態ではないということは不幸なことだと思うけど、自分で身上を持ち崩したのに反省もせず、周囲に迷惑ばかりかけている人間でも、亡くなった後はきちんと弔ってやらなければならないというのは理不尽だなと思う。 死ねば今生の罪は消えるということか。 それでは、あまりに釣り合わないと思ってしまう。 けれど、多くの人間から憎まれ恨まれることが、ある人物のエネルギーとなって迷惑行為をなすのなら、その原動力となる負の感情を持たないということが、実は一番平和への近道なのかもしれない。 すごく難しいことだけど。
2投稿日: 2015.11.09
powered by ブクログ女弟子に密かな劣情を抱く時雄。文明開化のうねりのなかで若き学生との恋に惑溺する女弟子。善良で不埒な時雄の懊悩を赤裸々につづった「蒲団」。 閉鎖的な田舎村で起こった私刑を第三者的に見つめる「重右衛門の最後」。 前者は、いまいち踏ん切りのつかない時雄にいらいらしつつ、いつ堰を切るのかとドキドキしていたけど、結局、中途半端に終わってしまった時雄が終始身悶えする姿に、なんだか善良さを脱しきれない人間にありがちな苦悩を感じ取れました。 一方、後者は、ここ最近少し話題になっているインターネットによる私刑に通じるところがありまして、しみじみと思いを馳せながら読んでいました。 それはそうと、褒めているんだか貶しているんだかよくわからない解説はなんなんですかね笑 こんな辛らつな解説には初めて出会いましたよ。
0投稿日: 2015.06.14
powered by ブクログ「恋、恋、恋、今になってもこんな消極的な運命に漂わされているかと思うと、その身の意気地なしと運命のつたないことがひしひしと胸に迫った。」(p28)蒲団のみ読了。知り合いから勧められて、けども何だか難しそうで敬遠してた。まあ難しかったw 川上弘美の『センセイの鞄』を思い出した。あれとは違って、こっちは幾分童貞の妄想みたいで、ストーカーみたいな心情ばかり描かれてる気がする。何と言うか自分を見てるようで、いつの時代も変わらん人間がいるもんだなと思う。近代文学にしては楽しく読めた。
0投稿日: 2015.06.05
powered by ブクログ「蒲団」 弟子にしてくれと押しかけてきた若い娘に スケベ心を抱きながらも、手を出す前から他の男のところに 逃げられてしまう それは理不尽なことには違いない 俺はおまえのパパじゃねえ、ぐらいのことは言いたくもなるだろう けれども旧来からつづく封建的・儒教的な価値観と 西洋文化に由来する、いわゆる近代的自我との板ばさみにあって この時期の文化人は 自由をとなえながらも、みずからは自由にふるまえない つまりエゴイストになりたくてもなれないという そんな苦しい立場、ダブル・バインド状態にあったのかもしれない 森鴎外とエリスの関係など見るに けして花袋ひとりの問題ではなかったはずだ しかしそういう、ある種の煮え切らなさ・女々しさは 現実と真正面から向き合って生じるものでもあるのだから それがそのまま 近代日本においては「男らしさ」と呼べるものでもあったのだ 男はつらいよ、ってそういうことですね 「重右衛門の最後」 さんざん甘やかされながらも よその子供から身体的特徴(でかい金玉)を馬鹿にされ 屈折して育った重右衛門は 祖父の期待を裏切って悪人になり 最終的には、村人の集団リンチで処刑されてしまうのだけど 日本では、悪人も死ねば許される風潮があるので なんか名誉回復もしたしよかったんじゃないの、という話 大江健三郎の「万延元年のフットボール」や 町田康の「告白」などに、今も受け継がれるテーマだ
3投稿日: 2015.03.02
powered by ブクログ読みにくいかと思いきや、そうでもなかった。時雄が酔っ払って引きずって行く蒲団と、最後の蒲団、白さがいやに生々しい。
0投稿日: 2014.10.21
powered by ブクログ表題『布団』が気になり手に取りました。 絶対に結ばれることのない、親子ほども年の離れた相手に対しての執着・自分勝手な所有欲は、他人から見ればみっともないの一言。とても人には知られたくないような男の欲を堂々と描いた作品は他になく、当時としては画期的なことだったようです。 蒲団に残るあの人の匂いが恋しーー女々しいような情けないような滑稽な描写は妙に人間臭くて、不思議と嫌いになれない。
3投稿日: 2014.01.16
powered by ブクログ申し訳ないけど主人公がめっちゃ気持ち悪い! 気持ちはわからなくもないけど、布団は嗅ぐんじゃないよ…
1投稿日: 2014.01.14
powered by ブクログやたらと外国文学、特にロシアの作家、作品をとりあげるが、今となっては不自然。当時はそういうのが風潮だったのでしょうか。当時受け入れられた小説がこういうものだったと感じるところに価値を見出す作品。13.11.21
0投稿日: 2013.11.21
powered by ブクログもう、あのシーンはよ!はよ!という気持ちで読んでました。 それにしても主人公は嫌な男だ。停車場で綺麗なお姉さんを見て「妻の出産がうまくいかなくなって死んだらああいう綺麗な人と住めるかなー」とか考えたり、若い書生に惚れてうまくいかなくて細君に八つ当たりしたり。 頗る読みやすい文体だった。
1投稿日: 2013.11.09
powered by ブクログ時雄は芳子だから恋をしたわけではないと思う。惨めな自分の晩年に華を添えてくれる「女」という生き物なら、誰でもよかったのだろう。男の身勝手さを惜しげもなく晒した作品。建前などかなぐり捨てて書いてるから、真に迫っていてとても面白い。時を重ねても雄の性を捨てられない「時雄」と、匂いたつような若さと美しさを備えた「芳子」という名前設定が、最後のシーンを象徴しているようである。
3投稿日: 2013.08.15
powered by ブクログ自然主義文学のさきがけといわれる『蒲団』に、中編作『重右衛門の最後』を併録。明治の雰囲気が伝わってくる文体と精神背景が味わえて、なかなか楽しむことができました。 『蒲団』は、生活に倦怠感をおぼえている主人公の小説家に、田舎から美少女が小説家になりたいと弟子入りしてきたことから起きる恋のさや当ての物語です。(笑)「妻に子供を奪われ、子供に妻を奪われて」生活に倦んでいた主人公は、弟子入りしてきたハイカラで発展的な精神を持つ美少女に恋心を抱くが、師として監督する立場でもあることからその苦悩が始まる。弟子の美少女の誘惑にも自制してきたのだったが、ある時、ろくでもない男が恋人になったと知ったことから、主人公の煩悶が始まる・・・。 主人公の小説家の葛藤する様は、本来苦しい想いが伝わってきても良さそうですが、設定が設定だけに現代人にはなぜか可笑しみもあって(笑)、美少女の父親や恋人の男のふるまいにも突っ込みどころ満載なので、意外と軽いノリで楽しめました。(笑)最後の「書名」のもとになっている主人公の行動は、マニアックなフェティシズムに溢れていて、可笑しみの頂点に達するとともになかなかの名場面でした。あ~、という何とも言えない感じが良いです。(笑)確かにこれは泣けてくるし、もふもふしたくなる気持ちもわからなくはない。(笑) 『重右衛門の最後』は、信州山奥のとある村で発生した放火事件とその村としての決着について、旅行者としてきていた主人公の目を通してたんたんと描かれる。学生時代に友が語った故郷の信州の美しい自然に魅かれて、主人公は友を訪ねてその地に到来する。そこでは折しも重右衛門という人物が主犯と目される放火事件が相次いでおり、主人公が到着した夜にも火事が・・・。 信州の自然がきれいに描かれているのを対照として、夜に人為的に発生する火が彩りよく、視覚的イメージが面白い作品だったと思います。身体に劣等感を持つ重右衛門が次第に凶悪化し、村に反発していく様子は自然への反発という意味にもなるのでしょうか。これも主人公が傍観者であるが故に、重右衛門の苦悩を深化させることができず、割と軽い調子で事件の推移を見守るような感じです。 「解説」では田山花袋にむしろ辛辣気味な評価なのには驚きました。(笑)
14投稿日: 2013.07.28
powered by ブクログ嫉妬というと、"女の"嫉妬なんてわざわざ"女"を強調したりすることが多いが、なぜだか"男の"嫉妬、という言い方はあんまりしない。でも別に、嫉妬という感情に男女の別があるわけではない。ただ、男は嫉妬を「権力闘争」や「大人の対応」なんて言葉で都合よく包み隠しているだけだ。 文学者である竹中時雄の元へ、文学を志す女学生からの熱心な手紙が届くようになる。彼女が後に正式な弟子として受け入れることになる芳子。かつて情を燃やしたはずの妻にも飽き飽きしていた時雄は、芳子にいつしか好意を抱くようになる。芳子の恋人である田中との仲を芳子の"師"として諭し心配するフリをして、内心は嫉妬心を強くするひとりの中年男性の苦悩を描く。 話が進めば進むほど、この身勝手な中年男子が変態的にすら思えてくる。男が理想的な女を規定したがるのは現代にも通づるものがあるが、そのくせ自分は嫉妬心を燃やし、芳子を失えば彼女が使っていた蒲団の匂いを嗅いだりするのだ。 こうした男の女に対する態度だけでなく、旧式の女性(時雄の妻)vs新時代の女性(芳子)という世代間での対立構造もまた現代に通づるものがあって、明治時代とて日本人は根本的に同じなんだなぁと思ってしまう。従ってそこまで大きな違和感なく読めるが、「あぁそんなに嫉妬したんだねー大変だったんだねー」以上の感想は抱きづらい。私小説ってやっぱりこんなもの?そしてちょくちょく出てくるロシア文学が知識があることだけをひけらかしているようで逆に嘘っぽくないか?
2投稿日: 2013.07.09
powered by ブクログ青空文庫で蒲団のみ。 時雄の懊悩ひとつひとつが我が身を捻じるかの様で非常にのめり込んだ。 節操を汚した芳子の父親のなんと真っ当な物言い。さすが人の親。 細君がうまいこと緩衝材になって物語的にも読む側にとってもテンポを保ってくれた。 時雄がずっとあの調子で懊悩しまくってたらとてもじゃないけど息が詰まって読破不可能であった。 細君よ、ありがとう。
0投稿日: 2013.06.15
powered by ブクログ(1966.03.31読了)( 1964.06.25購入) (「BOOK」データベースより) 蒲団に残るあのひとの匂いが恋しい―赤裸々な内面生活を大胆に告白して、自然主義文学のさきがけとなった記念碑的作品『蒲団』と、歪曲した人間性をもった藤田重右衛門を公然と殺害し、不起訴のうちに葬り去ってしまった信州の閉鎖性の強い村落を描いた『重右衛門の最後』とを収録。その新しい作風と旺盛な好奇心とナイーヴな感受性で若い明治日本の真率な精神の香気を伝える。
0投稿日: 2013.03.18
powered by ブクログ初読。通説に寄れば私小説の濫觴とされる本作。背景には鴎外や露伴ら明治知識人の碩学には到底敵わない浅学な若手小説家が、自己を披瀝する率直さで勝負に出たところ、エポックメイキングな対抗軸を打ち立ててしまったという事情がある。花袋はさながら小説界のセックス・ピストルズである。現代的私小説観に照らせば主人公は固有名詞を持ち、話者は非人称で、筋も単調な浮気の成り損ないでしかない。読者がただそこに著者を投影しているに過ぎず、事実モデルとなった少女は帰郷せず花袋の養女となり、その関係が周囲に認められてさえいた。そうした不道徳をすることに抵抗はなかったが、それを文学のために擬装することは恥じたのだ。毀誉褒貶の毀と貶ばかり聞き、柄谷行人をして読まなくていいと言わせるほどだが、それでも日本文学全体が永く花袋の蒲団の中に包まれていたのも事実なのだ。
3投稿日: 2013.03.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
青空文庫にて「蒲団」のみ読了。 明治の作品としてはさきがけであったにだろう。 しかし、今では当たり前になってしまった思考なので、その当時の驚きは薄くなってしまうのだろう。 引用 「夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。」 ▶この後に性欲が先にきているので時雄の気持ちは、肉の恋であるのだが。この臭いを嗅ぐという行為は様々な思いから来ている。
0投稿日: 2013.03.01
powered by ブクログ主人公である書生の中年男・時雄は妻子持ちではあるが、弟子として東京にやってきた女学生の芳子に好意を抱いている。そんな中、芳子に田中という恋人が出来る。 これから(近代)の女性は自由であるべきだ、などと賢そうに説いておきながら、「師弟関係にあるんだし、俺は芳子を監督しないといけないんだ」という口実で芳子を拘束しようとする時雄。たくさんの矛盾やエゴが時雄を操ってゆく。 時雄は何度も「ヤったのか?田中とはもうヤったのか!?」と芳子の純潔性の有無に拘り、神経質になる。女の私に理解することは難しい事なんだろうけど、現在でもこういうある種エゴイスティックな思考を持ってしまう男性は多いんじゃないかな、とは思った。人気漫画の美少女キャラクターが非処女だと判明した途端に一部のオタクがブチ切れて単行本を破り捨てる等の暴走をインターネット上で多数披露、漫画休載にまで貶めた、というニュースもまだ記憶に新しい。 芳子が故郷へ連れ戻された後、時雄は芳子が使っていた部屋に入って蒲団や夜着の襟の匂いを「心のゆくばかり」嗅ぎまくる。思わず、うわあ……と感じてしまう。しかし、そこに確固としてある「人間らしさ」の赤裸々な描写に惹きつけられた。ある意味これは「人間に不可欠な気持ち悪さ」なのかもしれない。
1投稿日: 2013.02.26
powered by ブクログ文学史上、自然主義のさきがけとなった記念碑的作品「蒲団」、らしい。妻子持ちの花袋が女弟子を好きになっちゃってでも手はだせなくて懊悩煩悶鬱々とする話。と、信州田舎の村落でとんでもないやつを村みんなで殺害する「重右衛門の最後」。殺害というより自己防衛に近いけど。両方とも明治の作品だけどあまり抵抗なく読めました。
1投稿日: 2013.02.21
powered by ブクログ【禁断の恋に落ちる男の壮絶な感情劇!】 妻と子ども3人と暮らすある文芸家の話。ある日、田舎から文芸家に憧れる女学生が家にやってくる。それまでの生活に飽きを感じていた主人公にとって、そのことが大きく生活を変える。 女学生の美しい姿、素晴らしい才能に恋心を抱くようになる。しかし、それは許されることのない恋である。しかし、そうこうしているうちに女学生には恋人が出来てしまう。 恋人と結婚したいと懇願する女学生は、結局父親に連れられて田舎に帰ることに・・・。 女学生が去った部屋で、一人彼女が使っていた蒲団に顔をうずめて泣き崩れるところで話は終わる。 男の女に対する心情が、非常にリアルに描かれており、とても読んでいて臨場感がある。30代半ばは、当ストーリー同様に、夫婦の中に低迷感が漂う時期。自分自身が、そうならぬよう、何をすべきかを考えるきっかけにもなるのではないか。
0投稿日: 2012.09.03
powered by ブクログ中島京子版の予習として。今読むと、変態どころか、かなりストイックです。ちっさ!とは思います。クンカクンカするところで終わりですが、読者にはそのあとを想像する楽しみが与えられます。蒲団クンカクンカ後は、油染みのリボンをアソコに結びシコシコしているところを奥さんにみつかる、とか。
0投稿日: 2012.08.13
powered by ブクログ課題図書。かと思ったら違っていた…。主人公のだらしなさが非常に興味深く、一気に読めました。衝撃のラスト(!)はさておき、僕はこの主人公は好きですね。
0投稿日: 2012.02.03
powered by ブクログ重右衛門がおもしろかった! 布団は、変態小説みたいなイメージが先行してしまってたけど、読むと思ってたより綺麗。ぬるりとした感じは嫌いじゃない
0投稿日: 2012.01.24
powered by ブクログ作品紹介:『蒲団に残るあのひとの匂いが恋しい―赤裸々な内面生活を大胆に告白して、自然主義文学のさきがけとなった記念碑的作品『蒲団』と、歪曲した人間性をもった藤田重右衛門を公然と殺害し、不起訴のうちに葬り去ってしまった信州の閉鎖性の強い村落を描いた『重右衛門の最後』とを収録。その新しい作風と旺盛な好奇心とナイーヴな感受性で若い明治日本の真率な精神の香気を伝える。』 言わずと知れた自然主義文学の代表的作品。写実主義,ロマン主義を経てこの作品につながり,白樺派や余裕派に繋がっていく。 時系列的には,「重右衛門の最後」の後に「蒲団」が描かれたらしい。この本の解説には田山花袋作品の特徴について書かれている。
0投稿日: 2012.01.17
powered by ブクログうーん。作中の考え方に対する?マークが気になってしまった。 なんで肉の恋愛はあんなに忌まわしく扱われるのか。生得した身体が思想に影響を与えるのか。よくわからなかった。 時代背景としては自然主義西欧的思想が主流になり始めてる頃のはず。フェミニズムはまだ叫ばれてなかった頃なのかな。 読みやすかったし、赤裸々ですごい。
0投稿日: 2011.12.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「蒲団」は面白かったです。建前では精神の恋愛、肉体の処女性に拘る主人公の本心は、ただ若くて美しい女性への欲望のみという人間臭さ。個人的に賛同はできませんが、物語としては面白かったです。 「重右衛門の最後」は、正直物足りませんでした。よくあるこの時期の文学作品という感想しかありません。重右衛門、村人たち、そして主人公という三つの視点から物事を見ることができることや、同じような遍歴をもった人物が繰り返し登場するなど、研究の対象としては目をつけやすいところが多いと思いますが、物語としての面白さはいまいちです。
0投稿日: 2011.12.15
powered by ブクログ島崎藤村の「破戒」と並び、自然主義文学の代表作であるのみならず、私小説の先駆けとなった作品であり、人間の性欲や嫉妬心などを露悪的に描写したことで文壇に衝撃を与えた問題作。そしてその反響の大きさゆえ当事の作家たちを島崎の「破戒」の方向ではなく、私小説の方向へと向かわせたといわれている。自己の体験をありのままに小説としてぶち上げるという手法は斬新であり(実際にはフィクションであるらしいが)後世に与えた影響は計り知れないのだろうが、はっきり言って「ただのキモいおっさんの物語」である。実際、多くの知識人にこきおろされている曰くつきの作品である。
0投稿日: 2011.12.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
話の筋を読んでみて、主人公の心情に沿っていてなるほどと思ったが、それでどういうことなんだ?だから何なんだ?と理解出来なかった。 この疑問は福田恒存の現実的な解説で氷解した。福田氏曰く、「花袋はあくまで芸術作品を創造するひとであるよりは、芸術家の生活を演じたかったひと」。だから、主体的な問題意識が欠如していて、言いたいことが分からなかった訳だ。解説に依れば、自分は世間から真面目に思われてるけど、本当はこういう一面もあるんだよ、という作者の自己紹介が「蒲団」の意図だったらしい。けれど、それじゃ作者本人にしか意味がない。作者本人の意味に価値を置くのは、内田百間にも通じるが(川村二郎『内田百間論』)、花袋の場合、百間のような自然的なまでの普遍性がない。そのため、作品の迫力や深みにおいて隔たりが大きく感じられる。 福田氏はそれでも花袋をいくらか評価しているが、私は「そんなもの読む価値ない」という柄谷行人氏の率直な意見(『必読書150』太田出版)に賛同したい気がする。
0投稿日: 2011.11.29
powered by ブクログいや、つまんないですよ。でも、だからこそが読むべき本かも。 中年が弟子の女学生に恋愛感情を抱き、彼女に男が出来たと発覚すると身悶えした挙句彼女が故郷に帰るとなれば残された蒲団の匂いを嗅いで号泣するというあまりにも有名な話。これに共感できちゃった人はまあ、ごめんなさいと言う事で。 しかし。重要なのはあまりにも私小説の形式を取っているにも関わらずこれが完全なるフィクションだったと言うこと、そしてそれまで作家としては燻っていた田山花袋はただ「文壇というものにに衝撃を与える」事のみを目的として書かれていたと言うことだ。つまり、文筆業で喰っていく為の確信犯。もしかしたら本書は20世紀初頭における赤木智弘の「丸山真男をひっぱたきたい」ではないだろいうか、と言う考えはさすがに飛躍しすぎか。少なくとも本書が未だに自然主義の文学で語られている事自体がその影響の現われなんだろう。まぁ、僕はこれが自然主義だとは断じて認めませんが。自分の内面についてうじうじ思い悩む事が自然であってたまるかよ。 「蒲団」が発表されてもはや100年が立つが、今は世の中にはこれより醜悪な自己の恋愛語りが溢れかえり、ネットでは誰もが自分語りをする時代。田山は何を思うのだろうか。
1投稿日: 2011.11.20
powered by ブクログ蒲団、やっぱり良いです。 弱くて悩んで怒ってへたれる主人公。 最後1ページが哀愁と未練と官能がにじみでててます。 自然主義って「正直に言わせた方が勝ち」みたいな話になりやすいのかしら・・・
0投稿日: 2011.10.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
なんかもう…(笑) みたいな. 男の嫉妬もすごいなぁ って実感できるよ、「蒲団」は.
0投稿日: 2011.09.23
powered by ブクログ自然主義文学、私小説の先駆である作品。 書生である主人公の時雄が、奥さんも子供もいる身でありながら弟子の芳子に恋をするが、芳子に田中という恋人がいることを知って悶々とするお話。 めっちゃくちゃに嫉妬しているのに師という立場からそれを露呈できずに、意地張って意地張って意地張ってかっこつけて、ついに事態は最悪な方向へ向かうのに、結局それでもなにも出来ずにただただ蒲団に顔を埋めて号泣する、どうしようもない話です。 いつの時代もダメ男の像って変わらないんだなぁと思いました。 それにしても、当時こんなにも女性が処女であるということが重要視されていたんだと驚きました。 重右衛門の最後が意外と面白かったです。ちょっと主題が難しかったように感じます。 壮大な自然を感じる村で、結局、重右衛門を見殺しにしてしまう村の人々の心情も、娘っ子の大放火も焼死体もまた、それも自然の驚異で人間を遥かに凌ぐのだろう、そんな出来事に巡り合ったんだよ、というような客観的な物語だったと解釈しています。
0投稿日: 2011.07.08
powered by ブクログ蒲団星3つ。日本一有名なくんかくんか(笑)重右衛門を読んで、本として星4つにUP。重右衛門のドラマと花袋の美しい情景描写のハーモニーに評価。一読の価値有り!
0投稿日: 2011.06.29
powered by ブクログ6月2日読了。「私小説のはしり」という。弟子入り志願し転がり込んできた魅力的な女学生・芳子に、作家・時雄は庇護者たらんとする面目と性欲の高まりとの間に煩悶する・・・。今読むと作家のもだえ、旧弊や理性で情欲を抑えよう抑えようとする様がリアルで普通に面白い小説だが、発表当時はあからさまな性欲描写と、「小説を小説として完結させず、(当時女弟子との関係がうわさされた)作者の環境を否が応にも読者に意識させる」といういやらしいともいえる手法が話題を呼んだのだろうか。タイトルの「蒲団」の処理の仕方が直接的かつ切なく滑稽で、うまい。
0投稿日: 2011.06.03
powered by ブクログ文学の中で自然主義の始まりとされる花袋の作品。思っていた以上の出来で、この作品で卒論に臨もうかと思うほどである。「重右衛門の最後」が人間の在り方を突き詰めている。
0投稿日: 2011.03.22
powered by ブクログ『蒲団』 安定した今の生活に満足できず勝手に理想化した相手に夢を見てはみっともなく悶え苦しんで矛盾を繰り返し何度も失望してそれでも未練は断ち切れない。それってすごく人間だ。
0投稿日: 2011.03.14
powered by ブクログフェチ文学なんて言われてるからどれだけフェチなんだと思ったけど、はっきりフェチぽいのは最後だけでした。 あれは…やってしまうでしょう。切ないやるせない感じがひしひしと。 あ、でも生徒に恋する設定がすでにフェチなのか? 途中は皆のやり取りがもどかしい。新しい女とかそういう所は興味深いなあと。 田舎教師読みたいー
0投稿日: 2011.01.30
powered by ブクログ日常に退屈した文学者で妻帯者である主人公が、書生の芳子にひそかに恋心を募らせるお話。自分の身に起こった事件を小説にした告白小説。 芳子に恋し、芳子に恋人ができ、苦しみながらも温かき監督者の立場を捨てられない愛すべきおっさん!勘違い甚だしかったり、いい大人が何やってんだというくらいに恋に狂っている。 子供の頃、大人ってもっとオトナだと思っていた。実は大人って、周りの目や自分の立場や相手への影響に絡めとられて身動きができない弱虫かもしれないと思った。 ラストシーンは愚かしいけども切なくていい!芝居にしたもきっとすてきなラストシーンになる。
0投稿日: 2010.12.07
powered by ブクログいわゆる名作ってものは苦手で手がでなかったのですが、 中島京子さんの「FUTON」を読む前に、原作を読むことに。 いや〜、情けないですね。w 初めは主人公が「気持ち悪っ!」って読んでましたが、 段々これはギャグなのか?って思う程、笑えてきました。 恋愛とかって、本人には深刻でつらいものだけど、 端から見ると。っていう感じがすごく出てました。 それが狙いかどうかはわからないけど...。
0投稿日: 2010.11.14
powered by ブクログわけあって読みました。う~ん。これが文学作品か…。昔においてはかなり赤裸々で感情剥き出しだったんでしょうけど、何十年もたった現在はもうこの作品のもどかしさったらない。 どっちつかずのこの感情というか、この一人妄想は苦悩そのものだが、行動に移しきれない作者はやはり一人の妄想僻だなあと思った。結局誰でもよかったんじゃないかな。かわいい女の人なら。純愛とかそういう感じでもない。
0投稿日: 2010.10.04
powered by ブクログよくフェチの極みのような紹介を受ける花袋の『蒲団』であるが(実際高校時代に国語の教師からそう教わったが今思えば彼女は読んでいなかったんだと思う)、実際は近代的なものと前近代的なものとの相克を描きたかったのではないか、という印象を受けた。ラストシーンは近代的であるはずの作家が、近代的であろうとして前近代的なものに敗れ故郷に帰っていく女性の前近代的なものの象徴である蒲団に屈服する、と読んだ方が面白いかなと。ただ、前に読んだ『田舎教師』と「重右衛門の最後」を読むかぎり、文章が下手すぎる。その意味では、誤解(過大的評価としての)のせいで文学史に名を残せた作家なのかな。
0投稿日: 2010.08.10
powered by ブクログ短編だったからすぐよめた。 最近、近代小説をたくさん読んでるけども、これはその中でも読みやすい。 主人公の思い悩む姿が、非常に、非常に共感できる。・・・そうおもってしまうのは男の性として当然だろう。 え、作者は女性だって??
0投稿日: 2010.04.11
powered by ブクログ文学史で勉強したときは、 二度とお会いしないと思っていましたが、 いろいろあって読んでみたら、 意外と共感できたり 面白かった…
0投稿日: 2010.03.05
powered by ブクログネタバレありの個人的感想 有名やのに読んだことなかった。 そこで出てくるか、蒲団(笑) 後半、ほんとにいらいらした。 芳子、師匠をだましてうまく使ってんじゃねぇー!! 謝ればいいと思うなー!! 田中ー!!物分かりが悪すぎるー!! なんかわからんけどほんといらいらする、この男(笑) 時雄のお人よし加減にもいらいらした(笑) にしても、女の貞操って時代でこうも違うものかと。 発覚したらお国へ帰されるんやもんな。 あ、惑溺って表現いいな(笑)
0投稿日: 2010.02.04
powered by ブクログ明治という時代背景だからこその、お話かもしれないけど わたしは、気持ち悪いとまでは思いません 実際に、自分が弟子だったら…と思うと何とも言えないけど 誰だって、妄想してしまうし 誰だって、なかなか行動できないもの 内面描写がしっかりしていて、読みやすいです。 リアルタイムで読んだら、おもしろかったかもしれません。
0投稿日: 2009.10.29
powered by ブクログ恋が去って、 悲しいのは直後かもしれないけれど 哀しいのはもう少し後のような気がします。 相手の残した表情や ただよう香りに 相手の不在を強く思う。 そういう哀しさは 必ずやってきて なかなか消えてはくれないもの。 この本の 「蒲団に残る、あのひとの匂いが恋しい」 という一文。 わかるような気がしました。 ちょっとだけ、だけどね。
1投稿日: 2009.09.25
powered by ブクログ大体のあらすじだけ知っていて、この度初めて精読。思っていたほど変態チックではないなという凡庸な感想。なんたって中年おやじの時雄の心境が赤裸々で可笑しいやら可愛いやら。 「女性には容色というものがぜひ必要である。」「時雄も内々胸の中で、どうせ文学をやろいうというような女だから、不容色に相違いないと思った。けれどなるべくは見られるくらいの女であってほしいと思った」などの文章が正直過ぎて笑えました。これからの女はハイカラでないと自立しないとと謳ったその口で「監督せんければならん」とか言うんだからその矛盾っぷりもまた! 自然主義文学の幕開けの小説らしいけれど、それにしても男の人の本音がそのまま文章になっているよね。
0投稿日: 2008.10.15
powered by ブクログ昔この本は官能的小説と言われたことがあるが、表面だけを読み取ればそうでもない気がした。 ただ、妻子もちでありながらも時雄のフサコに対する情熱さなどじゃっかん引いてしまう…笑
0投稿日: 2008.09.07
powered by ブクログうわさの「蒲団」しか読んでいません。 蒲団の匂いを嗅ぐことに、性的なモチーフを得ている。 的確だと思います。
0投稿日: 2008.06.18
powered by ブクログ私小説だと思って読むと、田山花袋キライになりますが、同時にここまで赤裸々に綴られていることに好感も持てる。有名な最後の蒲団のくだりは、もう少ししつこく描いて欲しかった。
0投稿日: 2008.01.23
powered by ブクログ蒲団の主人公の気持ちが分からなくもないんです。 蒲団に顔をうずめちゃう気持ちが分からないでもないんです。
0投稿日: 2006.12.08
powered by ブクログ●読んでいるうちに哀れで惨めで、可哀想になってくる主人公。中年男性が読むと、妙に共感してしまうのではないだろうか・・・。 実ることのない師弟関係の恋・・・主人公の先生は、恋人のいる女性を愛してしまい、権力によってどうにかこうにかこちらを振り向かせようとするけれども、結果は悪くなるばかり。遂に強硬手段でライバルを彼女の父親に遠ざけてもらうが、心には虚無感と叶わなかった恋への悲しみが残るばかり。卑怯な手を使わざるを得なかった先生の苦悩を描く。 私は女性の立場なので、彼女は明らかに先生の気持ちを分かっていながらなびくことはしなかったのだと思いますが、そこらへんを信じて疑わない先生は、作者の意図するところだったのかが気になります。
1投稿日: 2004.09.22
