【感想】希望のゆくえ(新潮文庫)

寺地はるな / 新潮文庫
(16件のレビュー)

総合評価:

平均 3.6
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7
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ブクログレビュー

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  • みえすけ

    みえすけ

    失踪した弟希望を探す誠実…希望とはどんな人物だったのか?改めて向き合うと知らない顔が次々と出てくる…ちょっと私には不気味に思えた。書き下ろし短編があり、それが少しだけ救いになった。

    投稿日:2024.05.06

  • maomao

    maomao

    今回は正直合わなかった…。
    登場する親が毒親ばかり。他にも人を見下す男とか、読みながら嫌悪感が増すばかりで、しんどくなってしまいました。

    だけど、こういう親もいるのだろうなと…。
    親に価値観や生き方を押し付けられ、劣等感を植えつけられ、そんな親のもとで育った子どもは自己肯定感が極端に低くなったり、過剰に人の顔色をうかがうようになってしまう。
    何て窮屈でしんどい人生なんだろう…。

    毒親のもとで育った誠実は、見てみぬふりに慣れてしまった大人になる。
    そして今、失踪した弟がどんな人間だったのか知らないことに改めて気づく。
    弟を知る人に話を聞けば聞くほどますます混乱してしまう…。

    『実像とはなんだろう。自分の思う自分こそが実像なのか。人はそんなにも正しく自分の実像をとらえられるものだろうか。外見すら鏡や写真や映像を通してでなければ確認できないのに。』

    確かにその人を一言で表すなんて難しい。
    みんな幾つもの一面を持っていて当たり前。

    最後まで読み終えましたが、個人的に消化不良気味でした。

    今回は私には響かなかったけど、寺地さんの作品は自分では言葉に出来ないモヤモヤした気持ちを言語化してくれる。
    無自覚な気持ちを掬い上げてくれるのでハッとさせられることも多くて好きな作家さんの一人です。
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    投稿日:2024.04.30

  • まっすー

    まっすー

    全ての人間には、紡いできた物語がある。客観的な壮大さや壮絶さに個人差はあるだろうが、当人が感じた感情や痛みはきっとみな等しい。しかし自分が受けてきた苦痛からしかその痛さを推し量ることが私たちにはできない。そんな当たり前で残酷なことに気づく一冊でした。それを乗り越えることができるかどうか、それを問われているような気がします。続きを読む

    投稿日:2024.04.22

  • 屋根裏のリリー

    屋根裏のリリー

    父親から母親へのDVが日常的に行われている家庭で育つとやはりこの柳瀬兄弟みたいな性格になってしまうのかもしれない。

    兄である誠実は見て見ぬふりが得意。見なかったことはなかったことに出来ると思っている。一方弟の希望は相手の要求を何でも「いいですよ」と受け入れてしまう。でも放火犯かもしれない女性に一緒に逃げてと言われて手を取り合って逃げるのはちょっと度を越してるかな。

    弟のことを全くわかってなかったと気付いた誠実だけど、私も姉の事ほとんどわかっていない気がする。子供の頃一緒に過ごしていてもその後の人生で考え方も人となりも変わっていくものなのではないかな。

    文庫化するにあたり書き下ろした短編を読んで希望の前向きな姿を見られたのは良かった。性格て簡単には変えられないけれど変えたいという気持ちはわかるな。
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    投稿日:2024.04.16

  • Karen✲*゚

    Karen✲*゚

    今回もしっかり突きつけられます。わたしの中で、突きつけ系作家男性は朝井リョウ、女性は寺地はるな。しっかり痛いの。でも、これは生きている限り必要な痛みだと思う。
    本作は、主人公不在で進むストーリーから、朝井リョウさんの『桐島、部活やめるってよ』を彷彿とさせます。じっくり、最後の一文まで、しっかりと希望くんとはどんな人物だったのかを考えさせられます。

    p.77 出張の準備は、いつも自分でする。自分のことは自分でやる、そういう自立した夫婦になろうね、と結婚前にふたりで話し合った。
    風呂上がりに下着とタオルとパジャマの用意がされていなかっただけで激怒するような、そんな父のような男になりたくはなかった。箸のありかもわからない、洗濯機の動かしかたも知らない。あまつさえ、それを男らしさの証明であるかのごとく、周囲の人間に声高に話して聞かせる父のような男には、死んでもなりたくない。

    p.84 誠実と希望。よくもまあ、そんな名前をつけたものだ。
    希望。明るい言葉のようでいて、じつはなにもたしかなことはない。先のことはいつだってあやふやだ。すでに何百回と思ったことを、線香をあげながら思う。
    位牌の横の写真の父はにこりともせず、真正面を睨みつけている。実家に来た時まず仏壇に手を合わせるのは「そうしなさい」と子どもの頃に嫌けられたからで、そこに意味はない。故人を敬う気持ちなど微塵もなく、ただ機械的にロウソクに線香をかざし、両手を合わせる。
    「みっともない」という言葉を、父はよくつかった。世間様に対して、みっともない。
    子どもを見ればどんな親かよくわかる、とも言い、だから態はきびしくしろと、妻に命じるような男だった。みずから巣をするのではなく。
    お前らがみっともない真似をすれば俺が恥をかく。父の言う「お前ら」には、母も含まれていた。父の意識は常に家の中でなく、外に向く。「世間様」がせいぜい会社の同僚や近所の数世帯のことだと知ったのはいくつの頃だろう。でもその頃にはもう「みっともなくないこと」が自分の行動規範として染みついてしまっていた。

    p.258-259 弟さんに対する全員の印象がバラバラなのは、それぞれが自分が見たいものを投影してたからなんじゃないでしょうか」
    勝手に期待されて勝手にがっかりされた経験があるでしょ、柳瀬さんあんたにも、という高遠の言葉の意味がわからなかった。
    「どういう意味ですか」
    「やさしい人だと思ってたのに違った、とか、あなたにはがっかり、とか女に言われたことないですか」
    「ああ…・・・・・」
    数え切れないほどあるが、正直に認めるのは熱だ。軽く関堪いをしてごまかす。
    「そういう時に、勝手に期待してんじゃねえよなんて言えるのは「ほんとうの自分はこうだ』ってのがある人間なんでしょうね。俺はこうだ、こういう人間だ、っていう明確なイメージがある。もちろん思いこみの可能性もあるんでしょうけどね。けど弟さんは違う」
    「違う」
    「期待に応えようとしすぎる。たぶん相手の欲しがってるものがわかりすぎるんでしょう。自分には関係ないと無視することもできない」
    俺の息子は十歳で。唐突に高遠の話が変わったが、誠実は黙って話の続きを待った。
    以前は「ガキ」と呼んでいたが、なにか心境の変化でもあったのか。
    息子か。どうやら男子だったらしい。
    「思ったことをそのまま口にするんです。自分の中で順番とか習慣がかっちり決まってて、それを乱されるとパニックになる。クラスの連中にも興味がなくて、顔も覚えられない。当然空気なんか読まない。人の気持ちなんかはなから知ろうとも思ってないみたいに見える。わかりますか?そういう人間がいるってこと」「なんとなくは、わかるつもりです」
    「息子は世間的に「普通じゃない」ってことになってる。生まれた時からずっとはみだし者、邪魔者です。だけど柳瀬さん、あんたの弟さんに比べたらあいつはずっとまともだと思いますね」
    「弟はまともじゃないと言いたいんですか」
    「他人が欲しがってるものをひたすら差し出し続ける人間は、きっとどんどん心が空っぽになっていくんです。自分の意見じゃなくて相手の言ってほしいことを勝手に淡み取って口にするような、他人の欲求を際限なく受け止めようとするやつは、それこ20 そ燃密かなんかの類に思える。気味が悪い」
    弟は妖怪なんかじゃないです、と反論する声が裏返った。すみません、と高遠は肩をすくめたが、申し訳ないとは露ほども思っていなさそうだ。
    「・・・・・・希望は周囲からそんなふうに扱われるのが嫌で、消えたんでしょうか」
    誠実の呟きに、高遠は反応を示さなかった。ぼんやりと壁のほうを眺めている。
    俺は息子が、となかばひとりごとのように高遠が呟いた。
    「あいつがあいつで、ほんとうに良かったと思ってますよ、今は」

    p.284 の希望が、放火犯の疑いのある女性と共に失踪したらしい。
    兄である誠実のもとに、母から突然連絡が入るところから、物語の幕は開く。
    ミステリ、逃避行、果たしてどう転ぶのか。続きが気になりぞくぞくする感情と共に、物語に向き合う覚悟を固める。
    今回、私は何をつきつけられるのだろう。
    寺地はるなは、人間の心の奥にあるものをむきだしにする作家だ。自分では全く意識していなかった、噛いは想像すらしていないものを、彼女の書く物語は洗い出し、
    つきつけてくる。
    寺地作品には、世間から、「変な人」「だめな人」といったレッテルを貼られていたり、抱えている病気ゆえに周囲から理解されづらい行動をしたり、といった人物が多く登場する。
    二〇二一年に刊行された「雨夜の星たち』の主人公は、他人と関わることに不器用で、自分のルールで人生を歩んでいる女性であり、二•二三年本屋大賞にノミネートされた「川のほとりに立つ者は」では、ディスレクシア(発達性読み書き障害)を持つ人物をキーパーソンとして物語が展開する。
    彼らに寄り添う人々や、家族との関係性を描いてゆくというのも特徴のひとつであろう。
    『ガラスの海を渡る舟』には、今作と同じく「きょうだい」が登場する。自分には秀でたものがないと思っている妹と、才能も何も気にならない兄。ふたりの感情が次第に重なってゆく様子が描かれる。
    また河合隼雄物語賞を受賞した「水を縫う」は、世の中の「当たり前」に生きづらさを抱えている人たちの背中を押す家族小説だ。「当たり前」ではないかもしれない、しかし互いを想う気持ちにあふれる家族の姿がそこにはある。
    繊細で職く、鴨つきやすい人間の心の切実さをありのまま描くことで、寺地さんは小説を通して私たちに問いかけてくる。明確な答えは示されない。
    その答えはあなたが感じることだと、強くて優しい筆致が心に投げかける。
    もう知っているように思っていても、この生きづらい世の中で、知られていないこと、知らなかったことはいっぱいある。知ったような気になってはいないかと自分自身を深く見つめ直す機会を、いつも与えてもらってきた。
    今作「希望のゆくえ』は、私たちにどういう問いかけをしてくるのか。一体、なにを洗い出されるのか。つきつけられる怖さを感じつつ、物語に没頭してゆく。

    p.290 希望は、親のいうことをきくことで、価値観を押しつけられ、断ってはいけないという気持ちを植えつけられた、いわゆるアダルトチルドレンだ。
    他人への肯定に常にまわってしまう。期待される言葉を続ぎ出すだけの空つぽな自分。良い息子、すてきな彼氏、いい人、本当は、そのどれでもない。希望はそんな、自分に耐えられなくなって逃げだしたかったのだろう。
    私も考える。自分は人に何かを押しつけ、奪いとっていたことはなかったか。
    先述した真珠貝のシーンを覚えているだろうか。誠実に対する希望の想いが、最後の最後に明かされる。
    「すごいなあ、兄ちゃんは」
    この解説を先に読んでいる読者のために、ここでは詳しく書かないでおくが、その一言に込められた希望の切実さは、痛々しすぎる。
    希望は、兄を馬鹿にしたわけでは決してなかったのだった。むしろ、誠実を羨ましく思い、空っぽな、真珠になれない自分への絶望を口にしていたのだ。
    考えもしなかった希望の想いを知り、誠実は思う。真珠になんか、なれなくったっていいじゃないか。
    その言葉に、花丸をつけて、希望に伝えたい。
    空っぽということは、今から自分で満足できるものや好きなものを詰めこむことができるんだ、という言葉も添えて。
    希望は、体と心が失踪していた。誠実は心が失踪していた。誠実は希望のゆくえを追うことで、自分の心の歪みに目を向け、自分の本当の姿を見つめざるを得なくなった。弟の苦しみを知ることで、弟に今までとは違った感情を覚えることができた。
    しかし希望は失踪以後、実際には誠実の前に登場していない。不在という事実と記憶で、実在を得る。いることで知りえなかったものが、いないことで浮かび上がるこの構成が秀逸すぎる。
    人は名前を付けるとき、願いをこめて名前を付ける。
    「誠実」(まさみ)も「希望」(のぞむ)も、現状ではまったく似つかわしくない。それでも、寺地さんが彼らにこの名前を付けたのには、「失踪した心を見つけることができたその日には、どうか本当の意味で真心のある人間になってほしい。未来に望みがあると思ってほしい」という祈りが込められているのではないかと解釈した。暗闇のなかから光がさしてきた。
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    投稿日:2024.04.11

  • Yoko Furuta

    Yoko Furuta

    付けも付けたり、兄弟の名前が、兄が誠実(まさみ)で、弟が希望(のぞむ)。これだけで、タイトルの意味がガラッと変わります。
    しかも、こんな素敵な名前を付けた両親がまた、なんというか…この父親の酷さはかなり腹が立つ。
    というか、それ以外にも、いろいろな家族関係が語られ。最近よく聞く「毒親」という言葉が浮かびます。個人的には、毒親って言葉、嫌いですが。

    自分も親でもあるので感じるけれど。。。親も人の子、誰かに育てられた時期があり、誰しも育った環境での接した人の影響は受けると思う。でも、生まれながらの性格も絶対あるし。
    例えば、両親が同じように接して育てたつもりでも、兄弟姉妹で、性格が同じになるわけじゃない。
    自分自身も、弟とは全然性格違うし、でも似てるところもあるのかもしれない。今思えば、父はザ・昭和の父親だったなあと思う。けれどそれも、何十年経つと、笑い話になってたりする。

    寺地はるなさんの作品は、まだ3作しか読んでないけれど、とても読みやすい優しい文体ながら、『自分と他人とは違うということ。人それぞれの生きづらさ、その形も種類も違うということ。でも、それを抱えて生きていって良いのだ』ということが主軸になっている気がします。
    やっぱり自己肯定感が低いのって良くないなって思う。(特に日本人はその傾向強いよね)
    私は私が好きで(笑ってもいいです)それは別に、自信があるとかそういうことじゃなくって、だって、自分は自分の人生しか歩けないし、自分を一番愛してあげられるのは自分じゃん、と思うからなのです。

    基本、ミステリー派なので、グイグイと謎解きを楽しみ、本の中に没頭するのが好きな私ですが、そういった作品の合間に、時々差し込むように、寺地はるなさんの作品、これからも読んでいきたいなあ~と思いました。心がふんわりとリセットされる気持ちがします。
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    投稿日:2024.04.11

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