【感想】スマホより読書

藤原正彦 / PHP文庫
(8件のレビュー)

総合評価:

平均 3.6
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ブクログレビュー

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  • わえ(わえ)

    わえ(わえ)

    なぜ日本が昔は素晴らしい国と他国の人々から誉められたのか。
    それは日本人が読書をしていたからだ。
    とにかく筆者は本を読むことにより人間性や判断力を鍛えることが大事であることを強調しており、本を読まない人を強く批判している。
    本を読み教養を深め、人生をより良くしたいと思ったとともに今まで読書をしていなかった自分を恥じた。
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    投稿日:2024.02.18

  • kojisato5555

    kojisato5555

    言っている内容はとても共感できますが、表現が少々過激です。そういうところで嫌悪感を持つ人がいるかもしれません。スマホに限らず、動画や漫画など情報が多すぎるものは想像力が育たなくなるかもしれません。自分も気をつけようと思います。続きを読む

    投稿日:2024.02.11

  • Bikkie

    Bikkie

    『国家の品格』で有名な藤原先生の対談集。主張が明確でわかりやすいし、納得できるところもあるが、現実性がどうかと言われると。。。

    電車の中で皆スマホを見ている、というのはそのとおり。読書は大切だというお話も共感しました。

    「情緒」という視点が新鮮だったので、関連するフレーズを登録しておきました。
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    投稿日:2023.12.17

  • Takeminakata

    Takeminakata

    駅前に書店がないのが許せないのは同感。でも、街中や郊外の大きな書店に通うようになった結果、小さな書店では物足りなく感じてしまう。ふらっと立ち寄った書店でたまたま手にした本との出会い。いいですね。
    それにしても文庫本、高くなったなぁ。本離れはここにも原因があるのでは?続きを読む

    投稿日:2023.11.13

  • ジャス

    ジャス

    子どもの頃からの多くの読書を通し、人として大切なこと(惻隠、謙虚、抑制など)を身に着けることこそが日本をより良くし、ひいては世界をより良くする力になると著者は主張する。小学生からの英語教育、タブレット化による教科書廃止の動きに強い警戒感を抱く著者からの提言が記されている。
    本書は単なる読書論にとどまらず、PC(ポリティカル・コネクトレス)への疑問やグローバル化と新自由主義への批判など、大きな視線での著者からのメッセージが綴られている。
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    投稿日:2023.10.10

  • Go Extreme

    Go Extreme

    スマホより読書 本屋を守れ (PHP文庫)

    一人の人間の生涯における実体験は限られているから、判断力や大局観の中枢ともいえる教養や情緒の獲得は、その大部分を読書に負うている。

    一六九〇年、長崎・出烏に医師として来日したドイツ人医師ケンペルは、「日本には2人の支配者がいる。最高権威の天皇と最高権力の将軍である」と書き、「権戚と権力の分離により、世界では例外的なほどの長い平和を保っている」と看破した。

    1章 国語力なくして国力なし

    独創性も創造性も。皮肉なことに、標語人間とかマニュアル人間ばかりが目につく。自分の頭で考えようとしない人間ばかりが目立つ。私は長年、大学で教えてきましたが、個性なんて、二十年前、三十年前、四十年前の学生のほうがはるかに上でしたよ。
    むしろ、周囲から浮くことを極端に恐れる学生が増え、考え方も画一化されてきたというのが実情です。つまり、ここ二十年あまりの「教育改革」は失敗だった。

    数学をいくらやっても、論理的思考は強化されないんだと。数学が全然できない連中に、議論で負けるんだから。じやあ、どうすれば論理的思考は強化されるのか。それは、国語しかないんだ。論理的思考さえ国語で培うほかない、 ということに気づいたわけです。

    現実社会には、真っ黒も真っ白も存在しない。すべてが灰色です。
    数学は万人の認める公理から出発して厳密な論理を展開しながら進みますが、一般社会での論理に万人の認める公理などありません。一人ひとりがそれぞれの育ちや経験や教養や情緒を映した固有の公理をもっています。そこから出発して黒でも白でもない灰色の論理を用いて進んでいくから、結論も当然ながら灰色となるのです。大半は自己正当化にすぎません。

    フランス人はアメリカ人よりもっと論理ばかりです。イギリスの知識隋級がフランス人を嫌うのはこれが大きいのでは、と私は思っています。

    本当に必要な論理的思考力とは、数学的なものではなくて、言語技術とか表現技術を含む人間としての総合力なんです。人間に対する洞察力とかも求められる。そういうものも含めて現代の日本人には欠けている、それは国語教育にも一因があるのではないか、と思い至るわけです。

    世界中どこにいても人間として信用される人物という意味で「国際人」がありうるとしたら、「四つの愛」が必須条件になると思います。家族愛、郷土愛、祖国愛、そして人類愛。
    英語などよりむしろ、笑的感性、もののあわれ、卑怯を憎む心、懐かしさ、惻隠、名誉や恥といった社会的一文化的な価値に関わる感性・情緒を育てることのほうがはるかに大切なのです。

    とにかく、本の面白さに気づくよう全力を尽くそう、と。結局、本が好きになってしまえば、あとはほとんど国語の勉強なんてしなくていいんです。本を好きになっていろいろ読んでいれば、知識も教養も情緒もおのずと身に付きます。

    日本というのは、ほぼ千年来、武士道精神の国ですよ。その中心的な徳性は、義、勇、仁。義というのは人の道です。「卑劣なる行動、曲りたる振舞い」を憎む心。そこから、正義や誠実といった徳性が生まれる。勇は勇気だから、義を実行すること。

    教養がなければ大局観が於かれない。大局観がなければ、危機にあって、長期的な展望に立った手が打てない。現在の日本の苦境は、まさにそういった構図に陥っています。その後ろに横たわっているのが、活字文化の衰退。

    「個」ばかりを吧えてきた戦後のほうが、さっきもいったとおり、個が埋没してしまった。そして公は育たなかった。要するに、戦後は両方とも育てることに失敗し、明治のころは両方とも育っていた。

    明治時代を引っ張った人びとは、 人間として素晴らしかったのに。彼らは幕末や明治初年に生まれた人びとです。たとえば夏目漱石、森鷗外、南方熊楠、西田幾多郎などがいます。彼らは明治二十年ごろ以降に生まれた人びと、たとえば芥川龍之介、志賀直哉、武者小路実篤たちとはかなり違っています。

    前者は漢籍や武士道精神で育った明治人であり、後者はそういったものを前近代的遺物として軽蔑し、西洋文化を懸命に吸収し、崇拝した人びとです。明治生まれですが大正に活躍した、という点で大正人です。

    前者と後者の劇的な違いは、明治天皇大喪の礼での乃木希嶼将軍自決の際に顕在化しました。自決の報に前者が「明治精神を見事に体現」と感激したのに反し、後者は「愚かしい行為」と嘲笑したのです。

    マッカーサー元帥は若いころ、日露戦争を指導したこれら将星たちに会い、 その立派さに大いに感銘を受けました。ところが、第二次大戦後に東條英機などの将軍たちに会い、「たった三十年で将軍たちの顔がケダモノのようになっていた」と驚いたそうです。

    人間の判断力は、自分の経験を通じても形成されるけれど、いかんせん一人の人間の経験は限られている。そういうなか、唯一、時空を超えさせてくれるのが読書なのだ

    2 読解力急落、ただ一つの理由

    人間の深い情緒は、孤独な時間から生まれます。暇や寂しさを紛らわせるため、スマホゲームに没頭し、ラインやメールのやりとりでせっかくの孤独な時間を台無しにされてしまう。人問にとって最も大事な読書の時間を、スマホという名の麻薬が強奪しているのです。

    「人間は思考の結果を語“菓で表しているばかりではない」ということ。「語彙を用いて思考している」ということです。

    詩や小説や伝記や物語を読み、 貧しい境遇の人びとに共感し心を痛め、大きな志をもって立つことの素晴らしさに胸を打たれ、強者に立ち向かう切気や自己犠牲の美しさ、友情や側隠の情に感激する。こうした経験こそが、人間を人間たらしめる「情緒」を生むわけです。

    グローバル化教育などという愚民化教育を続けていたら、明治時代に英国の詩人マシュー・アーノルドが「地上で天国あるいは極楽に最も近づいている国」と評し、1943年にフランスの詩人ポール・クロ ーデルが「日本人は貧しい。しかし,高貴だ」と評した日本と日本人は、百年後に消えてなくなってしまいます。

    3 読書こそ国防である

    情報もビジネスには必要ですが、大した「知識」にはなりません。情報というのは「知識」や「教養」まで高めなければ使い物にならないのであって、 三者のあいだには隔絶した違いがある。情報を知識、教養にまで高めるには、結局のところ本を読むしかない。

    情報というのは、それぞれが孤立しています。孤立した情報が組織化されて、初めて知識になる。「情報がつながること」が知識であり、さらに
    「知識がつながること」が教養。この段階を歩むことが、教養を高めることの意味です。

    理系の多くは実験なども多く、読書量が足りていません。したがって、たとえ論理的に考えられても大局観に欠けるケースが多い。さらに理系の欠点は、論理で突っ走ること。

    イギリスには日本やアメリカの評論家よりはるかに頭が良く、国益のためならば何でもする狡猾なエリートがたくさんいることを知っています。彼らはイギリスにとって有益だと思えば、何とか理屈をつけて、それまで唱えていた原理・原則などさつさとかなぐり捨てることができる、現実重視派なのです。

    米中はともに誠実とはほど遠い、油断のならない国であることを頭に入れたうえで、友好的に付き合わねばなりません。だからこそ、歴史の本を読まないといけない。日本は近現代史上、頭越しの外交で山ほど痛い目を見ています。

    基本的に隣国というのは仲が悪く、敵同士というのが常識です。だから隣国のさらに向こうの国に目を付け、「敵の敵は味方」の論理で頭越しに外交関係を築く。

    じつは日本の活字離れも、 アメリカの反知性主義の彫郷の表れだと思います。哲学や文学は実利に役立たないから切り捨てる、という功利主義やプラグマティズム(実用主義) が根底にあります。

    かって共和制ローマ期の政治家・キケロは語っています。「本のない部屋は魂のない肉体のようなものだ」と。また、戦前からマルクス主義とファシズムを強く批判しついには東大教授を追われた戦闘的自由主義若の河合栄治郎は、「本は借りるな。買って読め」といいました。読書が人生に与える意義をもう一度、顧みるべきです。

    4 町の書店がなぜ大切か

    世界最大級のエルゼビアに対する数学者そして科学者の果敢な戦いは、「学界の春」とも呼ばれます。口火を切ったガワーズはイートン校・ケンブリッジ大学というエリート中のエリートですが、ケンブリッジ大学にいたころに話したことがあります。

    革命というのは、エリートや指導層が立ち上がらないかぎり実現しません。
    フランス革命もそういった人びとにより指導されました。ロシア革命は健民による反乱だと思われていますが、主導者のレーニンは貴族階級で(物理学者の父がー八八二年、皇帝より貴族の地位を得る) 、トロッキーは豪農の息子でした。

    「ああ、俺は阿修羅のごとく数学に打ち込んでいる。しかし教養のための読書という、人間の最も崇高な営みをサボっている」。
    「この戦いが終わったら、人生に必要な教養を身に付けるべく、文学や歴史を読まないと」という引け目を感じていることが大切です。

    人間の思考というものに線は引けない。。学問分
    野の細分深化により、文理を間わず学者が教襁を失っています。

    私は時代の潮流として、封建制や王政に対するアンチテーゼとして生まれた「自由の拡大」というのはすでに歴史的役割を終えている、と考えています。
    二十一世紀は、少なくとも先進国においてはむしろ「自由の制限」が要請されており、自由を許してはいけない時代なのです。
    グローバリズムやインタ—ネット、それに最近ではチャットジーピーティーなど対話型AIの跋屈に国家が細心かつ勇敢に規制をかけるべきである、と断言します。

    チャットジーピーティーには三つの大きな心配があります。
    一つは、著作権など知的財産権です。
    二つ目は、個人や企業や国家の機密が公になったり、匿名を利用してのフェイク情報、人権侵害、名誉棄損が氾濫しそうなことです。
    三つ目は、チャットジーピーティーには「校閲」がないということで、じつはこれが最も本質的で深刻な懸念です。

    フランスの詩人, 作家のポール・ヴァレリーは、詩作の、つえで重要な点を二つ挙げています。「一つは感動を呼ぶ良い着想や言葉を得ること、もう一つはそれらのなかから最善のものを選択すること」。ある人の「二つのうち、どちらがより重要なのでしょうか」という質問に対し、ポール・ヴァレリ—は「もちろん後者である」と答えました。選択こそが最重要なのです。

    無限イコールゼロ、即、無限とは空であると私は考えています。つまり、「適正に選択されない情報はいくらあっても無価値」ということです。

    日木が世界に誇る数学の天才・岡潔先生は、山凹の多変敏解析函数論の研究に入る前に「蕉門の俳諧をすべて調べなければならない」と悟りました。そして一年余りかけて松尾芭蕉と弟子の俳句を徹底的に研究究したのち、やおら自分の研究に取り掛かり、二十年余りかけて当時のその分野における三大難間といわれたものをすべて解いてしまった。

    岡潔先生の著作を見ると『情緒と創造』『情緒と日本人』のように、情緒が主要テーマになっています。天才数学者の洞察はかくのごとしで、 情緒なくして論理はありません。よく「情緒が何の役に立つのか、論理的思考こそ重要だ」という人がいますが、明らかに欧米人の影牌でしょう。彼らは「論理的かつ合理的に、理性に則って誠心誠意考えれば、必ず正答のゴールに辿り着く」と信じています。しかし、この論理過程には一つ抜け落ちているものがある。「出発点」です。
    出発点の仮説を選択する際、決め手になるのがまさに情緒なのです

    理論と同等かそれ以上に重要な、出発点を選ぶ力が「情緒力」です。日本人の場合は側隠などの情緒や美的感性、卑怯を憎む心、武士道精神に基づく道徳が、私たちの論理の出発点を形づくっている。

    「無教養は恥じゃない」という現実主義や功利主義は、ヨーロッパでは通用しません。ヨーロッパの知識階層では、初対面で相手の文化や教養をテストし、その結果を見て合格者だけを仲間のサークルに入れる、というイヤラシいことを当然のように行なっています。

    岡潔先生はフランス留学中、「文化についていえば、当時の私にはフランスから格別学ぶべきものがあるとは思えなかった」と断言されています。

    私のような自信過剰で傲慢な人間でさえ、パーティでノーベル賞やフィ—ルズ賞の受賞者たちに取り囲まれたりしたときなどには、 近代ヨーロッパの知性に圧倒されかけることがある。
    び「そうだ、俺はあの美しい信州で佐久の草笛を間いて育ったのだ。おまえたちにこの情緒はわかるまい」と再び胸を張り、翌日から欧米人に負けじと阿修羅のごとく研究に励む、ということを繰り返していました。

    トインビーのいったように「人間とは歴史から学ばない生き物」なのです。初等教育の目標はただ一つ、自ら本に手を伸ばす子供を育てることだとわかります。

    5 デジタル本は記憶に残らない

    デジタル本と活字本には本質的な違いがあります。それは「自然に目に入ってくるかどうか」。デジタル本はパソコンや電子端末の内部にあるから、機器を立ち上げてクリックしないかぎり、タイトルや内容を見ることができません。一方、本棚にある本は何もせずとも自然に表紙のタイトルが目に入ってくる、

    わが国が世界の趨勢に追随してしまう理由として、日本人の弱さと共に「謙虚さ」が挙げられます。かつて絲末、明治維新のころは帝国主義の全盛期で、世界の制糊を目論む西欧列強がアフリカや中近東、 アジアを平らげて極東の日本に達した時代です。その際、あろうことかわが国が西欧文明に対して引け目を感じてしまった。とりわけ日本の指導者が、文明開化の波に圧倒されてしまったのが致命的です。

    本来なら、欧米の指尊者を摑まえて「おまえたちは帝国主誰を死ずかしいと思わないのか」と一喝すべき局面だった。武士道精神は卑怯を嫌悪します。その典型である「弱い者いじめ」にすぎない帝国主義や植民地支配、人種差別に対し「弱い者いじめをするな」と諭すべきだったのです。

    日本の型を忘れた人間は根なし草のようなもので、外国からの新しい型にすぐに圧倒されてしまうのです。これらエリートは、大正デモクラシーに圧倒され、次いでマルクス主義にかぶれ、昭和になるとナチズム、 軍国主義に圧倒され、戦後は現在に至るまで、 GHQの「日本は戦争犯罪国」というプロパガンダや、アメリカ金融資本の新自由主義すなわちグローバリズムと、次々に圧倒されました。

    西洋社会において、道徳はもっぱら教会が教えるものです。嘘をついて悪事を働いた者は死後に煉獄へ落とされる、という「恐怖」が道徳の根幹をなしている。しかし日本社会において、道徳はあくまでも家庭の躾けとして学ぶもの。

    罪と罰という面倒な論理ではなく、シンプルに会津日新館の「ならぬことはならぬものです」とか「お天道様が見ている」「汚いことはするな」といったものです。卑怯を憎む心、惻隠、もののあわれなどの美的情緒、といったものこそ他国を圧倒する日本の型というべきものです。

    6 本を読まないアメリカのビジネスマン

    メリカと英国の両方で幕らした経験からいうと、英国人の目から見たトランプ氏は、あたかも本を一冊も読み通したことがない人物のように映ります。アメリカ的なビジネスマンの典型で、無教災な不動谁ー成金。アメリカの小説に登場するビジネスマンは、「本を読むなど時間の無駄だ」という野蛮なキャラクタ—と相場が決まっ ています。

    とくに英国紳士にとってのトランプ氏は、完全に瞇蔑の対象となっている。
    第一の理由は、彼のアメリカ的な言葉遣いにあります。たとえばアメリカ人は「得る」「手に入れる」というとき、何でも ゲットを使いたがる。しかし英国紳士はできるだけこの言葉を避けようとします。

    とくに英国紳上にとって不可欠なものは「教養」だから、いくら大富豪になっても教養がない者は紳士階級に入れない、という伝統があります。したがって歴史的にイギリスでは、成功者で紳士階級に上がりたい者は、まず息子をパブリックスクールへ入れ、教養をつけさせ、息子の代から紳士になれるように努力しました。

    英国紳士がとりわけ忌避するのは,自慢話です。日本でも自慢をする人間は嫌われますが、英国はそれ以上です。自慢は地球上の誰だってしたいのです。いかに日ごろ「自己顕示は卑しい人間のすること」と抑制を利かせているか、よくわかります。

    まさに武士道の瘦せ我慢そのもので、「謙虚」
    を旨としている。派手な物言いや主張で自己顕示を図るのは、英国紳上や日本武士の姿ではない。
    ところが、この「教養」「バランス感覚」「抑制」「謙虚」の四つを見事なまでに欠いているのが、トランプ氏という人物にほかならない。彼は、英国紳士が幼いころから親や教師に「してはならない」と戒められたことを全部やるという、自分たちの価値観に泥を塗る認め難い存在なのです。

    英国は階級社会で、言葉に始まり衣食住、趣味に至るまで「上流および中流の上」とそれ以外で好みが分かれます。「上流および中流の上」はワインやナッツ、ラグビーなどを好む保守党。それより下の階級はビールやフライドポテト、サッカーを好み労働党。しかし「アメリカ的なものを見下す」という一点においては、両者は完全に意見が一致します。
    世界一の富と力を握る国へのやっかみもあるでしょうが、本質はアメリカ人の言動が、英国人の規範であり憧れである「紳士道」に抵触するからではないでしょうか。

    政治家の評価は人間性と一致しないような気がします。アメリカの歴代大統領のなかでも私が最も評価するのは、ロナルド・レーガンです。カウボーイ的発想というか、愚劣としか思えなかった戦略防衛構想を掲げ、ソ連と真っ向から対決した大統領は彼ぐらいですから。無教養で取り柄は甘いマスクと愛妻家というだけの男ですが、冷戦を終わらせるという大功績を立てました。

    英国のエリートが中高等教育で学ぶのは伝統的に、第一に古典・文学の教養、第二に数学を通した論理的思考。そして第三にスポーツを通してのフェア精神( 公正・公平) や忍耐です。英国の統治者として庶民の耽敬を集める振る舞いに努め、戦争においては先んじて前線に立って死を厭わない、という精神(ノブレス・オブリージュ)が身に付いている。

    何がアメリカの中・上流社会をしてトランプ氏を支持させたのか。要因の一つは、 ポリティカル・コレクトネス)です。PCとは容姿や以分、性別、人種、性的指向で差別をしないこと、とされますが、一言でいえば「弱者は正しい」です。本来、強弱と正邪は無関係のはずです。トランプ氏はPCの行き過ぎを自らの野卑な言動でぶち壊すことで、大きな共感を得ました。

    人間の想像力や創造力の源となるのは「孤独」です。たった一人で自分自身と向き合い、本と向き合うことは、他の行為では替えが利かない。孤独を知らず、毎日スマホのメールを分刻みで確認する生活を送っていたら、 沈思黙考のしようがない。孤独なしに情緒の深まることもありません。

    7 日本は異常な国でよい

    私にいわせれば、「国際社会において当然とされていること」などをうっかり真似したら、日本の国柄を損ない、国家の品格を落とす一方です。諸外国に合わせてレベルを落とすのではなく、過去の自国の水準に戻さなければならない。日本は普通の国であってはいけない。断固、「異常な国」であり続けるべきなのです。

    ドイツは十八世紀には300もの領邦に分裂していたため、1807年にはフランスのナポレオンに侵略され、国土の七割を占めるエルベ川以西を奪われた末、巨額の賠償金を支払わされる屈辱を味わわされました。領邦の寄せ集め軍では、フランスの国軍に歯が立たなかったのです。

    念願の統一は1871、ようやく数ある領邦の一つ、 ビスマルク率いるプロシアによって統一されました。この1871年に、日本は廃藩世県や文都省設置などを行ないました。明治維新の日本が制度づくりの参考に西欧を見渡したら、全国の潘を廃し中央政府をつくったばかりの日本と同様、全国の領邦を束ね、統一国家をつくったばかりのプロシアが目に入ったのです。その当時のプロシアは、ヨーロッパの最強国として燦然と輝いていました。そこで日本は学制も軍制もドイツ(海軍はドイツになかったのでイギリス) の真似をすることになったのです

    ところが、日本が真似した当時のドイツ、なかんずく指^ 者層としてドイツを見事に運営していた教握市民層には、大きな問題がありました。きわめて有能でしたが、人口1%ほどの彼らが庶民を見下していたことです。

    国民が二分されてしまっていたのです。古代ギリシアの古典やゲーテやカントなど高尚な文学や哲学以外は学問や文化と認めず、世俗を低く見ていました。—九世紀初めにできたベルリン大学の創設者フンボルトのように、古代ギリシアの「学問, 文学・芸術」をひたすら称揚する半而、古代ローマの「政治, 経済、エ学」の実学を蔑視する考え方がインテリ肘のあいだに定務していました。結果、現実世界から遊離した教養層がどんどんひ弱になっていったのです。

    わが国では、明治中期に生まれ、大正デモクラシーを担ぎ上げた日本のインテリが、このドイツ教養市民网の崇めた哲学や古典をはじめとする西洋の文物に心酔し、跪拝してしまった。それ以降のインテリも同じ幟を踏みました。武士道や情緒など「日本の型」をすっかり忘れ、借り物の思想に流され続けることになったのです。

    現実世界から遊離した教養層は、当然ながら力を失ってきました。日本や西欧の教養人が大戦争を止められなかった最大の原因は、二十世紀になり民主主義が世界の潮流となるなか、教連が現実から遊離した哲学や西洋古典に限られたため、政治を担うこととなつた一般国民にまで、教養が広がらなかったことにあります。

    固たる日本人としての根をもたないと、新しい主表主狼が海外からやって来るたびに、いとも簡単に圧倒されてしまう。世界を見渡し、右顧左峽してしまう。根無し草の悲しい運命です。現在、日本のリーダーたちや知識人の多くはこういった人々です。

    『国家と教養』の最終章で、ロシアの劇作家アントン・チェ—ホフの名言を引用されていますね。「書物の新しい頁をー頁、二頁読むごとに、私はより豊かに、より弥く、より高くなっていく」。

    人は何歳であっても、良書を読むことで瞬時にもう一段、高い境地に達することができるのです。自らの人生に足りない経験を補い、新しい世把に導いてくれる本の価値を味わうことなしに人生を終えるのは本当にもったいない。寿司もギョーザも食べないで人生を終えるようなものです。

    命尽きる鼓期の一分- 秒まで己を高め続け、前のめりにたおれる。これが人間としての理想の死に方でしょう。「本に埋もれて死ね」がわが家のモットーです。

    人間は、いくつになっても読書により向上をめざすべきだと思います。遅すぎることはありません。数年前の正月でしたが、近所にある真宗の寺の入口にかかった黒板に書かれていた、感動的な言葉を思い出します。「これからがこれまでを決める」。未来が過去を決める、という東洋的で深遠な哲学です。私はこれを座右の銘にしています。

    8 国家を瓦解させる移民依存政策

    イギリスのケンブリッジ大学の入試に携わったとき、地方の公立高校の生徒は有名パブリックスクールの生徒より多少、点数が低くても合格させることを知って、感銘を受けました。不利な教育環境下でそれだけの点を取った潜在能力を評価するという意味で、公平・平等一辺倒の入試より深く多面的に人間を見ています。

    日本も他のすべての国々も同様に、グローバリズムからの緩やかなる離脱を試みるべきです。世界中のすべての国が、すべての地方が、それぞれの特色や伝統を大事にすることが大切です。無節操な移民政策により、世界中が特色を失った、のっぺりした一様な風景になることは悪夢中の悪夢なのです。

    岡先生の頭の中にあったのは「思いやりをなくしたら人類は滅んでしまう」という強い危機感です。岡先生は、著作やからで「日本民族は人類を滅じから救う」「西洋文明の代りに日本文明を起こそう」と繰り返し述べています。右翼の演説ですね。

    大学生だった私もそう思いました。でも近ごろはなぜ彼があのようなことを訴えたのか、わかる気がします。世界が「人の人たるゆえん」である側隠の情を失い、バランス感覚を喪失するなかで、ひとり、日本の武士道精神だけが屹立している。これが世界の現状です。

    岡先生は、数学を研究する前に松尾芭蕉の俳諧や本居宣長の「もののあはれ」を探究しました。
    「西洋文化など日本文化の深さに比べれば大したことはない、という気概で数学研究に取り組み、三大雄問を解決した。アインシュタインもユダヤ文化に対する誇りで相対性理淪を発見したにちがいない」という趣旨のことを書かれていました。

    日本は道徳、教育、文化、科学、芸術において紛れもなく世界のフロントランナーです。ただし、先頭を走る者にはつねに孤独が伴います。何周遅れかで前に見えるランナーに目を奪われてはいけません。「失われた美風」の再建に全力を挙げるべきなのです。

    日本の最大の強みは、伝統的に庶民に至る分妃い教養層です。そして教養を培うには読書以外にない。
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    投稿日:2023.09.17

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