【感想】コーヒー1杯分の時間で読む「教養」日本史

佐藤四郎 / 学研
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    コーヒー1杯分の時間で読む「教養」日本史

    01 旧石器時代〜古墳時代
    日本列島とユーラシア大陸が陸続きだった氷河時代,マンモスなどの大型動物を追って渡来した人びとが日本に住み始めた。
    当時の人びとは狩りや植物の採集をして移動しながら暮らしていた。
    その後,縄文時代には土器が使われ定住生活が始まり,弥生時代には稲作が広まって人びとの間には身分の差が生まれた。
    古墳時代になると,王や有力者の墓として古墳がつくられた。
    この章では,旧石器時代から古墳時代にかけての人びとの生活の変化や大陸とのつながりなどについて学んでいく。

    01 人類の誕生と日本のあけぼの
    約1万年前に氷河時代が終わり温暖化が始まって,人類の文明が発展した。
    岩宿遺跡で打製石器が見つかり,日本に旧石器時代があったことが明らかに。
    綢文時代は食料が豊かになり,食料の保存や煮炊きに縄文土器が利用された。

    02 貧富の差が生まれた弥生時代
    弥生時代は稲作が広まり,収穫した稲は高床倉庫に貯蔵した。
    弥生土器は薄くて熱伝導が良く,米の煮炊きに適したものだった。
    余剰生産物などをめぐって厶ラ同士の争いが起こり,小さなクニ(国)が誕生。

    03 邪馬台国は結局どこにあった
    『漢麥』地理志から,日本は倭と呼ばれ楽浪郡に朝貢をしていたことがわかる。
    『後漢書』東夷伝から,奴国の王が後漢に使者を送ったことがわかる。
    「魏志」倭人伝から,卑弥呼を女王とした邪馬台国の様子がわかる

    04 古墳はヤマト政権の王や豪族の墓
    3世紀中頃〜後半にヤマト政権が成立し,勢力を広げる。
    大仙陵古墳などの古墳がつくられる。墳丘上に円筒埴輪や形象埴輪が置かれた。
    ヤマト政権の王(倭の五王)が中国の南朝の皇帝に使者を送る(朝貢)。

    05 ヤマト政権が整備した「氏姓制度」
    渡来人によって須恵器や機織りの技術,儒教や仏教が伝来。
    氏姓制度では,臣や連の姓の長である大臣や大連が中央政府の中枢を担う。
    地方は国造がリーダーとなり,その下に県主・稲置がつく。

    2 飛鳥時代~奈良時代
    厩戸王(聖徳太子)が小野妹子らを遣隋使として派遣して以降,日本は隋や唐から進んだ制度や文化を取り入れようとしてきた。
    律令国家を目指して,唐の律令に学んで大宝律令をつくり,唐の都であるちょうあんにならって平城京が築かれた。
    大陸とのつながりや交流は,飛鳥文化や天平文化の中にもみられる。
    その一方で,民衆は租・調曲などの税を負担し,
    苦しい生活から浮浪したり逃亡したりする者もいた。
    この章では,東アジアの国々とつながりをもちながら,どんな改革が行われ律令国家が形成されていったのか見ていこう。

    06 中央集権国家を目指した厩戸王
    蘇我馬子と厩戸王(聖徳太子)は天皇中心の中央集権国家を目指した。
    ’冠位十二階や憲法十七条を制定し,中国に遣隋使を派遣した。
    仏教中心の飛鳥文化には,中国の文化や西方の文化とのつながりがみられる。

    07 律令国家への歩みを進める
    中大兄皇子と中臣鎌足は乙巳の変で蘇我氏を減ぼし,大化の改新を始める。
    白村江の戦いでの敗北後、防人や蜂がおかれ,水城や大野城などが築かれた。
    天武天皇は八色の姓を定め,持統天皇は飛鳥浄御原令を施行し藤原京に遷都。

    08 大宝律令により律令国家がほぼ完成
    中央には神祇官と太政官がおかれ,太政官のもとで八省が政務を分担。
    地方には国.郡・里がおかれ,国司・郡司・里長が任じられた。
    班田収授法により6歳以上の男女に口分田を班給,死ぬと国に返す。

    09 平城京遷都で奈良時代が始まる
    遣唐使の吉備直備や玄昉は帰国後に政界で活曜。阿倍仲麻呂は唐で重用される。
    710年,元明天皇が平城京に邁都。市が設けられ,和同閲弥が流通した。
    '国司の地方統治の拠点は国府(国衙),郡司の統治拠点は郡家(郡衙)。

    10 仏教の力で国家を安定させよう!
    藤原不比等が天企家との結びつきを強める。藤原氏はその後一時弱体化。
    聖武天里は諸国に国分寺と国分尼寺,奈良の東大寺に大仏をつくる。
    藤原仲麻呂は権力を独占して大師(太政大臣)となるが,その後、滅ぼされる。

    11 初期荘園が成立し,公地公民が崩れる
    掘立柱住居が普及。山上憶良が農民の厳しい暮らしを貧窮問答歌に詠む。
    723年に三世一身法,743年に墾田永年私財法を出して開墾をすすめる。
    貴族,寺院や地方豪族が私有地を拡大し,初期荘園が成立。

    12 正倉院はシルクロードの終着点!?
    奈良時代に栄えた天平文化は,唐文化の影響が強く国際色が豊か。
    歴史書の『古事肥』や『日本書紀』,歌集の『万葉集』などが編纂された。
    行基は大仏造営に協力。唐の高僧鑑真が受戒の作法を伝え,唐招提寺を開く。

    3 平安時代
    平安時代の都・平安京では,一部の貴族が政治を動かした。
    とくに藤原氏は自分の娘を天皇の后にするなどして天皇家とのつながりを深め,大きな力をもった。
    藤原道長や藤原頼通がその代表である。
    貴族は広い屋敷に住んで,華やかな暮らしを送った。
    宮廷に仕えた紫式部や淸少納言が優れた文学作品を残し,日本人の感情や晤好,日本の風土に合った国風文化が栄えた。
    この章では,平安時代の貴族の政治や暮らし,文学や仏教などの文化について学んでいこう。

    13 平安時代の幕開け
    桓武天皇は都を長岡京,ついで平安京へと遷都。勘解由使を設け,健児を採用。
    征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂は报夷の指導者阿瑾流為を屈服させる。
    嵯峨天皇は裁人頭や検非違使を設け,弘仁格式を編纂した。

    14 藤原氏による摂関政治が全盛期に
    藤頭良房は臣下初の摂政になった。藤原基経は関白の政治的地位を見せつける。
    彼醐天皇.村上天皇は親政をおこない,「延喜・天歴の治」と呼ばれる。
    摂関政治は藤原道長・藤原頼通父子の頃に全盛を迎える。

    15 日本人の感情や嗜好にあった国風文化
    国風文化が栄え,かな文字が発達した。『源氏物語』や『枕草子』などの作品。
    浄土教が末法思想によりさらに強められた。平等院鳳凰堂などが建立された。
    貴族の住宅は寝殿造で,障子などには大和絵が描かれた。

    16 荘園と公領からなる荘園公領制
    受領は田堵に負名として耕作を任せ,官物と臨時雑役を課した。
    寄進地系荘園が生まれ,不輸や不入の特権を得る荘園も増えた。
    ‘延久の荘園整理令を出し,記録荘園券契所を股けた。荘園公領制が成立。

    4 院政~鎌倉時代
    武士(兵)が登場したのは平安時代の中ごろ。
    やがて武士団が形成され,勢力を強めたのが源氏と平氏だった。
    平氏は政権をとったものの,その専制政治に不満が高まり,源頼朝らが兵を挙げ,平氏は源氏によって滅ぼされた。
    源頼朝が開いた鎌倉幕府では,将軍と御家人が御恩と奉公の関係で結ばれ,朝廷勢力の反乱や元軍の艘来に立ち向かった。
    この章では,白河上皇が始めた院政や平清盛の政治,鎌倉幕府のしくみや鎌倉文化について見ていこう。

    17 武士の台頭と院政の始まり
    武士が現れ,一族や郎等などの従者を率いて武士団を形成するようになった。
    朝廷や行族は,平将門や藤頂純友の反乱の顏圧で武士の実力を知り彼らを侍に。
    白河天皇は譲位した後も上皇(院)として政治の実権を握る院政を始めた。

    18 平氏の政治は藤原氏に類似!?
    平清盛は保元の乱.平治の乱で勝利し,武士初の太政大臣となって権力を握る。
    平氏の経済力の基盤は知行国や多くの荘園,日宋貿易の利益だった。
    絵巻物が発展し,『源氏物語絵巻』や『鳥獣人物戯画』などが描かれた。

    19 源頼朝による鎌倉幕府の誕生
    挙兵した源頼朝は,弟の源義経らを派遣して壇の浦の戦いで平氏を滅ぼす。
    源頼朝は守護・地頭を任命する権利などを獲得し,武家政権の鎌倉幕府が成立。
    将軍と御家人は,御恩(本節安堵や新恩給与)と奉公の関係で結ばれる。

    20 執権として実権を握った北条氏
    北条氏は執権の地位を不動のものにし,政治の実権を握るようになった。
    承久の乱で幕府は後鳥羽上皇の兵を破り,その後京都に六波羅探題をおいた。
    3代執権北条泰時は連署を設けて評定衆を選定。御成敗式目も制定した。

    21 元軍の襲来に応戦する日本
    元軍が文永の役・弘安の役と2度にわたり九州北部に襲来(モンゴル襲来)。
    北条氏嫡流当主の得宗や御内人による得宗専制政治がおこなわれるようになる。
    幕府は困窮する御家人を救うために永仁の徳政令を出したが効果は一時的。

    22 人びとの心のよりどころとなった新仏教
    「南無阿弥陀仏」の念仏をとなえて阿弥陀仏にすがる浄土宗や浄土真宗。
    「南無妙法蓮華経」の題目をとなえる日連宗,坐禅を組み自ら悟りを開く禅宗。
    琵国法師が語り伝えた『平家物語』。運慶らによる東大寺南大門金剛力士像。

    5 建就政権〜室町時代
    鎌倉幕府をたおした後醍醐天皇が始めた天皇中心の新しい政治は武士の反感を買い,2年ほどで失敗に終わる。
    新たな天皇を立てた足利尊氏が幕府を開き,室町時代が始まった。
    室町時代には貴族の文化と武士の文化が混じり合い,現在まで続く能が大成され,能の合間には狂言が演じられた。
    将軍のあと継ぎ争いなどから応仁の乱が起こると
    戦国時代が幕を開け,下剋上の風潮が広がった。
    この章では,後醍醐天皇による建武の新政から室町幕府のしくみや文化,戦国大名の台頭について学んでいこう。

    23 武士の政治を否定した建武の新政
    幕府への御家人の反発が強まる中、後醍醐天皇を中心に倒幕の動きがおこる。
    足利高氏が六波;羅探題を攻め落とし,新田義貞が鎌倉を攻めて鎌倉幕府は滅亡。
    後醍醐天皇は建武の新政で天皇中心の政策を進めるが,武士は抵抗しはじめた。

    24 「花の御所」で政治をおこなった足利義満
    南北朝の動乱が始まる。北朝側は足利尊氏が征夷大将軍となり室町幕府を開く
    3代将軍の足利義満が南北朝の統一を実現。花の御所で政治をおこなう。
    管領は将軍を補佐した。領国には守護代,東国を支配する鎌倉府もおかれた。

    25  勘合で貿易船をチェックした日明貿易
    3代将軍足利義満は日明(勘合)貿易を開始。倭寇対策として勘合を用いた。
    朝鮮半.島では李成桂が朝鮮を建国。朝鮮は対馬の宗氏を通じて日朝買易を統制。
    中山王尚巴志は,都を首里として琉球王国を建国。中継貿易により繁栄した。

    26 応仁の乱と下剋上の始まり
    自治的な惣が誕生し,寄合を開いて惣捉を決める。一揆を結んで実力行使した。
    8代将重足利義政のときに応仁の乱が起こり,戦国時代が始まった。
    下の身分の者が実力で上の身分の勢力を打ち倒す下剋上の風潮が広がる。

    27 金閣や能などの文化が咲き誇る室町時代
    二毛作や三毛作が普及。定期市の回数が増え,土倉・酒屋が高利貸業を営む。
    足利義満の頃に金閣に代表される北山文化。観阿弥・世阿弥が能を完成した。
    足利義政の頃に銀閭に代表される東山文化。和風建築のもととなった書院造。

    28 時代は戦国の乱世へ
    領国を支配する戦国大名が迎場。上杉謙信や武田信玄,毛利元就など。
    貢高にみあった軍役を負担させる貫高制を採用。独自の法の分国法も制定した
    門前町が繫栄し, 寺内町も各地に建設。堺や博多の港町も栄えた。

    6 安土桃山~江戸時代
    織田信長は天下統一を目指したが志半ばでたおれ,それを引き継いだ豊臣秀吉によって達成された。
    織田信長と豊臣秀吉の統一事業と桃山文化について見ていこう。
    秀吉が亡くなったあと,天下分け目の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が江戸幕府を開く。
    太平の世を築いた徳川政権だったが,ペリーが率いる黒船の来航で歴史は一気に動き出す。
    この章では,江戸幕府のしくみやさまざまな政治改革,江戸時代に発達した産業や交通,文化や学問についても学んでいこう。

    29 鉄砲をいち早く取り入れた織田信長
    種子島に鉄砲が伝わる。フランシス=ニザビエルが鹿児島にキリスト教を伝える。
    織田信長は桶狭間の戦いや長篠の戦いなどで勝利。室町幕府も滅ぼす。
    安土城下で商業活動を活発にするために楽市令を発布。本能寺の変で自害した。

    30 戦国時代を終わらせた豊臣秀吉
    豊臣秀吉は関白となり,朝廷の権威も利用しながら全国統一を果たす。
    刀狩令の発布と太闇検地の実施などの政策で町分の区別が明確に(兵農分離) 。
    二度にわたる朝鮮出兵(文禄の役・慶長の役)に失敗し,大きな打撃を受ける。

    31 豪華絢爛な桃山文化
    桃山文化が繁栄。城は壮麗な天守閣をもち、襖や屛風に濃絵や水墨画の障壁画。
    干利休は茶道を確立した。出雲阿国による阿国歌舞伎も人気を博した。
    宣教師の来日で南蛮文化が緊栄。活字印刷術が伝えられ、キリシタン版が刊行。

    32 太平の世を築いた徳川家康
    徳川家康は関ヶ原の戦いに勝って江戸幕府を閲く。大坂の陣で豊臣氏を滅ぼす。
    武家諸法度を制定し大名を統制する。3代将軍徳川家光は參動交代を制度化。
    大名は親藩.譜代,外様に分けられる。幕藩体制で全国の土地と人民を支配。

    33 苗字や帯刀などの特権をもった武士
    禁中並公家諸法度で朝廷を統制,寺院法度や本末制度で寺院を統制した。
    武士は支配身分で苗字・帯刀の特権。被支配身分は百姓ー職人・町人など。
    村の中心は名主・組頭.百姓代からなる村方三役。五人組の制度もあった。

    34 キリスト教を厳しく禁じた江戸幕府
    江戸時代初めに朱印船貿易がさかんで東南アジアに日本町ができた。
    幕府は禁教令を発布。島原の乱後は踏み絵の強化や宗門改めをおこなう。
    朝鮮から通信使、琉球からは慶賀使・謝恩使が派遣された

    34 キリスト教を厳しく禁じた江戸幕府
    保科正之が4代将軍徳家綱を支える。学問や礼節を重んじる文治政治へ転換。
    5代将重徳川綱吉は儒教を重視し湯島聖堂を建て,生類憐みの令を発布した。
    6代・7代将軍の時代に、新井白石と間部詮房による正徳の政治がおこなわれる。

    36 交通網や大都市が発達した江戸時代
    陸上交通では五街道,海上交通では東廻り海運・西廻り海運などが整備された。
    商業では十組問屋や二十四組問屋がつくられた。
    農業では農具の改良や商品作物の生産が広がった。
    江戸は「将軍のお膝元」。大坂は「天下の台所」で諸藩の蔵屋敷がおかれた。

    37 新興の町人が生み出した元禄文化
    上方を中心に元禄文化が栄えた。井原西鶴の浮世草子,菱川師宣の浮世絵版画,松尾芭蕉の蕉風俳諧、近松門左衛門は歌舞伎や人形浄瑠璃の脚本を書く
    幕府や藩は朱子学を重視。孔子や孟子の真意に直接立ち返ろうとする古楽も誕生。

    38 財政難に立ち向かう徳川吉宗の享保の改
    8代将!II徳川吉宗が享保の改革を実施。大岡忠相など有能な人材を登用した。
    上げ米で大名に米を臨時に上納させるかわりに参勤交代での負担を軽減。
    裁判や刑の基準を定めた公事方御定書。目安箱を設置し庶民の意見を聞く。

    39 飢饉が多発する江戸時代
    代表者が要求をまとめて直訴する代表越訴形一揆,村民集団による惣百姓一揆。
    享保の飢饉や天明の飢饉などがおこり多くの饌死者が出て,打ちこわしも多発。
    田沼意次は株仲間の結成をすすめ営業税を徴収。賄賂の橫行などで龍免された。

    40 読み・書き・そろばんを学んだ寺子屋
    一般庶民に読み書きそろばんを救える寺子屋,藩士らの教育を担う藩校が設立。
    俳諧で与謝蕪村が活跟。川柳や狂歌もさかん。鈴木春信により錦絵が描かれた。
    蘭学では杉田玄白らが『解体新書』,国学では本居宣長が『古事記伝』を出版。

    41 厳しすぎて反感を買う寛政の改革
    松平定信による寛政の改革。出稼ぎを制限し米殺を蓄える社倉・義倉を設置。
    ほかにも聖堂学間所での朱子学以外の講義・研究を禁じる寛政異学の禁を発布。
    外国柏が接近するようになったため,その撃退を命じる異国船打払令を発布。

    42 大塩の乱と天保の改革
    徳川家斉による大師所政冶.人保の飢僅が発生し,大塩の乱が起こる.
    老中水野忠邦による天保の改革・株仲間を解散させたがかえって流通は混乱
    江戸・大坂周辺を直轄地にしようと上知令を出すが明代大名らに反対ざれ失敗

    43 薩長土肥などの雄藩の台頭
    二宮尊徳や大原幽学が環村の復興をはかる。工場制手工業も始まる。
    寛政の改革の頃に藩政改革。米沢藩の上杉治憲らは名君と呼ばれ,藩校が設立。
    天保期の頃には藩政改革に成功した雄藩(薩長土肥など)が台頭した。

    44 ゴッホにも影響を与えた日本の浮世絵
    交化・文政期頃に庶民や町人が担い手となって化政文化が栄えた。
    徳川斉昭を中心に学者が尊王攘夷論を説く。緒方洪庵の適々斎塾などの私塾
    『富嶽三十六景』の葛飾北斎、『東海道五十三次』の歌川広重らの風景画が普及。

    45 黒船が浦賀にやってきた!
    ペリーが開国を求めて浦賀に来航。老中首座阿部正弘は安政の改革を実施した。
    1854年に日米和親条約を結び,下田.箱館を開港して日本は開国した。
    1858年に日米修好通商条約を結んで貿易を開始。この条約は不平等条約だった。

    46 幕末の動乱と江戸幕府の終焉
    大老井伊直弼は安政の大獄で反対派を処罰したが,桜田門外の変で暗殺された。
    長州藩と暁廉薄は攘夷の不可能を知って倒幕へ向かい,薩長連合を密約した。
    15代将軍徳川慶喜は大政奉退を上表。朝廷は王政復古の大号令を発する。

    7 明治時代
    明治政府は欧米諸国に負けない力をつけるため,
    「富国強兵」を掲げて,三大改革を行い殖産興業に力を入れた。
    都市を中心に文明開化の動きが起き,人びとは西洋風の髪型にして,街中にはれんがづくりの建物が増え,鉄道馬車や人力車が走った。
    力をつけた日本は清やロシアとの戦争に勝利し,
    江戸時代末期に結ばれた不平等条約の改正にも成功する。
    こうして日本は列強の一員となったのである。
    ここで挙げたことのほかにも,大日本帝国憲法の制定や議会の開設,産業革命や社会問題などについても見ていこう。

    47 近代国家を目指した明治新政府
    明治新政府は五箇条の誓文で政治の基本方針を示す。民衆向けには五榜の掲示。
    中央您備化のために版籍奉還,のちに廃藩置県をおこない府知事.県令を派遣。
    教育では学制,軍事では徴兵令を公布。税収の安定のために地租改正をおこなう。

    48 「ザン切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」
    富国強兵を目指して殖産興業に力を入れる。官営模範工場の富岡製糸場を建設。
    都市部を中心に狀米文化が流入し、伝統的な生活や思想が変化した(文明開化)。
    岩倉具視を大使とする岩倉使節団は不平等条約の改正交渉に失敗した。

    49
    国会の開設を求めて自由民権運動が始まる
    板垣退助らが民撰議院股立の建白書を政府に提出して自由民榷運動が始まる。
    I881年の開拓使官有物払下け事件をきっかけに政府は10年後の国会開設を公約。
    東日本各地でそうじょう事件が起こる中、自由民権運動はしだいに衰退していった。

    50 アジア初の立憲制国家の誕生
    1889年2月11日に大日本帝国憲法が発布された。欽定憲法で天皇は国家元首。
    帝国議会は貴族院と衆議院の二院制。法律の範囲内で権利や自由を認められた。
    第一回帝国議会では民党が衆議院の過半数を占め,藩閥政府支持の吏党は少数派

    51 不平等条約の改正と日清戦争
    陸奥宗光が領事裁判権の撤廃,小村寿太郎が閲税自主権の完全回復を実現した,
    1894年,甲午農民戦争をきっかけに日清戦争が勃発し日本が勝利した。
    1895年に下関条約を締結。この条約で得た遼東半島は三国干渉により返還。

    52 大国ロシアとの戦いが勃発
    政府と政党が提携する。第2次山縣有朋内閣は選挙権資格の納税額を引き下げ。
    日清戦争後,列強が中国進出。外国勢力を追い払おうと義和団事件などが起こる。
    1904年,日露戦争が勃発。ポーツマス条約では賠償金を得られなかった。

    53 帝国主義国としての動きを強める日本
    桂太郎と西園寺公望が交互に政権を担う桂国時代。社会主義者らを大規模弾圧。
    1910年に韓国併合条約を結んで韓国を日本領に。朝鲜総督府をおいた。
    中国満洲への進出を本格化。半官半民の南満洲鉄道株式会社を設立した。

    54 日本の産業革命は軽工業から重工業へ
    紡績業や製糸業などの軽工業から産業革命が始まる。世界最大の生糸輸出国に。
    重工業では官営の八幡製鉄所が操業開始。足尾鉱毒事件などの公害が発生した。
    労働者が待遇改善を求める。政府は治安警察法で団結権・ストライキ権を制限。

    55 日本の近代文学を生んだ時代
    義務教育の就学率が高まり,教育勅語で忠君愛国が強調された。
    森鴎外,与謝野晶子,夏目漱石など,多くの近代文学が生まれた。
    岡倉天心とフェノロサの尽力で,東京美術学校が設立された。

    8 大正〜昭和時代
    笑一次世界穴めで日本は好景気となり重化学工業が発達した。
    しかし,大场が終わると不況となり,関東大震災で大打撃を受け,世界恐慌の影密から日本経済はどん底に陥る。
    これを打閲しようと大陸へ勢力拡大をはかった日本は,戦争への道を突き進むこととなった。
    人びとの生活は厳しく統制され,戦況が劣勢になると,本土への空襲や原爆の投下で多くの人が犠牲になった。
    ここでは,世界の動きに伴う日本の政治や経済の変化,日中戦争や太平洋戦争の背景や経過について学んでいこう。

    56 国民の団結で内閣が総辞職した大正政変
    第2次西回寺公望内閣が成立したが,財政難から陸軍の兵力増員要求を拒否。
    「閥族打破・憲政擁護」をスローガンとする第一次護憲運動が全国に広がる。
    国民の団結で内閣を総辞職させた大正政変で国民の政治への意識は一層高まる。

    57 第一次世界大戦で日本は好景気に
    サラエボ事件をきっかけに、同盟国と連合国による第一次世界大戦が勃発。
    日本は中国に二十ー力条の要求を通告。アメリカと石井・ランシング協定締結。
    ロシア革命がおこり世界初の社会主義国家が誕生。日本は大戦景気を迎える。

    58 自由主義・民主主義的な風潮の大正デモクラシー
    米騒動が拡大。寺内内閣は総辞職し,本格的な政党内閣の原敬内閣が発足した。
    吉野作造が唱えた民本主義は,大正デモクラシーの普及に大きな影響を与えた。
    社会運動が活発化,平塚らいてうや市川房枝らは新婦人協会を設立した。

    59 大戦後のアジアの民族運動と国際協調の高まり
    第一次世界大戦が終わり,パリ講和会議でヴェルサイユ条約が結ばれた。
    中国では反日国民運動の五・四運動,朝鮮では三・一独立運動が起こった。
    軍縮や国際協調のためワシントン会議でワシントン海軍軍備制限条約を締結。

    60 第二次護憲運動と男子普通選挙の実現
    立憲政友会・憲政会・革新俱楽部の護憲三派が第二次護憲運動を起こした。
    満25歳以上の男性に退挙権を認める普通選挙法が成立。同年治安維持法も成立。
    立憲政友会か憲政会の総裁のどちらかが内閣を組織する「憲政の常道」となる。

    61 大衆文化が誕生した大正〜昭和初期
    1925年にラジオ放送が開始。都市では俸給生活者だけでなく,職業婦人も増加。
    志賀直哉らの白樺派,谷崎潤一郎らの耽美派,芥川龍之介らの新思潮派。
    労伽者を描いたプロレタリア文学では小林多莊ニらが活躍した。

    62 日本経済は恐慌つづきの時代を迎える
    日本は戦後恐慌となり,金融恐慌も発生。田中論ー内閣はモラトリアムで対処。
    中国へは强硬路線に向かい,関東軍が独断で張作胃爆殺事件を起こした。
    浜口雄幸内閣は緊縮財政を実施するものの,世界恐慌の最中で昭和恐慌となる。

    63 政党政治が途絶えた五・一五事件
    関東軍は満洲事変を起こし満洲の大部分を占領して満洲国の建国を宣曾した。
    ‘五・一五事件で犬密殺首相が暗殺され、政党内閣の時代が終わる。
    ニ・二六事件をきっかけに軍部の政治的発言力がさらに強まった。

    64 日中戦争に突き進む日本
    慮溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発。中国側は第2次国共合作で対抗した。
    議会の承認なしに労働力や物資を戦争に助員できる国家総動員法が制定される。
    第二次世界大戦が開戦。日本は不介入だったが,近衛文麿は新体制運動を提唱。

    65 太平洋戦争と日本の降伏
    日独伊三国同盟や日ソ中立条約を締結。アメリカなどはABCD包囲陣で対抗。
    陸軍が英領マレー半島,海軍がハワイ真珠酒を奇襲して太平洋戦争が開戦した。
    アメリカによる顕爆投下やソ連参戦により日本はポツダム宣言を受諾し降伏。

    9 戦後〜現代
    敗戦後の日本は連合国軍に占領され,その指示のもとで民主化のための政策が行われることとなった。
    サンフランシスコ平和条約の発効で独立を回復した日本は,ソ連(ロシア)や中国,韓国などとの関係回復にも努める。
    1950年代半ばからの高度経済成長で国民の生活水準が向上し,石油危機を乗り越えた日本は経済大国となった。
    戦後の日本と世界の動きや政治体制の変化などについて学びながら,現代の日本が抱える課題について考えてみよう。

    66 敗戦から立ち上がる日本
    GHQによる間接統治。最高司令官のマッカーサーは五大改革を指示した。
    出地改革により自作凝が大幅に増加。労働三法や教育基本法が制定された。
    選挙権が満20歳以上の男女に与えられた。日本国憲法が公布・施行される。

    67 冷戦の開始と日本の独立回復
    冷戦が始まり,両陣営は北大西洋条約機構・ワルシャワ条約機構をそれぞれ結成し対立した。
    中国では中華人民共和国,朝鮮半島では北部に北朝鮮,南部に韓国が成立した。
    サンフランシスコ平和条約で日本は主権を回復。同時に安保条約も結ばれた。

    68 自民党と社会党による55年体制
    米ソ対立の「雪どけ」。アジア=アフリカ会議で「平和十原則」が決議された。
    日本社会党の統一,自由民主党の結成で55年体制が成立。以後40年近く続く。
    岸倡介内閣は新安保条約を結んだ。学生・市民らによる60年安保闘争が起こる。

    69 「もはや戦後ではない」高度経済成長
    池田勇人内閣が国民所得倍増を掲げる。佐藤栄作内閣のときに沖縄が日本復帰。
    1955年から高度経済成長が始まる。国民総生産は資本主義国で世界第2位に。
    四大公害拆餘がおこる。国は公害対策基本法を制定し,環境庁を設置した。

    70 石油危機を乗り越え経済大国になった日本
    田中角栄内閣は日中共同声明に調印して中国との国交正常化を実現した。
    第4次中束帔争をきっかけに第1次石油危機が発生。高度経済成長が終わる。
    石油危機を乗り切った日本は安定成長に。貿易黒字の拡大で貿易摩擦が発生。

    71 バブル経済と冷戦終結
    1980年代後半株価・地価が急騰しバブル経済に。牛肉・オレンジの輸入自由化。
    マルタ島会議で米ソ首脳が冷戦の終結を宣言。東西ドイツは統一、ソ連は解体。
    PKO協力法が制定され,国連平和維持活動における自衛隊の海外派遣が可能に。

    72 大震災や不況に直面した平成の日本
    ‘細川腰熙内囲で小選挙区比例代表並立制が導入。1995年に阪神・淡路大震災。
    1990年から株価が急落し景気が後退してバブル経済が崩壊。平成不況となった。
    リーマンショックの1年後に民主党の鳩山由紀夫内閣が成立して政権交代。
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    投稿日:2023.09.11

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