【感想】セリエA発アウシュヴィッツ行き~悲運の優勝監督の物語~

マッテオ・マラーニ, 小川光生 / 光文社
(2件のレビュー)

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ブクログレビュー

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  • H.Sato

    H.Sato

    1938年当時のイタリアの雑誌は、しばらくの間、長いひげを蓄え、曲がった鉤鼻のユダヤ人のイラストであふれかえった。そのほとんどがセンスのかけらも感じられないグロテスクな画質だった。一般紙に続きスポーツ紙もその風潮に追随した。ユダヤ人は血走った目をしており、痩せている。肌の色は黄ばんでおり、髪はぼさぼさ。そんな当時のイラストレーターや風刺漫画化の誇張は、とどまるところは知らなかった。その種のプロパガンダは至るところで見られ、たとえ興味がなくても、無視できない状態になっていた。続きを読む

    投稿日:2023.05.12

  • まいつき

    まいつき

    多くのユダヤ人が虐殺された第二次世界大戦下のヨーロッパ。
    犠牲者の一人であるアールパード・ヴァイスの足跡を辿った一冊。

    最終章でアールパードがサッカーの名監督(スクデット3回獲得)であったことから、彼の人生を試合に例えているのですが、あまりにも前半と後半の明暗がくっきりしていて辛い。イタリアで監督としてのキャリアをスタートさせ、スクデット獲得という栄光も手にした彼が、政治に翻弄され逃亡するしかなくなってゆく後半。
    タイトルにある「アウシュビッツ行き」から連想したように、死から逃れることはできなかった。それを予想、確信しながら最後に向かって読み進めてゆくのはとても辛い。
    辛いという感情を抱くのは当然であり、彼やその家族、多くのユダヤ人が理不尽に受けた災厄を繰り返さないために、後世の自分達はどうすべきかを考え続けないといけない。繰り返してはいけない。

    アールパードという人物の歴史を紐解くことは、イタリアサッカー史としても有意義なものであると感じました。ジュゼッペ・メアッツァの名前が出てくるとは。彼の名前は伝説の人物として知ってはいましたが、アールパードという監督の存在があったということは知りませんでした。本来というか戦争がなければ、両者ともに輝かしい功績と名誉を表彰されたであろうに、人種で区別をされてしまったために片方は長い間、過去の人物ということすら忘れられていたというのは、あってはならないことではないと思います。それは、功績を残した残していないではなくて、市井の中の一人でも、変わらないことではあるのですが。

    栄光と平穏の前半といえど、確実に不穏な危機は始まっていて、個人では抗えない大きなものが押し寄せてくる感覚が、とても怖気を誘います。最大に高まったのがオランダでの生活。理知的な人間であったと描かれているアールパードでも、自分と家族の小さな社会を守るために、結果的に大きな社会から目を背けることになってしまったのは、どうしようもないことだったのか、と考えてしまいます。
    後世の視点からものを言っているのは重々承知ですが、どこかで逃れることができたのでは、とifを探してしまいます。
    なぜ逃れることができなかったのか、それも考え続けなければいけないことか。

    悲劇を起こさないために、巻き込まれないために、加害者にも被害者にもならないために、過去から学び続けなければならない。考え続けなければならない。
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    投稿日:2023.02.05

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