【感想】女性画家たちの戦争

吉良智子 / 平凡社新書
(3件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • ぽんきち

    ぽんきち

    福岡・筥崎宮に1つの大作絵画が所蔵されている。
    大東亜戦皇国婦女皆働之図 春夏の部。
    186.0x300.0の画面には、海や山、農村、家庭、工場、市中、さまざまな場所で働く女性たちの姿が描き出されている。
    描いた画家もまた女性。女流美術家奉公隊と称する40人ほどのグループである。
    本書では、彼女らがどのような経緯でこの絵を描き、この絵が九州の神社に所蔵されるまでに何があったかを追う。

    先日、「女たちの戦争画」というTVドキュメンタリーが放送された。この絵を写真家の大石芳野が追うものである。興味深く視聴し、少々背景などを調べていたら、本書に行き当たった。著者は番組にも登場していた美術史研究者である。

    戦争にはプロパガンダがつきものだ。人の心に感動を与える芸術は、ときに戦争と結びつき、戦意高揚をあおる道具になりうる。
    男性画家による戦争画については比較的よく知られているが、その陰で、女性画家もまた、戦争画に関与してきた。
    女流美術家奉公隊を率いたのは長谷川春子。作家・長谷川時雨の妹にあたる。時雨は自身も作家であったが、また女性芸術家の地位向上に力を尽くした人である。春子に画家の道を勧めたのも時雨だった。春子は、時雨が創刊した「女人藝術」の挿絵などを描き、その実力を認められる。当時としては珍しくパリに留学し、藤田嗣治の知己も得ている。
    時勢が徐々に戦争へと傾いていく中、春子は比較的積極的に戦争と関わりを持ち始めていく。姉の時雨が「輝ク部隊」を結成したのも影響があったのかもしれない。春子は中国戦線に慰問に訪れ、現地レポートを書き、人気を博す。得意の絵で挿絵を入れたのも受けたようだが、文才もあったのだろう。
    そうした中で、軍部の指導の下、奉公隊が結成され、春子はそれを率いる形になる。元々ちゃきちゃきの江戸っ子、姉御肌で面倒見がよく、仕切り役にはぴったりな性格でもあったようだ。

    一方で、当時の女性画家たちは、全体に窮屈な立場だった。多くのものは、洋画は女性らしくないからと日本画を学ぶよう強いられ、画題も花鳥風月や女性・子供に限られ、「女性らしい」画風が求められる。地位も男性画家より低かった。
    戦時、物資が乏しくなっていくと、彼女らは絵具の調達にも困っていった。
    そうした中で、軍の管轄の団体に属すれば、何かと便宜を図ってもらえる。そんな事情で奉公隊に参加したものも少なくなかったようである。

    奉公隊としての最初の大きな仕事は「戦ふ少年兵」展であった。子供を描くという点ではそれまで女性画家たちが手掛けてきた画題とも遠くなかった。何よりこれは、兵力が不足してくる中、少年兵を増やそうと、母親たちに訴えかける狙いがあった。成果のほどは不明だが、女性画家を使うことで母たちにアピールしようとしたのだ。
    「皆働之図」は、描くのも女性、描かれるのもほぼ女性である。銃後の守りとして女性たちがさまざまに働いている図である。当時、軍が開催する美術展はかなりの人気であり、多くの人が詰めかけた。それに合わせて短期間で描かれたものである。「春夏」と「秋冬」の2枚が残る(「秋冬」は靖国神社所蔵)。
    大画面にオムニバス形式で描かれたこの絵は、ほとんどの部分、新聞の写真を下絵としている。農村女性、女性消防団、女子学生旋盤工、女子踏切番などの新聞記事の写真を貼り付けて下絵とし、分担して油絵の合作としたのである。細部を見ていくと、当時、どのような仕事があったのかがわかり、そのあたりも興味深い。

    そして敗戦。
    戦争責任が問われる中で、画家たちにも非難の声は及んだ。男性画家では藤田嗣治が責任を覆いかぶせられる形になったが、女性画家では、「日本美術会」により、「戦争責任を負ふべき者」として長谷川春子のみが挙げられる。その後、さまざまな経緯はあったようだが、戦後、春子は画壇からは身を引き、主に文筆などで身を立てていく。
    「皆働之図」は、米軍の命により、戦争画を回収していた藤田らの手で焼却されるはずだった。だが、春子は残すことを強く主張。親交のあった筥崎宮に引き取られることになる(その後、「秋冬」のみが靖国神社に移管される(絵の中に靖国神社が描かれていたため))。

    芸術的な価値はともかく、1組の絵をめぐり、当時の女性美術家たちの置かれた立場や社会の空気感も浮かび上がってくる。
    丁寧な研究と感じさせる。
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    投稿日:2022.09.19

  • だまし売りNo

    だまし売りNo

    第二次世界大戦中に戦争を描いた女性画家達にスポットライトを当てた書籍である。最初に強調しておきたいことは、本書が反戦平和の側に立つことである。その上で感じたことは、本書で紹介する戦時中の女性画家の作品が戦意高揚のプロパガンダの一環として描かれたものであったとしても、女性画家の自己実現の産物として肯定的に評価できる面があるということである。
    総力戦に入り、女性が銃後の社会を主体的に担わなければならなくなった状況が女性の存在感を高めることになった。このこと自体は珍しいことではない。第一次世界大戦後にヨーロッパ各国で女性参政権が実現したが、総力戦の中で女性が社会を支えたことが背景にある。
    抑圧されていた女性が戦争という異常状態によって自己実現の機会を得られたという皮肉な現実も直視しなければならない。現代でも貧困と格差に苦しむ若年層ワーキング・プアを代弁する声として「希望は戦争」と主張された(赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」論座2007年1月号)。
    戦時体制こそ女性の自己実現を可能にした背景には、当時の反体制運動も男性優位であったという面がある。反体制運動に身を捧げても、救われない。これも現代日本の市民運動が省みなければならないところである。左翼はネット右翼に対してワーキング・プアの若者という偏見があるが、実は主婦層にも少なくない。左翼よりも右翼の方が女性の解放に近いように映るという実態がある。
    これまでの戦後レジーム的な歴史観には、無謀な戦いを挑んだ狂った軍部、それに従属する国民という視点が強かった。司馬遼太郎の歴史認識が典型である。これは五五年体制下の穏健保守から革新まで幅広い共通認識となっていた。逆に最近は、この「常識」が通用しなくなっていることが左翼の焦りになっているようである。
    しかし、上記の見方も一つの視点に過ぎず、その視点にリアリティを感じられなくなっていることが若年層らの右傾化の原因になっている。たとえばノモンハン事件で日本は大敗したとされていたが、戦史研究では善戦していたとの評価もある。社会学においても狂った軍部に従属する国民という視点だけでは生の人間を捉えられない。本書のような研究スタンスは貴重であり、とても興味深い。
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    投稿日:2021.08.07

  • ウルトラ・オヤオヤ

    ウルトラ・オヤオヤ

    戦争画というのは知っているつもりでいた。
    でも、この本をひろげて名前を知っている女性画家はひとりか、ふたりだった。
    戦争の時期に女性画家が描いていた戦争画があったという事は、はじめて知った。
    そして大作の連作である「大東亜戦争皇国婦女皆働之図」
    これは今までの戦争画のイメージ(藤田嗣治とか宮本三郎など)とは、まったく違う。
    明るい色調や、大胆な画面構成。
    この本に出会う事で今までと違った観点で考えることができた。
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    投稿日:2016.04.23

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