【感想】反逆の神話〔新版〕 「反体制」はカネになる

ジョセフ・ヒース, アンドルー・ポター, 栗原百代 / ハヤカワ文庫NF
(8件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • gbh10103

    gbh10103

    資本主義への批判について、反論が満載。
    資本主義の批判の対象は、消費主義であり、資本主義ではない。
    フロイトの哲学やマルクス主義を対比として用いているところが興味深い。

    投稿日:2024.01.10

  • sakufuu

    sakufuu

    第二次大戦後、リベラリズムの中から生まれたカウンターカルチャーが世界で(特にその局地としてのアメリカで)いかに理想と解離してしまっていたか、そしてそれが社会に混迷と不幸をもたらしたか、を未来のために分析する書。
    カウンターカルチャーとはルールや文化の変革なのではなく、ルールと文化の破壊そのものが目的である。破壊されることにより人々の意識が変わり、抑圧と戦争と貧困が解消される革命とされた。そして時代が進み、カウンターカルチャーは様々な呼び名に変化していった。エコ・スローフード・ローカリズム・ネット革命・ミニマル生活、その中心的思想は一貫して変わらない。大衆社会批判だ。
    しかし実は、カウンターカルチャーそのものが混乱と不幸を作り出す元凶だとしたら?というのが最大の指摘だ。
    結論は、文化運動や地域コミュニティ、あるいは地方自治体を中心とした変革活動ではなく、国家単位での法整備というもの(あるいは国家の価値)を少しでも復権させること。それと市場原理をむやみにに悪者扱いしないこと。というもの。国家のみが唯一世界的な合意、グローバル大企業への規制などを運用できるからだ。しかしカウンターカルチャーの半世紀以上の流行は、ある意味言われなき「国家への不信」「市場経済への反対」を抱かせ、これを困難にしている。これを理解し、さらに実行するのは、カウンターカルチャーの言説のように「解決策はこれだ!」とならない不断の思考と努力を必要とする大切な行動である。
    20年近く前に書かれたものだが、古さを感じない。むしろ、2024年の今こそ本書の内容に共感する一定数の支持が得られるのでは?と感じる(例えばYouTuberの一連の事件は、もはや一部の応援者を覗き、改革者ではなく愚かな文化依存者として多くの人に思われている)。

    カウンターカルチャーの習性は左派の政治に不利に働いた(著者は左派を応援している)552

    「競争的消費」とはカウンターカルチャーが育てた悪しき習慣。妬みを起こさせるような差異の探求や、群衆のなかで目立つことが「自分は負け犬ではない」と証明する方便に駆り立てられる消費。そしてこれは終わりなき無駄なゼロサムゲームである546

    オーガニック食材を買うことは倫理的行動ではない。オーガニックを選ぶ行為は環境や倫理の問題ではなく、「他者との差異を求めたい」と「良いことをした(根拠なし)」だ。ようするに意識高いイッピーの個人的快楽に過ぎない。最大の問題点は無駄が多いことだ。伝統農業や最新テクノロジーを使った農業は当然市場原理に基づいており、自然状態から最も合理的でエネルギーがいらない過程を取り入れている(言ってみれば真のエコ)。ここに否倫理的問題が起こる場合もあるが、これこそ法体系で規制していくべきである。
    地産地消も問題がある。例えば港近くに住んでいれば、200キロ離れた場所からトラックで食材を運ぶより、地球の裏側から船で食材を輸送するほうが環境負荷が軽い。カルフォルニアの人たちがそこで育てたアボカドと米を食べるよりも、輸入したほうが環境負荷が低い。なぜならカルフォルニアは水資源が枯渇した場所だから543

    スローフードブームはカナダで混乱をもたらした。年間4~5ヵ月しか農作業を収穫できないカナダでは、地域の食材が手に入らなく、真面目に実行すると保存肉かオートミールを毎食食べるしかない。そこでスローフード運動をしたい人たち(金持ちで飽食家で意識高い)が通う高級な料理学校はとんでもないアイディアに飛びついた。学校ごと南フランスへ移設した。講師たちは今や自転車で市場に出かけ生鮮食品を買っている498

    インターネット創成期には「誰もが自由に自分の心情を表現できる。沈黙や体制への順応を強制される恐れはない。理想的な世界」とされた。しかし、他の人に強制し、嫌がらせし、沈黙を強いるために表現の自由を利用するものが現れるとは考えてなかった。悪い話は良い話を駆逐する491

    「競争的転地」著者の造語。旅の魅力は知られていない土地や文化を自ら発見すること。それが観光力を生み、多くの人々に知れ渡り、観光地化すると、初期の発見者は不満を持ち、その土地に見切りをつけ新たな目的地を探すこと。子どもや老人やOLが挑むエベレストはもはや価値が無いと。
    こういうエキゾチズムに夢中なカウンターカルチャー旅行者は地域を理解したい訳ではなく、真の目的地は「本物らしさ」「自分の純粋さを証明したい」だ。なので彼らはしばしば地元民の存在そのものが邪魔になる(地元民は往々にして商売的だし、現代社会人の負の部分が同じようにある。これに幻滅したくないから)。地元民との接触を避け、反対に自分同様の旅をしている仲間を求める。これがユースホステルが人気の理由であり、団体旅行が上手くいかない理由(個人個人その求める基準が違いすぎる)だ。これらの行動は結局地域を搾取し、負のグローバル化を招く。
    唯一搾取などの問題を起こさない旅は、出張だ。これはお互いに利益を得ようとする純粋な行為だし、地域はそのために出張者を招くのだから。442

    ネイティブアメリカンが地球や自然を大切にせよ、それらと共に生きよ、という所謂「母なる地球」概念は、カウンターカルチャーが近年作った言葉。70年代はじめにインディアンたちに受け入れられた。ネイティブアメリカン同士は殺戮や奴隷を行っていた435

    多様性を保つには誰かが貧乏くじを引く408

    「健康で自然で人道的」として高額で取引される「放し飼い鶏」。実状の鶏は、庭が放たれていてもそこに出て歩き回ることはほとんどなく、自らの意思で小屋の中で集団で固まっている。彼らはのびのびと歩き回るのを好まない389

    カウンターカルチャーの影響を受けやすい学生。それが如実に現れるのは生徒の服装。最新のファッションを手に入れるため、また周囲に馬鹿にされない服装をするため、学生はアルバイトに大きな時間を割き、学業その他の時間は大幅に削られた。これは軍拡競争のようだ。また高額なファッション(最新トレンドは値段が高い)が手に入れらる如何によって格差が生じ、学生ヒエラルキー醸成の中心的原因になった。このことで学生生活は混乱し、校内治安は悪化した。
    この解消のため制服制度を導入する学校が現れた。その成果は数値に現れ、暴力、性的非行、破壊活動、武器不法所持が改善した。
    「脱制服」は学生の個性や自由思想、他者の尊重を生み出すことはなく、むしろ群れ意識を育んだ。実際には制服でも着方や、改造、アクセサリーなどで個性を出そうとするが、これは核拡散防止条約のようなものだ304

    マイケル・ムーアは『ボウリングフォーコロンバイン』で結局銃規制に反対した。理由は銃を規制したところでアメリカの病的な心理を根本的に直せないから(理由として、隣のカナダにも銃が沢山あるのに銃犯罪が極端に少ないこと。だがこれはカナダにしっかりした銃規制法があるから。ムーアはわかっていてこのことに言及しない)。ここにカウンターカルチャーたちのイビツな心理が見て取れる。文化の革命的な変化を強く求めるばかり、「それ以下のものは拒絶する」。これこそ極端な反逆である248

    社会の上位層と下位層は互いの趣味が我慢ならない。特に上位層は下位の趣味(映画・スポーツ・テレビ・音感)を軽視している。美学上の不寛容は恐るべき暴力性で、階級間を隔てる最も越えがたい障壁。上位があえて下位の趣味を消費する場合、「あくまでふざけてる」という態度でおこなう。これが「キッチュ」である222

    カウンターカルチャーは消費主義を批判するポジションを取る。しかしこの半世紀、カウンターカルチャーは流行するのに、それに反して消費主義はどんどん高まっている。消費主義が強まるからこそカウンターカルチャーも強まるからでも、カウンターカルチャーの想像を越えて、国家権力の力が強大だからでもない。カウンターカルチャーそのものが消費主義の協力な要因だからだ。184

    例えばパンクファッションの我が物顔がショッピングモールにいることは、70年代であれば異常な事として周りが反応した。しかし現在モールにパンクファッションがいても強い反応は起こらない。これは社会(政府)がこのカウンターカルチャーを取り込んで搾取するシステムを考え実行しているのではなく、「パンクが店内で放火して銃を乱射する」行為をするほどの奴らではないと時間を追って理解したから。単純な順応のメカニズムである180

    現代では信じられないが60年代は、マリファナとLSDの普及によってすべての社会問題は解決されると信じられていた。戦争と貧困をなくし「平和と愛、そして理解」の社会が作れると127

    60年代ヒッピーたちは「ドレスコード」という文化を倒すために髪を伸ばし、髭を蓄え、ネクタイを拒否し、ミニスカートを履き、化粧品を落とした。すると資本主義は売上げを高めるための「流行」としてすぐにこのファッションを売り出した。セックス・ピストルズが解散する前に、すでにロンドンでは服に刺す用の安全ピンが販売されていた87

    「アーティストは主流社会と対立するスタンスをとらなければならない」という考えは18世紀に始まった。その最たるものはプッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』だ60
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    投稿日:2024.01.01

  • katsuya

    katsuya

    NHKにジョセフ・ヒースさんが出演してて、トークが面白かったので著書を購入。かなり難解だが、1950年からの世相、政治、市民活動を俯瞰し、本質的なところを理解するために勉強になりました。ヒッピーやパンクなど、反体制・反資本主義を唱えて活動してきた人たちが、実は欲望を煽って消費を活性化しているという見方。差異のない平等の世界というのは、実は全体主義・監視主義の隣にいること。自然主義活動家の多様性を許容しない態度、など。現代社会などという大きな括りではなく、身近にも感じられる違和感は、世界的潮流・底流としても存在しているのだとみょうに納得。これからもそういう違和感を大事にしていこうと思いました。続きを読む

    投稿日:2023.11.23

  • nuhuaueo0

    nuhuaueo0

    読書会の課題本。副題になっている”「反体制」はカネになる”が、むしろ原題に近い。個人的に抱いてきたフェミニズムやオーガニックやスローフードなどへの違和感や嫌悪感を見事に言語化してくれた感じであった。オーガニック批判はネットで「炎上」したらしく、それについての補足説明となる「後記」も必読である。続きを読む

    投稿日:2022.10.14

  • hokkaido

    hokkaido

    個人的な思いを語らせて欲しい。私が2002年に入学した大学ではいわば反体制・カウンターカルチャーという文化が未だ賛辞されるものとして残っていた。もちろんそれは極めて局所的な残滓というものに過ぎないのだが、私自身はそうした活動に対して極めて否定的、というよりも強い嫌悪を持っていた(ヒッピー風の輩がよく着ているサイケデリック風のTシャツ、あれは未だに吐き気がする)。

    しかしながら、なぜ自身がここまで強い嫌悪を持つのかは言語化できておらず、そのまま卒業すると共にそうした人間と接することもなく今に至ったわけだが、本書はその嫌悪感の理由をクリアに示してくれ、笑いながら膝を打って読み進めた。

    本書はトロント大学の哲学・公共哲学の教授である著者が2004年に出版した論考である。ページ数は相当あるものの、そのメッセージは以下のように極めてシンプルである。

    ”反体制・カウンターカルチャーが実効力を持たないのはなぜか?それは反体制・カウンターカルチャーがカネになり、彼らが忌み嫌う資本主義を単に太らせるだけだから”

    本書ではその証拠を、様々な反体制・カウンターカルチャーの営みや言説と共に示してくれる。

    ここまで書いて自分でも嫌な人間だという気がしなくもないが、自分が忌み嫌うもの、その理由をクリアに与えてくれる言説というのは一種の知的な快楽を与えてくれるのだということを実感しながら、大笑いと共に読了した。
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    投稿日:2022.10.02

  • REM

    REM

    2022-02-01
    前半2/3は面白かった。目新しいとは思わなかったが、納得の内容。
    終盤はどうもよく分からない。様々な活動の欠点を指摘してるけど、ではどうしろと言うのか?
    全ての問題を一気に解決する魔法の方法はない、と言っているのかなあ?続きを読む

    投稿日:2022.02.02

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