【感想】グレイ・ラビットのおはなし

アリソン・アトリー, 石井桃子, 中川李枝子 / 岩波少年文庫
(20件のレビュー)

総合評価:

平均 4.2
6
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ブクログレビュー

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  • さりー*

    さりー*

    このレビューはネタバレを含みます

    始まって17ページで麻袋をかけられて殴られている…!!思ったよりメルヘンな世界じゃなくてびっくり(笑)でも登場動物がみんなクセ強くて面白い。

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    投稿日:2023.12.16

  • 湖永

    湖永

    グレイ・ラビットの絵本を読んでからとっても気になって図書館で借りた児童書。

    グレイ・ラビットとスキレルとヘアの関係がよくわかる。
    なんでグレイ・ラビットはこんなに働きものなの⁇と思えば思うほどスキレルとヘアはまったくもう何もしないわって不公平さを感じるけれど、そんなことちっとも思ってないのがグレイ・ラビットの魅力なのかもしれない。
    それでいてやっぱりスキレルとヘアもグレイ・ラビットが大切で気になっているのがわかる。

    森の中の小さな動物たちとの関わりかたやカシコイ・フクロウさんの知恵で動く様子など設定も良くて展開も見事。
    自然のなかで動物たちが動く様子が目に浮かんで、その世界へひきこまれしまう。

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    投稿日:2023.07.02

  • はまだかよこ

    はまだかよこ

    たださんの本棚で見つけました。

    古典的(と言っていいのかしら?)な児童書です。
    翻訳が、なんと贅沢な!石井桃子さん、中川利枝子さんではありませんか!

    森の暮らし、小さな家で暮らす三匹(人)のつつましく
    あたたかな様子。
    森の情景にはうっとりとなります。

    でも、グレイ・ラビットには「がんばりすぎよー!」って声をかけたくなります。

    4話のお話しに拍手を送ります。

    岩波少年文庫は、大切にしたいですよね。
    あまり売れていないのかしら?
    婆さんは心配です。

    ≪ とりかえた しっぽは友の しあわせを ≫
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    投稿日:2023.05.23

  • ただ

    ただ

    表紙からも分かるとおり、服を着た動物たちが、自然豊かな地で、人間のように暮らす物語に、当初はシルバニアファミリーを連想させられたが、内容は決して楽しさだけでは無い、現実世界の厳しさも感じさせられて、共に生きていく事の大切さを教えてくれた、児童文学作品(1929~1932年)です。

    灰色うさぎの「グレイ・ラビット」は、森の外れの小さな家に、野ウサギの「ヘア」と、リスの「スキレル」と一緒に暮らしているが、家事はグレイ・ラビットに任せきりで、他の二人はほぼ何もせずに、ダラダラしているだけ。

    それでも、元来、動くことが好きなグレイ・ラビットは、気にせずに仕事を続ける中、我が儘だけは、よく出てくる二人の頼みに応じる内に、とある知識を得るため、物知りの「カシコイ・フクロウ」を尋ねた際には、それと引き換えに自分のしっぽを差し出さざるを得なかったシビアな場面もあり、思わず、そこで読むのをやめたくなったのだが、本来、子どもが読むお伽話には、こうした場面も付きものであることを思い出し、どうも大人になると、文字にされていない様々な点に気が取られるらしく、これには何か意図するものがあるのだろうと、気を取り直して読み続けることに。

    その後、涙に暮れながらも、ヘアやスキレルの為になることを喜んだグレイ・ラビットが、家に帰ってみると、いつもいるはずの二人の姿は無く、ガランとした有様で、どうやら、ここ最近動物たちの間で噂になっていたイタチの仕業らしく、二人は攫われてしまったようだ。

    これを見て、バチが当たったんだよと、我ながら嫌なことを思う中、なんとグレイ・ラビットは、残された足跡を辿って、二人を助けに行くのだという。普通に対しても明らかに勝ち目は無さそうなのに、どうして・・と思った自分が恥ずかしくなるくらい、そこからの展開は、胸躍るような、グレイ・ラビットの大胆ながらも知的な勇ましさで、イタチに一人で立ち向かう姿に、目が釘付けとなり、こう言ってはなんだが、とても爽快な気分だった。

    そして、助けられたヘアとスキレルは、グレイ・ラビットに、これまでの彼女への接し方をお詫びし、心を改めて、また共に暮らすという内容で、こうした展開には、どんな相手に対しても、真摯に接する事で相手の心を開かせる事もあるということを感じられたが、正直なところ、私には出来ないかもなんて思ってしまった。

    しかし、この物語の、よくあるお伽話と異なるところは、グレイ・ラビットが聖人君子のような完璧さで無いところにあり、自分たちの食料を得るために、時には、人間の畑から作物を盗ったりするときには、自分に都合のいいように納得させていたりと、作者の「アリソン・アトリー」の中では、あくまでも人間に擬えて表現している点に、要は自分らしくあればいいってことかなと都合の良い解釈をしてしまえるところに、本書の親しみやすさがあるのだと感じられました。

    ちなみに、これまで紹介してきたお話は、本書に収録された4話の内の最初の話で(要するに、最初の話で既に気持ちを持っていかれたということ)、この後は、グレイ・ラビットが如何にして自分のしっぽを取り戻すかの話に、臆病者のヘアの大冒険の話に、最後は、いつもグレイ・ラビットの家に牛乳を配達してくれる、ハリネズミの息子、ファジー坊やの話と、その何れの物語に於いても、グレイ・ラビットとその仲間たちの温かいやり取りに、キツネやラットといった、ちょっと怖い動物たちとの関わりも含めた、児童文学として、様々な個性の人達とどのように生きていくかを表している中でも、一際、注目を惹くのは、自然と密接に結びついた、その生活風景であり、グレイ・ラビットが森の中へ入っていき、ニレの木の枝から固くて小さい紫色の芽を採ったり、トチの木のねばねばした冬芽を欲しそうに見上げたり、プリムローズを摘んだりとしている時の、嬉しそうな顔を見ていると、かつて作者が、幼い頃に学校に行く時に通り抜けた、森の中に息づく自然の中の思い出に、大人になって癒やされた事がきっかけで本書を書き上げたくなった、その気持ちが私には分かるような気がして、そこにあったのは、大人の世界で苦しむ自分自身を子どもの頃の思い出が救ってくれたという、児童文学が大人にとっても大切なものであることを、アリソンが知っていたからこそ、こうして伝えようとしてくれたのかななんて思うと、それこそ、共に生きる事の大切さを教えてくれているようで、とても嬉しい気持ちにさせられました。

    また本書は、石井桃子さんと中川李枝子さんの共訳といった、私にとっては(児童文学にとっても)、まさに夢のコラボであり、石井さんのあとがきにあった、『一つの言葉も二人で確かめあい』や、『音楽でいえば合唱しているような感じ』に、本書にかける思いが窺えたようで、印象的でした。

    更に本書の絵は、版権の都合により、「フェイス・ジェイクス」が担当したとの事で(これはこれで味わい深くて良いが)、後に発売された愛蔵版絵本での、本来の挿絵担当だった、「マーガレット・テンペスト」の絵も是非見てみたい。

    そして、肝心の「グレイ・ラビット」シリーズ自体は、この後も長く続いているそうなので、また、ふと読みたくなった時に、気軽に読もうと思う。
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    投稿日:2023.05.06

  • 司書KODOMOブックリスト(注:「司書になるため勉強中」のアカウントです)

    司書KODOMOブックリスト(注:「司書になるため勉強中」のアカウントです)

    このレビューはネタバレを含みます

    「森の一軒家で,働きもののグレイ・ラビットは,うぬぼれやの野うさぎヘアと,いばりやのリス・スキレルといっしょに仲よく暮しています.牛乳屋のハリネズミ一家,物知りのフクロウ,恐ろしいキツネやイタチなど,森の仲間たちが活躍する有名なシリーズから,未紹介の最初の4話を選び,心をこめた決定訳で贈ります.」
    (岩波書店HPより)

    「ぼく、昔これを読んだ時、本当にびっくりして、感心して、それでアリソン・アトリーの名前が頭に刻み込まれたんです。マーガレット・テンペストという、とても感じのこもった絵を描く人の挿絵がたくさんのった本なんです。ー小説的構造というか各になる決勝というか、それが崩されずに持ち込まれている。だから、その意味では非常にシリアスなものだと。けれどもそれと同時に、ユーモラスな面もあるし、それからまた一種の活力がある。そうしたことがあいまって、子どもを生き生きとさせるような、清めるような、ぐいぐい前に引っ張っていくような、そういう力をこの物語はたしかに備えている、ぼくはそう思うんです。もちろん、アトリーの前に、ビアトリクス・ポターがあり、そのことがアトリーにこういうお話を書かせたということは言えるでしょう。ポターの『りすのナトキンのおはなし』もやっぱりふくろうにしっぽを取られる物語でした。ーアトリーの物語の背景には、つねに自然の美しさや活力というものがあって、それが物語をすがすがしいものする作用を果たしている。ポターの場合は、博物誌的な見方からおのずと野の動物やそれをとりまく自然を物語の中に取り入れることができたんですが、アトリーのほうは、否かに生まれ育った人特有の雰囲気で、自然界の規則を物語の中に取り込んでみようという試みをしている、そういうふうにすら、ぼくには思えるんです。」
    「アトリーは、伝承的なものの見方や知識をたくさん知っていて、それを物語の中でふんだんに使っている。ふくろうを小動物の世界での賢者に見立てたり、何とか草を巻くと血が止まるとか、うさぎのタバコは何々の葉っぱのことであるとか、ずいぶん下地に使っている。」
    p186「この物語では、むごいと思われることも仮借なく書かれている。ふくろうはどうしたって代償を取らなきゃいならない、子ウサギはどうしたって代償を払わなきゃならない、そういう関係をぎりぎりまで煮詰めて、子どもにちゃんと納得させる形で書いてある。ぼくはこういうのは、残酷とは言えないと思う。もし、「こういうのはかわいそうで、とても子どもに読んでやれないわ」というとすれば、それは逆に、お母さんなり、社会なりの衰弱だと思う。少しぐらい手を切ったって、剃刀や小刀の使い方を知った方がいい。ー残酷さというのは、残酷を心理的なものに転化して、その一寸刻み、五分刻みのディテールをやたらに見せるというところから出てくるんじゃないかと思う。そうじゃなくて、それがぎりぎり煮詰められて、物語の重要な劇的な契機になっている場合には、残酷さは残酷さということにならないで、一つの訴える力、物語を活力あらしめる要素になっていく。ー文学の中に仕組まれた強い劇的な要素というのは、これは絶対に省いてはいけないものだと、ぼくは考えています。ーセンチメンタルでもなく、軽率でもなく、うんと強くて、しかもすがすがしい浄化力をもった一種の活気、そいういうものをアリソン・アトリーのこの物語の中に感じてほしいと、ぼくは思うんです。」
    (瀬田貞二『幼い子の文学』p154~で紹介)

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    投稿日:2023.03.13

  • 枝乃

    枝乃

    このレビューはネタバレを含みます

    野ウサギのヘア、リスのスキレル、そして灰色ウサギのグレイ・ラビット。序盤こそ、ヘアとスキレルが我がまますぎて、なぜ生活力の高そうなグレイ・ラビットが、わざわざ彼らと同居を?と不思議に思った。しかし話が進むにつれ、グレイ・ラビットの気質が見えてくる。優しくて勇敢で世話好き。これは「頼りになるお姉ちゃん」だ。終盤は、もうヘアとスキレルが愛すべき弟&妹のようにしか見えず、図らずも気に入った。

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    投稿日:2022.06.08

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