【感想】玉電松原物語

坪内祐三 / 新潮社
(9件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • coco

    coco

    1958年生まれの著者が、育った世田谷・松原界隈を語る。商店街の本屋、おもちゃ屋、駄菓子屋、喫茶店、レコード屋。この地域を知らなくても、次第に個人商店がなくなり、小さな川が暗渠になり、たき火をしなくなり、本屋がTSUTAYAになるという昭和から現代までの風景の変化は、多かれ少なかれ近い世代なら共有、共感できることも多いかもしれない。続きを読む

    投稿日:2023.10.23

  • mishuranman

    mishuranman

    このレビューはネタバレを含みます

    表紙でおおと思った。そうそう、松原駅。話からするとわりと後の方の絵。自分の知っていた町の話。牧場の後のあたりからは記憶にある。猫の集会を除きに行く話とか、風景が区画整理前で泣きたくなった。
    坪内祐三さんなくなられていたのを知らなかった。

    レビューの続きを読む

    投稿日:2022.09.28

  • のりぞ

    のりぞ

    現在の世田谷線の松原駅とその界隈のことを回想するエッセイ。
    現在の勤め先が近いので、とても興味深く読めた。
    「オオゼキ」の1号店があそこだったなんて新発見。

    投稿日:2021.11.29

  • take9296

    take9296

    急逝した評論家の「遺作」は、私小説のごとき昭和文化論だった。その町にはチンチン電車が走り、牧場には牛が群れる。そして駅前の商店街には、様々な人びとがいた―。自らのすべてを育んだかつての世田谷を卓越した記憶力で再現し、令和が喪った町と文化を瑞々しく甦らせる。

    以前にも書いたが、私は著者の四つ下の学年である。小学校は違うが、生活圏が結構重なっていた。四谷軒牧場をはじめ、懐かしい記述がたくさん。もっともっと読みたかった。
    続きを読む

    投稿日:2021.08.16

  • 羊さん

    羊さん

    昨年(2020年)亡くなった著者が直前まで雑誌に連載していたエッセイ。小中学校時代を過ごした世田谷区松原辺りを、ゆるく回想している。昭和の世田谷は、のどかだった。

    投稿日:2021.08.05

  • 臥煙

    臥煙

    昭和33年生まれ。出身の世田谷の松原を回想する。下町でも山手でもない玉電の沿線風景。

    松原に縁があるわけではないがどこか懐かしさを感じる作品。玉電の支線だった世田谷線の駅。近くには三軒茶屋や経堂、下高井戸などの町。

    昭和40年代、個人商店が溢れていた時代。

    「小説新潮」に連載されていたエッセイ。筆者の急逝により唐突に終わる。62歳、急性心不全。

    人の死というのはその人の持つ記憶、経験、知識。ほとんどが断絶するものであることを痛感する。
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    投稿日:2021.04.18

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