【感想】私をくいとめて

綿矢りさ / 朝日文庫
(77件のレビュー)

総合評価:

平均 3.4
11
22
29
10
1

ブクログレビュー

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  • 373

    373

    金原ひとみさんのあとがきを頷きながら読んだ。
    いまふうの人たちの話だった。
    薄い嫌悪感はあるけど、そんなにいやなものじゃなくて、でもやっぱり自分とは違う種類の人を見ている感じ。
    みつ子は割とぽやーっとした性格のように思えたけれど意外にも行動力があってよかった。続きを読む

    投稿日:2024.02.21

  • さてさて

    さてさて

    『あなたは自分のこと』を『おひとりさま』って思ったことはありますか?

    『おひとりさま』という言葉をいろんな場面で見かけるようになりました。人はどうしても他人の目を意識するものです。『ひとりカフェ』はカフェが待ち合わせの場所と考えると、ひとりで入るのになんの躊躇もないと思います。しかし、『ひとりファミリーレストラン』、ひとり焼き肉、そして『ひとりディズニー』となるとどんどんそのハードルが上がっていくようにも感じます。しかし、『おひとりさま』という『明らかな接待用語』がそんなハードルを下げてもくれます。

     『女一人という、ともすればみすぼらしくなりがちな状況でも、”自分はおひとりさまだ”って自称すると、背すじが伸びるというか、堂々と品良くいられる気がする』

    『一つの言葉だけで、自分を鼓舞できる』のであれば、今の世にあって『おひとりさま』という言葉はまさしく時代にあった言葉のようにも思います。

    さてここに、『一人で生き続けてゆくことになんの抵抗もない』と語る三十三歳の女性が主人公となる物語があります。一方でその女性は『どう思う?多田くんの気持ち』、『私には分かりませんね。本人に訊いてみたらどうですか?』、『訊けるわけないじゃない』と一番身近な存在と日々会話を続けます。この作品は主人公がそんな身近な存在を常に意識する物語。そんな身近な存在にさまざまなことを相談する物語。そしてそれは、『おひとりさま』を満喫するその先に生きることの本当の意味を知る主人公の物語です。

    『ハイ、できました。同じ要領で、シシトウとイモの天ぷらも作ってみましょう』と指示する講師の言葉に『ロウを高い位置から垂ら』すのは主人公の黒田みつ子。『時間は午後六時、多くの奥さんが本物の天ぷらを揚げているだろう時間帯に、私は一人で合羽橋まで来て、食品サンプル作りの一日体験講座に参加している』という みつ子が『食べ物の模造品に興味を持ち始めたのは、ごく小さい子どもの頃から』でした。『そして三十代になったいま、とうとう自分で作り始めている。末期だ。老人の頃にはどうなっているのだろう。間違えて食べてそうだ』と思う みつ子は、『食品サンプル製作体験講座』の『帰り道、地下鉄の入り口まで雨のなかを歩』きます。『晩ご飯は経由駅の百貨店の地下で、お惣菜を買っていこうか』、『ニセモノの天ぷらは合羽橋まで来て作るのに、自炊はゼロなんですね』、『ゼロじゃない、先週は厚揚げと豚肉の炊き合わせを作ったでしょ』というのは『会話だけど、声は出ていない。話し相手は私の頭の中に住んでいる』という 存在と会話する みつ子。『さっき天ぷらのサンプルをテレビの前に置こうなんて考えていらっしゃいましたが、やめておいた方がいいですよ』、『なんで?』、『五感は食欲を刺激するって言いますからね…なにか食べたくなります。太りますよ』、『じゃあどこに飾ればいい?』、『飾るのは止しましょうよ』と、頭の中で会話する みつ子。そんな みつ子は『私の趣味って暗すぎると思う?…正直に答えてよ、A』と訊くと、『良い時間の過ごし方だったと思いますよ。楽しんでいらしたし』と、『さりげなく気遣う口調になる』『A』。そんな『A』のことを『私の気持ちを察するのがうまい。当たり前だ。Aはもう一人の私なのだから』と みつ子は思います。そんな みつ子は、『一人で生き続けてゆくことになんの抵抗もない、と思ってい』ます。『勤め先にはたくさんの人間がいるし』、『一緒に遊ぶ友達もいるし、実家にもたまに帰る』と思う みつ子は、一方で『男性も家庭も、もはや私には遠い存在になっている』という今を思います。そして、『どこか理想と決定的に食い違っている気がするのはなぜだろう。私はこの場所を目指していままで働いてきたんだろうか』と思う みつ子は、『あなたのこと、信じてもいいの?』と『A』に話しかけると『どうぞ、ご自由に…私はあなた自身で、あなたが滅びれば私も無くなってしまうのですからね』と返されます。そんな『Aが出現してすぐの頃は、ちょっと精神の病を疑ったこともあったが、Aの声が本当は自分の声だとは分かっているし、多分大丈夫だろう』と今の みつ子は考えます。
    場面は変わり、『うちには月一回ほどのペースで、托鉢の器を持った修行僧が現れる』と『マンションのドアを開ける』みつ子は、『こんにちは、いつもすみません』と玄関前に立つ『スポーツ刈りの多田くん』を迎えます。『実際はただ飯をもらいに来ただけの人』という多田に『うちで食べてく?』と声をかけるも『いや。それは。ご迷惑は、かけられないので。作ってもらえるだけで十分です、ありがとう』と返されます。『「うちで食べてく?」と訊きながら、ほんとに上がりこんできたらヤだなぁと思っている』みつ子の一方で、『”まさか今日も訊かれると思わなかった”という当惑したリアクションを律儀に返してくる』多田。『三十代同士なのに、中学生同士の会話と同じくらいぎこちない』と感じる みつ子は、『じゃ、よそってくるね。器貸して』と受け取り、大鍋に煮込んだ『肉じゃが』をよそうと『どうぞ、これ、おいしかったら、いいんだけど』と多田に返します。『私の頭の中に住んでいる』『A』と会話しつつ三十代の今を生きる みつ子の日常が描かれていきます。

    “黒田みつ子、もうすぐ33歳。悩みは頭の中の分身が解決してくれるし、一人で生き続けてゆくことになんの抵抗もない、と思っていた。でも、私やっぱりあの人のことが好きなのかな?同世代の繊細な気持ちの揺らぎを、たしかな筆致で描いた著者の真骨頂”、と読み終えた上で改めて上手くまとめられている内容紹介に納得するこの作品。2020年12月に、のんさん、林遣都さん主演で映画化もされた綿矢りささんの人気作の一つです。現在の文庫本の表紙はそんな映画がモチーフとなっていますが、私としてはわたせせいぞうさんが描かれたなんとも味わいのあるゆる〜いイラストの方が好みです。

    さて、そんなこの作品は、『私の頭の中に住んでいる』『A』という存在と会話する主人公・みつ子のある意味淡々とした日常が描写されていきます。そんな生活に『A』が果たしていく役割とは…ここがこの作品の一番の読みどころではあるのですが、そんな核心に行く前にまずは二つほどこの作品の読みどころをご紹介したいと思います。まず一つ目は、綿矢さんらしい比喩表現の数々です。芥川賞作家さんの作品には独特な比喩表現を用いられる方が多々いらっしゃいますが、綿矢さんも代表作「蹴りたい背中」の”さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから…”と始まる素晴らしい表現など、作品の内容以前に読みたい!と思わせる表現の存在があります。そんなこの作品で面白いと思ったのは身体の一部を用いたこんな表現の数々です。

     『口から吐き出される人、飲み込まれてゆく人。今日の地下鉄の喉は、雨の湿った匂いがする』。

    地下鉄の出入り口を『口』に比喩する面白い表現です。次は、口に咥える煙草、その煙をこんな風に比喩します。

     『ストレスは目に見えない煙草の煙みたいだ。たくさんの言いたいことを毎日文句も言わず嚙み潰してきたしかめ面を、灰色の煙が覆っている』。

    これも面白い表現です。『ストレス』を『煙草の煙』に繋げるという感性も凄いと思います。次は、飛行機内で恐怖と戦う みつ子を描写した二つの表現です。

     ・『飛行機が下降したのか、身体が一足遅れて座席に到着するような、ふわっとした嫌な浮遊感が主に臓物を襲った。一瞬の不快な無重力状態に、お腹の中の胃袋が不安そうに腸と囁きを交わす』。

     ・『内臓がかっ飛び、身体に遅れて元の位置に着地する。胃は飛行機のアップダウンに合わせて、ハミングしてスキップしている』。

    悪天候で飛行機が大揺れになる瞬間ほど怖いものはありません。それを綿矢さんは『臨死体験』と表現されるのですが、胃袋、腸という内臓をそんな恐怖の瞬間の表現に用いるのはとても興味深いです。確かに言葉に出せないほどの恐怖が故に自身の身体に神経が集中してしまう感覚というのはありますね。このリアルさはまさしく実体験から来たのかなあ、そんな風にも思いました。

    そんなこの『臨死体験』の渡航先での みつ子が描かれていくシーンがご紹介したいもうひとつのものです。みつ子は大学時代の友人で、『結婚してイタリアのローマの家庭に嫁いだ』という皐月の誘いで年末年始を挟んで八泊十日のイタリア旅行へと旅立ちます。上記した『臨死体験』の飛行機の中のシーンはその往路ですが、その機中の描写、そして『ピアチェーレ、イオソーノ、みつ子、黒田』と大歓迎でスタートした『ローマの郊外』にある皐月の嫁ぎ先でのイタリア滞在の日々が描かれていくのは大きな読みどころです。こちらも想像などではなく実際に体験したからこそ描ける描写に満ち溢れています。

     『何かの錠前の鍵かと思うくらい、非常に懐かしい簡素な形の鍵を取り出して、ドアの鍵穴にはめ込』み、『ガチャガチャと回すがなかなか開かず、ドアノブを持ち上げたり揺らしたりしている』という皐月の夫・マルコ。

    『イタリアの鍵はどれも古くてドアごとに癖があるから、慣れないと開けられないのよ』というその背景が説明されますが、でも自分の家だよね、と当たり前の日常を描写する場面だからこそリアルさが余計に感じられます。そして歓待される晩御飯のシーンは海外あるあるです。

     『海老のトマト煮込み』、『自家製のフォアグラのテリーヌ』と出される料理は美味しいものの『メインディッシュのステーキがでてきたとき、すでにお腹がいっぱいだった』という みつ子は『消化するほどの力量、いまないよ、と胃が力なく答える』のを感じます。再びの比喩表現ですが、『Aだけでなく、胃までしゃべり始めた。胃は無責任な臓器だ。ぐうぐう自己主張は激しいくせに、ここぞというときは無責任だ』。

    そんな風に続いていく感覚は、歓待されている以上無理にでも食べる他ない、ある意味これ以上ない拷問の時間を上手く描写していると思います。そして、『翌日は、午後から地下鉄でローマへ向かった』という旅行記のような展開では、

     『ローマの中心部のテルミニ駅は華やかな想像とは違い、治安が悪く、皐月から「リュックは前に抱えて」とアドバイスを受けて実行した』

    イタリア旅行あるあるな治安の悪さとの戦いを垣間見せつつ、『トレビの泉、サン・ピエトロ広場…』と名所を観光していく みつ子の姿も描かれていきます。このイタリア旅行を描く一連の場面はそれなりの分量をもって描かれていきます。しかし、このシーンがそれだけ浮くということもなく、このシーンもあった上で後半へ物語が上手く落とし込まれていきます。この辺り、物語展開としてとても上手いです。また、映像化されるのに向いているとも思いました。

    そんなこの作品は、『もうすぐ三十三です』という今を生きる主人公・黒田みつ子の日常を描いていきます。そんな みつ子は『自分はおひとりさまだ』と思う中に会社員としての日常を送っています。そんな みつ子には

     『一人で生き続けてゆくことになんの抵抗もない』

    という強い思いがあります。『勤め先にはたくさんの人間がいるし』、『一緒に遊ぶ友達もいるし、実家にもたまに帰る』と思う みつ子は、一方で『男性も家庭も、もはや私には遠い存在になっている』という日々を当たり前のものとして生きてはいますが、一方で『どこか理想と決定的に食い違っている気がするのはなぜだろう』という思いが湧き上がってもきます。そして、この物語で大きな存在感をもって登場する存在が語られます。では、そんな存在が登場するシーンを見てみましょう。

     ?『あと一つ聞いてください。こっちの方が重要です』

     みつ子『まだなにかあるの?』

     ?『はい。あなたが語尾にハートマークをつけるようなしゃべり方をすればいいと、私は提案します』

     みつ子『ハートマーク?』、『それっていったい、どんなしゃべり方よ』

     ?『あなたは人と話すとき、そっけなさすぎるんです…手っ取り早く語尾にハートマークをつけて、少ない言葉にも温かみを持たせるのです』

     みつ子『ぶりっこして、媚を売れってこと?やーだ』

    さて、あなたは上記の会話がどんな場面で語られているかわかるでしょうか?主人公のみつ子のしゃべり方をアドバイスする男性、カウンセラーか何かしらの存在?との会話かなあ?とこの会話がなされるシーンがそれぞれに浮かぶと思います。しかし、あなたの想像は間違っています。実はこのシーン、『話し相手は私の頭の中に住んでいる』という みつ子の説明にある通り、『頭の中の自分自身』との会話がこのように描写されているのです。ひえーっ!という声が聞こえてきそうです。この作品のイメージを一気に別物に感じ出した方もいらっしゃるかもしれません。しかも、『頭の中の自分自身』と会話する みつ子のシーンはもう全編に渡って各所に登場します。しかし、この作品を読まれたことのない方が思われるような微妙な空気は一切纏いません。『頭の中の住人はどうも、世話焼きでプライドが高い』という声の主に、『日常生活でストレスを抱えたり、罪悪感にさいなまれて独白したくな』っていく みつ子は『あなたのこと、Aって呼んでもいい?』と身近な相談相手として捉えていきます。

     『Aが出現してすぐの頃は、ちょっと精神の病を疑ったこともあったが、Aの声が本当は自分の声だとは分かっているし、多分大丈夫だろう』

    そんな風に冷静に自身が置かれている状況を見てもいる みつ子の姿もあって読者は『A』と会話する みつ子の姿がどんどん自然に感じてくるから不思議です。一方で、みつ子はリアル世界において、『うちには月一回ほどのペースで、托鉢の器を持った修行僧が現れる』とこちらの方が余程不自然に描かれる多田という男性との関わりをもっていきます。『おひとりさま』であることを好み、器に料理を盛って渡してあげるも、決して一歩も自宅には入れる気のなかった多田との関係。物語は、そんな多田との関係を結果として後押ししてくれる会社の先輩・ノゾミに報告する みつ子の姿が描かれていきます。

     『人と一緒にいるのは楽しい。気の合う人だったり、好きな人ならなおさら』という みつ子。

    しかし、

     『でも私にとっての自然体は、あくまで独りで行動しているときで、なのに孤独に心はゆっくり蝕まれていって。その矛盾が情けなくて』。

    そんな風に自らの生き方に葛藤する みつ子は、『頭の中の自分自身』と会話する中に、そんな『言葉が素直にしみ込んでゆく』のを感じていきます。そして、みつ子がそこに見るもの、感じるもの。『前向きに頑張れる力』の芽生えを感じる みつ子の姿が鮮やかに描かれていく結末に、これ以上ない清々しい思いを感じながら本を置きました。

     『一人で生き続けてゆくことになんの抵抗もない』

    『一人でいる時間』を大切なものと考え、『おひとりさま』と呼ばれる時間を大切にしていた主人公の みつ子。この作品ではそんな みつ子が『頭の中の自分自身』と会話する中に人間が本当に必要とするものの存在に気づいていく物語が描かれていました。綿矢さんならではの比喩表現の魅力を堪能できるこの作品。リアルなイタリア旅情を楽しめもするこの作品。

    主人公・みつ子と『頭の中の自分自身』である『A』との会話のリアルさの中に、グイグイ読ませる綿矢さんの筆力を改めて感じさせる素晴らしい作品でした。
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    投稿日:2024.01.20

  • 甘いパンよりしょっぱいパン

    甘いパンよりしょっぱいパン

    このレビューはネタバレを含みます

    黒田みつ子
    脳内のAと会話する。

    多田くん
    取引先の営業マン。

    ノゾミさん
    会社の先輩。

    カーター
    片桐直貴。誰が見ても真性のイケメン。

    中畑遼
    スマイル歯科の院長。

    皐月
    大学時代の友達。ローマに住んでいる。

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    投稿日:2023.11.02

  • わぁちゃん

    わぁちゃん

    思っていた本と違った。頭の中のAと話すっていうところが出てき始めるとなんだか急につまらないなって思ってしまった。
    一通り読んでも結局どんな話だったのか、何が言いたかったのかよくわからなかった。

    投稿日:2023.10.31

  • つんどくって読むのかよー

    つんどくって読むのかよー

    映画を見た当時にいたく感動し、購入したものの読んでおらず、先日『勝手にふるえてろ』を配信で視聴し、これもまたいたく感動し、この本の存在を思い出して読む。
    映像のイメージ通り、といっても当たり前だが、映画館で見た雰囲気、高揚感、細やかな描写が薄れず記してあり、思い返し、味わいつつ読了。
    唯一Aは序盤では性別さえ不詳であるのだが、映画ではバリバリ男性であるゆえ、はじめに小説の方を読んでいたら感じ方も変わっただろうと悔やまれた。
    この一冊で綿谷氏の確かな技術に信頼し、他の著作も読んでみたくなった。
    感動でいえば文句なし星五つだが、そこから大九氏の演出力を考慮してマイナス一つ。
    続きを読む

    投稿日:2023.10.22

  • ma-book-i

    ma-book-i

    独身女子の日常。独身なら独身を思いっきり謳歌してほしいところだけど、なんか独身女子の生きづらさばかりで辛くなって…飛ばし読みで最後まで読んだ。

    投稿日:2023.08.09

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