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鈴木大拙, 北川桃雄 / 岩波新書 (38件のレビュー)
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総合評価:
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ヒョニョ
日本芸術と禅との関係が興味深かった。 リアリティを概念化し分析するのか、直感的に体験するのか。それによって主体的な応答が変わる。 禅というのは、その反対に突き抜けること、いうならば狂うことだそうだが、…社会を生きていくのには、どうしても言葉にする努力が必要だ。 しかし、禅の潔さが心をくすぐるのは、やはり日本文化、その精神性に深く影響を与えてきた思想だからなのだろうか。続きを読む
投稿日:2024.03.26
Yasu
このレビューはネタバレを含みます
「日本文化とはなんぞや?」と思った疑問からこの本に手を伸ばしました。 元々海外文化にも興味があったので海外に向けて日本のZENを紹介することが魅力に映ったことも理由です。 読み始めた時「めちゃめちゃ読みずらい、何この字?日本語?!」と感じました。『禅と日本文化』というあからさまに難しい本を手に取った若造からしたらそう思うのも当然でした。 しかし今回はちょっと興味あるし読んでみようと思い読み始め、結局4分の1まで頑張って読みました。辞めた理由は内容の理解の難易度も去ることながら日本文化は書籍ではもちろん完全に理解出来はしないと思ったからです。 簡単にこの本のはじめ(禅の予備知識)には ①どこから禅が来たのかその背景と②禅とはなんぞやの疑問に関して書かれていることがかかれていました。 ①は実際に読んでみて貰った方がいいとかんじたため②に関して少し感想?要約?ネタバレ?を書きたいと思います。 とても簡潔に説明すると禅は科学と対のものです。科学は数字や文字要するに言葉で説明されるもの。それに反して禅は言葉に頼らないもの。要するに体験でしか得られないもの。身をもって体験し初めて禅を感じられることが出来るような言語の手が届かない聖域に存在しているものです。 例えばコップに関して今自分たちが見た場合はこれはコップだなと感じることが出来ます。理由を聞かれた場合はこれは「これは自分が知っている形だから」と答える人も少なくはないのでしょうか? しかしその背景にはプラスチックで水が貯められることやガラスで作られていて暖かい飲み物も入りそう。など考えがあります。 それを【コップ】という考えでなく、その背景(今回でいうとガラスで作られて飲み物が入りそう)ということに着目する考え方、感じ方、またその背景には少なくとも条件はあるものの完全な答えなどなく様々な人が自分の考えに焦点を置くといった感じ方、考え方が禅の考え方だと感じました。 でも結局自分も言葉で禅の1億分の1を理解し?言葉で発信しているのでこの行為に意味があるか疑問ですけど笑 皆さんも日々の日常のタスクに疲れているときに本質を考える時間+日本文化とはなんだ?禅とはなんだ?という勉強する時間に浸りたいときに読んでみてはいかがでしょうか?
投稿日:2024.01.13
Mkengar
本書、書店でふと目にとまったので深く考えずに手に取ったが、とても感銘を受けた。なにか日本人が忘れかけているものを気づかせてくれる本である。もともとは禅宗およびそれと密接な関係のある日本文化を外国人に説…明すべく英語で執筆された本を、北川氏が日本語に翻訳しているものであるが、その意味では、西欧文化との対比が意識的に書かれ、日本人読者にとっても理解しやすい物となっている。 私自身はビジネスに深く携わっているのだが、近年はMBAブームもあり、米国流の経営管理手法がもてはやされている。書店でもそのような本が多く、日本の経営者の多くもそのような論理的なフレームワークに従って戦略立案や意志決定をするケースが増えてきている。 ただ、そのような動きに私自身は違和感を感じつつ、しかし「頭では」これが正しい流れなのだろう、と思っていたが、本書を読んで、過去の偉大な日本の経営者である松下幸之助や本田宗一郎などの経営には、ある意味禅的なエッセンスが含まれていると感じた。本書でも記載されているように、禅はロジックよりも自身の経験や内的な意識、さらに言えば「無意識」を重視する。本田宗一郎は新製品(バイク)のテストをするにあたって、自分がテストコースの地面にへばりつき、そのすぐ脇をバイクで走らせて、音と振動で良し悪しを判断したという。言葉にはできない、暗黙知である。 おそらくバブル崩壊後に日本企業の業績が悪化するにつれて、このような感覚や暗黙知に過度に依存する経営はいかんということで、様々な経営管理手法が日本に導入されたのだが、私自身このような米国流経営管理手法を学ぶことはとても大事だと思いつつ、日本人が心の奥底に持つ感性、これを失っては絶対にいけないと感じた。本書、日本企業の経営幹部も一読の価値ありと思います。おそらく、読後感としては全く新しいことを学んだ、というのではなく、忘れかけていた自分の心の奥底にあった何かが本書で引き出される、という感じだと思います。続きを読む
投稿日:2023.04.26
mogmog26
今日は朝3時頃に目が覚めたからこの本を読んでいた。日本で禅の文化がどのように浸透していったのかを追いかけた。 禅は日本に中国から儒教と共に、儒教の言葉で語られる形で流入したようだが、その起源はインドの仏教にあった。 中国では朱子学において儒教や禅の起源となるような文化が花開いたとされるが、中国はあくまで歴史的に実利を求める側面が強かった。その中で禅は異質なものだったのではないだろうか。中国人が禅の起源にあたる仏教に触れたとき、その奥深さに驚いたとされる。特に禅にあって儒教や道教になかったのは空(くう)の概念。 日本で禅が広がりを見せたのは鎌倉時代や南北朝時代であり、それは僧侶だけでなく武士の日常にも取り入れられた。禅は生死を日常的に意識する戦乱の時代に適合したようだ。さらに利休のような茶道の確立と共に武士の心構えとも同期する形で展開したところに禅の特殊性と特徴があるように思う。 日本人は侘び寂びの中に禅の体現を行った。侘び寂びは清貧、静謐、静寂、そして時に貧困をもあらわす。日本において一見、華やかさとは対極の生活の中においてこそ禅の精神が育っていったことは興味深い。日本人の奥ゆかしさやもったいないと思う心はここからも育まれたように思う。 細かく書くともっと色々ありますがこんな感じ。クリスマスの今日、キリスト教ではなく東洋の文化について振り返りました。禅の文化は今や瞑想や茶道という形で精神性を伴って世界中で受け入れられています。日本ではもともと中国からとりいれつつも、独自に解釈・発展させたようなところがあります。そしてその発祥はインドの仏教に関わるとされる。この禅の歴史的展開と発展は深すぎます。
投稿日:2022.12.28
ぽ
まさに西洋哲学的な知識の体系みたいなものを得ようとして読みはじめたので、冒頭からばかやろう!といわれた気分だった。ただそれである程度禅の概要は理解できてしまう(もちろん体得ではない)ので、その後の禅の…考え方をさまざまな日本文化のうちに読みとっていく、という段は、まあその考え方を踏まえたらそういう見解になるだろうな、といった予定調和の感があって次第に飽きてくる。でも禅を知るには格好の入門書なんだろうと思う。続きを読む
投稿日:2022.09.04
あつみ
「日本で私も考えた」に、著者が、「「日本文化の入門書」としていろんな人から薦められた」とあったので、手にしましたが、、、、 私には難解すぎました。 これを読んで理解する外国人の方々、すごい(@_@)
投稿日:2022.08.11
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