【感想】新約聖書 福音書

塚本虎二 / 岩波文庫
(15件のレビュー)

総合評価:

平均 4.1
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  • fuku0

    fuku0

    新約聖書は人生の中で何度も引くことがあったし、その言葉には少なくない影響を受けてきた。だけど、マルコ以外は初めて通読した。共観福音書の重複の多さや、ヨハネが霊肉二元論的であることなどの特徴を知ることができた。ヨハネの福音書のイエスと弟子の最期の対話はとても感動的だ。
    我々の文明がキリスト教の影響下にあることを差引いても、およそ二千年前にこれほど普遍的に心を打つような言葉と行動を示した宗教者がいたことに驚く。イエスは言葉の天才であり、人間愛を最も直接的に体現した思想家であった。彼が神の子であることを信じると否とを問わず、最も偉大な宗教者の一人であることを認めざるを得ない。譬えを多用し、ときに強い言葉を使いながら、勘所では急所を衝くような簡潔な表現で心を射抜く。彼の言葉は優しくもドキッとさせるものであり、ページを繰る手を止められず一気に読んでしまった。
    文庫化されているのは通読にありがたいが、訳については原典の言葉と補足する言葉が区別されているため、新共同訳などの方が直接心に迫り読みやすい。
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    投稿日:2024.02.29

  • djuax

    djuax

    持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられる(25:29)。『マルコの福音書』

    神は善人にも悪人にも無償の愛を与える。人間たちも無償の愛をもってお互い接しなさい。右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい(5:38)。※自分が気に入った人だけによくしてあげるのは自己愛。▼神聖なものを犬に与えてはならない。真珠を豚に与えてはならない。食べ物ではないと見るやいなや噛みついてくるだろう(7:6)。▼求めよ、さらば与えられん。探せよ、さらば見つからん。叩けよ、さらば開かれん(7:7)。▼滅びへの道は広い。多くの人がそこから入る。生命への道は狭い。それを見出す人は少ない。狭き門より入りなさい(7:13)。▼イエス「わたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 自分の命を得ようとする者はそれを失い、わたしのために命を失う者はかえってそれを得る」(10:39)。▼ヘロデ大王(ローマのユダヤ属州を委任統治)。生まれたイエスが自分の地位を脅かすと恐れ、イエス殺害を試みるが、天使のお告げでイエスの一家はエジプトへ逃げる。ヘロデ死後、ナザレに戻る(14)。▼金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るよりも難しい(19:23)。※弱者のうっぷんを「道徳」に変えたキリスト教(ニーチェ)。▼剣を取る者は、剣で滅びる(26:52)。『マタイの福音書』

    無条件に他人を慈しんで善行をなせ。ファリサイ派のように「清い者と清くない者、正しい人と罪人」など人間に線引きをするな。▼お前の敵を愛せ。お前を憎む者に善いことをせよ。お前を呪う者を祝福せよ。お前を侮辱する者のために祈れ(6:27)。▼マリアは聖霊によって妊娠、天使ガブリエルがマリアに妊娠を知らせた。イエスは神の奇跡によって生まれた。マリアの夫はヨセフ(ダビデの子孫)。▼99匹の従順な羊をさしおいて、1匹のはぐれ羊を探しに行く羊飼い。個の大切さ。▼ある金持ちが倉を建てて財産を蓄えた。飲んで食べて安楽に暮らそう。イエス「愚かな者よ、お前の命は今夜取り上げられる」(12:16-21)。▼追剥(おいはぎ)に襲われて血だらけで倒れている人がいた。だれも助けようとしない。サマリア人がやってきて傷の手当をしてロバに乗せて宿屋に連れて行って介抱。銀貨を宿の主人に渡して去っていった(10:25-37)。※ゴッホの善きサマリア人。『ルカの福音書』

    人間は心臓が止まると、死んだような死んでないような状態になる。仮の死。世界の終りに人々の前に神が現れ、死んでいた人にも肉体が与えられる。神はそこで人間に本当の死を与える。ただし一部の人に対して「永遠の生」(救済)を与え、神の国で永遠に生きることができる。▼一粒の麦が地面に落ちて死ななければ一粒の麦のままだが、死ねば多くの実を結ぶ(12:24)。▼復活したイエスは女従者(マグダラのマリア)に言った。「私にしがみついていけない (noli me tangereノリ・メ・タンジェレ)。私はまだ神のいる天国に上がっていない。ただ仲間に伝えてくれ。私は神のいる天国に行くと」(20:17)。『ヨハネの福音書』

    イエスの死刑後。パリサイ派のユダヤ教信者パウロは、新興宗教のキリスト教を迫害していた。ある日、馬に乗っているとイエスの幻があらわれ「なぜ迫害するのだ」と問いかける。驚いたパウロは落馬して、目が見えなくなる。パウロが洗礼を受けてキリスト教に改宗すると、目から鱗のようなものが落ちて見えるようになった。「目から鱗」の由来。改宗したパウロは、ローマ帝国を歩き周りユダヤ人以外の異教徒にキリスト教を布教した。『使徒行伝』

    人はみな上に立つ権威に従え。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたもの。権威に逆らっている人は、神の定めにそむいている。そむいた人は自分の身にさばきを招く(13)。*世俗の王の絶対主権の根拠に利用される(ボダン)。『 (パウロが出した)ローマ人への手紙』


    クレタ人のエピメニデスが言った。「クレタ人はつねに嘘をつく」。もしそれが本当ならクレタ人のエピメニデスが本当のことを言っているので矛盾する。自己言及のパラドックス。『(パウロが出した)テトスへの手紙』

    神はその人が耐えることのできない試練を与えない。『 (パウロが出した)コリント人への手紙』

    天では中央の玉座に神が座り、その周りに24人の長老が座っている。神は封印された7つの巻物を持っている。子羊(イエス)が順番に封印を解いていく。第一の封印が解かれると偽キリストが現れて世界を惑わせた。第二の封印が解かれると戦争が起こった。第三の封印が解かれると飢饉が起こった。第四の封印が解かれると地上の4分の1の人が死んだ。第五の封印が解かれるとキリスト教のために死んだ殉教者たちが蘇った。第六の封印が解かれると大地震が起こり太陽は黒くなった。月は血の海となり、天の星は地に落ちた。第七の封印が解かれると、七人の天使にラッパが与えられた。そして、神の国で永遠に生きることができる者と永遠の死が与えられる者を決める審査(最後の審判)が始まった。『ヨハネの黙示録』※ヨハネの福音書の「ヨハネ」とは別人

    ***********
    ※新約聖書。イスラエル民族全体が救われる(旧約聖書)ではなく、それぞれの個人が救われることにした。割礼せよ、豚食べるな等、細かな戒律をなくし、様々な文化の人に受け入れられる形にした。ギリシア語。ゾロアスター→ユダヤ→キリスト。
    ※ペテロ。漁師。ローマカトリックではペテロは初代教皇。教皇のとんがり帽子は漁師の帽子。
    ※ゲッセマネ。イエスがユダに裏切られ捕えられた場所。
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    投稿日:2023.04.23

  • Soma Oishi (大石宗磨)

    Soma Oishi (大石宗磨)

    新約聖書 福音書
    (和書)2012年08月04日 14:39
    1963 岩波書店 塚本 虎二


    福音書を読む。二回目です。最近フーコーさんのパレーシアや柄谷さんの無支配などいろいろ考えるところがあり、それがイエスと繋がりが深いと思ったので読み直してみました。真理を語ると言うところはイエスのパレーシアですね。

    イエスの奇跡にある病を癒すところは、ソクラテスについてミシェル・フーコーさんが講義集成で指摘しているところがそのまま当て嵌まると思います。イエスが病を癒すのは「汝自身に専心せよ」ということが起こったのだと思う。「自分自身に専心せよ。自分自身に配慮せよ。」ということなのだろう。それによって癒えるはものが奇跡とされたのだろうと思います。

    口語訳自体は非常に読みやすく、聖書すべてをこの調子で翻訳して頂けたら是非すべて読んでみたいです。

    ハローワークの休憩所で、読んでいて

    『生活の心配をするな』 マタイ六・二五-三四(ルカ一二・二三-三一)

    というものが非常にタイムリーだと思った。

    P85L5-P86L3
    「略・・・・・だからわたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上の賜物ではないか。命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。・・・・・略・・・・・あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば食べ物や着物などこんなものは皆、求めずともつけたして与えられるであろう。だからあしたのことは心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。・・・・・略」

    塚本虎二さんの口語訳は非常に読みやすく、読み物としてストレス無くなかなか有益でした。
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    投稿日:2020.09.26

  • jijyu2

    jijyu2

    文学作品を読み進めるうえで、キリスト教の知識が欠かせないことに気づき、読了。

    きちんと解説がついていて、聖書の全体構造や立ち位置が理解できて、身になりました(それまで新約と旧約の違いすら知らなかったので)。

    イメージと違い、伝記というか物語になっていて、解説も相まって頭にスムーズに入っていきました。

    あと、イエスのイメージも結構変わったような・・・。
    (無花果の木、水の上を歩く、など・・・。)

    文学作品を読むには不可欠なので、敷居が高いと敬遠している人には、読むのをおすすめします。
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    投稿日:2014.10.19

  • nakaizawa

    nakaizawa

    (2014.10.10読了)(2014.10.02借入)
    新約聖書の入門書やキリストの伝記的なものは、何冊か読んだのですが、『新約聖書』そのものは、読んだことがありませんでした。『聖書』が手元にないわけではないのですが、分厚いし、読みにくいので、岩波文庫版を借りてきました。借りると、返却期限までに読まないといけないというメリットもあるし。
    四つの福音書が収録されています。イエス・キリストの生涯と事績・教えという感じのものです。似たようなことが書いてあるので、ひとつにまとめてもいいようなものですが、まとめずに残したのですね。
    マルコの福音書は、洗礼者ヨハネが、イエスに洗礼を授ける話から始まります。受胎告知やらキリスト生誕やらの話はありません。
    マタイの福音書は、イエスの母・マリアの夫ヨセフの祖先の系図から始まります。最初は、アブラハムだったようです。系図の途中にダビデやソロモンが登場します。
    不思議なのは、イエスは、マリアの子ではあっても、ヨセフの血は受け継いでいないのだから、ヨセフの系図を述べてもあまり意味がなさそうなことです。
    マリアに対する受胎告知の話はありません。キリストの誕生、四博士の礼拝、エジプト逃避、のあとは、ヨハネによる洗礼と続きます。
    ルカの福音書は、「はしがき」があり、「イエス・キリストの福音の発端から、それがローマにまで伸びていいったことの顛末を」「一切の事の次第を始めから精密に取り調べ」テオピロ閣下に報告するといっています。
    ルカの福音書では、洗礼者ヨハネの誕生のお告げから始まり、イエスの誕生のお告げが続きます。受胎告知の話は、ルカの福音書で初めて出てきます。
    エジプト逃避やヘロデ王による幼時虐殺の話はありません。イエス十二歳のときの教師たちとの問答のエピソードは、ルカの福音書に入っています。
    洗礼者ヨハネによってイエスが洗礼を受けた話の後にイエスの系図の話が入っていますが、始まりは、神の子アダムになっており途中にノア、アブラハム、ダビデ、が登場します。
    系図は、マリアの夫ヨセフまでのものです。
    ヨハネの福音書は、マルコの福音書と同様洗礼者ヨハネがイエスに洗礼を授けるところから始まります。
    いずれも、イエスが処刑され、三日後に復活を遂げたというところで終わっています。
    復活したのなら、そのまま地上に留まって、伝道を続ければよさそうなものなのですが、天上に戻っていった、となっています。
    イエスは、死んだのか、復活したのだから、まだ生きているのか。天上へ行ったということは、やはり、死んだということなのか。

    【目次】
    凡例
    本文
    マルコ福音書
    マタイ福音書
    ルカ福音書
    ヨハネ福音書
    附録
     各書の標題
     旧約聖書の引用
     ネストレとの異同、その他
    解説
     新約聖書について・共観福音書問題
     四福音書の内容と成立
    あとがき―翻訳の決心

    ●体の外から(29頁)
    人の体の外から入って、人をけがし得るものは何もない。人から出るものが、人をけがすのである。
    すべて外から人の体に入るものは、人をけがし得ないことが解らないのか。心に入らず、腹に入って、便所に出て行くからだ。
    人から出るもの、そちらが人をけがす。内から、つまり、人の心からは、邪念が出るからである。
    ●預言者(33頁)
    「世間の人は私のことをなんと言っているか。」
    「洗礼者ヨハネ。あるいはエリヤ、あるいは昔の普通の預言者と言う者もあります。」
    ●夫婦(40頁)
    神は彼らを男と女とに造られた。それゆえに人はその父と母とを捨てて、二人は一体となるとモーセは書いている。従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は皆神が一つの軛におつなぎになったものである。人間がこれを引き離してはならない。
    ●掟(50頁)
    一、あなたの神なる主を愛せよ
    二、隣の人を自分のように愛せよ
    ●求めよ(86頁)
    欲しいものはなんでも天の父上に求めよ、きっと与えられる。探せ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。誰であろうと、求めるものは受け、探す者は見つけ、戸を叩く者は開けていただけるのだから。
    ●神の国(141頁)
    復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使のようである。

    ☆関連図書(既読)
    「聖書物語」山形孝夫著、岩波ジュニア新書、1982.12.17
    「新約聖書入門」三浦綾子著、光文社文庫、1984.11.20
    「イエス・キリストの生涯」三浦綾子著、講談社文庫、1987.11.15
    「新約聖書を知っていますか」阿刀田高著、新潮文庫、1996.12.01
    「ナツェラットの男」山浦玄嗣著、ぷねうま舎、2013.07.24
    「死海のほとり」遠藤周作著、新潮社、1973.06.25
    「イエスの生涯」遠藤周作著、新潮社、1973.10.15
    「キリストの誕生」遠藤周作著、新潮社、1978.09.25
    「イエスの生涯」モーリヤック著・杉捷夫薬、新潮文庫、1952.10.
    「神の旅人」森本哲郎著、新潮社、1988.05.20
    「サロメ」ワイルド著・福田恒存訳、岩波文庫、1959.01.05
    (2014年10月13日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    新約聖書の冒頭におかれた四福音書はイエス・キリストの言行を記録し、これを「喜ばしきおとずれ、吉報」として告げ知らせたもの。本文庫版はその口語訳の実現に半生をささげた訳者が、教会の伝統にとらわれることなく、あくまでも学問的な立場にたって正確さと分かりやすさのために細心の工夫をこらした画期的な個人訳聖書である。
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    投稿日:2014.10.13

  • moto

    moto

    「異教徒のために祈る」って凄いことですよね。すばらしい教義です。「自分や家族のために祈ることは異教徒にもできる。」確かに。
    マルコ伝あたりは本当にあったことなんだろうなあ、という気がします。超能力持ってる人はいますし。続きを読む

    投稿日:2013.03.09

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