【感想】御巣鷹山と生きる―日航機墜落事故遺族の25年―

美谷島邦子 / 新潮社
(7件のレビュー)

総合評価:

平均 3.8
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ブクログレビュー

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  • nobu2kun

    nobu2kun

    『#御巣鷹山と生きる』

    ほぼ日書評 Day486

    2010年刊。墜落事故から25年経っても続く、遺族たちの戦い。

    事故発生当初、勝手に写真を撮られ、マイクを突き出され...、そんな中、遺族がいちばん聞かれたくないことは
    「補償はどれくらい? 交渉はもう終わったのか?」
    「今のお気持ちは?」
    「遺体はどんな様子だったのか?」

    心の傷はなかなか癒えぬ中、記憶の風化が進む。
    事故を起こした日航はともかく、マスコミがひどい。
    10年たったあたりからは、マスコミ取材を受けると「どなたが亡くなられたのですか?」。
    名前や遺族との関係も調べずに取材申込みをしてくる。記者教育を遺族がしなければいけないのか。
    ひどい話である。

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    投稿日:2021.10.01

  • mikahayashi

    mikahayashi

    1985年8月12日に、日本航空123便が離陸12分後から32分間の迷走飛行の末、群馬県多野郡上野村の山中に墜落した。
    その後、遺族は「8.12連絡会」を発足。

    ・遺族相互で励ましあい、助け合い、一緒に霊を慰めていくこと。
    ・事故原因の究明を促進させ、今後の公共輸送機関の安全性を追求していくこと。
    ・独自の主体性を守り、政治・宗教・組合等の団体に属しない。利益を追求することや会として補償交渉の窓口になることはしない。

    事故直後の捜索から遺体確認の様子。事故調査委員会では蚊帳の外に置かれたり、刑事告訴も取り下げられ、「何があったのか」を遺族が知る機会がほとんどなかったこと。心無い報道などの二次被害に苦しんだこと。

    遺族の心の叫びが詰まっている。
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    投稿日:2019.02.13

  • mimm

    mimm

    この事故をきっかけに、安全に対してのシステムや遺体確認の方法など、自分たちも関わるかもしれない(気づかないうちに助けられていたのかもしれない)事の基礎が作られ始めたと、改めて。そして連絡会を作られた著者様の、母は強しの行動力に圧倒です。続きを読む

    投稿日:2017.07.03

  • bokemaru

    bokemaru

    今年で日航機の墜落事故から30年。
    あの衝撃は今でも忘れることができない。

    本書は、一人旅の小学生の息子をこの事故で亡くし、その後遺族会を取りまとめ、今も安全を願って活動している女性の手記である。

    事故後の遺族会立ち上げから真相究明への活動、日航との交渉やいろいろな人との情報交換など、著者の奔走ぶりにはひたすら頭が下がる。
    ただ、そのひたむきな活動より何より、一番自分の胸に刺さったのは、著者が「親より先に死ぬことは親不孝ではない」と語ったことだ。ここまでの境地にたどり着くのに、一体どれほど苦しんでこられたのだろうか。私などでは到底想像し得ないだろう長い長い道のりを思うと、言葉がない。
    もう二度とこんな惨事が起こらないよう、祈るばかりだ。
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    投稿日:2015.08.23

  • さんじょう

    さんじょう

    日航機墜落事故については本も、ネットでのまとめサイトも色々ありますが、遺族会(補償交渉団体ではなく)の心のケア、遺族の結びつき、安全への提言・運動と言うのが、程よい距離感と共感を感じさせる本でした。興味本位とも言える事故原因追求や陰謀説、悲惨な惨状(確かにそれはそうなのですが)を書きたてるのではない。等身大の哀しみや、その感情と共に生きることについて考えさせられました。続きを読む

    投稿日:2013.08.20

  • 抹茶左右衛門

    抹茶左右衛門

    このレビューはネタバレを含みます

    何度もページをめくれず、手がとまりとまりしながら読んだ。

    美谷島さんは遺族の連絡会である8・12連絡会の事務局長で事故以来ずっとご遺族の横のつながりをつなげ、様々な働きかけを継続されてきた。
    美谷島さんはこの事故で、一人、夏休みのご褒美の旅で大阪まで行くために123便に乗せた9歳の息子さん(健ちゃん)を亡くしている。これがどれほどの絶望的な苦しみかは言葉に出来ないほどだ。
    この世で最も悲しく辛い事にどうして出遭わなければいけなかったのだろうか。 この本の表紙には一枚の写真が載っている。 事故から3日目、どこかで息子は生きているに違いないという思いで墜落現場の急峻な道なき道を登った美谷島夫妻の様子を新聞社の記者が撮ったものだそうだ。元は深い森の木々が根こそぎなくなり、むき出しになった山肌に飛行機の残骸が写り、あまりの惨状に呆然とたたずむご主人の足元に泣き崩れている美谷島さんの写真で、見るたびに胸が鋭利なものでギュッとつかまれているような気持ちになる。
    この写真を美谷島さんは最近まで見る事が出来なかったと書いてあったと思うが、この写真をこのご著書の表紙にされた意味を考えた。
    何か事件や事故が起こると思うのだが、あまりにも不躾に“被害者”の様子を撮影し、インタビューし、報道することがマスコミの責務なのだろうか。美谷島さんも報道の功罪として記されているが、事故の風化を防止する役目を果たしてくれたこと、報道によって遺族同士のつながりを持てたこと、また心ある記者との出会いについても書かれている。
    しかし反面、私が最初に疑問(怒り)に思ったように、無神経なインタビューや撮影、恣意的な回答を引き出して都合のいいように報道したりという罪もある。
    美谷島さんのもとに還ってきた健ちゃんはワッペンを付けた胴体の一部と右手だけだったそうだ。爪の形を見て健ちゃんの手だとわかったと。

    異常事態になってから32分間制御不能になった機体を副操縦士や機長が全身全霊をかけてコントロールしようとしていたが、ダッチロールを起こし激しく揺れ動く中、どんなにか健ちゃんが怖かったかと思うとお母さんは言葉に尽くせないほどつらいことはわかる。
    ある日、隣の席に座ったお嬢さんのお母さんから電話がかかり、「娘は優しい子でした・・・きっと息子さんの手をしっかり握っていたと思いますよ」と聞き、この日から少しずつ自分を取り戻し始めたとある。

    悲惨な事故や事件に遭ってしまうことは、本当に偶然で、何故自分がこのようなことに・・・と思うのみで、それは日常と紙一重のところにある。
    事故に遭ってしまう、遺族になるなんて、何の因果関係もない、紙一重の偶然のことでそのむごすぎる現実の前に人はどうやって叡智を集めて救いを求めて行ったらいいのだろうか。


    その後も美谷島さんは8・12連絡会の事務局として様々な遺族をつなげ、事故の原因究明について取組み、事故後20年には文集「茜雲」総集編を出版している。
    事故後すぐの時期から20年まで家族の声が記載され、茜雲も何度もページをめくる手がとまり、読み進めることがなかなかできなかった。
    ここに寄せられている家族の文を読んでいくと、20年という時の経過を感じた。


    「御巣鷹山と生きる」が出版されたのは2010年6月のことだったので先の東日本大震災のことは記載がなかったが、事故の後に起きた阪神大震災や地下鉄サリン事件、JR西日本福知山線脱線事故などにも触れ、報道のあり方や遺族支援についての取り組みの進歩についても書かれている。
    事故から27年という時が流れて、ご遺族の中には亡くなられた方も、小さかったあるいはお腹にいたけど成長して大人になった方もと様々だ。何年たってもこの理不尽なめぐりあわせがなぜ、自分の愛する人に降りかからなければならなかったのかという思いは薄まっていくことはないのだろう。
    美谷島さんの言葉「悲しみは乗り越えるのではないと思っている。亡き人を思う苦しみが、掻き消せない炎のようにあるからこそ、亡き人とともに生きていけるのだと思う。」が心に残った。

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    投稿日:2012.09.10

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