【感想】インヴィジブル

ポール・オースター, 柴田元幸 / 新潮社
(20件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • けんさん

    けんさん

    『真実を求めれば求めるほど、目に見えない物語』

    1967年コロンビア大学での二人の出会いから物語は始まる。複数の語り手が語る物語は、一体何が事実で何が作り話なのか、その境界が『不可視』である。最後まで、物語の全体像は『不可視』である。でも、それが心地良く感じるのが、ポール・オースター。さすがです。続きを読む

    投稿日:2021.07.21

  • 沿岸部

    沿岸部

    "同情なんて最低の、役立たずの感情だよ。"(p.111)


    "人が望むことと得られることはめったに同じにならないのよね。"(p.243)

    投稿日:2021.01.26

  • のっぴ

    のっぴ

    アダム・ウォーカーという大学2年生と大学教授ルドルフ・ボルンとの出会いから物語は始まる。雑誌を発刊するための資金提供者ルドルフと雑誌編集人ウォーカーという関係が成立しかけるが、ウォーカーは、ボルンの残虐な部分を見てしまい、彼から離れていく。ウォーカーとボルンを中心に時が流れていく小説。
    インヴィジブル=不可視とあるように著者はこの言葉を意図的に物語中で使っているそう。とはいえあまりその部分を理解できるほど読み込めていない…
    一人称小説から二人称になり、最終的に名前にさして意味がなくなっていく。物語が進むにつれて、登場人物の実態はあやふやになっていく感じ。
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    投稿日:2020.12.23

  • 淳水堂

    淳水堂

    1967年の春に文学部の学生の私は、コロンビア大学2年生の時にフランス人客員教授のルドフル・ボルンと、その同棲相手のマルゴに出会った。
    親族から遺産を継いだというボルンは、一度しか会っていない私に雑誌を作る支援を申し出てきた。
    ボルンはその時35歳、皮肉さと頭の良さは持っていたが、どこかしら人と違うおぞましさのようなものを感じさせた。しかし私は魅力的なマルゴと、雑誌援助の話を手放せずそのままボルンとの付き合いを続ける。
    破滅はすぐにやってきた。ある晩道で銃を持った男に脅されたボルンは、迷わずナイフで男を刺殺した。
    私が警察に言うか言わないかで悩んでいるうちにボルンはパリに姿を消す。

    そして40年近く立った後、作家のジムの元に、学生時代の友人であるアダム・ウォーカーから手紙と、アダムが若い頃に経験した殺人事件の手記が送られる。
    アダムは非常に美男子で文学の才能に溢れいてた。非常に美しい姉とまだ幼い頃に死んだ弟がいる。だが卒業後には姿を消していたのだ。
    ジムへの手紙では、アダムは若い頃に文学への道は諦め、今は病気により死の床にあり、そして人生の転機となった1967年の経験を手記として発行したいと言って送ってきたのだ。

    そしてジムの元に送られてきたアダムの2つ目の手記。
    君は大学の留学制度でパリに行くことにした。パリではボルンに会うかもしれないが、それよりも将来への学びの道を選んだのだ。そして君はアメリカを去る最後の日々を幼い頃から心を通わせ合っていた姉のグウィンと過ごす。互いに幼い頃から性の成長も見せあってきた君とグウィンは、セックスに溺れ合うのだった。

    アダムはその後死に、ジムが手に入れたのは手記第3段のメモ書きだった。
    パリに行ったアダム・ウォーカーは、ボルンとマルゴに再会する。そしてボルンの殺人を暴くために、彼の婚約者のエレーヌと、その大学生の娘のセシルに近づこうとする。
    アダムの目論見は達するのか、それとも得体のしれない影響力と暴力性を持つボルンの前に敗れ去るのか…。

    ジムはアダム・ウォーカーの手記を完成させるために関係者たちを探して話を聞く。
    そして小説としてこの話を出すことにしたのだ。
    だから自分はジムではなく、アダムはアダムではなく、コロンビア大はコロンビア大ではないし、ボルンはボルンでない。
    関係者の話が揃えば揃うほどに不可視性(インヴィジブル)は増すばかり。
    そもそもボルンは本当に人を殺したのか、ボルンは政府の諜報活動をしていたのか、グウィンとアダムとの近親相姦は彼の妄想なのか…。

    人は物事のすべてを知ることはできない。通常の小説であれば”全能の作者”が読者に真相を明かすことができるが、この小説では作者であっても真実を知ることはできない。結局誰もがその人にとっての本当のことを語り、それにより”事実”は余計に不可視となっていく。

    <真実を語るためには、それを虚像にしなければならない。
    本の中で私を演じる人物は違う名前を与えられる。たとえばX氏。ひとたび私がX氏になれば、私はもはや私ではなくなり、ひとたび私でなくなれば、我々はいくらでも新しい細部を加えることができる。P274より抜粋>
    <こうして海を超える飛行機にのっている今も五十、六十のハンマーの響きが頭の中で聞こえる。この音はこれからもずっと私とともにあるだろう。一生ずっと、どこにいて、何をしていようと、ずっと私とともにあるだろう。P279>
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    投稿日:2020.08.07

  • stratton

    stratton

    「一九六七年の春、私は彼と初めて握手した。そのころ私はコロンビア大学の二年生で、何も知らない、書物に飢えた、いつの日か自分を詩人と呼べるようになるんだという信念(あるいは思い込み)を抱えた若者だった。」という主人公アダムの書き出しで、オースター読者ならピンと来る。本作も、ここ最近のオースター小説のベースになっている内省的自叙伝の色合いが濃いのではないかと。(1967年、オースターはコロンビア大学の二年生) もうこの時点でオースター・ファンとしては期待値が一段階アップする。
    語り手がアダムになったり、彼の友人のジムになったり、そして、ジムの語りの中でアダムの残した手紙を読んだり。こうしてアダム像が立体的に浮かび上がって…と書きたいところだが、そこはオースター。浮かび上がるどころか、アダム像はますますぼんやりと曖昧になっていく。事実と記憶、そして願望がない混ぜになり、アダムは少しずつ読者から遠ざかるような感覚にとらわれる。
    そして、本書の題名が「インヴィジブル」であること、そして人はいるのに鏡には何も写っていない写真が装丁になっていることに思い至る。オースターに連れ出された我々読者が見たものは何だったのか。ふと気がつけば、読後に想像をかき立てるいつものオースター・マジックに罹っていた。
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    投稿日:2020.05.04

  • torihane

    torihane

    あることを中心に、たくさんの視点がそのことを語っていく、というスタイルの物語は何度も読んだことがあったけど、
    すごく久しぶりに読んだポール・オースターは、
    ことに関連して、少しずつ視点もずれていくし、
    語り手も変わっていく。

    読みなれなくて進むのに時間がかかったけれど、
    読後感は気持ちが良かった。
    (内容がスカッとする、ということではない)

    人の人生の、その時々の交友の厚みが伺える
    時にあれほど仲良かったのに、という人と疎遠になってしまった悲しみを感じる時があるけれど、
    それは先の人生や、極端な話明日にでも、
    全くそんなことを思う必要おもなくなってしまうほど、
    違う人生を歩み始めてしまう時もある。

    ということなんじゃないか?とぼんやりと読後感に浸りたくなる作品でした。
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    投稿日:2019.05.27

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