【感想】砂浜に坐り込んだ船(新潮文庫)

池澤夏樹 / 新潮文庫
(3件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • Tyga

    Tyga

    苦麻の村が特に好きだが、全編に渡ってどこか浮遊しているようなそれでいて落ち着いているような不思議な感触が作品の中に一貫してある。

    何かに「座礁」した時、人は何を見るのか(または誰といるのか)。砂浜でただ動かずじっとしながらそれでも思考は飛び回れる。

    「座礁」しても「難破」しないための物語のように思えた。
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    投稿日:2020.02.21

  • ricaerururu

    ricaerururu

    このレビューはネタバレを含みます

    ・座礁した船は美しかった。
    場違いであることを少しも恥じず、自分がいるところが世界の真ん中と言わんばかりに堂々と、周囲をうろつく人間たちを完全に無視して、優雅にそこに坐っていた。

    ・彼が心に傷を負っているのはまちがいない。骨折ならば正しい位置で固定しておけばやがて繋がる。場合によっては骨にピンを入れる。切り傷は縫合する。皮膚は移植もできる。衰えた筋肉と神経はリハビリテーションで元に戻す。でも、治すのは身体の中から湧く力だ。極言すれば医師は手を貸すだけだとは言えないか。
    では、心の場合はどうなのだろう。

    ・「実際にはね、きみが今もいたとして、それで君に話して、それでどんな助言が得られたとも思わない。悩みが深い時に欲しいのは助言ではない。ただ聞いてくれる相手だ」
    「あの時、そうしてくれたね」

    ・渡し守は何も言わない。弊衣をまとった壮年の男で、もう何十年も艪を操っているように見える。まさか何万年ということはないだろうが。
    見ようとすれば自分の周りに水面の波紋やら舟の底に落ちた短い縄やらいろいろなものが見えるが、本当にそれがそこにあるのかどうか確信が持てない。渡し守だって本当にいるのかどうか。さっきから自分は見えるという言葉を多用している。見える・見えない・ある・ない・・・・・しかしそれらの間にくっきりとした境界線はないように思われる。灰色が濃くなったり薄くなったりするだけ。
    いくら時間がかかってもいいんだ、という声が頭の中で聞こえた。誰の声なのだろう。

    ・何年かの間、いい仲でした。
    それを終わらせてしまった。一時は何があっても終わるはずがないと互いに信じていたものを、ぼくの側から終わらせた。
    愛するというのは心の行為だから担保するものが何もない。心が変わればそれまで。
    そう言いました。
    別れると決めて、そう伝えて、それはあり得ないことだったからびっくりしたと言われました。いきなり足をすくわれてきっとわたしは転んでしまう、と言った。手を貸してと。

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    投稿日:2019.05.13

  • kitarouchan

    kitarouchan

    砂浜に坐り込んだ船/大聖堂/美しい祖母の聖書/苦麻の村/上と下に腕を伸ばして鉛直に連なった猿たち/夢の中の夢の中の、/イスファハーンの魔神/監獄のバラード/マウント・ボラダイルへの飛翔

    目の前に在る物にふと意識を向けるとそこに思い出が揺蕩っている。辛いものも楽しいものも懐かしくそこにある。ひと時を緩く過ごしたら、また歩き出そう今を思い出す時まで続きを読む

    投稿日:2018.07.06

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