じぶん・この不思議な存在

鷲田清一 / 講談社現代新書
(72件のレビュー)

総合評価:

平均 3.6
13
19
22
3
2

ブクログレビュー

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  • Kusakari Channel

    Kusakari Channel

    自分らしさにこだわるのではなく、他者とどう関わるかが本書の問いである。
    自分らしさに執着しすぎても、仕方がない気がした。

    投稿日:2020.02.04

  • もとかつ

    もとかつ


    ・“遠い遠いとこ、わたしが生まれたよりももっと遠いところ、そこではまだ可能がまだ可能のままであったところ” (哲学者,九鬼周造)

    つねに一定のだれかであるために、ありえた自分をつぎつぎと捨てていくこと、特定の文化や社会的なイメージに自分を合わせていく作業が必要となる。それが、じぶんになるということである。

    でも結局は、我々は自分を自分ではわからないし、顔は直接みることもできず、何をしたいかもわからず、自分は他人の中にしか存在しない。

    それを証明できないと、不安になるけども、実はそれは自由の喪失ではないかもしれない。だれかであることをやめることによって、誰にでもなれる自由がそこにあるということ。”自分がぼやけることの心地良さ” 。

    誰かと親密になる中で、その人の中の自分がぼやけることを畏れたり、どう思われるかを終始気にしているのはとても疲れてしまう。
    誰かが定義する私が、自分になってしまうからだ。でも、その”わたし”はわたしが自分に語って聞かせるストーリーで、同じ人生でも、語り方によって、解釈のあたえかたで物語は変わる。ほんとはなんにでもないから、なんにでもなれる、そう思うと少し心が軽くなりました。
    続きを読む

    投稿日:2019.07.22

  • kamitako

    kamitako

    「アイデンティティの衣替え」という言葉が一番しっくりと腑に落ちた。「他者の他者」であるために、様々な他者に合わせて付け替えている面...。そのことによって自身の生を、存在を感じる感覚...。没個性的な自身を詰るのはもうやめよう。続きを読む

    投稿日:2019.04.14

  • datesan

    datesan

    「わたしとは他者の他者としてはじめて確認されるものだ」
    私とはだれか、1人部屋の中で考えていても答えは見つからない。この本は繰り返し語る、わたしとは他者の他者である。言い換えてもおり、他人の中にじぶんが意味のある場所を占めているか、だそうだ。なかなか理解が難しい言葉だ。極端な例を挙げるとボランティアで肉体労働を望む若者たち、ヒモとなっている交際相手に身を削ってまで働き奉仕してあげる人、のような人で義務ではなく積極的にそれを行なっている人である、本書ではポジティブな受け身と呼んでいる。他人と積極的に関わっていく中で自分というものを規定できていくことだろう。続きを読む

    投稿日:2019.04.02

  • ちゅん

    ちゅん

    この本を理解できるほど頭が良くなかった。
    背景となる考え方・知識のレベルが違うので言葉を辿ることができずふるい落とされてしまう。
    読者の立場としてはもう少し歩み寄って来てくれたほうがありがたい。
    話のまとまりが見えず、話すために話しているようだった。続きを読む

    投稿日:2018.12.25

  • デンデンムシ文庫

    デンデンムシ文庫

    【いちぶん】
    《他者の他者》であるかどうかは、レインも言っていたように、他人のなかにじぶんが意味のある場所を占めているかどうかにかかっている。

    投稿日:2018.12.16

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