【感想】私の個人主義

夏目漱石 / 講談社学術文庫
(101件のレビュー)

総合評価:

平均 4.4
46
30
12
1
0

ブクログレビュー

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  • なな

    なな

    「もしあなたがたのうちですでに自力で切り開いた道を持っているかたは例外であり、また他(ひと)の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとはけっして申しませんが、(自己に安心と自信がしっかり附随しているならば、)しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てる所まで進んで行かなくっては行けないでしょう。
    行けないというのは、もし掘りあてることができなかったなら、その人は生涯不愉快で、終始不愉快で、終始中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。」本文より

    ためになる内容だった。
    繰り返し読んで自分の中に落とし込みたい。
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    投稿日:2024.04.02

  • 横

    私の個人主義
    著:夏目 漱石
    紙版
    講談社学術文庫 271

    夏目漱石の講演をまとめたものであるが、かなり読みにくい。けっこう難渋しました。
    複文、重文のかたまりであり、かなり時間がかかりました。

    明治という、近代化を始めたばかりの日本にある、自立と開化の雰囲気がよいとおもいました。

    気になったのは以下です。

    ■道楽と職業

    ・こと昔の道徳観や昔気質の親の意見やまたは一般世間の信用などからいいますと、あの人は家業に精を出す、感心だと褒めそやします。いわゆる家業に精を出す感心な人というのは取りも直さず真っ黒になって働いている一般的の知識の欠乏した人間にすぎないのだからおもしろい

    ・職業というものは要するに人のためにするものだという事に、どうしても根本義をおかねばなりません。人のためにする結果が己のためになるのだから、元はどうしても他人本位である。

    ■現代日本の開化

    ・要するに、2つの乱れたる経路、すなわちできるだけ労力を節約したいという願望から出て来る種々の発明とか器械力とかいう方面と、できるだけ気儘に勢力を費したいという娯楽の方面、これが経となり緯となり千変万化錯綜して現今のように混乱した開化という不思議な現象ができるのであります

    ・現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかというのが問題です。
    西洋の開化は内発的であって、日本の開化は外発的である。
    ここに内発的というのは、内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずからつぼみが破れて花弁が外に向かうをいい、また外発的とは外からおっかぶさった他の力で已むをえず、一種の形式を取るのを指した積なのです

    ・もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉を付けた以後の日本の開化は大分勝手が違います。

    ・学者は解ったことを分かりにくく言うもので、素人は分からない事を分かったように呑込んだ顔をするものだから非難は五分五分である

    ■中身と形式

    ・相手を研究し相手を知るというのは離れて知るの意でその物になりすましてこれを体得するのとは全く趣が違う。いくら科学者が綿密に自然を研究したって、必竟するに自然は元の自然で自分も元の自分で、決して自分が自然に変化する時期が来ないごとく、哲学者の研究もまた永久局外者としての研究で当の相手たる人間の性情に共通の脈を打たしていない場合が多い

    ・なおこの理を適当に申しますと、いくら形というものがはっきり頭に分かっておっても、どれほどこうならなければならぬという確信があっても、単に形式の上でのみ纏まっているだけで、事実それを実現してみない時にはいつでも不安心のものであります。

    ・要するに、形式は内容のための形式であって、形式のために内容ができるのではないというわけになる。
    もう一歩進めていいますと、内容が変われば外形というものは自然の勢いで変わってこなければならぬという理屈にもなる

    ・一言にしていえば、明治に適切な型というものは、明治の社会的状況、もう少し進んで言うならば、明治の社会的状況を形作るあなた方の心理状態、それにピタリと合うような、無理の最も少ない型でなければならないのです。

    ■文芸と道徳

    ・近年文芸の方で、浪漫主義及び自然主義、すなわち、ロマンチシズムと、ナチュラリズムという2つの言葉が広く使われてまいりました

    ・今日の有様では道徳と文芸というものは、大変離れているように考えている人が多数で、道徳を論ずるものは、分限を談ずるをいさぎよしとせず、また文芸に従事するものは、道徳以外の別天地に起臥しているように独り極めて悟っているごとく見受けますが、けだし、両方とも嘘である。

    ■私の個人主義

    ・自力で切り開いた道を持っていく方は例外であり、また他の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとは決して申しませんが、しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分のつるはしで掘り当てる所まで進んでいかなくってはいけないでしょう

    ・第一に、あなた方は自分の個性が発展出来るような場所に尻を落ち付けべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。
    しかし、自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になってくるでしょう

    ・我々は、他が自己の幸福のために、己の個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのであります。

    ・私のここに述べる個人主義というものは、決して俗人の考えているように国家に危機を及ぼすものでも何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。

    目次
    この本によせて
    1 道楽と職業
    2 現代日本の開化
    3 中味と形式
    4 文芸と道徳
    5 私の個人主義

    ISBN:9784061582712
    出版社:講談社
    判型:文庫
    ページ数:170ページ
    定価:660円(本体)
    1978年08月10日第1刷
    2018年04月17日第81刷改版発行
    2020年09月15日第83刷
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    投稿日:2024.02.13

  • 梨

    夏目漱石のことを偉大で凡人が理解の範囲外に押し切られるような人物だとどこか考えていましたが、自分が読んでも素直に納得できる(凡人にも理解ができる)発言を淡々と述べられる人物だということを知り、ただただ身近な存在に感じることができました。
    他のものも手をつけて行きたいと思います
    続きを読む

    投稿日:2024.02.02

  • ことりんご

    ことりんご

    漱石のいう「自己本意」「自分の鶴嘴をもつ」とは、主体的であるということだろうか。
    自己本意であると同時に他人の個性を尊重しなければならない。権力をもった人間は、権力が時に「自分の個性を他人の頭の上に無理やり押し付けるようなもの」になりかねないということを肝に銘じておかなければならない。
    権力には義務や責任が付随する。叱る権力があるのなら、同時に相手が理解できるまで教える義務と責任を伴う。
    続きを読む

    投稿日:2023.09.04

  • pnictide

    pnictide

    夏目漱石は講演も上手かったというのは知らなかった。特段尖ったことを言っているわけではなく、普遍的に大事にされるべき価値観を述べているので、そこまで大きな発見はなかった。しかしこれが約100年前に語られた内容で、現代にまで通じていることからも、説得力・妥当性が評価されて、本書が語り継がれているのだと思う。続きを読む

    投稿日:2023.08.17

  • 1896593番目の読書家

    1896593番目の読書家

     およそ100年前のスピーチとは思えないほど、今の時代に通ずることが多くて人生の指針にしたくなるような本だった。
     何度も読み返したい

    投稿日:2023.08.09

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