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黒田基樹 / 角川ソフィア文庫 (1件のレビュー)
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北条氏と「上杉」氏の55年史を、戦国大名と国衆たちの文書を読み解きながら描いていく。平板な記述が繰り返され退屈な部分もあるが、面白かったのは、甲相駿三国同盟の14年間だ。 当時、三国は武田晴信、今川…義元、北条氏康の下で、広域の戦国大名へと成長する過程にあった。侵攻方向を定めてその後背を固めるのが常道とすれば、この3人にとって答えは明らかだったのだろう。武田は北の信濃へ、今川は西の三河へ、北条は北関東や東関東へと領土拡大を進め、やがて北方の「上杉」謙信が共通の敵として現れてくる。 これは国際関係論的に言えば、信義や共通の価値観に基づく同盟ではなく、打算による攻守同盟である。よって、利害関係が変われば同盟は崩壊していく。武田氏が川中島までの支配を確立し、その北の越後への拡大は不可能とわかってくる頃、南では今川義元が桶狭間に倒れ、自立した徳川家康の勢力が三河から遠江へと伸びてくると、武田信玄は嫡男義信の事件を機に駿河侵攻へと舵を切り、北条氏康は今川氏真を擁護・接収する立場をとる。氏康は今度は上杉謙信との同盟に踏み切るが、打算の関係には力の論理しかなく、今川滅亡後は北条氏が相対的弱者として攻められる側に廻っていく。 結局のところ、関東では広域大名に比べ国衆の力が強く、北条氏や上杉氏の間で国衆たちの離合集散が繰り返されるばかりで、誰も関東を制覇することができなかった。近畿と中部を制覇した織田氏にできたことが何故北条や上杉にはできなかったのか、そこには配下に置いた武士に対する統制のあり方にもあるような気がした。続きを読む
投稿日:2017.02.25
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