【感想】水戸黄門「漫遊」考

金文京 / 講談社学術文庫
(3件のレビュー)

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  • jiyun

    jiyun

    59p :天候の不順と裁判の不正は,しばしば相関関係にあると信じられている。これは,皇帝は天の委任により,天に代わって世界を統治するものであり,もし皇帝が天の委託にそむいて悪政をおこなえば,天は気候の不順や災害によって皇帝に警告をあたえるという中国古来の考え方(これを「天人相関」という)のあらわれであって,なにも金代だけの特殊な現象ではない。冤罪事件など裁判の不正は悪政の最たるものであり,日照りなどの天候不順はそれによってひきおこされるとみなされていた。
     つまり前近代の中国人にとって,裁判とはたんなる社会的制裁であるだけではく,世界の根元にかかわる神話的行為であったと言ってよい。

    94 なるほど朝鮮は,中国式の中央集権国家であった。しかしそれは多分に表面上だけのことであって,実態はかならずしもそうではない。朝鮮はいまも昔も地方差の大きい国である。古代には,新羅・高句麗・百済という文化的にも民族的にもことなる三つの国が分立していたが,統一国家形成後もその影響は長く残った。それがいまも続いていることは,アメリカ式の民主主義国家であるはずの韓国における昨今の大統領選挙を見れば明らかであろう。

     しかし実際には,中国の圧倒的な影響のもと,朝鮮はなかば強制的に中央集権国家の形成を余儀なくされたのであった。かくして朝鮮の国王は,ばらばらになろうとする各地方をたえず監視し,中央につなぎとめておかねばならぬ宿命を負うことになったのである。
     地方官は中央の任命ではあるが,その実態は両班貴族であり,両班は官僚であると同時に地方の権益の代表者にほかならない。王権は,両班からなる臣下団やその背後の地方勢力に制約され,相対的に弱いものであったと言えるであろう。朝鮮王朝の各時期をつうじて,各地でたえまなく起こった大小の反乱は,腐敗した官吏や圧政のせいだけではなく,より深いところに根があったと言えよう。

     中国的国家の基本概念は,言うまでもなく儒教である。そこで朝鮮王朝は政治・文化のあらゆる面において,儒教化を強力に推進する。そのため朝鮮本来の習慣や風俗・倫理観で,儒教に合致しないものは,強制的に改めさせられた。
     朝鮮がその後,現在にいたるまで,本家の中国をもしのぐ儒教国家と言われるようになるのは,このように相当の無理をかさねたうえでのことである。

    178頁 儒教の経典である五経のひとつ『詩経』は,周代・春秋時代の歌謡集で,『楚辭』とならぶ中国古代文学の精華である。その編集には,孔子みずからがたずさわったとされている。その『詩経』のなかの大半を占める「国風」と呼ばれる部分は,諸侯の支配する各国の民謡である。たんなる民謡がどうして儒教の経典のなかに入っているかと言うと,それは民謡を集めることが儒教的な理想の政治を実現する手段であると考えられたからであった。
     『漢書』藝文志によると,古代には「采詩の官」という役職があって,各地の民謡の採集を任務としていた。また民衆のほうは,なにか政治に不満があるときは,それを歌にして諷刺することができた。そこで王者はそれらの民謡を聞くことによって,各地の風俗と民情を知り,政治の得失を調べ,誤りを正したのである。『詩経』の「国風」は,つまりこの「采詩の官」が集めた各地の民謡であった,というのである。そのため「国風」の歌は,たとえ今日のわれわれの目からみれば,男女の情愛をうたった恋愛歌であっても,すべて政治的意味合いのもとに解釈されることになる。

    183頁 「采詩の官」や「楽府」が代表する儒教的文学観が,実際には検閲と言論弾圧になりうること,そして文学者が権力者によって政治的に利用されうる可能性を物語っている。
     社会主義新中国では,毛沢東が1942年に革命根拠地の延安で発表した「文芸講話」が文学に対する絶対的基本方針となった。それは,文学は人民のために奉仕すべきであるという内容であるが,政治のための文学という点では,儒教的文学観となんら変わりがない。そしてその後,この「文芸講話」の路線に合わない文学は,反人民的・反革命的という烙印を押され,容赦なく弾圧された。いわゆる文化大革命によって,数多くの文学者が迫害されたことは,いまなお記憶に新しい。中国の現代文学史は,まさに死屍累々,血に彩られているといって過言でない。
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    投稿日:2013.11.04

  • ぼのまり

    ぼのまり

    水戸黄門はどこからどうみても創作時代劇であるが、登場する印籠の背景を中国の皇帝が使者に持たせた金牌などとの共通性や、地方行政の粛清するなど、密使、隠密的な行動パターンに見出すなど、興味深い論考です。

    投稿日:2013.06.08

  • keitamai

    keitamai

    「英雄たち」が「変装による私行」「微行」「漫遊」「巡幸の旅」をして「悪を成敗」という「水戸黄門」ではおなじみの「物語類型」「パターン」を日・中・韓の(類似した政治体制下で生み出される)物語から金先生によってあざやかに謎解かれる、目からウロコ連発の名著でした。その際個人的にいちばん気になったのは「宗教的ともいってよい願望」という言葉でした。続きを読む

    投稿日:2012.10.07

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