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松尾匡 / PHP新書 (1件のレビュー)
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キじばと。。
「自由」をめぐる錯綜した問題を解きほぐし、新自由主義と排外主義、リベラリズムとリバタリアニズムとコミュニタリアニズムの相克を乗り越える道を探る試みです。 本書の最後に提示されている「培地/ウイルス」…のモデルは、多くの示唆を投げかけているように感じました。私自身は現代の政治哲学ではローティのプラグマティズムにもっとも共感を抱いているので、「培地」の厚生に寄与するウイルスの自由な創意を活かすという考え方そのものは、受け入れやすいように感じています。 ただ、そこに至るまでの議論の道筋が、どうもクリアには見えてこないように感じています。著者は、「ウイルス」を行動原理ないし考え方とする一方、「培地」を「生身の個人」としています。これは、個々の文化における価値観が当該文化において抑圧されているはずの人びとの意識にも入り込んでしまっているというケースがしばしば見られ、文化的価値の相対主義の主張が、そうした抑圧構造の維持にむしろ手を貸すことになってきたということへの反省に基づいています。その上で著者は、マルクスの疎外論を援用しながら「生身の個人」という概念を設定し、この「生身の個人」の厚生を最大化する行動原理を求める自由を確保することをめざしています。しかしこうした著者の議論は、「生身の個人」の幸福をアプリオリな原理とみなしているのではないかという批判を招くのではないかということが気になってしまいます。 他方で著者は、「生身の個人」の幸福をあらかじめ計算によって確定することができるという設計主義的な発想を退けようと、カントの「統制的原理」の概念を持ち出しているのですが、こうなってしまうともはやプラグマティズムの主張とは相容れず、むしろハーバーマスのアプリオリズムに著しく接近してしまっています。それが著者の本当の主張なのか見極め難く、なかなか本書の中核にあるはずの考え方が明瞭な像を結んでくれないもどかしさを覚えます。続きを読む
投稿日:2017.05.05
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