【感想】禅が教える 人生という山のくだり方

枡野俊明 / 中経の文庫
(3件のレビュー)

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  • yonogrit

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    禅が教える 人生という山のくだり方 (中経の文庫)
    by 枡野 俊明
    「定年しても、時々顔を出してくださいね。まだまだ教えてほしいことがたくさんありますから」。部下からそう言われて会社を送り出される。「やっぱり自分は必要とされているんだ」と思い込み、本当にノコノコと会社に顔を出す。しかし現実はただ 鬱陶しがられるだけです。自分ひとりいなくなったからといって、会社は何ひとつ変わることなく動いている。当たり前です。それが会社というものです。

    ひとつの縁が切れる。それは悪いことでも悲しいことでもありません。 考えてみれば、一生切れることのない縁というのは、家族以外にはそうありません。学生時代の友人でも、会社時代の同僚でも、その縁が生涯続くということはなかなか難しいことです。時に生涯の友と出会うこともありますが、それは非常に 稀 なことであり、幸運なことです。私たちが結んでいる縁の多くは、やがて薄れたり切れたりしていく。そういうものだと私は思っています。

    これまでの縁にしがみつくことをせず、新しい縁を結んでいくことです。 人生の中には実にたくさんの縁が流れています。 流れる縁はけっしてひとつだけではありません。 ところが私たちは、つい今結んでいる縁がすべてのように感じてしまう。会社という場で結ばれた縁。仕事を通して深くなった縁。それはすばらしいものでもありますが、それだけが人生のすべてではない。今の縁を大切に思う気持ちは分かりますが、そこにばかり執着してはいけません。

    これまでのように名刺を渡して「私はこういう者です。ぜひ一度飲みに行きましょう」とのぼり坂の誘い方をするのではなく、「今度、一杯やりませんか?」と穏やかに誘ってみる。そこには何の計らいごとも損得勘定もありません。あるいは、ただ、共にお酒を酌み交わしたいという気持ちだけ。そんな縁の結び方が、人生のくだり道にはきっとある。

    医学的に見ても、 40 歳を境に腸内細菌の数は半減するそうです。中高年になってお腹を壊しやすくなるのもそれが原因だとされています。あるいは脳の細胞も確実に減少していく。記憶力も低下し、物事を判断するスピードも落ちてくる。すべての人間に訪れる老化とは、実は 40 歳くらいから始まっているのです。

    かつての日本では、独り暮らしというものが非常に稀でした。三世代が同居している上に兄弟や親せきも多い。いつも誰かが家の中にいる。安心で楽しい半面、時には独りになりたいと思ったものです。  ところが近年では、独り暮らしの人が急激に増えています。都市部においては 40%が独居だというデータもあります。結婚しない独身の人が増えている。結婚しても別れたり、あるいはどちらかが先に亡くなったりする。さまざまな要因が重なって、かつてないほどに独り暮らしの世帯が増えているのです。  独りぼっちであるという寂しさ。それは人間にとってとても大きなものです。恐怖感に似たものかもしれません。誰かが傍にいてくれる。誰かが自分のことを思っていてくれる。寂しさに耐えきれなくなれば、寂しさを紛らわせてくれる人がいる。 やはり私たちは人と人とのつながりの中で生きている のです。

    自分には趣味などない。夢中になれるものなどない。仕事がなくなった時、いったい何をして生きていけばいいのか。定年になってから、慌てて趣味を探そうとする人もいるでしょう。しかしそれでは遅すぎます。ゆっくりと時間をかけながら、夢中になれるものを見つけていくこと。定年になる数年前から、それを探し始めることが必要なのです。

    一人のキャリアウーマンがいました。バリバリと仕事をこなし、社内でも高く評価をされていた女性です。そんな彼女の息抜きは、生け花でした。花を生けている時にこそ、彼女は心が安らぐ思いをしていた。もともと研究熱心な性格ですから、生け花の技量もどんどん高くなっていきます。  彼女が生け花に精通していることが社員に知れて、後輩たちが教えてほしいと言ってくる。そこで彼女は、時々、社内の後輩たちに生け花を教えていたのですが、どう考えても自分には人に教える才能があるとは思えませんでした。また社内で後輩に教える難しさもあります。言ってみれば部下が上司から学ぶわけですから、どうしても仕事の延長線上みたいになってくる。生け花を教えるというより、仕事の指導をしているという雰囲気になってしまう。その上彼女自身も、物覚えの悪い後輩にはついイライラしてしまう。やはり自分は人に教える能力などないと思い込んでいたのです。  そして彼女は定年を迎え、まさに下山の人生を歩み始めました。とくにすることもないことから、思いつきで生け花教室を始めることにしたのです。自分には教える能力などないとは思っていたものの、まあ時間つぶしにはちょうどいいかと。

    人間関係を築くことが苦手で、定年退職した途端に酒を酌み交わす相手もいなくなった。そういう人を見かけます。別に友人などいなくてもいい。仲間など必要はない。 頑 なに自分の考えに執着し、やがては孤立していく。 孤独な時間は大事なものですが、常に孤独であることは人間としては苦しいものです。  どうしてそのように頑なになる人がいるのか。それは、自我に執着しているからにすぎません。常に自分を中心に考えている。他人に配慮することをせず、すべてを自分の思い通りにしようとしている。我を張ることと、自分の人生を生きることはまったく別のことです。自分だけの人生を生きることとは、周りの人たちを大切にしながら、その関係の中で自分らしさを見つけていくことなのです。

    一度行ったことがある。その経験だけでその土地を知ったような気になっている。一度やってみたが面白くなかった。その経験だけでつまらないと決めつけてしまう。そんなことでは、本当に何もすることがなくなってしまいます。

      50 歳を過ぎれば、こんな会話が飲み屋さんなどで聞こえてきます。「俺は定年になったらスキューバダイビングを始めるんだ」「俺は読めなかった本を一日中読んで過ごしたいな」「私はヨーロッパを旅して歩くのが夢なんだ」などなど。みんな楽しそうに語り合っています。忙しく仕事に追われる中で、ほんのひと時夢を語り合う時間。それはとても素晴らしい時間だと思います。

    幸せというのは、なるものではありません。 それは 自分の心が感じ取るもの なのです。もしも「なる」ものだとしたら、人生はとても単純で簡単なものになるでしょう。たとえばお金が幸せにしてくれるのであれば、給料が100万円になればすべての人が幸せになれるということです。ところが現実には、いくら100万円の給料を手にしても、まったく幸せを感じていない人もたくさんいるでしょう。反対に、給料は 20 万円しかなくても、日々の生活を幸せに送っている人もたくさんいます。
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    投稿日:2024.03.29

  • テクノグリーン

    テクノグリーン

    このレビューはネタバレを含みます

    枡野俊明著『禅が教える人生という山のくだり方(中経の文庫)』(KADOKAWA)
    2016.1発行

    2016.10.5読了
     年配者を対象にした本だが、若い世代にも十分読める内容だった。人生を山に例えると、登りは常に何かのために生きている。生活やお金、家族……。しかし、下りは何かのためではなく、自分が本当にしたいと思えることに時間を使いたい。背負った荷物を一つ一つ下ろしていき、山を登る人に人生の経験を教えながら、豊かな時間を過ごしたい。結局のところ、人生は一日の積み重なりであり、人生の豊かさというのは一日の過ごし方なんだと思う。
     幸せとはなるものではなく心で感じ取るもの。
     思い出は頭に残るものではなく、心に残るもの。

    URL:https://id.ndl.go.jp/bib/027011582

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    投稿日:2022.10.15

  • daisennkei

    daisennkei

    人生の下山。とても難しい。どこで下山とするのか人それぞれです。自分は61歳ですがまだ本当に登山の気持ちです。過去に囚われいつも過去の自分を追いかけて・・でも、身体は正直ですごい勢いで衰えて行く
    。私と同じような方って沢山いらっしゃるのですかね・・・変わらないと・・続きを読む

    投稿日:2020.11.18

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