【感想】「坂の上の雲」と日本人

関川夏央 / 文春文庫
(14件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • boutoumetous

    boutoumetous

     『坂の上の雲』の副読本に手を出す気持ちで手を出した自分が甘かった。『坂の上〜』をめぐる当時から後世の言説を俯瞰するような内容であり、戦費その他のデータも補完されている。
     若手編集者へのレクチャーをもとにしたせいか「ですます」体になっている。「だ、である」体の引用文が多いのでこれは正解だった。
     『坂の上の雲』を読み通したのはずいぶん前だ。陸戦より海戦の方が面白いので、そちらを先に読んでしまった。これがフィクションなら正岡子規をもう少し生かせておくのだろうとも思った。
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    投稿日:2022.12.17

  • あまぬさ

    あまぬさ

    司馬遼太郎の「坂の上の雲」を様々な視点で評論。
    単なる日露戦争(奉天会戦・日本海海戦等)の解説に留まらず、戦争を取り巻く人間社会本質を坂の上の雲というフィルターを通して説いている。
    特に、愚将と評されることの多い乃木大将については、司馬遼太郎の評価と一定の距離を保ちつつ持論を展開しているところが面白い。
    改めて坂の上の雲という作品の魅力を感じることができる一冊。
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    投稿日:2020.01.29

  • bukuroguidkodama

    bukuroguidkodama

    『坂の上の雲』を題材とした評論
    12年くらい前に読んだきりで
    児玉源太郎くらいしか(名前的に)覚えておらず
    むしろ江川達也『日露戦争物語』が絵的印象
    まず「政治と文学の分かれ」の項が面白かった
    「政治」からの軽視も確かにそうだし
    「文学」でも政治をばかにしているというのは当たっていると思う
    日本以外ではどうなのか知らないが
    それが「大衆」に向けた「文学」という現在の本流だ
    次に末尾の「冷戦構造下的あなた頼みのセンスで生きている」という疑いもその通り
    けれどそれが「大衆」だ
    日比谷焼打ちもブログの炎上も起こる場所が違うだけで
    そこに参加する人々の在り方は同じ
    現代ならぬ現在の大衆が政治参加も
    やはり40年前、80年前、120年前と変わらぬその場のムードであり
    それを作るのはごく一部の「あなた頼み」への
    疑いと反骨と巡り合わせでしかない
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    投稿日:2019.01.11

  • 湖南文庫

    湖南文庫

    文芸春秋の月刊誌『文學界』に2005年1~10月に連載された『『坂の上の雲』を読む』を書籍化したもの。
    『坂の上の雲』については、2009~2011年に3年に亘ってNHKのスペシャルドラマで放映され、強烈な印象を残したことも記憶に新しい。
    本書で著者は、この作品が1968~1972年に(産経新聞の連載として)発表されたことに注目し、司馬遼太郎は、この作品に描かれた明治維新から日露戦争までの若くて健康的な日本が、その後昭和20年に至る40年間になぜ不健康な日本に変わってしまったのかに問題意識を持ち、それを、戦後20年経ち、高度成長が進むとともに反体制色の強まった時代に改めて提示した、と分析している。
    また、なぜ秋山兄弟と共に主人公として登場する文人が夏目漱石ではなくて正岡子規だったのか、なぜ乃木希典が極めて無能な司令官として描かれているのかなど、司馬遼太郎がこの作品に込めたメッセージを様々な角度から解き明かしている。
    (2012年1月了)
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    投稿日:2016.01.11

  • bax

    bax

    このレビューはネタバレを含みます

    [ 内容 ]
    日露戦争で勇名を馳せた秋山好古・真之兄弟と俳句・短歌の革新者である正岡子規を軸に、明治日本の「青春」を描いた司馬遼太郎の『坂の上の雲』。
    この雄篇が発表されたのが1968‐72年である点に着目し、そこに込められたメッセージを解き明かす。
    斬新な視点と平易な語り口で司馬文学の核心に迫る傑作評論。

    [ 目次 ]
    第1章 国家が「軽かった」時代
    第2章 「お里」の回復
    第3章 ナショナリストの原像
    第4章 日英同盟と「封緘命令」
    第5章 乃木将軍と鉄道改軌
    第6章 「歴史的記憶」と脚気
    第7章 「成って居らぬ」旅順攻略戦
    第8章 戦争と「広報」
    第9章 「三笠」の記憶と石炭
    第10章 「天佑神助」と「無常」

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

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    投稿日:2014.11.21

  • futan

    futan

    「司馬遼太郎の『かたち』 『この国のかたち』の十年」を2000年に書いた関川は、編集者に「書きませんか」と言われ、「空き巣」のようにこの本を書こうとした。

    空き巣というのは例えは良くないが同じ手口を使うということである。『かたち』のようにである・・・というかあったはずだった。

    いつ司馬遼太郎がどんな気持ちでその文章を書いたかという点では、時代相を読み、関係者に話を聞き、膨大な参考文献を渉猟する。『かたち』と同じ手法であるが、相手がエッセイと小説の違いがあるので、そのあたりが違っており、書くのに苦労したようである。

    1.一番大事な点は、なぜ司馬遼太郎が1968年から1972年という時期に、日露戦争を取り上げて『坂の上の雲』を書いたかということであり、それは解説者の内田樹も言うように、その1968年から1972年という時期が日露戦争後の40年間、司馬遼太郎が最も嫌っていた<異胎>の日本と、現象面は両極端だが、実はよく似ていたからと考えた・・・ということになる。

    2.それは司馬遼太郎にとっては、どちらの時代にも共通するのは「正義」を押し付けるイデオロギー、「正義」の名のもとの「集団ヒステリー」であったからだろう・・・と関川、内田が言っている。

    3.『坂の上の雲』は、司馬遼太郎も言っているように、「告白」や「ナルシシズム」を特徴とする日本近代文学ではない。「時代」と「時代精神」を書いた「写生小説の大作」と、関川は評価している。私は日露戦争の分析という研究論文だと評価しているが・・・

    4.「写生小説の大作」・・・つまり、正岡子規の小説家版になろうとしたのだろうか司馬遼太郎は。
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    投稿日:2014.05.11

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