【感想】比較制度分析序説 経済システムの進化と多元性

青木昌彦 / 講談社学術文庫
(6件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • 勤労読書人

    勤労読書人

    青木昌彦が先月(7月15日)亡くなったと知った。青木もそうだが、廣松渉、西部邁、柄谷行人など1950年代に「ブント(共産主義者同盟)」に関わった人々には結構有名人が多い。廣松、柄谷は終生(柄谷は存命だが) 「左翼」を貫いたが、西部、青木は早々と「転向」した。西部は今や保守論壇の重鎮となり、青木はアカデミズムのメインストリームで国際的にも高い評価を得た。昔の左翼は随分頭が良かったものだとつくづく思う。

    本書で青木が論じてることは現象としては実はありふれた常識的なことだ。 前近代的な共同体の残滓に見えた日本企業の組織原理が、決して「遅れた」ものでも非合理的なものでもなく、情報処理システムとして極めて効率的で理にかなったものであること、と同時に一定の限界をも有することを、安易な文化論に逃げ込まず、経済学のタームで鮮やかに説明してみせた。

    新古典派経済学は完全情報を前提に取引費用がゼロの世界を想定する。実際には情報は不完全(非対称)で取引費用は無視できない。そこで経済主体は一定の生産手段を市場から調達するのではなく内製化する。これが企業発生のメカニズムであるが、同じように長期的なコミットメントを通じたコーディネーションコストの節約は、経済活動の様々な局面で見出すことができる。日本的な雇用慣行や、メインバンクの継続的なモニタリングによるコーポレートガバナンスもそのヴァリエーションとして理解できる。

    企業は競争環境に最適な組織原理を選択するし、個人は支配的な組織原理に適合的な自己投資をする。組織や個人に化体した投資価値は市場での売却(調達)が困難なため、一旦そこに補完関係が成立すれば粘着性を持ち、歴史的初期条件に依存した固有の進化プロセスをたどる。これが経済システムの多元性の基礎となり、同時に環境変化への構造的な不適応を生む要因ともなる。ここに政策介入の余地が生じるのだが、青木は経済産業省のシンクタンク(RIETI)の所長を務めるとともに、多くの国際金融機関に関与し、産業政策に理論的拠り所を与える仕事にも力を注いだ。ノーベル経済学賞の期待もあっただけに残念だ。心よりご冥福を祈る。
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    投稿日:2023.12.29

  • zerobase

    zerobase

    「金融・人的資源の組織内配分を別にすれば、業務のコーディネーションはネットワークのうえで行われるので、法的な会社の枠を越えた情報空間の上での「事実上の企業(virtual corporation)」といわれるような現象さえ生じてくる」という部分に希望を見いだした。続きを読む

    投稿日:2016.01.15

  • kogisok

    kogisok

    制度概念の検討をと思って読み始めたけれど、やや専門的過ぎて、他分野の人間には読みにくいところも多かったかな、という印象。

    投稿日:2014.04.09

  • katie1223

    katie1223

    このレビューはネタバレを含みます

    面白かった!特に8章がいい。

    めも
    ダグラス・ノース「公式・非公式のゲームのルール」

    制度とは、人々の間に共通に了解されているような、社会ゲームが継続的にプレイされる仕方である。(ナッシュ均衡の反映)

    それは可能か?

    共通の了解・・・他のプレイヤーがどういう行動をとるかについての予想というニュアンス

    仕切られた多元主義
    モジュール化

    一般市民にとっては多元主義は夢のまた夢なんだよな。。。

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    投稿日:2013.04.15

  • hiro

    hiro

    現在、「経済学」といわれた時に指し示すものは、一般的にはワルラスが提唱した完全競争モデルである。このモデルに従うのならば、そこに経済の多様性は見出されない。すなわち、全てのプレイヤーが経済合理的であり、それぞれが各々の利益最大化を追求する行動を選択する。これを市場がコーディネーションすることで、利益が社会に還元され、経済は大きくなっていく。

    しかしながら、このように普遍的な経済モデルをもって、すべての経済的事象を説明することは可能であろうか。この疑問に対して懐疑的な立場から、経済の多様性を重視する見方が「比較制度分析」と呼ばれるものである。筆者によれば、比較制度分析とは、「多様性」の経済利益の源泉とその存立条件を、経済学の中で蓄積され、広く世界の経済学者によって共有されている「普遍的」な分析言語によって論理的に探ることを目的としている。

    「制度」とは何かという問いに対する答えは、未だ経済学者の中でコンセンサスが取れていない。それは制度の複雑さ故、またこの分析枠組みが比較的新しいことが理由として挙げられるだろう。例えばロナルド・コースによる「取引費用経済学」や、ダグラス・ノースが提唱した「新制度論経済学」が制度に関わる経済学の一派であるが、本書では銀行をはじめとするマクロな視点から分析を試みる。

    このように、比較制度分析はまだ論じられる余地は大きいとみえるが、経済学に対するインパクトの大きさは一目おかれるべきであろう。特に途上国の経済発展メカニズムを解明する開発経済学の立場では、国ごとに多様なモデルを想定するため、比較制度分析そのものの発展は、開発経済学に新たな分析枠組みを作り出すことができるだろう。
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    投稿日:2012.01.31

  • こね

    こね

    新古典派的な経済観で行けば、競争的な市場こそが単一で最適な経済制度であって、それにどう近づけるかが課題で、だから、日本もグローバルスタンダードにあわせるべきだという意見。一方で、そうした姿勢に反対する立場も、そうした経済観をある程度認めたうえで日本の市場は特殊だからという意見だったり、そもそも経済的な視点の外からの反対だったりする。
    どちらにせよ、経済制度という観点では最適な市場は一つしかないということは一致してる。

    それに対して、この比較制度分析では、日本は特殊だとは見なさないし、だからといって新古典派的な経済制度が唯一の最適解だとも考えない。そもそも経済制度はもっと多元的で、さまざまな形のものが併存可能だと見なしている。だから、日米欧のどの制度も絶対化されず相対的に検討される。

    そして、それぞれの制度は、個々の事象が相互に補完しあって全体として一貫した経済システムが出来上がる。だから、ほかの国ではうまくいってるからと言って単純にその部分だけを輸入して自国の制度に組み込もうとしても、それはうまく行かない可能性が高い。元々の制度自体が個々の事象同士の微妙なバランスの上に成り立っている以上、それを一部分でも壊せば全体として機能不全に陥ってしまうかもしれない。

    とはいえ、状況が変われば、制度自体もそれに対応できないことには経済はうまく回らなくなってしまう。そのためには、事象同士の相互作用を解明してする必要があると思う。”序説”だしし、10年以上前に出た本ということもあって、この本ではそこまで深くは踏み込めていない。

    それでも、日本の経済制度を考える上では気づきの多い本だと思う。普段新古典派的な単一の経済観になれてしまっている頭には相当に新鮮で面白い。青木先生の主催するVCASIもこの比較制度分析の延長上にあるわけだから、10年経った今ではかなりの成果が蓄積されてるはず。そういう成果をもっと知れる機会があればいいんだけど。
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    投稿日:2010.07.09

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