【感想】純粋理性批判 6

カント, 中山元 / 光文社古典新訳文庫
(6件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • あふろざむらい

    あふろざむらい

    純粋理性批判は、主に時間と空間を軸に、世界と人間の関係についての考察を続けてきたが、6巻ではいよいよ神の証明というデリケートな話題に切り込む。
    さまざまな方位から、神の存在を分析していくが、いずれもカントの理論によって矛盾が露呈する。要するに神という存在は虚構なのか。
    しかし、神は存在しなければならない、というのがカントの結論のようだ。ようだ、と書いたのは、小生はカントの結論が読み取れず、解説を読んでようやく理解したからだ。理解、というか、解説にそう書いてある、というのが正直なところだ。
    そういった難解さがあるとはいえ、カントの分析眼は鋭い。そして、時代的に、神はいない、という結論はありえないとはいえ、存在は証明できないが、存在はしなければならない、という落としどころは、かなり挑戦的だったのではないか。
    カントは純粋理性批判という一連の書物において、人間とはこの世界において、現実だと考えているものは果たして本当に現実なのか、それは意識が作り出したものであり、誰もが同じ「現実」を生きているわけではないという観点から、時間や空間は本当に継続的に存在しているのか、神はいるのか、というところまで理論を展開した。人間はみずから作り上げた虚構の中に生きているのだなあ。
    いよいよ次は最終巻となる。
    ここまで広げた理論をどのようにまとめるのか楽しみだ。
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    投稿日:2022.04.17

  • Flooding Throne

    Flooding Throne

     「超越論的な理想」で神の存在証明の不可能性を論じる第六分冊。超越論的な神学を扱う下りで、初めはカントがID(Intelligent Design)を信奉しているのかと思ったが、よく読むと絶対存在の想定が自然科学の探究のために〈実践的な〉意義を持つ、ということが語られており納得。例え理性が構築した虚構であっても道徳的理念を実践する上での実用的な意義(統制的原理)がある、とする点には目的論と自然科学の調和の必要性を謳ったカントの先見性が垣間見え、流石と思わせる。

     本分冊の神の存在証明のポイントは、存在証明の3類型、すなわち自然神学的な証明、宇宙論的な証明、存在論的な証明のうち、前2者は結局のところ存在論的証明の変形である、というところ。こうしてしまえば、「概念の存在が必ずしも実体の存在を導かない」というアクィナス以来の否定神学を適用することが可能になるからだ。

     しかしここで行われていることが単純に神の否定というわけではないことも注意すべき。「神は存在する」という理論的な認識を証明することは不可能だが、その逆もまた然りである。理神論的な道徳神学の立場に立てば、「神は存在すべきである」という実践的な要請はアプリオリに想定される原理であり、人間の生き方や世界観に指針を与えるという統制的原理として有用なのだという。これが「実践理性批判」で定立される「道徳的命法」、すなわち「己の意志の格律が常に同時に普遍的立法となるように行為せよ」の基盤になっているのだろう。
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    投稿日:2021.07.11

  • 淺野 昌規

    淺野 昌規

    amazon に注文しました。
    (2013年7月8日)

    届きました。
    (2013年7月10日)

    読みます。
    (2013年7月12日)

    読み終えました。
    この巻は、これまでの復習です。
    (2013年7月25日)続きを読む

    投稿日:2013.07.08

  • 美希

    美希

    神の存在は証明できないけどいると考えてもいいよ、だってそのほうが便利だからね、みたいな感じの巻だったんですが尖ってるなあとしみじみ思いました。

    投稿日:2012.05.09

  • georgebest1969

    georgebest1969

    なんで西洋の哲学者は神の存在証明にあんなにやっきになるのかと不思議に思っていたが、、、純粋理性批判の神の存在証明批判。超越論的弁証法もようやく腑に落ちてきた。あと一巻

    投稿日:2012.04.05

  • nt

    nt

    この巻では「神」について扱われる。
    ヨーロッパにおける既存の「神の存在証明」は批判され、カントオリジナルな物として、「道徳的な神学」が提起される。
    これは神が最初に存在し、その認識(信仰)から人間的な様々の思考が生まれてくるのではなく、その逆に、道徳的思考の果てに、人間みずからが「神の存在」を「要請」するのである。(P.128-132付近)
    この驚愕すべき倒錯により、神学は人間の「理性」に服従するものとなり、ここに西洋的な「近代」が出現するのだ。
    これは歴史的にきわめて画期的な飛躍であるが、この新たな神学については、この本ではそれ以上深く追究されない。
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    投稿日:2012.03.15

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