【感想】大還暦 ――人生に年齢の「壁」はない

島田裕巳 / ちくま新書
(4件のレビュー)

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  • murahiro9311

    murahiro9311

    のび続ける寿命/長い人生、どう生きていけばいいのか/宗教の衰退現象が進んだ/第一章 根本から死生観が変わった/「死生観B」への大転換‼️/人はいったいいつ死ぬのか/『80歳の壁』は何を意味するのか/スケジュールは大嫌い/本当に壁はあるのだろうか
    第二章 誰もが仏になれる/宗教はどうして古びてしまったのか/強制された追善供養/先祖はもうどこにもいない/最澄の野心的な試み/年忌法要は、要らない⁉︎/第三章 「墓ブーム」は終わった/急増する「墓じまい」/土葬時代に庶民に墓はなかった/火葬するから墓が要る/墓はブームだったのだ/「〇葬」なら墓じまいも要らない〜
    第四章 葬式は、要らない/私はなぜ「仏敵」になった⁇/村社会の代わりになった企業/曖昧になった生と死の境目/現代の死はフェイド・アウトー
    第五章 誰もが知らない自分の死に方/どうして孤独死が起こるのか/突然死は避けられない/母はこうして死んだ/ドラマのようには誰も死ねない/みな梶井基次郎のように死んでいく/死を恐れる必要はない‼️
    第六章 「大還暦」という大目標/人類の寿命は何歳なのか/大還暦をめざして生きる/隠居という手があった/神が創造したものにはすべて意味がある/今私たちに課せられた試練/
    第七章 超然として「こころの出家」を果たす〜「定年」という大きな区切り/出家という日本の伝統/実は私たちは出家している/「こころの出家」のすすめ/「超然とする」という決断⁉️
    第八章 腹が立つのは私たちが無知だからではないのか/怒りん坊だった新渡戸稲造/満たされないから人は怒る/腹を立てるのは当然ではない/相手の真意をどこまで深く理解しているのか?間違いだらけの私から出発
    第九章 学ぶことの楽しさは格別‼️宣長先生の立派な教え/人生を費やした古事記の研究/何より難しいのはテーマを見出すこと/大人になってこその勉強の楽しさ/アウトプットにまさるインプットはない‼️
    第一〇章 どうやって学ぶのか/宣長先生の勉強法/とことん一次資料にあたる/ある人物の一生をたどってみる/官能的と評される仏がなんと/生涯をかけられる真のテーマとは/おわりに/「生涯現役」でありたい‼️「私のクライアントは完成をお急ぎではない」〜「長く続けられるかどうか」が重要‼️
    120歳(大還暦)まで生きることができるらしい―そんな時代に長い老後をどう生きて、どう死んでいくのか。それを考える上で、「宗教」は役に立つのか。宗教学者としての著者が、日本人の死に方、生き方、宗教の衰退について、そして、最期まで充実して楽しく過ごすにはどうしたらいいかを考える。秘訣は「怒らない」「超然とする」「自分にとって切実な、学ぶテーマを見つける」‼️
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    投稿日:2024.04.04

  • コナン.O.

    コナン.O.

    島田裕巳(1953年~)氏は、東大文学部卒、東大大学院人文科学研究科博士課程満期退学、放送教育開発センター(現・メディア教育開発センター)助教授、日本女子大学教授、東大先端科学技術研究センター特任研究員等を経て、東京女子大学非常勤講師。宗教学者として、宗教に関連する一般向け書籍を多数執筆。
    私は従来、死生観に関わる本をよく読み、著者の本でも、『「日本人の神」入門』、『人は死んだらどこに行くのか』、『無宗教こそ日本人の宗教である』等を読んできたが、アラ還世代に入った数年前から、人生後半の生き方を説いた本も読むようになり、本書を手に取った。
    本書は、人生100年時代と言われるようになった現代において、我々はどのように生きていけばいいのかについて、宗教学者の視点から考えたものである。著者はこれまで200冊を超える本を出してきたが、その中の多数の本からの引用があり、ある意味、著者の主張のひとつのまとめ的な位置付けとして読むこともできそうである。(尚、多くの老後指南書に書かれているような、ノウハウ的なものはほとんど書かれていない)
    印象に残った点を挙げると以下である。
    ◆人生100年時代が訪れ、人々の死生観は、自分はいつ死ぬかわからないと考える「死生観A」から、自分の人生の終わりを80~90歳に設定し、そこから人生を逆算して考える「死生観B」に変わった。
    ◆世界のすべての宗教は、死生観Aの時代に生まれ、人生が短く、先祖は十分に生きられなかったという考えから、子孫は先祖の供養を行い、その成仏を祈ってきたが、死生観Bが支配的な現代においては、死者は亡くなった時点で成仏・極楽往生していると考えられ、死後の追善供養は不要である。
    ◆かつて土葬が主流だった時代は、一般庶民は埋め墓に埋葬するだけで、家族が代々入るような墓はなかった。現代に多く見られるような墓は、火葬が主流となり、火葬後の遺骨を埋葬する必要性から生まれたものであり、意外に歴史は浅く、一時的なブームと言えるものである。サラリーマン世帯が増え、家を継承していくという意味が薄れた今、墓は不要である。
    ◆若くして死ぬことが減った現代では、人は社会的な死(老人ホームに入る、認知症になる、等)を経て、肉体的な死を迎えることが多く、人の死は、瞬間的なものから、次第にフェードアウトしていくものに変わったのであり、多くの他人を呼ぶような葬式は不要である。
    ◆年をとったら、超然として「こころの出家」を果たすことにより、こころの平安を得るべき。具体的には、世の中の様々な出来事にいちいち目くじらを立てるのではなく、自分には関係のない事項については、あえて関心を持たない、放っておくというようなスタンスである。
    寿命の長期化が人々の死生観を変え、それが死に関わるしきたり(追善供養、墓、葬式、等)を変えていくというロジックは目から鱗であり、一読の意味はある。(「こころの出家」を目指すという考え方も共感できるが、如何にしてそれを果たすのかの説明には物足りなさがあり、残念)
    (2023年12月了)
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    投稿日:2023.12.19

  • tokyobay

    tokyobay

    120歳までの人生をどう生きるかという内容で「こころの出家」と「学ぶこと」の重要性を説く。
    こうやってネットに感想を書いていること自体、「出家出来ていない」と言えるのかもしれないが、「学びの成果」はアウトプットしていく必要もあるので、その辺のバランスが難しいところでもある。続きを読む

    投稿日:2023.11.09

  • 桜色の世界(sakurairoworld)

    桜色の世界(sakurairoworld)

    大還暦とあるので、還暦の頃や還暦以後のことかと思ったがいやいやそうでは無かった。
    違ったがそれは良い方に違って、読み進めると気持ちが楽になっていった。
    やはり、何かを探し続ける努力をしよう、そう思えた

    著者とは初めてのご縁で、宗教学者とありそちらにも惹かれるものがあった。

    100年も生きるとしたら…そう考えて、立ち止まり前向きに生きてみたいと思える読了となりました。
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    投稿日:2023.10.29

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