【感想】恋愛の日本史

本郷和人 / 宝島社新書
(3件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • ptt219

    ptt219

    2023/09/01
    古代から近代の頃までの恋愛をテーマにしてそのあり方の変遷を歴史としてまとめた本。
    古代の恋愛、中世、近世…と時代の移り変わりと共に人々の恋愛観、恋愛感覚、慣習などはどのように移り変わってきたのかを端的に学ぶことができる内容です。
    当然、現代と古代とでは大きくその感覚は違うのですが、昔の恋愛の常識を源氏物語の話を紐解きながら考えていったりする部分や、戦国武将たちの恋愛の実際を考えていく内容などはとても興味を惹かれるものが多かったです。
    この本からも何か教訓を得て、自分のものとして活かしていけると良いなと思いました。
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    投稿日:2023.09.02

  • tokyobay

    tokyobay

    一般の歴史本には出てこない雑学的内容で面白いのだが、平安時代の「好きな女を諦める方法」にはびっくり。
    大きな流れとしては戦国以前は「自由恋愛」だったのが、江戸時代以降は儒教と梅毒の影響により様々な制約が出てきたことがわかる。本書は著者専門の中世が中心で近代以降については殆ど語られていないが、明治以降のキリスト教の影響にも大きなものがあると言えるだろう。また、昨今ではコロナの影響もあったので、恋愛には宗教と病気が大きく関係していると言えるのかもしれない。

    尚、P40の大海人皇女とあるのは大海人皇子の間違いと思われる
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    投稿日:2023.09.01

  • yasz

    yasz

    この数年新刊が出るのを楽しみにしているのが本郷氏によるものです。今回のタイトル「恋愛の日本史」には何が書かれているのだろうと、お知らせが来た段階で購入ボタンを押してしまいました。古文書を地道に読み込まれているから書ける内容の本だと思います。高校時代に古文の授業で昔の時代に書かれた文章に触れたことがありますが、それらを読み解いて私のような素人にわかりやすく、さらに興味深いものにして書かれてくださり本当に嬉しいです。

    日本人はラテン系の民族以上に「性に対しておおらか」であったとか、最近私たちが思っている考え方は主に江戸時代、それも武士を中心に展開されていたものであることがわかりました。明治政府は下級武士によって成立したものであったので、その精神が今に至っているのかもしれませんね。色々と想像が膨らませることができた素晴らしい本でした。今後も様々な切り口で日本史を楽しく解説してほしいと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・姫巫女とは神を祀る女性であり「神の嫁」であるため、当然未婚が求められる。いわば神の言葉を人々に届けるシャーマン的な存在であった。当時(卑弥呼の時代)政治的な実権を握ったのは卑弥呼の弟であったと考えられ、卑弥呼自身はいわば宗教的・精神的な権威として君臨していた(p27)

    ・前方後円墳の誕生は、異なる勢力が一つになったことで生まれたものではなかったと示唆される、その結果瞬く間にこの前方後円墳の形式が全国に広まっていった、戦争によって他地域を屈服させたというより、平和的に広まっていったと考えられている。ヤマト政権とは、この列島各地の様々な勢力が連合して生まれた連合統一王朝だったと考えられる(p51)

    ・女性が自分の本当の名前を教えるということは、やはり重大なことであった、名前を教えるということは、自分の最も大切な秘密を教えることであるから、自然と名前を尋ねることが求愛の印であり、本当の名前を教えることが相手を恋愛対象として受け入れることであった(p55)

    ・古代日本には多くの女性天皇が即位した、中でも特に重要な仕事をしたのが天智天皇の娘で、天武天皇の皇后でもあった持統天皇であった(p41)急逝した草壁皇子の息子(軽皇子という嫡男)が十分な年齢に達するまで持統天皇として即位した、中国に倣って親から子へと受け継がれる長子相続を古代日本に導入しようとした(p42)この頃には、全国に武蔵国、駿河国といった行政区としての国が置かれ、律令が制定されて「日本」という国号が生まれた(p43)

    ・持統天皇以降、女性天皇が集中的に現れるが、いずれも天智系の皇統を守るための中継ぎの役割を果たしていた。長子相続の「タテの継承」を継続維持するために古代において女性天皇が登場した(p46)女性の系統で天皇の位が継承されることはあり得なかった(p46)

    ・中心地で生まれた新しい語形が、周辺へと伝播した結果、古い語形ほど外に、新しい語形ほど内に分布する(p54)

    ・源氏物語の中心、あるいは当時の女流文学の中心は財政とか経営でなく、恋愛にあった。貴族たちが栄華を誇り、戦乱のない平和な時代だったからこそ貴族の女性たちはそれだけ自由度が高かった、恋愛における自由が認められていたという点が女流文学が興隆したり理由としては重きをなす(p69)

    ・当時(紫式部の時代)の貴族が勉強しなければならない学問として、1)紀伝道(文章道):中国の歴史や古典を読んで学ぶ、2)明法道:朝廷が定めた律令を学ぶ、3)明経道:論語、孝経などの経書を読み、中国の哲学や文学を学ぶ、4)算道:計算、算数などの算法(p99)

    ・紹婚婚は男性が女性の元へ通い、かつ女性の側が決定権を持つ、その基本には和歌を贈り合うというコミュニケーションがものを言う世界であった、しかし母方が大きな実権を握る形態はこれを基礎にした摂関政治が終わり、父方の権力を中心とした院政が始まるとともになくなっていく(p107)

    ・乙巳の変に始まる一連の大化の改革で、後の天智天皇である中大兄皇子とともに功績をあげた中臣鎌足が始祖ということになる。奈良時代には、中臣鎌足こと藤原鎌足の子、藤原不比等が台頭し、さらにその子達である藤原4兄弟を祖とする、南家・北家・式家・京家が並び立つ、平安時代になると、北家の勢力が増す(p111)

    ・色彩と同時に重視されたのは、香りや匂いである、これには体の匂いを紛らわせる効能が期待されていた考えられる、お香の基本として「甘・酸・辛・苦・馘」の5味が言われるが、現代の香水に当たるような華やかで甘い匂いというものはない、いずれも渋い、沈み込む様な香りであり、消臭剤としての使い方だったと思われる(p127)

    ・中世において、男女の恋愛とは別に、日本は世界的に見ても男性同士の関係、つまり、男色に対して非常に寛容な社会であった、西洋ではキリスト教、イスラム教など、一神教の性規範が強い国々では、男色は強くタブー視されている(p161)

    ・血よりも家を重視する日本社会特有の価値観があったので、家を存続させるならば養子でもよい(p163)

    ・江戸時代になると女性の地位がはっきりと低下していく、一般庶民はともかく支配階層である武家社会となると、女性の自由は明らかに制限されて家に縛られる様になる(p202)

    ・伊勢神宮は外宮と内宮の両方を参拝して伊勢参りとなる、最初は外宮にいき参拝をする、そしてその日のうちに行かず宇治山田(五大遊郭の1つ古市がある)で一泊する。現在の伊勢神宮は各式を重んじて、私たち庶民のお賽銭は受け付けていない(p208)

    2023年8月11日読了
    2023年8月12日作成
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    投稿日:2023.08.12

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