【感想】作家の証言 四畳半襖の下張裁判 完全版

丸谷才一 / 中央公論新社
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    作家の証言
    四畳半襖の下張裁判
    ~完全版

    編者:丸谷才一
    発行:2023年1月25日
    中央公論新社
    「作家の証言 四畳半襖の下張裁判」(1979年10月、朝日新聞社刊)に短編「四畳半襖の下張」(全文読める)を収録して完全版としたもの

    読んでいてひっくり返るくらい面白かった!永井荷風が書いたとされる短編小説「四畳半襖の下張」を全文掲載した雑誌「面白半分」1972年7月号を販売した佐藤嘉尚代表取締役と、編集長(2代目)を務めていた作家野坂昭如氏が、猥褻物頒布等の罪に問われた公判(東京地裁)において、弁護側の証人として証言した人のうち、作家の証言だけ抜粋して紹介した本。なお、他に、学者や主婦なども証言台に立っているが、ここにはない。

    内容が高度に専門的であることから、弁護側は弁護士資格を持たない「特別弁護人」を3人申請、うち丸谷才一氏が認められた。面白半分は編集長が半年単位で交代していたが、証人となった作家は、その初代編集長である吉行淳之介、五木寛之(4代目)、井上ひさし(7代目、14代目)、開高健(3代目、10代目)、田村隆一(15代目)のほか、中村光夫、金井美恵子、石川淳、有吉佐和子の各氏。内外のあらゆる文学に通暁した丸谷才一が博覧強記の世界で、これまた知識と言葉を駆使する売れっ子作家たちと文学論をやりだすものだから、裁判官も検事もたまったものではない。元々、罪を認めて罰金を払えば略式起訴ですんだものをあえて3審まで闘わんとする彼らに対し、検察は反対尋問を一切せず、判事は最初から判決を決めているかのように受け流している。

    ところが、実際の各証人への尋問では、我々凡人が予想するような筋書き通りにはなっていかない点が非常に面白い。さすがに一流作家たち、弁護士や丸谷特別弁護人による尋問に対し、すれ違ったり、丸谷の思い通りの回答をしなかったり、はたまたとぼけてみたりと、回り道をしながら文学論を展開していく。これはまずいのではないか、といったんは思わせておきながらしかし、最後は見事にわいせつを問う裁判自体を批判する結論へと、見事に落とす、全員が。ときに笑い声を上げ、ときに見事なりとうなってしまう。

    公権力がわいせつだと規制すること自体が誤りである点と、件の小説がわいせつではないという点と、両面での展開をしていくのだが、なにせテーマが「わいせつ」だけに、「わいせつ」なことを法廷でかしこまって作家たちが発言するさまがたまらなく楽しい。例えば、丸谷は起訴状に対する意見の中で、こう述べている。
    「この短篇小説が決してリアリズム小説ではないといふことで、房中にあってこれだけ長時間、女を喜ばせることができる男は、稀にはゐるとしても、それはすくなくとも常人ではありません。かういふことを言ふのは、男の沽券にかかはるので残念ですが、わたしはさう思いますし、わたし一人では何ですので、念のため、この事件の被告、野坂さんに訊ねてみましたところ、彼も同じやうなことを述べ、『あの本を読むと、癪にさはりますな』と、ぼそぼそとつぶやきました・・・」

    以下、少々事例。こんなことを法廷で真面目くさった顔して発言していったのである。

    *五木寛之
    ちっともエロチックじゃないかということとも結びつくんじゃないかと思いますが、私どもは、年中テレビを見ておりますと、土曜イレブンなどというテレビを見ていますと、少々のことでは、はっきり言って驚かなくなっておるんです。
    (北欧のポルノショップ事情を問われ→)日常通る道ばたにああいう形のものが展示されてあったら、いかに多感な青少年でも三度ぐらい見れば、そこらへんにある電柱とかポストと同じような無感覚の状態になってしまうのではないかと思います。私自身も、最初に行ったときには非常な熱意をもってそういう店にまいりましたけれども、(笑)二度三度と重なりますうちに、全くこれは言い訳ではなくて、すすめられても寄らないような・・・

    *井上ひさし
    ぼくの経験をお話ししますと、ぼくの場合は、「精工舎の時計が七時をお知らせします」といいますけれど、あの精工舎の時計というのを訊くとちょっと顔が赤くなるといいますか、なんか、こう変な感じになるわけですね。「この方は成功された方で」と言われると、きのうあたり性交したかもしれないという感じがする。寿司屋で「お、赤貝くれ」なんて言われると・・・ひょっこりひょうたん島をしていたときに、安寿と厨子王のパロディーで万寿と何とか王というのをやったら、鹿児島の女教師友の会みたいなのがあって、手紙が来まして、万寿と何とかというのを早くよしてくれというんですね。

    (今回の裁判について)やっぱりえらい人というのは、年とっちゃって、金も地位もあるし、権力全部あるんですが、ただひとつ性の力だけは、どうしても弱いんで、これは癪だというんで、取り締まりに躍起になるという感じが、ぼくにはするんですね。ですから、あの人たちに特別の薬を催淫剤なんか発明して差し上げれば、赤坂とかで盛んにおやりになって、そういう不満がなくなれば、こういう取り締まりもなくなるんじゃないかという気が、わりと本気でするんですけどね。

    *吉行淳之介
    (初代編集長として「面白半分」の発刊の趣旨を問われ)面白半分というのは、従来は悪い意味で使われていましたけれども、そういう悪い意味を取り除きまして、あまり力むな、面白半分もいいじゃないかというような趣旨にぼくも賛同して、編集長を引き受けたわけです。
    (四畳半襖の下張が選ばれて載ったということについての意義を問われ)つまりね、「面白半分」というものはその意義というものをまず排除するというところに意義があると。

    「いわゆる偽善的な市民生活というものに対する皮肉みたいなものを、春本を書くことによって、ひそかに自分の気持ちとして冷笑するというような、いかにも荷風好みのことじゃないかと思います」

    (丸谷から四畳半襖の下張が春本の枠を超えてしまった部分について具体的に示してくれといわれ)
    吉行:○○××・・・・まあ、こういうもんですね、もっと必要ですか。
    丸谷:ええ。
    吉行:結局、その二人が結婚するわけですね・・・・・・まだいりますか。
    丸谷:ええ。
    吉行:ちょっとくどいね。大体拾い出せばいくらもありますけどもね、そういう種類のものですよ。

    (丸谷から春本を書く気があるかと問われ)
    わが国の文士の税金高いですからね、なかなか経済的に余裕がないと、これは売れる作品じゃありませんから、原稿料をもらえるものじゃないですから、春本は。絵かきは割に早くかけると思うんですよ、春画を。だけど文士による作品となると、かりに何か月かかかるとしますね、その間どうやって食うのかね、その蓄えができれば、まあ、春本貯金というようなものでもやらんとだめですね。やる気持ちは十分あります。

    *開高健
    明治になったころ、東京の下町一帯では女性の大事なあそこのことを「チャンコ」と呼んでいた。北海道の積丹半島へいくとソーラン節にも「鏡またいで うがチャンコながめ」という歌詞があることを知った。東京へ帰ってくると、大きな看板がでていて、「一家こぞってチャンコ鍋をどうぞ」とか、冬の晩はこれに限るとか、「カロリーとボリュームたっぷりのチャンコでどうぞ」とかいうことで、皆さん振り返ることも疑うこともなしにおっしゃるんで、私は以前覚えなかったような恥ずかしさを特に覚えるようになりました。

    私の名前は開高というんですが、ペンネームでも雅号でも源氏名でもない、父母祖父母から受けついだ民族遺産です。春本で女性の聖なる部分を「開」と呼ぶんですね。少し上部に位置するものを上開などと呼んでる。私は父親に「こうなってくると開高健という名前は、ひどい名前になるんじゃなかろうか、あそこが高くて健やかであるというんだから。こういう名前を大っぴらに言っていいんだろうか」と聞きましたところ、父親は小学校の校長をしてたんだと思いますが、「具体的なものをさしている言葉がどこにもないじゃないか。全部アブストラクトだ。こんな名前はめったにあるもんじゃない」と戒められました。四畳半襖の下張を読んで、「開中火のごとっくほてり」ですか、なんかそういう言葉があったと思います。当法廷において、野坂某と佐藤某が殊勝な顔をして、ここに座っておとがめをうけている。しかし、私はもっとひどいことをぶっつけ本番に、「開が高く健やか」と名乗って歩いているんですけれども、誰も恥ずかしい顔もしていないし、ときには「サインしてください」と言われることもありますしね。

    *石川淳

    石川は、四畳半襖の下張は「古事記」と同じ系統のものだと論を展開。古事記にも、何カ所も「まぐわい」の場面が出てくるが、四畳半襖の下張はその中でも「天の岩屋戸」のくだりにおける、ウズメの生殖器を見てみんなが笑った部分に該当する。生殖器を見て笑ったことの記録として一番最初のもの。

    *金井恵美子

    丸谷が「面白半分」をどういう雑誌と考えるかと問い、金井は娯楽雑誌みたいな部分もあるが若者に対する教育的な雑誌だと感じると答える。
    丸谷:人生雑誌みたいなものですか。
    金井:まあ、人生雑誌というの、例えば、そういっちゃあ悪いけども、どこかの電器会社の松下幸之助なんかが出しているような雑誌なんかも人生雑誌というふうな範囲になると、ちょっと一緒にしちゃ佐藤さんに申し訳ないし、私も全然そう思わないわけですけど、広義な意味では人生雑誌だと思います。
    丸谷:「いんなあとりっぷ」みたいな。
    金井:あれもちょっと宗教臭さがあるから、ちょっと違うんじゃないかと思います。

    *有吉佐和子

    戦後、性は解放されたと考える有吉は、自らの小説にベッドシーンを書く必要がなくなったと考え、ほとんど書かないと論を展開。この裁判については、本来、告発すべきではないものを告発し、裁くべきでないものを裁いていると批判。もし野坂が有罪の判決を受けるなら、野坂は無罪だと思って一種の思想犯のように牢屋に入り、そうすると牢屋でも歓迎されるだろう。当人は普通の人なら入れない世界だから、人一倍好奇心の強い小説書きとしては、欣喜雀躍として入るのではなないかと。ただ一つ彼が残念に思うのは作家であるにもかかわらず編集者として裁かれ、前科者になるかもしれないこと。悪法と対決し、悪しき法解釈と対決するのは筆をとる人間にとっては逃しがたいチャンスなので、私があるいは書くかもしれない。そして、私、それで牢屋にぶちこまれるんだったら、野坂さんのあとから入るかもしれないけれども、私は書き手として入ることになるから、私としては、そういう事態が来れば欣快だし、性は解放されたと思っていたから、ベッドシーンの少ない小説を書いてきたが、この判決如何によっては私の作風は変わると、先ほどの言葉を補足させていただく。
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    投稿日:2023.04.04

  • 中央公論新社

    中央公論新社

    「猥褻文書」裁判開廷から五十年。井上ひさし、吉行淳之介、開高健ら作家の証言に発禁小説「四畳半襖の下張」、新規解説を収録。

    投稿日:2023.01.17

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