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中沢新一 / 講談社選書メチエ (1件のレビュー)
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lacuo
ウクライナの戦争 大シスマ(東西分裂) 再び ロシアと西洋の対立の根は深い。 一見すると両者は同じヨーロッパ人種のように見えるが、その精神と文化の内部に立ち入ってみると、大きな溝が両者を分け隔てて…きた。その溝はベルリン の壁の崩壊以後、グローバリズムによって、いったんは埋められたかのように見えた。だがロシ アによるウクライナ侵攻が起こってからは、それは再び巨大クレバスに広がっていこうとしてい ロシアと西洋に、分裂の最初の兆候が見られたのは、中世のキリスト教におこった「フィリオ クェ論争」である。 初期のキリスト教では「父である神」と「子であるイエス」と「聖なる霊」 とが、三位一体をなすという教義がつくられた。そこでは、この三者は異なるものでありながら も同格で一体をなすという神秘的な「三位一体論」こそが、正しい理解であるとされてきた。 東方教会では、神と子と聖霊の個別性が重視された。表面的ななめらかなつながりよりも、深いところで内在的につながっているという、なんとなく凸凹した無骨な考えである。 そこでは聖 なる霊は父である神から流れ出す、と考えられた。 ところが西方教会がその無骨さに異を唱え始 めた。東方教会で「聖霊は父より発する」と唱えているのを、西方教会は「聖霊は父と子から発する」と言い換えてしまった。 そうなるとたしかに三位一体はぐっとスマートになる。 ところがたった一言「(父)と(子)」と付け加えたことで、東西が分裂する大問題に発展した。 この「と」はラテン語で「フィリオクェ (Filioque)」という。 東方教会が問題にしたのは、この「と」を加えてしまうと、父と子が同質な基礎材のようになって、そこから聖霊が流れ出てくるようなイメージになることである。 これは神秘的な三位一体を合理的な理解につくりかえ、 キリスト教を安っぽい宗教にしてしまうと、猛反対した。 西方教会にしてみれば、正しいけれども難しい教義などというものは、布教の妨げになるだけで、現実的にいいことなどちっともないから、合理的に改造すべきだと主張した。 この問題はこじれにこじれて、ついにコンスタンチノープル、のちにはモスクワをも中心とする東の正教会続きを読む
投稿日:2023.06.17
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