【感想】地図記号のひみつ

今尾恵介 / 中公新書ラクレ
(5件のレビュー)

総合評価:

平均 3.7
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ブクログレビュー

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  • わっさん

    わっさん

    ●=引用

    著者は「地形図は風景が見える地図」と言ってきた。
    →「地図マニア 空想の旅」では、行ったこともない外国のある土地の風景を地形図からあたかも見てきたように語るのは、筆力もさることながら、プロの地図読みのなせる業だ。

    同様に、ある種のプロ集団では、「地形図からは風景が見えなければならなかった」
    ●欧米諸国を手本に近代国家として歩み始めた日本が、西南戦争後に始めたのが地形図の整備で、田原坂など土地勘のない場所での戦闘に苦労した経験から、陸軍卿の山形有朋がとにかく整備を急げと「迅速測図」を作らせた。言うまでもなく地形・地勢の把握は国防の基本である。
    ●そもそも地形図は国防と切っても切れない縁があり、歴史的に見て、たいていどこの国でも陸軍が作成してきた。イタリアなどは現在でも陸軍の機関が担当している。日本の地形図も現在でこそ国土交通省の国土地理院が整備しているが、第二次世界大戦が終わるまでは陸軍の陸地測量部が国の測量業務と地形図の作成を担っていた。

    作戦は現場ではなく、会議室で立案するのだから、「地形図からは風景が見えなければならなかった」。なので、戦前の地図は現在よりも地図記号の種類が多かったのだろう。
    ●田んぼを3種類に分類したことは、(略)陸軍部隊の行動に役立てるためという。乾田であれば歩兵部隊や軍馬にその上を歩かせることができるが沼田では無理という具合に、これによって行軍の可否を判断する。
    ●樹林記号と一緒に用いられたのが「通過困難の部」である。これは針葉樹林や広葉樹林の記号と同じ密度で点を置いたもので、(略)陸地測量部内の資料である『地形図図式詳解』によれば(略)通過難易ノ判断ハ、軍装セル単独歩兵ノ行動ヲ以テ標準トスルモノトス」としている。
    ●「昭和35年加除図式」以前は樹種にかかわらず小さな〇印を等間隔に並べた「並木」という独立した記号があった(略)『地形図図式詳解』では(略)「開豁地ヲ通スル道路ノ並木ハ航空機ニ対シ行軍縦隊ヲ掩蔽スルノ利アリ」と、空から見えにくい隠れ場所としての重要性を指摘している。
    ●これらの幅員はさほど厳密ではなく、(略)『地形図図式詳解』によれば、(略)即チ三米道ハ野砲ヲ、二米道ハ輜重車〔馬が牽くリヤカー状の荷車=引用者注〕ヲ、一米道ハ駄馬ヲ、小径ハ単独者ヲ通シ得ルヲ標準トシテ判別シ」とある。いずれにせよ行軍への対応が優先されていたようだ。
    ●市街地の描写については、(略)『地形図図式詳解』には、「市街、村落ノ外周ハ用図目標トナリ殊ニ村落ノ外周ハ屡々戦闘ノ為緊要ナルコトアリ。故ニ外周ノ景況、特ニ障碍ノ程度ハ内部ノモノニ比シ精確ニ之ヲ描示スルヲ要ス」と書かれており、市街戦の場面で地形図が果たす役割の重要性を強調していた。特色ある建物の外形を目立たせ、塀や柵、独立樹などを的確に描写することが現在地を知るための助けになる。まさに生死を分ける読図への考慮であった。
    ●そもそも明治の頃は当然ながら空中写真の撮影ができないから、現地調査はひたすら歩いて状況を観察するしかなかった。1枚の地形図を作るにあたってこの手間のかけ方はまさに鬼気迫るが、なぜそれほどまでして市街地の状況を詳細に把握したのだろうか。これは地形図を作っていた陸地測量部が陸軍の組織であり、軍事行動の役に立つことを重視したからだと考えられる。(略)「居住地ノ戦術上ニ於ケル価値ハ概ネ森林ニ同シキモ石或ハ煉瓦等ノ家屋、構囲、高層建築物及広キ空地等ハ戦闘ノ為屡々利用セラルルコトアリ」と記してあり、市街戦などが生じた場合に重要となる「隠れ場所」をわかりやすく表示し、その場所の景色を適切に描いた地形図の重要性を説いている。
    ●そんなわけで日本の地形図でも、かつては橋の記号にもいろいろな種類があり、陸軍の歩兵部隊や軍用車両が通過できるかどうかを判断する重要な情報を提供していたのである。戦前の地形図図式を見ればそれが窺える。
    ●これには日中戦争が始まった昭和12年に改正された新しい軍記保護法が関わっている。その規定に従って地形図上での軍施設は非表示とされ、飛行場はたとえば桑畑や森林、兵営は田畑などとして偽装することが求められたのである。改描の対象は軍施設に限らず(略)それぞれ「嘘」の描写が実行された。しかしアメリカ軍はさらに上手で、日本の地形図が隠したはずの軍の施設など詳細までお見通しだった。たとえば地形図の改描版で桑畑や荒地、針葉樹林などに偽装された立川の陸軍航空工廠なども、戦争末期に米軍極東地図局が編集した1万2500分の1「Tachikawa」には、それぞれの建物に「エンジン修理工場」「金属切削加工場」(略)といった詳細な表記が並んでいて舌を巻く。地図の欄外には図に用いた資料が列挙されているが、基図として日本の陸地測量部が作成した地形図を使い、さらに1944年12月および45年1月、4月に撮影した空中写真(この偵察飛行を迎え撃つ力は日本にはなかったようだ)、これに加えて「インテリジェンス・データ」とあるから、何らかの手段で軍機扱いの工廠の平面図を入手したか、米国内の日本人捕虜尋問所などで聞き出した内容を反映させたのだろう。ここまで完璧な地図を見せられると、やはり戦争の相手が悪かったとしか思えない。 →「写真の裏の真実―硫黄島の暗号兵サカイタイゾーの選択」、「トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所」、「日本兵捕虜は何をしゃべったか」参照。

    地形図から地図記号が減っていくのは、スマホで現地の風景が見られる時代となり、建物や塔などのランドマークとしてのシンボル性が希薄になってきたからのようだ。
    ●塀の記号の廃止は地形図図式の簡略化の一例に過ぎないが、パソコンで現地のものが何でも見られる今、「景色」をあえて記号化する必然性が薄れてきたのは間違いない。
    ●それ以後の工場記号は「平成14年図式」によれば「地域の状況を考慮して好目標となるもの」に適用することになっており、もちろんすべてを網羅するものではないが、実際の地形図を見ると時代により適用の基準に揺れはあるようだ。
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    投稿日:2024.02.17

  • motherpinae

    motherpinae

    帯にある通り、学校で習ったはずの地図記号ですが、本当に知らないことだらけ。
    Googleマップが主流の昨今ですが、図書館で昔の地図を見るときの豆知識として参考にできる一冊です。

    投稿日:2023.08.14

  • 魚雷屋阿須倫

    魚雷屋阿須倫

     別に「ひみつ」でも何でもない。しかし知られていないことも多い。学校を表す”文”とか、ナチスのマークと混同される寺院を表す”卍”などの地図記号の成り立ちや変遷、謂れについて書かれてる。

     現在の国土地理院の前身の一つは、陸軍の陸地測量部である。地図と軍事は密接に結びついていた。江戸時代に鎖国をしていた我が国から地図を持ち出すことは国禁とされていたことからもわかる(シーボルト事件とか)。

     地図は軍事情報として作成された一面がある。陣地の構築、部隊の移動展開に必要な地形かどうか、あるいは道路の幅員は野砲は通れるか、橋の状況はといったことが重要な情報だった。

     歴史とともに、記号の統廃合や新設(老人ホームなど)があった。現在はネットで瞬時に情報を得られる時代になり、地図の重要性が薄れてきたようだ。
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    投稿日:2023.02.08

  • 中央公論新社

    中央公論新社

    最初の地図記号「温泉」から外国の記号まで。中学生の頃から地形図に親しんできた地図研究家が、地図記号の知られざる世界を紹介する

    投稿日:2023.01.17

  • tagutti

    tagutti

    <目次>
    序章   地図記号とは何か
    第1章  定番記号の学校で教わらない話
    第2章  あれも記号、これも記号
    第3章  消えた記号、生まれた記号
    第4章  記号が映し出す歴史

    <内容>
    地図マニアの今尾さんの本。今回は地図記号である。Googleマップが当たり前となり、ストリートビューとかを見てしまえば、地図からリアリティまで引き出せる今、地図を読み込む人はほぼいないだろう。そうなると当然地図記号もわからない!地図記号にスポットをあてて、歴史的に読み取っていく(古い地図からちゃんと凡例を持ってきている)ことは、さすがである。学校の地理の授業よりも役立つだろう。また日本近代の歴史も裏から理解できる。続きを読む

    投稿日:2023.01.14

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