【感想】鬼滅の社会学 ――家族愛・武士道から〈侠の精神〉の復権まで

井上芳保 / 筑摩選書
(1件のレビュー)

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  • Jimmy

    Jimmy

    タイトルを見て、購入しました。筆者は、『鬼滅の刃』は、人々の深層意識に働きかけ、人々が潜在的に希求する、義侠心を掘り起こしているのではないか、と主張している。義侠心というと、「任侠」「ヤクザ」などが思い浮かぶが、もっと奥深い言葉のようだ。本書では、膨大な文献を分析しているが、特に気になったのは、司馬遷『史記』に見る「遊侠」論である。「遊侠とは、その行為が世の正義と一致しないことはあるが、しかし言ったことはぜったいに守り、なそうとしたことはぜったいにやりとげ、いったんひきうけたことはぜったいに実行し、自分の身を投げうって、他人の苦難のために奔走し、存と亡、死と生の境目を渡ったあとでも、おのれの能力をおごらず、おのれの徳目を自慢することを恥とする、そういった重んずべきところを有しているものである」とある。確かにこういったところは、鬼殺隊の柱にも通ずるところがあると思う。その後、新渡戸稲造『武士道』を取り上げていくが、筆者は武士だけではなく、武士たらざるもの、民衆にも義侠心はあったのではないかと論を展開していく。そして、私達日本人は、この義侠心を取り戻すべきだと訴えている。鬼殺隊柱のように、この不条理で理不尽な世の中で、誰かから何か重大な頼まれ事をされたらその期待を裏切らず責任を果たそうと行動するべきではないかというのである。その筆者の主張は納得できた。その一方で、私達全員が、柱のように、強者ではない。義侠心を持てと言われても、それを貫けないかもしれない。それができるのは、一部の人ではないか。ただ、本書にもヒントはある。筆者の言葉で言えば、「受苦者の精神」、炭治郎の言葉で言えば、「一番弱い人が一番可能性を持っている」である。自分一人では強くなくても、仲間と協力したり、自分に負けずに前を向いて歩いていく、ということかもしれない。いろいろ考えさせられることがあった。その一方、言葉が難解なところもあり、読みづらい部分もあった。『鬼滅の刃』ファンはもちろん、思想的に捉えてみたい人にもおすすめです。続きを読む

    投稿日:2023.04.04

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