【感想】国際報道を問いなおす ──ウクライナ戦争とメディアの使命

杉田弘毅 / ちくま新書
(5件のレビュー)

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ブクログレビュー

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  • ばななサンド

    ばななサンド

    国際報道は、果たして真実を的確に報道してきたのか。ウクライナ侵攻報道も含め疑問が深まる。
    それでも使命として、報道はし続けなければならない。

    投稿日:2022.10.18

  • gakudaiprof

    gakudaiprof

    日本人のジャーナリストについて、ベトナム戦争から解説している。ロシアのウクライナ侵攻についても書かれており、現在の様々な戦争におけるジャーナリズムについて記載されている。それだけに多くの焦点があるので、どこに注目するかというよりも問題提起になっている。より限定された内容について詳細に書かれたものがあれば、卒論に役立つであろう。続きを読む

    投稿日:2022.10.17

  • モラリス

    モラリス

    朝日新聞202286掲載 評者:三牧聖子(同志社大学准教授)
    毎日新聞2022823掲載
    東京新聞2022828掲載
    読売新聞2022911掲載

    投稿日:2022.08.20

  • Masahiro Sera

    Masahiro Sera

    著者の杉田弘毅さんは、1980年共同通信社入社後、大阪社会部、テヘラン支局、ニューヨーク支局、ワシントン支局長、論説委員長などを経て、現在は特別編集委員兼論説委員であり明治大学特任教授(メディアと国際政治)でもある。2021年度日本記者クラブ賞受賞。

    国際報道に携わってきた自身の経験と見識から、特に日本の国際ジャーナリストに望むことが主題となっている。
    この本を書いている最中にロシアのウクライナ進攻が始まったようだが、ジャーナリストの観点でその見方が具体的に書き加えていると感じた。

    目まぐるしく変化する国際社会に、安易な理想や思い込みは通用しない。ジャーナリストにとっては、権力に流されることなく、自分で体を動かして事実をつかみ、冷静な分析を行い、正確に報道することが求められるのだろう。答えは白黒選択のような単純なものではない。国々の理念や正義は絶対的なものでもない。
    我々も見聞を広め、何が正義なのか深く考えることが大切だろう。

    1.先駆者たち
    1960年代、特派員とは欧米メディアを翻訳し紹介すると言う全く独立心のない記者が多かった。(横のモノ(英語)を縦(日本語)にすると言われた)しかしベトナム戦争の取材では岡村明彦、開高健(芥川賞作家にしてバリバリの左派知識人)、文芸評論家の松村剛などは骨のある取材をした。
    島国日本の世間知らず的なナイーブさがあったことが理解出来る。

    2.国際報道の落とし穴
    アラブでの取材の難しさや、中国に対する贖罪意識から生じた、そして今ではパワーポリティクスの主役となった中国に向ける眼の曇りがあることを述べる。
    イラン原理主義の宗教的立場と自由民主主義を標榜するアメリカとは住む世界が違うので、衝突を回避する小さな合意が精一杯だ。メディアはどっちが悪いかを明確にしてストーリーを書くのが得意だし、読者もそうしたものを求めるが、現実世界はそれほど単純ではない。
    日露の平和条約締結と北方領土返還交渉に関して言えば、エリツィンからプーチンに交代してからは、恐らく現実味がなくなった。日本の対ロシアで特筆すべきは、感情論で進めていたこと。情に訴えれば何とかなると思っていたのだろうが、相手は人をいい気分にさせる嘘をいくらでも言う。

    3.混迷するアメリカメディア
    日本はアメリカメディアに頼りっきりだが、過度に評価し過ぎで、アメリカメディアを通してアメリカ像、世界像を描くと間違える。
    アメリカの取材力は、その数や英語でのソースを集めやすこと、また権力に対しても批判的にウオッチすることから比較的信頼出来ると考えられるが、コソボ紛争ではアメリカの広告代理店がセルビアを悪者に仕立て、その結果アメリカの軍事介入が実現した。また政府高官や反フセイン運動指導者によるイラクの核兵器、生物科学兵器の存在を鵜呑みにした報道で(計画すらなかったのに)世論が後押しし、開戦に至った。
    アメリカメディアも劣化している。

    4.世界の思想戦とメディア
    そもそもメディアは国民国家に寄り添う。
    自由主義諸国のメディアは民間企業である場合が多いので、国民が読み視聴してくれるニュースを作らざるを得ない。戦争報道などでは国民の思いや国益に沿った愛国的報道になりがちだ。一方権威主義国家は、そもそも国家の宣伝機関なのでプロパガンダ·思想戦に、当事者として貢献する。
    そんな中、アルジャジーラは、違う角度から報道をしている。ロシアや中国も国際放送機関を作ったが、偏向的な視点は残ったままだ。
    ロシアによるウクライナ進攻では、情報戦も重要な役割を担っている。国連では避難決議を出そうとするが、権威主義の国々は賛成しておらず、中国の人権問題含め、必ずしも世界は民主主義に対して肯定的ではないことが判る。
    そうは言っても報道の自由を基盤とする欧米メディアが、結局は主流の座を維持し続けそうだが、それだけでは世界には理解出来ない矛盾や問題が溢れている。もう一つの声にも耳を傾けて、自ら判断する力が求められる。

    5.ウクライナ戦争報道
    この戦争の行方は混沌としているが、戦争を防ぐ手立てはあったのではないかと言う問いかけをメディアはしていくべきで、それが国際報道が受け入れられるかの鍵になるだろう。
    報道機関が伝えるニュースには、事実の提示、何故そうした事実が起きたかの解説、今後どうなるのかの展望の提供が必要だろう。
    日本の国際報道では、日本人の視点による思考と論理が大切。苛烈な世界で、核兵器も資源も持たずに国を築いてきた日本を支えたのは、対立を好まず妥協を見出だそうとする国民性や包摂的な文化の力等の思考或いは生き様だろう。それらはジャーナリズムにも一層反映すべきだ。
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    投稿日:2022.08.12

  • DJ Charlie

    DJ Charlie

    所謂「国際報道」というモノが在る。それは「如何いうモノなのか?」を深く考えて綴ろうとしたことから本書は始まり、やがてロシアのウクライナへの軍事侵攻という事態が発生し、「連日のように耳目に触れる“国際報道”」ということになって、その報道の在り方にも筆が及んでいるのである。
    本書の中で「戦争の最初の犠牲者は事実」という旧い言葉が引かれていたのが少し強く記憶に残った。実際、「戦争について伝えられた経過」を振り返ると、「事実は??」という程度に姿が見え悪くなってしまうものなのかもしれない。
    ウクライナの件は、これまでの何度も繰り返された戦争の報道と一味違って、ロシアと米国と、権威主義と民主主義との大きな陣営の対立が醸し出され、生々しい「戦禍の中の人々」の様子がこれまで以上に詳しく伝わっていて、酷く関心が高いということにも本書では触れられている。
    少し前に『戦争広告代理店』という、紛争を巡る“印象操作”のような事柄を取上げた本も読んだのだったが、繰り返された各種の紛争でのそういうような出来事、またウクライナの事案でもそういうことが繰り返されているということに本書では触れられている。
    著者は長く通信社の外信部で活動した経過が在り、現在は大学の教壇に立ち、加えて記者達の団体の役員等も務めている方であるようだ。本書には、御自身の活動の中での経験や見聞等が反映され、加えて報道等を巡る方々での様々な論議に目が配られていて、なかなかに引き込まれる内容だった。
    事実が提示され、事実の背景が解説され、今後の展望が語られるという3つの局面が組み合わさって、所謂“報道”というモノは成り立つというのが本書の著者の観方だ。そういう中、記者達には「もっと様々な観方」を伝える余地が或る筈だということなのだと思う。
    「国際報道」というモノの注目度が高まっている中であるが故に、本書のような“材料”を得て、色々と研究する余地が在るように思う。
    続きを読む

    投稿日:2022.07.12

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