【感想】世界のひきこもり

ぼそっと池井多 / 寿郎社
(11件のレビュー)

総合評価:

平均 4.1
3
5
2
0
0

ブクログレビュー

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  • 本の戌

    本の戌

    よくこれだけのインタビューをされ、纏められたものだなと。
    対話形式の本は、あまり好きでないのだけど、この内容の場合はこの方式が活きてくる。もっというなら、翻訳ではなくで彼らが使ったオリジナルの文を読んでみたい気すらする。

    さて、中身だけど、まぁ、ひきこもりという生き方は、時代を先取りしてるなと思いますね。
    偏っていて、極端で、弱くても生きていける。ひきこもれるコストが小さくなって、効率よく自分を守れる形にできて、かつ長生きできる。一人がいいと言いながら、インターネットなどを通してフィルターバブルを駆使して、繋がることもできる。そういう形に収まるべくしてそうなってるのだなぁ。
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    投稿日:2023.11.12

  • kiwi

    kiwi

    引きこもりは世界にいるが、社会問題として捉えている国は少ないのではないか。そんな事を考えながら読む。フランス、アメリカ、アルゼンチン、インド、イタリア、パナマ共和国、スウェーデン、バングラディッシュ、フィリピン、カルメーン、著者が連絡を取った「世界の引きこもり」たちのインタビューが中心であって、それぞれの国の統計的な引きこもり事情はわからなかった。そういう統計とをとっていない国もあるようだ。

    それはともかく、各国の「ひきこもり」たちのインタビューは興味深い。ひきこもりになる過程はひとそれぞれだが(それは日本でもそうなんだろうけど)いじめを受けたり、職場や学校になじめなかったりする例が多いみたいだ。人間はどこでも変わらないということか。お国柄や国民性がひきこもりの予防策になったりする例はないのか(それによって絶対数が減ったりはしないのか)は、個別の事情ではわからない。

    理屈っぽい人、引きこもりを正当化している人が外国には多いのだろうか? 日本の類書は読んだことがないのだけれど、何人かがひきこもりを肯定してるのが意外だった。
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    投稿日:2023.11.01

  • たまぞう

    たまぞう

    ひきこもりは経済的に豊かな国にしか生じない現象と捉えられがちだけど、本書を読むと、発展途上国にだってひきこもりはいるということがよく分かる。

    すごいと思ったのは、自分も半分ひきこもりみたいなもの、というわりに世界中の当事者とコンタクトを取る著者の実行力。著者のひきこもり観とは異なる考えの人たちも公平に収録していて、ひきこもりの幅広い実態をありのままに読んでもらおうという意図が感じられた。また、彼/彼女らとのやりとりを通じて著者自身が自分を再発見していく場面もあって惹き込まれた。

    ユニークな発想で編まれた良書。

    【まとめ】

    Q1. ひきこもりを許容できるほどの経済的な余裕がある先進国にしかひきこもりはいないの?
    A1. 先進国だろうと発展途上国だろうと、世界中にひきこもりはたくさんいる。

    Q2. ひきこもりの共通点は?
    A2. みんな生活リズムが不規則で昼夜逆転しがち。また、ほぼ全員が学校でいじめに遭った経験がある。自分のほんとうの気持ちを親に理解されないまま育った人も多い。

    Q3. ひきこもりの当事者になにかアドバイスするとすれば?
    A3. ひきこもりになったいきさつは人それぞれだし、ひきこもりのままでいいと思っているのか、それとも本当は早く抜け出したいと望んでいるのかも人によって異なる。なので単純な一般化はできないけど、ひとつ言えるのは、ひきこもりだからって人生で幸せになれないわけじゃない、ということ。人生の問題を解決したり社会的な成功を得る場所は、いわゆる「社会」の中だけとは限らない。ひきこもりから脱することが解決になる場合もあれば、ひきこもりになるという解決(ひきこもりであることによって社会とつながる生き方)もある。生きていくために、すくなくとも自分だけは自分自身を認め、味方になってあげることが、なによりも大切。

    【ひきこもり×社会保障】

    当然ながら、ひきこもりの多くは経済的に自立しておらず、親の収入や資産に頼って暮らしている人がほとんど。また、国によっては社会保障制度が充実していて、公的扶助のおかげでやりくりできている人もいる。

    個人的に気になったのは、ひきこもりを(目的ではなく結果として)支えている社会保障のあり方。いくらひきこもりになった経緯がもっともなものであり、ひきこもっている自分の現状についての分析や理解が正しいものだとしても、要はひきこもりでないふつうの人たちが働いて納めた税金のおかげで暮らしていけてるんでしょ?という(ときに悪意のある)批判にはたぶん抗えない。実際、福祉国家の維持費は膨らむいっぽうで、財源の問題は避けて通れない。

    そこで、国や自治体が社会問題としてのひきこもりに対処しようとすると、まずは現状がどうなっているのか、すなわちひきこもりは何人いて、どういう生活を送っていて、経済的にどれほど余裕があるのか/困窮しているのか、就労意思はあるのか/ないのかといった、実態把握が必要になる。ところがひきこもりはいわばブラックボックスの中でひっそり暮らす人たちだから、その実態がなかなか公にならない。つまり、ひきこもりに関する統計をどうやって整備すればいいのかが重要な政策課題になると思った。(どうでもいいけど、実際の姿をなかなか見ることができないのはなんだか熊に似てる。クマとひきこもり。)

    【ひきこもり×アーレント】

    ふと思ったのはハンナ・アーレントの『人間の条件』の議論。ひきこもりは他人に見られることを嫌がる傾向があり、それはアーレントの言う「現れ」の空間と相性が悪いように思えるけど、いっぽうでひきこもり同士がネット越しにチャットするのはまさに「活動 action」そのもの。そこからさらに敷衍して、ひきこもりの公共圏とでも呼べそうな人間関係のあり方を考えることができるのでは。面白そうなテーマだからもうちょっと考えてみよう。

    それと、本書の後半で登場するフランスの女の子はアーレントが言う意味での private な世界に生きてると思った。すなわち他者を奪われている(deprived of others)暮らし。ひきこもること自体は人それぞれに事情があってのことなのでしかたないとは思うけど、ひきこもっている自分を神聖視し、自分は正しい、外の世界のふつうの人たちこそが間違っている、と歪曲して捉えるのはやはり健全ではないと思う。(といってもひきこもりに健全もくそもないかもしれないが。いずれにしても、彼女はたぶん病気だと思う。)

    【キーフレーズ】

    うちこもり/そとこもり/ガチこもり
    専門家たちのヒキエンタリズム
    地下茎でつながるコスモポリタニズム
    「N・H・Kにようこそ!」
    社会保障と親の収入・資産
    ひきこもりと統計
    お風呂問題
    なりたくないものになった
    ひきこもりと恥
    居場所
    ひきこもりと効率
    引き出し屋
    ひきこもりの定義?
    「母問題」
    父が子に掟を授ける(ラカン)
    学校の同級生たちと共通の関心事がない
    ひきこもりから脱するという解決/ひきこもりになるという解決
    他者がいる空間では、ぼくは
    否定する声
    お前が成功できる場所
    アフリカではそう簡単に飢えない
    病気ではなく状態
    フーコーとアーレント
    単なる「働きたくない人」ではない

    【目次】

    ●はじめに──地面を掘って国境を越える
    ●フランスのひきこもりギードの場合……「ぼくは孤独が好きなんだ。パソコン、ベッド、安らぎがあれば十分さ。」
    ●フランスのひきこもりテルリエンヌの場合……「ひきこもりになんて、なりたくなかった。」
    ●中国のひきこもり
    ●アメリカの元ひきこもりショーン・Cの場合……「“伝統的な男性性”をぼくに期待するパパは敵だと思った。」
    ●アルゼンチンのひきこもりマルコ・アントニオの場合……「いじめる側を擁護する学校なんてごめんだ。」
    ●インドのひきこもり
    ●インドの元ひきこもりニティンの場合……「私たちは自分自身になるために少し時間が必要なだけなのです。」
    ●イタリアの社会心理学者マルコ・クレパルディとの対話……「彼らを助けたい、いや、「ぼくら」を助けたいのです。」
    ●父との最後の電話
    ●パナマ共和国のひきこもりヨスーの場合……「ぼくはゴミだ。カスだ。負け犬だ。このままでは死んでしまう。」
    ●フランスのひきこもりアエルの場合……「ひきこもりになってぼくはようやく自分を生き始めた。」
    ●スウェーデンのひきこもり
    ●バングラデシュのひきこもりイッポの場合……「ぼくは自分で自分を部屋に監禁するようになったのさ。」
    ●フィリピンのひきこもりCJの場合……「日本のひきこもりはなんて恵まれているんだ!」
    ●カメルーンの元ひきこもりアルメル・エトゥンディの場合……「解決や成功を得る場所は、“社会”の中だけとは限らない。」
    ●北朝鮮のひきこもり
    ●フランスのひきこもりジョセフィーヌの場合……「醜くて、軽蔑に値して、病的であるのは社会の方よ。」
    ●台湾の映画監督盧德昕との対話……「ひきこもりにとって理想的世界はどんなものですか。」
    ●おわりに──ひきこもりのインタビュー論
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    投稿日:2023.09.07

  • ぽん

    ぽん

    国や人種、宗教も問わずひきこもりはいる。
    “うちこもり””そとこもり””ガチこもり”などひきこもりにも多様性があるらしい。
    世界のひきこもり当事者たちの貴重なインタビュー集。

    投稿日:2023.04.03

  • hisa

    hisa

    このレビューはネタバレを含みます

    日本人が世界中で突出して多人数いることは確かですが、著者は、フランス、中国、アメリカ、アルゼンチン、インド、イタリア、パナマ、スウェーデン、バングラデシュ、フィリピン、カメルーン、北朝鮮、ベルギー、スイス、アラブ諸国、マグレブ地方等の、今や世界中で存在を確認。

    そうした世界中のひきこもりたちにとっての、インターネットを通じたコスモポリタニズムな地下奎ネットワークで「世界ひきこもり機構」(Global Hiikoomri Organization)GHOとというページをフェイスブックに開設。加入者は全世界で583人-22年11月15日時点

    本書は、「ふつうの人」ではなく、「世界中のひきこもり同士」のおしゃべりを本にされました。


    インドの元ひきこもりニティンから「ひきこもりを助けたい」とメールが入った。ー二〇二〇年四月連絡時三〇代の手記

    ひきこもりのすべての人たちに共通点があります。自分の価値を示そうとしても示すことのできないという点です。
    私たちは皆、強くなるために生まれてきたのです。私たちは皆、成功するためにここにいるのです。ただ私達には、それぞれが自分自身になるための時間が必要なだけなのです。
    私たちが自分自身を受け容れ、何を始めるのにも遅すぎることはまったくないと考えなくてへ、自身や尊敬や成功といったものは、決して訪れることはないのではないのでしょうか。
    今、私は思うのです。ひきこもりになったことによって、そして自分を偽らず、自分自身や家族、友人に忠実であったことによって、新た何かを手に入れたのだということを。
    だから、ひきこもりの皆さん、何年でもいいから時間をかけてください。自分の存在を資産として受け容れ、自分の強みを取り戻し、新しい力で世界がどれだけ美しくなるか見てみてください。

    イタリアの社会心理学者、マルコ・クレパルティ氏との対話
    ひきこもりとインターネット
    M・C—ひきこもりとインターネットには高い親和性があるかもしれませんが、私はその理由を、ひきこもりが「その世界と交流したい」というニーズからインターネットを多用するからだ、と考えています。
    ぼそっとー四〇代のひきこもり女性からこのような言葉を聞いたことがあります。
    「私はインターネットがまったく好きではありません。なぜなら、それぞれのウェブページに社会で活躍している人々の姿を見てしまうから。その姿が、動けないでいる私を責めているように感じるのです」

    ぼそっと—日本のある専門家「ヨーロッパでは南へ行くほどひきこもりが多いはずだ。南ほど母と子の心理的教理が近いからだ。北ヨーロッパでは、子供の自己は早い時期に確立されるので、成人後のひきこもりも少ないはずだ」
    M・C—賛成します。スペインとイタリアは、ヨーロッパの中で最もひきこもりの多い国だと思います。しかし、ヨーロッパでは、他の国にもいるでしょう。西洋全体では、南ヨーロッパと北アメリカが、最もひきこもりの多い地域ではないでしょうか。
    ぼそっと—ひきこもりと国民性の関係は、一筋縄ではいかないことでしょう。
    M・C—私はひきこもりの定義を「ひきこもりイタリア」のウェブサイトに次のように書きました。
    「ひきこもりとは、近代的な個人主義社会に典型的な、社会における自己実現という過度な圧力に反応して活性化される、人間の対応戦略である」
    ひきこもりの多様性を認めると同時に、世界中すべてのひきこもりに共通するファクターというものがきっとあるはずだ、と私は考えています。現代社会を突き動かしている力学の中で、それを探らなければなりません。今と昔の社会で違う、たぶん、競争でしょう。達成へのニーズ。そして、その結果としての圧力。大きなプレッシャー。
    ぼそっとー世界中のひきこもりに共通するファクターは社会的力学だけではなく、そこには親子関係が深く関わってくるでしょう。マクロな社会だけでなく、ミクロな社会、すなわち家族の中の政治力学にも、私たちはもっと光を当てなくてはならないと思います。
    M・C—例えば田舎の村のように小さな「社会」もありますが、家族と社会を切り離して考えることはできません。
    ぼそっとー家族も生きている時代の巨大な社会力学の中で暮らしている。私が言いたいのは、なんでもかんでも社会のせいにするわけにはいかない、ということです。ひきこもりを生みだす社会にも、家族についても語らなければならない。


    台湾の映画監督盧德晰ル・テシン氏との対話
    東日本大震災の津波が押し寄せてきたとき、高台へ避難することなく、部屋から出ずに津波に飲まれてしまった引きこもりの青年の内的世界を視覚化する短編映画を製作。

    盧德晰—世界的にひきこもりは「汚名」になっていますが、ひきこもりにとっての理想的世界は、ひきこもりであることを誇りに思える社会ですか。
    ぼそっと—「ひきこもりになることによって生き延びる術を見出した私自身」「ひきこもりとして生きる」

    盧德晰—ひきこもりにとってのユートピアとはどういう社会なのでしょうか。
    ぼそっとー「引きこもりであることが問題ではない社会」というのが、その答えだと考えています。

    ひきこもりの一発逆転
    ぼそっとー五〇代のわたしは、もう二〇代の頃のように「一攫千金」「一発逆転」を夢見ていません。「過去のひきこもりの歳月が無駄であった」とは、まったく思っていないのです。「ひきこもりの歳月は、私が私になるために必要だった」と。結局私は、人生においてお金よりも時間を取ったということでしょう。

    科学技術の発達とインターネット
    ベーシック・インカム
    ぼそっと―たとえどんな社会になろうとも、相変わらず人々は互いにあったり訪問し合ったりしているでしょう。恋愛や別れも、今と同じように行われることでしょう。多くの人にとっては、それが人生ん楽しみですからね。
    そのため、どうしても社交的な人間がもてはやされる。付き合いの広い人が力を持つという点は、今と変わらない。そのことは、人に合わないひきこもりが見下される、ということになっていくでしょう。
    社会に参加したくてもできないひきこもりは、人間として余計に疎外されて行くかもしれない。
    人が、「自分の人生が意味のあるものであってほしい」と願う、そのために、多くの人は仕事に「すがる」。「自分はこういう仕事をしている。だから自分の人生は意味のあるものなのだ」と納得するために仕事をしています。ベーシック・インカムによって、「自分の人生に意味があるように思えない」という問題。
    その観点からすると、ひきこもりとは、仕事にすがることでは自分の人生に意味があると感じられない人だと考えることもできます。

    ひきこもりという「最適な人生」
    「どのように生を全うするか」という問題に対して、その上で結果的に「ひきこもり」という最適な人生を歩んでいるのではないでしょうか。
    一生ひきこもりとして生きていこうと決めていても、逆にいつの日かひきこもりを脱出したいと考えていても、まずはそこが出発点なのではないかと私は思います。


    著者のぼそっと池井多さんですが、ただし現在は、インターネットでぼそっと池井多さんのことを検索してみましたら、快く思っていない人達に狙われて、過去のブログ記事を閉鎖されたりなどされて、ほとんど公の言動や活動が制限されてしまっている状況のようです。
    HIKIPOSひきポスには、最近でも投稿の記事がありますが。Twitter、FaceBook等などでは、用心して気をつけないとアカウントが停止にされてしまうなどの恐れがあるようで、ほとんどご自分の発言を投稿しづらい状況のようです。

    何日か前に読んだ本 ”「コンビニには通えるひきこもりたち著久世芽亜里」”
    さんの本の中でも、多様な働き方、多様な生き方を目指していくことでしか、「ひきこもり」の解決策はないのではないのか?と書かれていました。
    「ひきこもりが最適な人生」も似ていると思いました。
    人間性・人間の尊厳として、少しでも正々堂々と、公明正大に有意義に成長し、働き、生きていくことを決して諦めてはいけないと思いますが、少しでも前向きに生きていくためにはそれ以外にはないのかと思いました。

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    投稿日:2022.11.15

  • alouette18

    alouette18

    HIKIKOMORIという言葉がフランスでそのまま使われていることに驚き。

    日本では「扶養家族」があり、生活保護にしても、まずは「家族」が援助できないのか、という話になりますが、フランスは個人に対して国から手当が出る、というのも家族の負担がなくていいように思いました。

    日本社会は生きにくいと思うことも少なくないけれど、世界中どこでも社会に適応できない人はいるのだと、当たり前かもしれませんが、再認識。

    「フィリピンは外向的な人間が多いお国柄だから、そういう環境でひきこもりでいるのは難しいんだ」
    など、それぞれどの国の人も、その性格は国民性としてひとくくりにはできない、というのも、改めて気付かされました。

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    投稿日:2022.04.26

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