
総合評価
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powered by ブクログ2025年のいまとなっては冤罪が確定した事件だが、本書の発表時には菅家さんは無期懲役判決が確定し収監中だった。 その時点で出版されているから、というわけではないだろうが、だれか個人の責任に帰するような文章ではない。著者は淡々と事実を積み上げていき、冤罪の疑いが極めて高いことを描いていき、批判的な筆致になるときも、属人的ではなく構造的に生まれた問題かのように描く。 本事件ではDNA鑑定がおおきな意味を持っていた。それもあって本書内でもこの事件におけるDNA鑑定への批判的な検討が行われる。専門的な内容になるため、知識がない自分にとってはわかりにくかった。 しかし、このわかりにくさと科学的根拠への信頼は、なぜか結びつくのである。新聞記事に「専門家らによる科学的なDNA鑑定により犯人であることが証明された」と書いてあって、どれほどの人間が疑えるだろうか。自分は、よくわからないがそうなんだ、と読み流してしまうと思う。 冤罪に至った責任の所在はあらゆるところにあるが、念のために書いておくと、栃木県警の警察官たちは、少なくとも事件発生の最初期に限っては、熱心すぎるほどに事件へ真摯に取り組んでいる。 本書を読むと、その熱心すぎることが冤罪を生んでしまったように見えるが、それにしても菅家さんが犯人とされるまでの過程はかなり雑である。疑惑といえるものさえほとんどない。 冤罪の被害者も、冤罪を生み出す構造の一部となることも、どちらも人ごとではないだろう。
0投稿日: 2025.08.02
powered by ブクログ2001年に出版された『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』の文庫版。 足利事件ではもう1冊、清水潔氏によるノンフィクションが出ているが、向こうが良くも悪くも「熱い」作品であるのに対して、こちらは冷静に、緻密に冤罪のプロセスを追っていると思う。 両者の関係については、以下の記事で何となくわかる。 「真犯人のDNA」 http://g2.kodansha.co.jp/279/280/30018/30019.html
0投稿日: 2014.06.29
