【感想】還暦からの底力―歴史・人・旅に学ぶ生き方

出口治明 / 講談社現代新書
(91件のレビュー)

総合評価:

平均 4.2
33
34
15
1
0

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  • ころたん

    ころたん

    このレビューはネタバレを含みます

    人・本・旅に出会うこと。
    年々新しい出会いが難しくなっているが、好奇心を持つものにチャレンジし、自分の世界を広げたいと感じた。

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    投稿日:2024.05.26

  • yonogrit

    yonogrit

    891

    タイトルが還暦からとのことですが、老若男女誰でも対象に書かれています。著者のこれまでの経歴や経験から、ビジネスでの経験や本により学びを得られたとの人生指南です。

    出口 治明
    1948年、三重県に生まれる。京都大学法学部卒。1972年、日本生命相互会社入社。国際業務部長などを経て2000年に退社。同年、ネットライフ企画株式会社を設立、2008年にライフネット生命保険株式会社と社名を改名し、社長に就任する。10年が過ぎた2018年、ライフネット生命保険株式会社の創業者の名を残し立命館APU学長に就任、実業界からの異例の転身を図る。大胆な大学改革と併せて、講演・執筆活動等幅広く活動中。主たる著書に『「全世界史講義1、2』(新潮社)、『部下を持ったら必ず読む「任せ方」の教科書』(KADOKAWA)、『教養は児童書で学べ』(光文社新書)、『人類5000年史1』(ちくま新書)、『哲学と宗教全史』(ダイヤモンド社)、『座右の書 『貞観政要』』(角川新書)など多数ある。

    還暦からの底力―歴史・人・旅に学ぶ生き方 (講談社現代新書)
    by 出口治明
    では、何歳まで働くべきなのか。これはよくある問いかけです。しかし人間は動物ですから、「何歳まで働く」とあらかじめ決めておくのは全くもってナンセンスです。動物と同じように、朝起きて元気だったらそのまま仕事に行けばいいし、しんどくなったら仕事を辞めればいいだけの話です。  僕もよく「いつまで働くのですか」と質問されることがありますが、そんなことは考えても仕方がないと思っています。今日も朝起きて元気だから仕事をしているだけの話で、しんどいと感じるようになったら、そのときに引退すればいいだけの話ではありませんか。年齢に意味がないというのは、そういうことです。

    いま書籍でよく売れているのは「老後の孤独」をテーマにしたものです。しかしファクトを直視すれば、人間は一人で生まれ一人で死んでいきます。つまり人間は孤独なのが本来の姿であり、それは人間のみならず動物の本性です。

    この仕組みのなかで働く人は、ともすれば職場と自宅を往復するだけの「飯・風呂・寝る」の生活に陥らざるを得ません。長年にわたりそういう生活を強要されてきた人が、 60 歳になった途端、「明日から来なくていいですよ」と職場にいわれたら、何をしたらいいかわからなくなるのは当然です。これを「老後の孤独」と名付けているだけであって、本当の問題は歪んだ労働慣行そのものにあります。「飯・風呂・寝る」は「人・本・旅」の対極にあるライフスタイルです。「人・本・旅」の生活を続けていれば、趣味も職場以外の友人もたくさん見つけるチャンスがあります。日本の労働慣行は、人間を全く大事にしていないのです。

    結局、老後の孤独というテーマは問題設定自体が間違っていて、日本の歪んだ労働慣行が、働く人を粗末に扱っている問題だと再設定すべきです。その意味からも働き方改革を行い、「人・本・旅」のライフスタイルを定着させることが老後の孤独をなくすことにつながるのです。

    年齢を重ねるほど親しい人を喪う回数が増え、寂しさを感じる回数も増えるのは間違いありません。でも、それもよく考えてみれば友人が高齢者の場合だけの話であって、「人・本・旅」の生活で年齢にかかわらず友人を増やしていけば、それほど喪失感は感じないでしょう。動物は年を取れば年齢が上のほうからだんだん死んでいくものです。そんなことは誰でも知っています。親や兄弟、パートナー、親しい友人が亡くなって心が病んでいくという現象があることは理解できますが、結局、死というファクトに対しリアルに向き合えば、人間の死は自然現象として受け入れるしかありません。

    20 世紀になって哲学が昔ほど流行らなくなったのは、自然科学が進み過ぎたからでしょう。 20 世紀になって絵画が流行らなくなったのが、写真が急速に発達したからなのと同じように。

    言い方を変えれば、人間は自分の好きなように生きればいいのです。そもそも嫌いなことは長続きしませんし、人間の理想は好きなことをしてご飯を食べられることです。人間は次の世代のために生きていると理解したうえで、それぞれが好きなことをして一所懸命生きればそれで十分なのです。

    僕自身は、正直なところ、とてもいい加減で怠け者の人間で、かつ人間の歴史を見ていると、人間はまったく賢くないと考えています。だから、それほど賢くない人間に大した世界経営計画はつくれないと結論しています。要するに、将来何が起こるかは誰にもわからないので、川の流れに身を任せるのが一番素晴らしい人生だと常々思っています。

    外に行って誰と会い、どんな人とつながりをつくるのか。会う人が同年代の人ばかりに偏るのも、逆に「若い人たちと交流しなければ」といって無理に若い人とのつながりをつくろうとするのもどうかと思います。  僕は年齢に価値を置いておらず、年功序列という考え方にもほとんど興味がありません。基準は面白い人かどうかであって、求めているのは自分に刺激を与えてくれる人。年を取っていようがまだ若かろうが、そういう人たちとご飯を食べて、ワイワイガヤガヤ議論をしたい。  先日主催した食事会のメンバーはAPUの学生とダンサー、ピアニスト、日本舞踊家、大学教授、企業の社長、社会起業家、音楽家、作家、ジャーナリストそして僕です。世代も職業もてんでんばらばらです。

    別に深く考えてメンバーを選んでいるわけではありません。  要するに「来る者は拒まず去る者は追わず」で、緩く扉を開いているだけです。自分にアクセスしてくる人は、自分のことを面白いと思ってくれているのだから、ありがたいと思って受け入れる。自分から去るということは、その人にとって自分は魅力がないということなので、追いかけても仕方がない。  ずっとそう思ってやってきたので出会いの母数が多くなり、結果として人脈も広くなりました。「なぜそんなに広い人脈があるんですか」と質問されることがありますが、それは長い間にたくさんの人と会ってきたからというだけのことです。出会いの母数が多ければ、一定の確率で社会的に高いポストについている知り合いも増えます。  人脈などは意図してつくれるものではありません。「この人は偉くなるから仲良くなっておこう」と思っても、病気で亡くなってしまうかもしれません。

    そんなことをしなくても、自分に魅力や面白いところがあれば、人は向こうから集まってきてくれます。「この人、面白そうだから食事に誘ってみようかな」と。

    要するに、パートナーの愛情や友人の友情があったほうが人生は楽しくなるのです。その意味で、人生は愛情や友情の獲得競争といってもいいでしょう。  人生で一番大切なのがパートナーや友人で、そういう存在にどこで出会えるかといえば、仕事や社会との関わりのなかからです。その意味でもどんどん外に出たり、自分のコンテンツを豊かにしたりして、新たな人との出会いをつくったほうがいいのです。家に引きこもっている場合ではありません。

    年齢にかかわらずこれまで所属していたコミュニティを飛び出して、別の世界へ足を踏み入れることに躊躇する人は多いのかもしれません。でも、それは合コンに怖気づいているのと一緒です。実際に別の世界に飛び込んでみなければ、異なる世界に属する人との接し方は学べないでしょう。

    著者の渡辺和子さんはとても立派な人で、あの考え方が間違っているとは思いませんが、考え方としては漫画家・随筆家で『国境のない生き方』の著者、ヤマザキマリさんの「世界は広いのだからどんどん出ていこう」というほうが僕は好みです。やはり人は基本的に自分の好きなように生きたほうがいいと思います。

    家族との付き合い方に話を戻すと、結局は人間として相手と誠実に向き合うという一点に尽きます。これは家族に限らず、さまざまな人たちとの付き合いや出会いにおいても同様です。

    仕事をしていると日々、いろいろな場所でいろいろな人との出会いがあります。そしてほとんどの人とお会いするのは一度だけ。一生に一度だけの邂逅です。  ほとんどの人との出会いが一期一会であるならば、その場その場を誠実に、自分の役割に一所懸命取り組まないと申し訳ないという気持ちが自然に生まれます。

    だから親に健康でいてもらおうと思ったら、楽をさせてはいけません。いくら長寿社会になったといっても、寝たきりでは意味がありません。長寿社会をエンジョイできるのも健康寿命が延びてこそで、前述したように健康寿命を延ばすには働き続けることが一番有効だというのが医者の答えです。定年を廃止して親にはどんどん働いてもらうべきです。

    子孫に美田を遺さず、必要なら生前贈与を

    僕自身はといえば「悔いなし貯金なし」がモットーです。やりたいことは思い立ったときにやる。そして、そのためにお金を使う。だから相続税の配偶者控除を超えるようなお金はおそらくいつまでたっても貯まらないと思います。

    これと対極的なのが北欧の先進国の人々で、あまり貯金をせず自分のお金は生きている間に使います。定年がなく、社会保障がしっかりしているのがその理由です。  ところで、定年は別として、第一章で述べたように日本の社会保障制度は適用拡大という問題を残しつつも基本的にはよくできています。それでも多くの人がお金の不安を抱いているのは、不安をあおって儲けようとしている人たちがいるからです。その代表が金融機関です。不安があるからこそ、外貨建て年金のようなリスクの高い商品が売れるのです。

    「いずれ公的年金保険は崩壊するのではないか?」  こういった疑問を持つ人は多いのですが、公的年金保険が崩壊することはありません。その理由は簡単で、公的年金保険の仕組みは要するに、市民から年金保険料を集めて要件を満たした市民に配っているだけだからです。これは税金を徴収し、必要な給付を行う政府の仕組みそのものです。

    こうした批判が出てくるのは、好きではない仕事についている人が多い現実の裏返しかもしれません。しかし仕事は無理やりやらされるものではなく、好きなことをしてお金を稼ぎ、ご飯を食べていくのが基本です。言い方を変えれば人々が人生100年時代に幸福な生活をおくるために定年を廃止するのです。  定年廃止について的外れな批判が生じるのは、不勉強なメディアが「定年廃止は高齢者の虐待」のような伝え方をするからです。  改めて、定年廃止のロジックを整理しておきましょう。秦の始皇帝が不老不死の薬を探させたように、長寿社会は人類の理想です。ただし、いくら長生きできても寝たきりになっては意味がない。元気でなければ人間の理想社会とはいえません。

    健康寿命を延ばすことが極めて大切で、そのためには働くことが医学的に見て一番いいのです。  働くことは、規則正しい生活に直結します。雪が降ってもあられが降っても職場に行くので毎日1万歩くらいは歩きますし、いろいろな人と会話もします。働けば頭も体も使い、健康寿命を延ばします。もちろん収入も得られます。このように働くことは良いこと尽くめなので、定年を廃止しようというロジックなのです。

    「高齢者をまだ働かせるのか」という批判の背景には、残業必須の長時間労働といった、従来の日本の伝統的な働き方のイメージが残っているのかもしれません。しかし、政府も働き方改革によって長時間労働の抑制と、それぞれの人の意向に応じた働き方ができるような方向に舵を切っています。その時点の意欲、体力、能力に応じて自由に働ける社会、働き方を自由に設計できる社会をつくっていくことが理想です。

     女性の地位を向上させるために必要な施策は、性分業のベースとなっている「配偶者控除」と「第3号被保険者」の廃止、それから「クオータ制」の実施です。クオータ制とは、たとえば議会における政治家や企業の経営者に、男女の比率に偏りが生じないように一定の割合を義務付ける制度です。ヨーロッパでは国政選挙で男女同数の候補者を立てないと政党交付金を減額する、役員に一定割合以上の女性がいないと上場を取り消す、などといった制度があり、ほとんどの国で実行されています。

    クオータ制は男性に対する逆差別であり、能力のない女性をポストにつける制度だという頓珍漢な批判がありますが、これは男女差別が厳然として存在する社会で実施する過渡期の仕組みです。クオータ制を入れなければいつまでたっても女性の政治家や管理職は増えません。そうするとロールモデルが生まれないので、いつまでたっても女性の地位向上を実現できません。

    第三章 自分への投資と、学び続けるということ

    80 歳でもチアリーダーになれる、DJになれる

    僕の好きな紀行作家の一人にイザベラ・バードがいます。1831年に連合王国(イギリス) で生まれた彼女は病弱でしたが、北米で転地療養したことがきっかけで、世界中を旅するようになります。

    日本には1878年、元号でいえば明治 11 年にやってきて、内陸ルートで北海道まで行ってアイヌの村落を調査したり、関西まで旅をしたりした記録が『イザベラ・バードの日本紀行』上下巻としてまとめられています。明治初期の交通インフラが整っていない不便な時代に、身体の弱い外国人女性が奥地まで足を運んでいることに驚かされます。  イザベラ・バードの著作のなかでも圧巻なのは『中国奥地紀行』です。 九 寨 溝 や 黄 龍 のような、いまでも行くだけで大変なところにまで足を運んでいます。彼女が中国を旅行したのは1895年から翌年にかけて。つまり、還暦を超えてから清朝時代の中国をかなりの奥地まで旅しているのです。  イザベラ・バードは身体が弱かったのに、明治や清の時代に世界中を旅行して歩きました。還暦を超えていようがいまいが、やろうと思えば何でもできるという好例です。まして現代は非常に便利な時代です。できないのは「できるわけがない」という自分の思い込みが、自分の行動に制約をかけているからです。

    何に自己投資すべきかといえば、基本的には何でも好きなことをやればいいと思います。自動車の運転が好きな人であれば、いまなり手がいなくて困っているタクシーの運転手をやってみるのもいいかもしれません。自分の好きなことで、しかも世の中の需要も大きいのですから。  別のアプローチもあります。偶然の出会いに任せることで、もしかすると自分の好きなことではない、無縁の分野と思っていた世界に新たな道が開けるかもしれません。

    だから大切なのは「人・本・旅」で、たくさんの人に会う、たくさん本を読む、たくさんいろいろな現場へ出かけていき、たくさんの出会いをつくることです。すると、その中から運と適応により、思いがけない世界が広がるかもしれません。

    還暦後の生活をエンジョイしている友人を見ていると、昔やっていたことに再チャレンジする人と、それまで無縁だったことにハマる人の両方がいるようです。前者は、たとえば昔陸上競技をやっていた人がシニア陸上で世界記録をつくるようなパターン。いわば昔取った杵柄です。後者は短歌の会の編集長になった、僕の友人のようなパターン。こちらは免疫がなかったがゆえに、新しい世界に一気に没入したパターンといってもいいかもしれません。こういうことが起きるから人生は面白いのです。

    そう考えると「やったことがない」「行ったことがない」と未知の物事に門戸を閉ざすのではなく、やはり来るものは拒まず、去るものは追わず、で川の流れに自然体で流されて生きていくのが一番いいと思うのです。

    要は夜8時から 10 時まで集中して勉強するのが一番効率がいいと自分に言い聞かせ、そういうルールをつくることで自分を追い込んでいったのです。勉強ができる人はこのように、仕掛けづくりが非常にうまい。逆に成績がなかなか伸びないと悩んでいる人は仕掛けづくりが下手で、実は机に向かっていても勉強に集中できていなかったりするのです。  仕掛けづくりの重要性は、受験生でも還暦からでも、年齢に関わりなく大切です。

    人間の考えは「人・本・旅」の累積が形作ります。いろいろな人に会って話を聞く。いろいろな本を読む。いろいろな場所へ行って刺激を受ける。そうやってインプットした個々の知識を、「タテヨコ算数」で整理して、全体像をつかんでいくことが大切です。「タテ」とは時間軸、歴史軸のこと。「ヨコ」は空間軸、世界軸。算数はデータでものごとをとらえる、ということです。数字、ファクト、ロジックと言い換えることもできます。

    僕が大分県別府市のAPUで働き始めたのは2018年1月からです。とはいえ、自分で生命保険の分野から教育分野への転身を希望したわけではありません。ライフネット生命の創業時と同様、ここでも運が大きく絡んでいました。  僕がライフネット生命の会長を退任したちょうどその頃、APUでは日本で初めての学長国際公募を行っていて、僕が104名の候補者の中の一人として推挙されていると人材紹介会社の人から知らされたのは2017年の9月の中頃でした。直接会って話を聞くと、条件はドクター(博士号保持者) であること、英語に堪能であること、大学の管理職の経験があることなどでした。僕はどれにもあてはまらないので、選ばれるはずがありません。

    次に、観光という観点からするとAPUが立地する別府はまさに「地の利」そのものです。別府はわが国有数の著名な温泉保養地であり、しかもAPUが立地する山の近隣には自衛隊の演習場ぐらいしかなかったのですが、APUから車で 10 分ほどの所に世界的に有名なインターコンチネンタルブランドのリゾートホテル「ANAインターコンチネンタル別府リゾート&スパ」が2019年に開業しました。これほどの地の利はありません。

    APUの教育環境は素晴らしいのですが、ずっと同じ環境にこもっているのはもったいない話です。せっかくAPUで様々な国や地域の友人ができるのですから、友達の家を訪ねていく感覚で海外へ行けばいいと思います。2019年4月からは、将来構想検討委員会を続行させた他、授業の質高度化検討委員会を設け、どうすれば学生の満足する授業が実現できるかについて専門的な検討を進めています。

    他にも尾道出身の学生たちが地元尾道で国産アーモンドの生産、商品開発で地域の活性化を目指して起業したり、スリランカ出身の学生が卒業と同時に別府市内でスリランカ料理のレストランをオープンさせたりなど、着実に成果が出ています。  起業活動を大学の単位として認めるのは難しいので、課外活動として取り組んでいます。大学における学びの主体は学生であり、学生がやりたい、勉強したいことを応援していくことが大学と教職員の役割だと考えています。

    インバウンドで日本にはイスラム圏からも多くの人々がやってくるようになっています。日本に来たら、やはりおいしいお寿司やお刺身を食べてもらいたいのですが、アルコールを含まないなど、誰でも安心して食べられる、ハラール認証の醬油がないとムスリムの人はお寿司やお刺身を楽しむことができません。

    大学がみんな偏差値型だったら東大を頂点とする富士山のような広がりとなり、それでは多様性が発揮できません。やはり八ヶ岳のようにいくつもの峰がなければいけない。さまざまな個性ある大学が存在し、学生の多様なニーズにマッチしない限り日本の未来はありません。そしてAPUは変態オタク型の頂点に立てると僕は確信しています。  だからといって、APUは何か突飛な授業をしているわけでは決してありません。変態オタクは授業から生まれてくるのではなく、学生が自主的に自由勝手に好きなことをやり始めるからこそ変態オタクなのです。学生が好きなこと、興味のあることにチャレンジし、教職員がそれをサポートすることが重要です。大学のカリキュラムだけではなく、起業部のような課外活動も含めてです。APUは学生のすべてのチャレンジを全力で応援していきたいと思っています。

    そもそもAPUに入学する学生たちは、APUを選択した時点でかなり尖っています。日本人の学生だけを見ても、九州出身者は3割しかいません。3分の2は東京や大阪、京都といった大都市を含む他の地域からで、むしろ大学がたくさんあるエリアから来ているのです。大学がたくさんあるにもかかわらず別府の山の上の大学に来ているのですから、相当な尖りようです。

    人生において教養はなぜ重要か、という問いにも答えておきましょう。  一番簡単な答えは、教養がある人は、教養がない人に比べて豊かで楽しい人生をおくれるからです。僕は「おいしい人生」という言い方をしていますが、講演でご飯のアナロジーで「おいしいご飯とまずいご飯、どちらを食べたいですか」と質問すると、みなさん「おいしいご飯」と答えます。当たり前ですよね。

    ところが安土桃山時代に銀という世界商品が大量に発見されました。その代表が石見銀山です。当時の銀は世界通貨だったので、海外から銀を求める人々がわっと押し寄せてきました。  しかし信長や秀吉の時代をピークとして、乱掘によりだんだん銀はとれなくなりました。そのタイミングでちょうど鎖国が始まります。なぜ日本が鎖国できたかといえば、日本に世界商品がなくなったので、海外の人が日本を放っておいてくれたからです。

    政治の基本はそこで暮らしている人たちに腹いっぱいご飯を食べさせることですから、餓死者を大量に出し(現在の人口スケールで考えれば、500万人レベル)、日本人の身長・体重を一番小さくした江戸時代は史上最低の政権だったといえます。  江戸の町人文化が好きな人のなかには「江戸の町はよかった」「江戸時代に生まれたかった」という人がいます。確かに江戸の町で越後屋呉服店のせがれにでも生まれたら、きっと楽しい生活をおくれたことでしょう。しかし当時の人口の約9割は農民です。確率的には農民に生まれ変わる可能性が一番高いので、移動もできないし、飢饉になったらすぐに死んでしまうでしょう。僕は絶対江戸時代には生まれ変わりたくはありません。

    学ぶことの重要さについて述べてきましたが、一方で人間の脳の賢さには限界があると僕は思っています。  そもそも人間観には、人間はしっかり勉強すれば賢人になれるという人間観と、人間は勉強したところで所詮はアホな存在である、という人間観の2種類があると思います。僕が後者の立場をとっているのは、どんな賢人でも「一杯飲みましょうか」と誘えば喜ぶし、男性ならきれいな女性が好きだし、女性はイケメンが好きだからです。そしてこの「人間はそれほど賢くない」という人間観こそが保守主義の真髄だと思うのです。

    人間がそれほど賢くないのであれば、賢くない頭で社会の見取り図を考えてもたいしたものはできません。つまり、正しい社会の設計図を描くことはできないので、いまある制度のなかでそこそこうまくいっているものについては正しいと仮置きしてそのままにしておこう。うまくいっている理由はわからないけれど、みんなが満足していてさほど不満がないのならそのままでいいというのが保守主義の基本的な考え方なのです。

    一方で、人間は一所懸命勉強したら賢くなることができるし、哲人政治も可能であるという考え方もあります。賢い人がきちんと考えた通りにやれば、世界はうまくいくと。これが革新主義であり、その代表例が自由・平等・友愛の理念を掲げたフランス革命です。  確かにこの理念は素晴らしいのですが、それで全世界を再設計しようと考えたため、フランス革命ではいろいろなほころびが生じました。

    18 世紀のイングランドの政治家・哲学者で保守主義の父といわれるエドマンド・バークは、フランス革命が勃発した翌年の1790年に『フランス革命の省察』を著し、フランス革命を徹底的に批判しました。その論拠の一つが「人間とはそもそも愚かな存在である。その愚かな人間が頭(理性) だけで考えたことなど、うまくいくはずがない」という主張でした。  バークが重視したのは、伝統と慣習です。それは長い時間をかけて、多くの人々が試行錯誤を繰り返したうえで生き残ったものなのだから、完全ではないにせよ、決して間違ったものではないだろうと。それに手を加えるのは愚の骨頂で、もしまずい部分があれば、そこだけを一所懸命考えて、直していけばいい。このようなバークの考え方に僕はとても共感します。

    ところがアメリカやイングランドの革命では、そのような展開にはなっていません。それはイングランドの保守主義が生きていたからかもしれません。ジョン・ロックやエドマンド・バークの考え方のベースは経験論です。イングランドはケルト人やローマ人、アングロサクソン人、デーン人、ノルマン人などの侵入や支配を受け辛酸をなめてきた国なのでなかなかしぶとく、かつ伝統や慣習を大事にするのです。だから連合王国の憲法は慣習法で、いまでもマグナ・カルタが憲法の一部となっています。

    理性にすべてを委ねるのは傲慢である

    たとえば、 20 世紀の都市計画の代表例の一つにフランス人のル・コルビュジエという建築家が提唱した「輝く都市」という美しい理念があります。自動車が発達することを見越し、道を広くまっすぐにして、きれいな緑を植えた住居地区と工場地区、商業地区などをきれいに分けて広い道路で結ぶというゾーニングの考え方で、ブラジルの首都であるブラジリアはこの理念に沿ってつくられました。  いまでもこの思想は生きていて、まっすぐな広い道できれいにゾーニングされた都市はいろいろなところで見られます。  ところが、これに異を唱えたのがアメリカ人のジェイン・ジェイコブズでした。『アメリカ大都市の死と生』という著書で、そんなまっすぐな道なんか歩くのは嫌だ。道は曲…

     この『アメリカ大都市の死と生』と「輝く都市」はまさに保守と革新の違いです。  朝、車で緑豊かな住宅地を出てきれいに整備されたオフィスへ行って働き、仕事が終わったら商業地区へ寄って食事したりデートしたりして、静かな家に帰る。光り輝く都市の思想でつくられた町はていねいに計画的に設計されているだけあって、スマートな生活をおくれそうです。これは革新主義です。  しかし、そんなきれいな町に住むのが本当に楽しいのか。人間の本性に合っていないのではないか。家もあれば飲み屋もあり、工場やオフィスもある、ごちゃごちゃ混ざっているほうが楽しいのだ、というのが保守主義です。理屈はわからないかもしれないが、人間が心地よいと思うものはそのまま残しておけばいい。頭で考えたものはろくでもない、と。人間の理性を信じない考え方です。  別の…

    その意味で、日本にはほとんど保守主義者がいないと感じます。保守と名乗ってはいても、「憲法は戦後、外国に押し付けられたものだから改正しなければいけない」などと理性で主張したりしています。しかしいまの憲法でそれほど困っている人がいるとはあまり聞いたことがありません。そうであれば、理屈はともかく、手をつける必要…

    自分たちが賢いと 自惚れて、理性で考えて正しいのだからこれですべてをやってしまおうなどという考え方は、かなり傲慢です。人間の脳の構造や能力の限界を十分わきまえたうえで、問題が生じていることに対しては必死に考えて制度や対策をつくる他はありませんが、それでも人間の頭はたいしたことがないので、長く続いた伝統や慣習はできるだけ大事にしたほうがいいでしょう。

    つまり、日本の出来事も世界の歴史のなかに位置付ける視点を持たなければいけない。だから僕は「世界史から独立した日本史はない」と話しています。日本で起きたことも海外で起きたことも全部つながっているのですから。歴史は人類の5000年史が一つあるだけなのです。

    哲学者のフランシス・ベーコンは「知ることは力なり(Knowledge is power)」という言葉を残しています。この対句となるのがジョージ・オーウェルが小説『一九八四年』で書いた、ビッグ・ブラザーという全体主義的な政府のスローガン「無知は力なり(IGNORANCE IS STRENGTH)」です。  要するに、健全な市民が健全な社会を構成していくためには知ることが力になり、ヒトラーやスターリンのような専制的な世界の権力者が人民を支配するためには無知こそが力になるということです。

    要するに、メリットとデメリットがはっきりしていたら、人は選択に迷いません。迷うということは、どちらもよいところがあり、悪いところがあるから迷うのです。そういうときにいくら時間をかけて考えても、答えはでてきません。ただ時間が過ぎていくだけです。答えがでないのに迷うのは時間の無駄だから、「迷ったらやる。迷ったら買う。迷ったら行く」ですぐ行動したほうがずっといいのです。

    左遷されて落ち込む真の原因は不勉強

    異性と付き合いたいが、どうしたらいいかわからず怖い。いろいろな知識を仕入れ、自分を鍛えてから付き合おうと考えていたら、その間に時間が過ぎていくだけです。毎晩合コンへ行き、魅力を感じた異性に「お付き合いしてください」とアプローチし、振られたり貢がされたり痛い目にあいながらはじめて、うまく異性と付き合えるようになるのです。

    そもそも、一冊か二冊偉人の伝記を読んでみれば、みんな失敗だらけの人生だったのだということがわかります。何かやってもうまくいかないことが多いのは、世の中の当たり前です。つまり失敗が怖いという人は、勉強や考える力が足りないのです。

    好きなことをやる、あるいはやれること。人間の幸せはそれに尽きます。「人・本・旅」でいろいろな人に会い、いろいろな本を読み、いろいろなところに出かけて行って刺激を受けたらたくさんの学びが得られ、その分人生は楽しくなります。  誰と会い、何を読み、どこに行くかは皆さん次第。人の感性はさまざまなので、自分が面白いと思う「人・本・旅」に出会い、好きなことにチャレンジしていけばいい。還暦だろうが古希だろうが、年齢など関係ありません。しかもそれは「世界経営計画」のサブシステムを担う行為となり、世界をよりよくしていくことにもつながっていくでしょう。

    そんな反論をする人がいるかもしれません。でも人間は怠け者なのですぐサボります。散歩を日課にしていても、大雨の降った日は家にこもってしまうでしょう。誰も運動なんかしません。でも仕事をしていたら大雨でも職場に行き、身体も頭も使うでしょう。仕事は仕組みとしてサボれないのが素晴らしいところです。だから健康寿命が延びるのです。  僕が「定年を廃止せよ」と主張しているのは、何も労働力が不足しているからではありません。楽しく100年の人生を過ごすために必要不可欠な、健康寿命を延ばしたいからです。健康であってはじめて、好きなことに好きなように取り組めるのです。
    続きを読む

    投稿日:2024.05.05

  • ami

    ami

    最初に書かれている部分が参考になった。やはり同じ著者の本を続けて読むのは良い。「飯・風呂・寝る」という生活を送っていたので、それらを是正し、自分を取り戻していきたい。

    投稿日:2024.01.28

  • まいまゆ

    まいまゆ

    定期的に出口さんの著書が読みたくなります。いつも元気をもらえますね。今作は、還暦からの生き方がテーマでしたが、いつもの出口節が語られており、ブレない安心感がありました。彼の常識にとらわれない、かつ合理的でシンプルな理論が素敵でしす。歴史的な考察を踏まえ、日本だけでなく世界的な視点から、今だけではなく未来を見据えた提言がたくさんありました。中でも、定年制の廃止、男女差別の撤廃、ダイバーシティの重要性、直観で行動に移すことの大切さが心に残りました。続きを読む

    投稿日:2023.12.16

  • のんたタイ

    のんたタイ

    立命館アジア太平洋大学(APU)の学長が書かれた60歳からの人生書。やっぱり好きに生きること、やりたいことをやること、でも学び続けること。

    (気に入った文章)
    「・・・あるいは唐の第2代皇帝で、中国史上最高の名君の一人とされる太宗の言行録である 『貞観政要』には、「三つの鏡 (三鏡)」という話が出てきます。三つの鏡とは太宗が意思決 定の際に大事にしていたもので、具体的には「銅の鏡」と「歴史の鏡」、「人の鏡」です。
    銅の鏡で自分を映し、自分の心身の状態をチェックする。 将来は予想できないので歴史 の鏡で過去の出来事を学ぶ。 人の鏡で部下の直言や諫言を受け入れる。人はこれら三つの 鏡によってのみ、よりよい意思決定を行えるという話です。だからカッカしやすい人 は、怒ったら自分の顔を鏡で見ることを習慣づけるといいかもしれません。
    こういう先人の知恵は探してみると実にたくさんあるので、自分に向いたものを取り入れればいいと思います。」
    続きを読む

    投稿日:2023.10.20

  • Bikkie

    Bikkie

    最終章にも書いてあるが、「還暦ならでは」という本ではなく、全世代に向けて、前向きに生きるための普遍的な事柄が書いてある感じ。

    「飯、風呂、寝る」じゃなくて「人・本・旅」であるとか、「迷ったらやる。迷ったら買う。迷ったら行く」あたりが根源的なメッセージ。

    ただ、APUの話とか、国のありようの話とかは期待してこの本を手に取った人たちにとってはちょっと肩透かしな内容かもしれません。また、最終的に政治の問題にしてしまっているところもちょっとイマイチ。政治家を選ぶ民度が問われているのはそうなのかもしれないけれど。。
    続きを読む

    投稿日:2023.10.10

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