【感想】苦い花梨 マジャパヒト 元軍襲来・ジャワ戦記

中原洋 / 柘植書房新社
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    モンゴル帝国の侵攻を退けた国と言えば鎌倉幕府だけではない。ベトナム(大越)の陳朝はゲリラ戦で元軍を退けた。そしてインドネシアのマジャパヒト王国。元の侵攻を退けたウィジャヤが建国し1293年から1478年までジャワ島中東部を治めた。

    2014年2月13日ジャワ島東部のケルド山が噴火し20万人が避難した。このケルド山の西にあるクディリ王国を倒したシンガサリ王国はケルド山の東に13世紀に栄え、その最後の王ケルタネガラは朝貢を求めるタタール(モンゴル帝国の別名、本書ではこちらで統一)の王フビライからの使者に顔に入れ墨をして追い返した。これはタタールを強盗扱いする行為だった。タントラの秘教に傾倒し内政をおろそかにした王はクディリ王国の末裔ジャヤカトワンの反乱に会いシンガサリは滅亡する。若き将軍ウィジャヤがおびき出された隙に本拠地を襲われた。ウィジャヤは王女トリブワナの娘婿で旧臣ヴィララジャを頼りマドゥーラ島にともに逃げ再起を図る。この時ウィジャヤについて来たのはわずか12名の部下だけだった。

    1292年11月タタールは艦船500、総員2万、戦闘員5千の兵を泉州(福建省)に集めジャワ侵攻を開始した。1281年の弘安の役の4400艘、総勢15万という当時世界最大の艦隊には及ばないがジャワは遠い。長い船旅で自慢の騎馬軍団は馬が持たなかったため歩兵主体になったが回回砲という巨大投石機、震天雷という爆弾、強力な弩など強力な兵器を持ち、鍛錬された兵器は強力だった。ジャワ上陸後も3倍程度の人数差は物ともせずクディリにせまる。

    ウィジャヤはジャヤカトワンを討ち敵を取りたい、しかしクディリにはトリブワナの妹ガヤトゥリがジャヤカトワンの息子アルドハラジャに連れ去られている。アルドハラジャは元はウィジャヤの部下で何もなければガヤトゥリと結婚するはずだった。さすがにインドネシアは昔から何でも有りだなあ。しかし、先にクディリと戦ってはタタールの侵攻は止められない。そこでウィジャヤはジャヤカトワンに恭順を示し、タタールと戦うことを約束する。ケルド山の北今ならスラバヤの西の荒野を開墾し村を作った。そこに成っていた花梨の実は食べるととても苦い。苦い花梨=マジャパヒトが村のそして後に王国の名前になった。

    タタールとまともに戦っても勝ち目は無い。ウィジャヤの戦略はまずタタールとクディリを戦わせジャヤカトワンを討った後消耗したタタールを追い払うと言うものだった。タタールに対しジャワの地図とマジャパヒト村の戸籍簿を差し出し、現在の王はジャヤカトワンだと告げ口し、クディリの都には財宝が蓄えられ、美しい王女も捕えられていると申し出る。助けにいくつもりのガヤトゥリまでおとりに使うとやはり何でも有りだ。何とかタタールに信用させ部隊は2手にわかれクディリに向かう。さらにタタールはバンガワン川を遡りクディリの街を3方から包囲した。クディリはあっけなく滅亡。山に逃げたアルドハラジャは粘ったがタタールの将軍高興の追撃に会い捕まった。

    高興はウィジャヤを警戒しており村に返すなと言っていたが、アルドハラジャを追って不在のおり将軍史弼と海将イケメソ(イケメンではないw)はジャワ兵を侮っておりウィジャヤを帰した。どさくさまぎれにガヤトゥリを奪還して村へ連れ帰り、フビライにガヤトゥリを献上しようとするタタール軍に対して王女は武器を見たら恐がり無事ではすまないなど有ること無いことを吹きこみ、護衛としてついて来た最強の兵200人から武器を持たずに迎えにこさせた所を屋敷に閉じ込め、矢を浴びせて何とか倒した。

    タタール軍はジャワ王は倒し、財宝も奪った。病人も増えており後は王女を奪って帰るだけと出発したがウィジャヤはクディリの残党も集め侵攻するタタール軍にゲリラ攻撃をしかける。まともに戦っては勝ち目は無いが要となる200名を討ち取ったことが奏功してたタール軍は統制が取れなくなっていた。マジャパヒト村への道を失いタタール軍は港へ向かった。川を下る艦船に対しては隘路で船頭を狙い船同士がぶつかり転覆した。川に待ち受けたのはワニ。これがモンゴル帝国3度目の敗戦だった。

    ウィジャヤはガヤトゥリも娶り即位しマジャパヒト王国を建国した。一説によればマジャパヒト王国はマレー半島まで含む大国になったとも言われている。baik baik saja!

    著者の中原洋氏は化学会社OBで合計12年間インドネシア、シンガポールに駐在し1997年からもジャカルタにいたらしい。どこかであってるのだろうか?この本を知ったのは「化学業界の話題」というとても役に立つブログに友人が書いた本として紹介されていたからだ。マジャパヒト王国の地図を見ていると昔行ったスラバヤ近郊のゴルフ場フィナを思い出す。タタール軍が通った道は霊峰アルジュナ山の麓を迂回しその道から少し登った所にあるのがフィナだがここはきれいなコースだった。
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    投稿日:2014.02.18

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