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橋本倫史 / 筑摩書房 (27件のレビュー)
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総合評価:
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棚田 弘一
日本全国のドライブインを訪ね歩き、そこで働く人達の軌跡を中心に取材している。マイカー時代や高度成長期の到来で隆盛を極めた頃と今を振り返る昭和テイスト溢れる本。 どのドライブインもほぼ例外なく「全盛期…は朝から晩まで毎日働いた」「今は立ち寄る人も激減し、存続するか否かを考えている」という話題が出てくる。自販機食材のブームなどで健闘しているドライブインもあるが、やはり時代の趨勢には抗えない。 全盛期の活気と、長距離ドライバーだけでなく地域住民との交流も懐かしく語られている。ドライブインはその外観も観光資源となり得るので、「古きよき新しさ」が少しでも多く残っていくのを願いたい。続きを読む
投稿日:2024.04.13
iadutika
このレビューはネタバレを含みます
ドライブイン探訪 著者:橋本倫史 発行:2019年1月30日 筑摩書房 初出:月刊ドライブイン(自費出版小冊子)全12号(2017.4-2018.6)を加筆・再構成 ドライブインは昭和30年代に急増、ドライブイン・レストランやドライブイン・スーパーマーケット、ドライブイン・シアター、(かつてあった)ドライブイン・バンクなど車で乗り入れる施設をさす。広義ではファストフードのドライブスルーや高速のサービスエリアも含まれるが、この本では扱うのは、狭義の一般道にある車を停めて休憩することのできるドライブイン・レストランのこと。 昭和に出来た古い絶滅危惧種のような郊外型飲食店を、マニアックな人が回ってメニューや内装などのレトロさを面白く紹介していく本だと思って借りたら、そうではなかった。食レポもほぼなし。取材したドライブインの経営者は創業者ばかりで、その人(夫婦中心)の個人史のような内容がほとんどだった。ドライブインのある地元図書館での資料、開店当時の背景を探る新聞記事、飲食などの業界誌ほかを調べ上げ、また、車で訪ねて惹かれた店を電車とバスの乗り継ぎで再び訪ねて飲食をし、声をかけてもらった段階で取材をお願いし、もう一度出直して取材する(つまり最低3回訪問)という手間暇をかけた労作だった。労作だけに冗長な面もあり、その部分の背景説明は不要だぞ、そこまで掘り下げてもあんまり意味ないぞ、と思われる箇所も多かったのが残念。 20あまりのドライブイン、元ドライブインを取材・紹介しているが、多くの店の共通点は、個人経営(夫婦中心)で、しかも飲食店の経験がないいわば〝素人〟が始め、開店してからは目が回るほど忙しくて大繁盛したという点。もちろん、戦後復興の中でのモータリゼーションの進展、とりわけ1964年の東京オリンピックに向けての道路や鉄道整備による観光の隆盛とともに成長していった事業だが、かつての勢いを失って潰れた店も多数ある。ところが、ここで紹介されているところの多くが、いまもそれなりに繁盛しているようだ。紹介店舗のうち3箇所にとくに興味が持てた。 1.群馬県藤岡市「ドライブイン七輿(ななこし)」 ・自販機とゲームが並ぶレトロなオートレストラン。最初は農地だったが、前の上州姫街道の交通量が増えたため、妻のふじこさんが「飲み物の自販機を2,3台置けばいいんじゃないか」というつもりで自販機設置を提案したのを、夫の清さんがイメージを膨らませてオートレストランを開店させてしまった。 ・トーストサンドの自販機とハンバーガーの自販機は開店当初からあるが、製造元のサポートはとっくに終わっており、マシントラブルがあると知り合いに頼んで修理をしてもらっている。簡単なトラブルは自分でメンテ。故障が多くて手がかかるが、この自販機たちが頑張っているうちは自分も頑張らなくては。 ・著者がチャーシュー麺を食べるため自販機に350円を投入してボタンを押すと、ニキシー管が点灯して25秒のカウントダウンが始まった。 *ニキシー管は真空管のようなものの中に数字が表示される管で、今は製造メーカーがない。 2.岡山県児島(倉敷市)「ラ・レインボー」 ・岡山県最南端の駅、児島駅から見える鉄塔は、鷲羽山ハイランドの道を挟んだ南側にある。1990年に出来た「ラ・レインボー」は、新名所として大々的に宣伝、後にホテルまで建設されたが、1997年に閉鎖され、今は廃墟マニアのあいだで知られた名所となっている。 ・5階建のドライブインとしてオープンし、回転式展望台「ラ・レインボータワー」が目玉だった。206メートルに達するタワーの頂点まで回転しながら150人を乗せて上昇していく。1988年に瀬戸大橋が開通してわき立つ現地の新名所になるはずだった。 ・手がけたのは大西博社長。長兄の大西一氏は日本ゴルフ振興株式会社を設立し、業界最大手に。1991年には香川県に「レオマワールド」をオープンしたが、こちらも潰れた。「レオマ」とは「レジャーはオオニシにまかせろ」の略称だった。 ・なぜ潰れたのか?一つは地元ではなく愛媛の人だったこと、もう一つは地元に割引券を配るなどの宣伝をしなかったこと、さらには、タワー最頂部からの眺めが大したことなかったため。 3.鹿児島県「ドライブイン薩摩隼人」 ・横道さんは結婚を機に勤めを辞めてリヤカーで野菜を売り歩こうとしていた。ちょうど八百屋を高齢でやめる人がいたので後継者となって経営した。商売はうまくいってどんどん仕入れてどんどん売ったが、バナナの売れ残りには困った。みんな手で押すので黒くなる。そこでフルーツパーラーを経営した。これが大ヒット。 ・次に農業もしようと土地を借りて野菜をつくって鶏を飼う。その鶏はどう処分するか?小屋を建てて小さな焼きとり屋を奥さんにさせるとこれまた大人気、人が道路に溢れて車の通行に支障がでるほどだった ・商売があまりにうまくいっているので、人から借金の保証人を頼まれる。人がいいので引き受けると3900万円の借金が。みんな逃げたが自分は逃げない、払います、と。パーラーを売り、焼きとり屋は奥さんに任せ、自分はあるビルの4階で「軍国酒場」をオープンした。4階なので全然客が来なかったが、料金を安くし、鹿児島大生にはとくにまけて飲ませてあげたら、流行りだした。 ・すると「霊にここに来るよう言われた」という類いのことを言う客が何人か来るようになった。横道さんは軍隊も戦争も嫌いだったが、供養してあげなければいけないと思い、復員兵や遺族に会いに行って軍服や軍用品をあずかり、保管することにした。たくさん溜まったのでどうしようかと思い、資料館とドライブインを併設したものをオープンした。 *横道さんは昭和7年生まれで「軍国酒場」を経営したが、軍隊は大嫌いだし、軍国少年にはならなかったという。著者によると、小林信彦や小沢昭一も昭和7年生まれだが軍国少年ではなかったと書いている。「昭和7年から人間が変わる」と昭和3から5年生にまれの人たちからはっきり言われたことがあるという。 ******* 1965年の業界誌で日本道路公団工務部による「オリンピック関連道路を終えて」という対談が行われているが、オリンピック関連道路としてあげられているのは、湘南道路、京葉道路、第三京浜、名神高速道路、やまなみハイウェイの5つ。なぜか九州のやまなみハイウェイが入っている。 阿蘇市のやまなみハイウェイ(1964年開通)にある「城山ドライブイン」は平屋の小さな店だったが、うどん1杯50円の時代に5月の連休の売上が1日100万円だった 掛川市「小泉屋」は中山新道沿い。中山新道はかつての東海道があまりに険しいので明治時代に切り拓かれた。明治22年に東海道線が開通すると利用者が激減して償却不能になったため、公道に編入。昭和7年、そのすぐそばに国道1号が建設されたが、新たな道路が必要になったのではなく、昭和恐慌の時代に雇用を拡大するために建設された。 弘法大師は四国各地の村を訪ね歩いて〝乞食〟を行った。乞食というのは修行の一環として食べ物や金銭を乞う行為。この乞食に対する返礼が〝接待〟で、施した人も功徳が上がるとされた。 沖縄の高齢者が使う「はわいやっさー」という言葉は、天国みたいだという意味だが、沖縄の人にとってハワイにはパラダイスみたいなイメージがあるから生まれたのではないか。ハワイに移り住んだ沖縄の人は多く、ハワイは憧れの場所。 映画「トラック野郎」では、ドライブインで顔見知りのトラック野郎たちが顔を合わせる。福島県「二本松バイパスドライブイン」では、以前、そういうことがよくあったという。知り合いの人たちが一緒のテーブルで飲んだり食べたりする。待ち合わせているわけではないが、偶然あったりすることも。こないだ○○へ行った、とお土産をくれることも。昔は喧嘩になることもあったが、今は暴れる人はおらず静かになった、とのこと。 南房総市「なぎさドライブイン」は今もクジラ料理のメニューがある。近くに捕鯨基地として知られた港がある。経営者はあまり食べたことがないというが、昔はすごく安く、このあたりではリヤカーでクジラを売り歩く人がいた。その人が通ると道路が血だらけになった。あれを見ると食べる気になれなかった。クジラのおいしさは血にあるから抜きすぎないようにして、冷凍してださないといけない。 日本全国に点在するドライブインは1960~70年代に創業された店が多く、跡を継ぐ人がおらずに閉店する店も増えている。 戦後、日本の道路計画の基礎を作ったのは田中精一という民間人で、「国土開発縦貫自動車道構想」を1947年に政府とGHQに提案。当初、「縦貫道」という名前が採用されていたのはこれに由来する。 21世紀に入り、B級グルメブームで津山の「ホルモンうどん」が有名になったが、そのずっと前から津山市「ドライブインつぼい」ではホルモンうどんを提供していた。地元のお客さんからのリクエストでできたメニュー。焼きそばとバラ肉が切れていたため、お客さんがうどんとホルモンでいいと言うから焼いてみたところおいしかった。 岩手県普代村「レストハウスうしお」は、国道45号が全線開通したばかりのころ、約70キロおきにドライブインが4軒あったうちの1軒。3軒は有名コックがいるなどお客さんからも認められた店で事業を拡大していったが、30年の間にみんな消え、素人夫婦が始めた「うしお」だけ残った。
投稿日:2022.08.18
晴川雨読
ドライブイン、見たことはあるだろうが入った記憶は無いね。 子供の頃、家族で旅行にほとんど行かなかったからね。 大人になってからは、道の駅には行くけど、見かけないからね。 そういうドライブインに行って…お店の人とかに話を聞きましたっていう本です。 それ本当にドライブイン?ただの焼肉屋じゃね?っていうのもありましたが、寂しい感じです。 今は個人旅行が主流?で昔みたいに団体バスで行くっていうのが減ったはわかるが、道の駅は流行っているから、 個人経営のドライブインは時代の流れについていけなかったのでしょうかね。 https://seisenudoku.seesaa.net/article/473150627.html続きを読む
投稿日:2020.12.13
t
作者の方と、大好きなピースの又吉さんのトークライブきっかけで買ってみた本です。自分はドライブイン自体にはそれほど馴染みはないけど、一つ一つのお店にその店主の家族の歴史があり、また土地土地の歴史が確実に…繋がっていて、それが大袈裟ではなく素のまま記されていてとても楽しかった。特にエピローグのお店を切り盛りしてきたご夫婦の話は、とても波乱万丈で忘れられない。自分は都内在住で免許を持っていない人間だけど、それもそれほど珍しくない。またそれも時代の流れなのだなと思う。続きを読む
投稿日:2020.08.03
有井 努 Tsutomu Arii
昭和的なノスタルジックな香りがする ドライブイン。 そういえば、最近はコンビニや道の駅など の陰に隠れて、あまり見かけることもなく なりました。 やはり増え続ける道の駅とは対照的に潰れる店 が多く今…や希少な車で行くスポットとなって います。 単にそんな場所を訪れて「なつかしい」 「そういえばそんなのあったよね」とレポート するだけではありません。 頑張って経営する店主をしっかりと取材して、 その人の人生そのものを描き出します。 「人の人生」とは、かくも多様であり、 皆頑張って生き抜いているのだなと、 勇気を与えてくれる一冊となっています。続きを読む
投稿日:2020.06.22
immrm
昔は国道沿い等によくあったドライブイン。そこを訪ねてのルポ。記事にするのには3回訪れるとのこと。 ドライブインは個人経営なので、ドライブインの歴史は人や家族の歴史であり、その土地の歴史となっている。…ドライブインそのものもいろいろあって面白いが、そこを立ち上げ働いている人が面白い。続きを読む
投稿日:2020.02.19
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