【感想】不道徳お母さん講座 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか

堀越英美 / 河出書房新社
(32件のレビュー)

総合評価:

平均 4.0
9
11
6
1
0

ブクログレビュー

"powered by"

  • あじの開き

    あじの開き

    日本の社会・学校の全体主義について。ごんきつねから組体操、そして二分の一成人式(私は世代じゃないかも)軽いノリで書かれていて面白かったけど情報量すごい。本の装丁とノリに比べて情報量がギャップがある。

    母親が神聖化された経緯から少年誌についてのことまで知らなかったことを知れて良かった。

    作者のイライラとかツッコミが良かった。学生の時だってこの全体主義には気持ち悪いとかうざいと思うこと多かったから言語化して分析してくれるのありがたい。清々しい。

    こんぎつねの粟と松茸は性器のメタファーは面白かったな。
    続きを読む

    投稿日:2023.02.09

  • イチコ

    イチコ

    このレビューはネタバレを含みます

    第一章は、読書と道徳。明治期までは小説は読むべきものではないとされ、あまり発展せず。内容も児童が読むようなものではなかった。(第一章は内容が小説の歴史など専門的であるため斜め読みした)

    今の小学校国語では、読書と道徳が結び付けられている。ゲーム、ネットの脅威が広まる中で、良書によって道徳を身につけさせようとする保守派の危機感が、小学生への読み聞かせに繋がっている。

    大正以前は、子どもというのは、臣民のためのものであり、母は孝女が美談とされた。貴族の歌にも女性目線の子どもは出てこず、庶民は口減らしのために子どもを始末する。少し大きくなれば、働き手として使った。子守唄にはそのことが歌詞になっている。
    子供のために自己犠牲する母像は大正期以降。

    子供から唯一無二の存在として求められる母親体験は、多くの女性にかけがえのない私が肯定されると言う陶酔感をもたらす。自己犠牲を伴うことで、母親アイデンティティーはさらに崇高なものとして確立する。母性愛は新たな自己確立の手段となった。

    体罰が許されなくなった21世紀の学校が見つけた感動統治の手法が巨大組体操であり、二分の一成人式なのではないか。

    レビューの続きを読む

    投稿日:2022.06.23

  • paco

    paco

    手に取った時と読み終わった後では全く違う印象を残す本。
    一冊で教育の系譜から「やんちゃ」への解き筋を丁寧に追うさまは、その点と点ひとつずつでもなるほど~!となるのですが…
    こと三章目、これらを繋げていき結ばれる結論には唸りました。一人の母として、現在の不可解さの成り立ちを知れたことは良かったなあと。
    終盤で引用されるかこさとしの文章には胸が熱くなりました。

    それにしても、一行しか出てこないにも関わらずパンチの強い石原慎太郎…。文化においての功績と功罪の大きさたるや。
    続きを読む

    投稿日:2022.05.26

  • けい

    けい

    前半は、歴史的仮名遣いの引用が多くて、読み仮名がわからず、読むのに苦労してしまい、あまり頭に入ってこなかった。
    後半は、筆者の軽快な書き方で吸い込まれるように読めた。
    昔からそうだったのだと思っていた日本人的な道徳が、様々な政治的要因で作られていったものなのだとわかり、いたたまれなくなった。続きを読む

    投稿日:2022.05.02

  • でんでん

    でんでん

    知らなかった真実や著者の考察による、言葉の洪水に、気持ちよく押し流され、読書の楽しみを感じる1冊でした!
    特に興味深いページにフセンを貼ろうと思ったら、フセンだらけになったので、途中で断念。

    投稿日:2022.02.12

  • lonesinker

    lonesinker

    軽いノリのエッセーかと見せかけて、なんですかこの怒涛の情報量は。重厚な研究書顔負けに近代史資料を掘り出し、保守派の唱える道徳教育に全力でツッコミを入れまくる。「お母さんだからってなめるなよ」の言葉通りのパワフルな本です。

    第1章では道徳教育の手段として読書が推奨される風潮に疑問をつきつけ、明治初期には青少年の心をかきみだし道を踏み外させる有害コンテンツ扱いされていた小説(ものがたり)が、どのようにして国家道徳の器にされていったのかをひもといていく。
     それまで「なよなよした空想物語」と下に見られていた童話を、巌谷小波が「わんぱく」エンタメとして少年雑誌の人気コンテンツにしたあたりから、国家はその力に目をつけはじめる。「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい(のちのち兵隊にするから)」という著者のぶっちゃけな動機まとめは笑えるけど説得的。こうして「やんちゃ」っていうか征服と乱暴が少年の規範として確立される一方、胸躍る冒険小説から遠ざけられた少女たち向けには「愛され」が規範となっていったのだった。
    さて、こうした「俗悪」な児童向けエンタメの氾濫に眉をひそめるインテリ層向けに、鈴木三重吉ら文学者が送り出したのが『赤い鳥』系児童書であった。子どもたちには不人気だったものの、この児童向け教育的コンテンツの生産者たちは、思いがけなく有力な顧客に引き立てられる。それが、戦争悪化とともにいっそう国民の内面的統制を強化しようとしていた文部省であった。小川未明ら文化人が「子どものための良い本」という自らの理想を国家の力を借りて実現させることに酔うさまにはぞっとさせられる。

    第2章ではさらに道徳教育におけるスーパースター、献身と自己犠牲の「母」の誕生に目を向ける。その誕生を担ったのはここでもまた『赤い鳥』系の文学者たちであった。すべてを赦し受け入れる偉大な母のイメージは、自己と他者を一個の独立した自我をもつ主体として認め合うことに耐えられない男たちにとっては心の逃避先となり、女たちにとっては抑圧の装置であると同時に社会で評価されるための唯一の鋳型となり、そして国家にとっては国民を「大御心」に回収し動員していくための基盤となったのだった。だからこそ死んでいく兵隊たちが最後の息で叫ぶ「お母さん」は、「天皇陛下万歳」への抵抗になりえず、近代的自己を超越した境地、偉大な自然・故郷として想像される国家的母性へと最後までとりこまれていくのである。

    第3章では、こうした「少国民」育成の道具であった道徳教育がいかに現代に再生させられているか、「二分の一成人式」や作文教育の事例を紹介。特に最後の「ごんぎつね」をめぐるエピソードは非常に興味深い。もともとは兵十に対するごんのストーカーめいた愛着を描いていた新見南吉の原作は、「童心」教育を推進する鈴木三重吉の手によって強い自我や欲望を有しない純真無垢な弱者が無償の愛を捧げる物語へと改変され、道徳の教材にされてしまったのだった。
    その新見南吉は、学校教師でありながら、鈴木三重吉らが国家と共謀して推進する感動共同体から背を向け、こんな言葉を残していたという。
    「教育界。こんな嘘だらけな世界はもう嫌だ。沢山だ。げろ。子供は美しい、純真です。ハアそうですか。英語を教えるのは無意味です。そんなら国語を教えるのは意味があるのですか。そりゃあるよ。国民文化の何たるかを知らしめ、国民性を培うのだから。顔を赤くせずによく言えたものだ。愚劣だ。愚劣だ。愚劣だ。」(236)
    この苦しい叫びこそが記憶にとどめられなければならない。
    続きを読む

    投稿日:2021.12.20

Loading...

クーポンコード登録

登録

Reader Storeをご利用のお客様へ

ご利用ありがとうございます!

エラー(エラーコード: )

本棚に以下の作品が追加されました

追加された作品は本棚から読むことが出来ます

本棚を開くには、画面右上にある「本棚」ボタンをクリック

スマートフォンの場合

パソコンの場合

このレビューを不適切なレビューとして報告します。よろしいですか?

ご協力ありがとうございました
参考にさせていただきます。

レビューを削除してもよろしいですか?
削除すると元に戻すことはできません。