【感想】メディアは死んでいた 検証 北朝鮮拉致報道

阿部雅美 / 産経新聞出版
(6件のレビュー)

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ブクログレビュー

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  • kamohon

    kamohon

    初めて北朝鮮による日本人拉致問題を報じたら産経新聞記者による取材記。メディア視点から拉致問題発覚の経緯がよくわかる。

    投稿日:2022.06.06

  • hisa

    hisa

    このレビューはネタバレを含みます

    図書館から借りて読みました。
    すべての日本人が読んでおくべき本だと思います。

    「メディアは死んでいた」という書名ですが、やはりメディアの影響力は大変強力ですので、何とかメディアが日本人のために活動されてくれなくては困ると思います。
    それとも日本のメディアにはもう日本人のために活動してくれることを期待することはできないのでしょうか?

    拉致問題は大変な日本の国難であり、拉致から目をそらしてはいけないと思います。

    ひとつの理由は、拉致被害者の方々のご苦労、負担はとても普通の日本人に乗り越えていけるものではない程に大きな負担だということです。

    拉致問題を知れば知るほどに、拉致実行犯、擁護した政治家、メディア等々の拉致加担者連中共たちに対する、激しい怒りが積み重なっていきます。

    拉致問題の拉致を許してきてしまった背景には、メディア、政治家、在日特権、意識的にか一見人道的なことを言って大変な日本人の危機から目をそらさせることばかり言っている偽善者で売国奴の左翼関係者等々すべての日本の問題が凝縮されていると思います。

    横田滋さんのご逝去をきっかけにして拉致問題に自分なりに関心を持つようになり、日本はずっと北朝鮮等々の国々と戦争中だったということを自覚することができるようになりました。

    日本人がこれ以上いいように外国人連中共たちから食い物にされないためには、とにかく知識・学問・体育を含めた学力を勉強していって日本人が成長していくしかないということも自覚しました。

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    投稿日:2020.11.16

  • midnightwakeupper

    midnightwakeupper

    政府委員から衝撃的答弁があったが軽視され記憶されず…│「拉」は'90年から採用字
    第1章「日本海の方で変なことが起きている」
    ’80年1月7日、サンケイ新聞は1面トップで

    「アベック3組ナゾの蒸発昭和53年=1978年夏 福井、新潟、鹿児島の海岸で」「外国情報機関が関与?」「戸籍入手の目的か」と報じ、第1社会面に未遂の富山の事件について「こうして襲われた 4人組 終始無言の犯行」「任務分担 事務的ですばやく」「後手に手錠 頭に布袋」「犬の鳴き声で姿消す」。第2社会面にも「何語る特製ずくめの遺留品」手錠、ゴム製サルグツワ、帯、布袋、ズック靴など「製造元どれも不明 国内での入手は不可能」

    と国交のない国すなわち朝鮮民主主義人民共和国のものであることを匂わせていた。翌8日付にも社会面の半分以上を割いて福井、新潟、鹿児島3件のアベック蒸発について家族らの話を中心に
    「家出 考えられぬ」新居決め、挙式目前に 福井事件
    三度目のデート 笑顔の写真残し 鹿児島事件
    将来設計話したばかり 翌日に旅行の計画 新潟事件

    ダメ押しに三日目の9日付社会面トップに宇出津事件を取り上げた。日本海に突き出た能登半島の東側、内浦地区に宇出津という漁港がある…

    東京都保谷市のアパートで一人暮らしをしていた三鷹市役所ガードマン、久米裕さんが宇出津から北朝鮮に連れ去られたのは、アベック連続蒸発事件の前年、’77年9月のことだった。カネを借りたことがある田無市の金融業(日本生まれ、東京の某大学卒業)在日朝鮮人Rに「儲かる話がある」「海岸からゴムボートで沖の密輸船に金塊を届けてほしい」ともちかけられた。
     じつはRには北朝鮮に渡った妹があり、それをネタに脅され「45〜50歳の身寄りのない独身男性を共和国に送り込め。男性の能力は問わない」と指示されていた。
     9月19日夕、二人は宇出津にある旅館・紫雲荘に投宿した。
     落ち着きがなく口数の少ない男客二人の挙動を不審に感じた旅館の女将が警察に1回めの通報をした。
     拉致決行の合図は平壌放送から流される「南山の青い松」の曲だった。唄を聞いたRは、午後十時すぎ、久米さんを連れて暗闇の中を黒い服装で外出した。怪しんだ女将が2回目の通報をした。
     Rだけが宿に戻ったのは、それから間もなくのことだった。
     深夜、金沢から駆けつけた石川県警の外事担当捜査員が、携帯を義務付けられている外国人登録証明書の提示を拒否したRを外国人登録法違反容疑で現行犯逮捕した。
     Rは容易に口を割らなかった。…
    「北朝鮮に強制送還されると死刑だ。韓国へ送られれば拷問を受ける、お願いだから妻子と日本に住ませてくれ」
    久米さんの消息は不明だが、その人物になりすます工作員を送り込むことが目的で生きていては拉致の証人となり物騒だから、遠洋に出たら殺して重りを付けて捨てたのではないか。 
     この事件は一般にほとんど知られていなかったが、全国紙では朝日新聞が二ヶ月後の’77年11月10日付朝刊で報じていた。ただし…
    「三鷹市役所の警備員 工作船で北朝鮮に 能登半島から密出国 懐柔?日本人では初」
    言うまでもなく、密出国と拉致では意味合いがまったく逆だ。
    浦島太郎が竜宮城に誘われたように北朝鮮で暮らしていると印象づけて、まるで北朝鮮のように嘘吐きだ。 

    単身者を拉致しても、心理的に不安定で(当たり前だ)使い物にならないから、カップルを狙う作戦が実行されたという。それ以前の失敗事例が認定されている被害者12件17人の数倍あるいは数十倍あるのではないか。
    警察当局が北朝鮮による拉致が明白、としているが、被害者が日本国籍ではないために政府認定されていない…
    俗に「2児拉致事件」と呼ぶ。’74年、埼玉県の7歳の高敬美コギョンウちゃんと3歳の弟・高剛コガンちゃんが福井県小浜市の海岸から連れ去られた。母親の日本人・渡辺秀子さんは工作員らに殺害されたと見られている。…
     政府が北朝鮮に抗議し姉妹の原状回復を求めたのは事件発生から33年後の2007年だった。主犯の木下陽子(本名・洪寿恵ホンスンへ)容疑者は長野県内の高校・都内の大学を卒業して日本人と結婚、韓国籍から日本に帰化して東京・品川の朝鮮総連系貿易会社の役員をしていたが、裏の顔は在日工作組織の幹部だった。事件発覚後に北朝鮮に逃亡したとされる。

    第2章「メディアが死んだ日」
    ’87年11月29日 バクダッド発ソウル行の大韓航空機がビルマ上空で爆破され、中東から出稼ぎ帰りの韓国人ら115名(乗客104名、乗員11名)の命が奪われた

    アブダビで降りた「蜂屋真一」とその娘「蜂屋真由美」名義の偽造日本旅券を所持していた男女が身柄を拘束されたが、男は隙を見て服毒自殺、女は未遂で韓国に移送された。
     翌年にソウル五輪をひかえる韓国の信用を失墜させようとする工作と見られるが、

    日本を震撼させたのは翌88年1月15日、テレビに流れた金賢姫元工作員の記者会見での発言だった。
    「『李恩恵リウネ』という日本から拉致された日本人女性から(日本人化)教育を受けました」
    …マスメディアは色めき立った。日本から拉致された女性?そんなものが本当にいるのか?それは一体誰なのか?

    先に報道されたアベック失踪事件の誰かなのか?
    しかし3人の誰にも該当しないことがわかり、関心は潮の引くようにやんだ。

    1988年3月26日 参議院予算委員会
    質問者は共産党の橋本淳委員、答弁したのは警察庁の城内康光警備局長
    昭和53年のアベック4組(うち1は未遂)の事件を取り上げ、答弁では富山の未遂事件を公訴時効が成立した監禁致傷事案ではなく、はじめて拉致未遂事件とした。

    橋本淳委員(質問)「家出、自殺などの動機はないとおっしゃいましたが、いずれも結婚の約束をして挙式を目前にしている。そういうわけで家族も、家出など絶対に考えられない、こう言っておりますし、…これは誘拐された。こう見るのが当然だと思いますが、どうですか」
    警備局長「(おおむねそうではないかと考えております)
    (質問)「…そこで問題は、この3件についていくつかの重要な共通点がある。いずれも日本海側の浜辺、…それから若い男女が狙われている。まったく動機がない、営利誘拐とかその他犯罪と見られるような国内的状況が一切ない。」   
    警備局長「諸般の状況から考えますと、拉致された疑いがあるのではないかというふうに考えております」
    (質問)「…捜査をあずかっていらっしゃる国家公安委員長として、こういう家族の今の苦しみや思いをお聞きになりながらどういうふうにお考えでしょうか」
    梶山静六国家公安委員長(自治相)「昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、おそらくは北朝鮮による拉致の疑いが濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性に鑑み、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかねばならないと考えておりますし、本人はもちろんでございますが、ご家族の皆さん方に深い同情を申し上げる次第であります」これを通称《梶山答弁》という。
     はじめて政府・警察が北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を認めた。それまで拉致については言ってみればゼロ回答だったのだから、一歩踏み込んだというレベルではなかった。
     続いて警視庁の城内警備部長が「一連の事件につきましては、北朝鮮による拉致の疑いが持たれるところでありまして、すでにそういった観点から捜査を行っておるわけであります。被疑者が国外に逃亡している場合には時効は停止しているというのが法律の規定でございます」
     のちの2002年11月6日に西村眞悟議員(自由党)の質問に警察庁の奥村萬壽雄警備局長は、時期の明示を避けつつ
    「(4件の事案について)発生の時点では、目撃者がいない、証拠品もほとんど無いということであったわけであります。警察といたしましては、ご家族その他の関係者からの事情聴取、付近の聞き込み、その他可能な限りの裏付け捜査を行いましたほか、韓国当局を含む関係各機関との情報交換など、ひとつひとつ証拠を積み重ね、情報を集める、まさに地を這うような捜査を営々と行ってきまして、その結果、北朝鮮による日本人拉致容疑事案と判断するにいたったわけであります」とした。
    まさに「国家の面目をかけた」捜査。’80年台に中国で、ある日本人の自転車が盗まれたとき、警察は国家のメンツをかけて200キロ離れた都市で発見したという、社会主義国家の本気。

    しかしこの答弁がテレビニュースに流れることは、ついになかった
    新聞は産経がわずか29行、日経が12行、それぞれ夕刊の中面などに見落としそうになる小さいベタ(1段)記事を載せただけだった。

    朝日、読売、毎日には一行もなかった
    その3月26日を筆者は「メディアが死んだ日」と呼ぶ。
    北朝鮮と友好を目指すムードに妨害と忖度したとか、その頃、朝鮮労働党と関係が悪化していた日本共産党への偏見とか思いたくない。事の重要さを認識できなかった、革命のできない党員収奪党のパフォーマンスで他紙も取り上げていないといった判断だったのだろうか。

    (p125)「メディアの死んだ日」の真相は今もって分からない
    あの時に、メディアが重要視してキャンペーンを張れば、横田めぐみさん拉致疑惑発覚の’97年には「国家の体面を失する」事態を招くことにならなかったろうに。

    第3章 産経も共産党も朝日もない
    まもなくして「日朝国交正常化」を待望する熱風が吹き始めた。
    …南北朝鮮のような分断国家の場合には、片方を承認した国は、他方とは外交関係を樹立しないことが、国際社会での外交慣例だった。
     ところが、韓国・盧泰愚大統領が、1988年ソウル・オリンピック(9.17〜10.2)目前の7月7日、「南北統一問題に関する特別宣言」、いわゆる《7・7宣言》を出して、その中で北朝鮮が日本、米国などの韓国の友邦との関係を改善することに協力を行う用意がある、としたのだった

    そうした南北朝鮮の融和ムードの下、’90(平成2)年9月、自民党の金丸信・元副総理、社会党の田辺誠・副委員長が両党の国会議員らを引き連れて北朝鮮に出かけた。いわゆる「金丸訪朝団」だ。
     それを皮切りに与野党を問わず、多数の国会議員、地方議員らが先を競うように「平壌詣で」をしたが、拉致への言及は一度としてなかった。

    ’02年9月21日に田辺委員長は「…私も金丸氏も当時拉致についてはまったく知らなかった」と述べた。
    日本政府が「北朝鮮による拉致」(はっきりした疑惑)を認めていても報道がまったくなされていなかったから、それは不思議ではない

    そのころ、のちに語学留学していたヨーロッパでの拉致が明らかになる有本恵子さんの両親は、恵子さんが北朝鮮にいることを(本人からの手紙で)知り、「娘を搜して」と奔走していた。
    金丸訪朝団メンバーにも北朝鮮政府に捜索を求めるよう仲介を依頼したが、無駄だった。

    金丸訪朝団によって日朝間に外交交渉の道が開かれ、’91年から国交正常化交渉が始まった。同年5月20日からの第3回会議の、わずか5日前のことだった。警察が重大発表を行った。
    政府が認定している拉致被害者関連での警察発表は、これが最初だったと記憶する
    ついに日本人の「李恩恵」を、埼玉県の田口八重子さんと特定したのだ

    東京・池袋の飲食店に勤務していた埼玉県在住の女性が'78年6月、東京·高田馬場のベビーホテルに1歳3歳の幼子二人を預けたまま行方知れずになっていた。その田口八重子さんが「李恩恵」だった「招待所」で姉妹のように密接して暮らしたという金賢姫・元工作員に事情聴取し、記憶を呼び起こして国内の行方不明者のデータと突き合わせていった。その結果、出生地・誕生日・家族関係・性格・趣味・嗜好・癖など数十項目すべてが一致したのだった。勤め先の飲食店では「ちとせ」と名乗っていた。ある日、招待所で「ちとせ」と書き、見られるとあわてて消したことがあって、本名はちとせではないかと思ったのを思い出した。
    ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィッチの一日』が収容所の生活を克明に描いてその存在が疑い得ないものになったように、「招待所(日本家屋、町並みを 再現した施設で完璧な日本語・日常動作・生活常識となるよう工作員を訓練する)」の存在は紛れもない事実となった。(ソ連にはアメリカ市街の再現施設があった)
     すでに在日朝鮮人がいるのに、さらに工作員を送り込んで何をするのか?
    辛光沫のように日本人として韓国で拉致など特殊活動をする、あるいは金賢姫の大韓航空機爆破のように忠誠心が保証されないと在日では寝返る可能性のある大それた破壊工作をするためだったろう。
     治安・政治の不安定化、経済活動の妨害とあいまって思想的侵略により、最終目標は《皇室の廃止》あるいは《公然朝鮮人の皇位簒奪OR就位してからの公然化》か。

    (p143)ここでもマスメディアの不作為に触れないわけにはいかない
    ’91年4月には毎日の取材団、特定されたあとの’92年3月には朝日の取材団が相次いで訪朝し、金日成主席と会見している。しかし拉致について言及した形跡は紙面のどこにもない。

    ’91年5月、中国・北京での日朝国交正常化交渉第3回の席上、日本政府は田口さんを念頭に、「李恩恵」の消息調査を求めた。北朝鮮側は強く反発した。/翌92年11月の第8回実務者協議。日本側が再度「李恩恵」問題を取り上げると北朝鮮側は一方的に退席し、その後7年8ヶ月の長きにわたって正常化交渉は中断したのだった。
    ’94年7月(アメリカとの非核化交渉成立直前に)金日成は急死したが、交渉は中断したまま、何の進展もなかった。
    あなたは(北朝鮮による)拉致をいつ知りましたか?
    横田めぐみさんの拉致疑惑発覚という人が多い。

    (産経新聞と犬猿の仲にある)共産党の議員秘書・兵本達吉氏から電話がかかって来た。
    先の梶山答弁を引き出した、橋本淳議員の質問を新潟・福井・鹿児島に出向いて現地調査し準備したのはこの人だった。
    情報交換のために時々顔を合わせるようになった。
    議員会館の部屋では共産党の職員が働いている。訪れるたびに産経記者への視線が気になったが、彼は意に介さなかった。
    「拉致は主権侵害、人権侵害の重大犯罪だ。産経も共産党も朝日もない。メディアは、なぜ報道しないんだ」

    日本共産党と朝鮮労働党は、もともとは友好関係にあったが、(スターリンへの)個人崇拝をめぐる対立やラングーン爆弾テロをめぐる論争などがあって、’83年以降は断交状態が続いていた。
     したがって、北朝鮮批判は何ら問題がなかった。そういう時代…
     (関係改善の動きが始まる’98年に兵本氏は党を除名された。)

    ’97年1月22日、兵本氏は二枚のコピーを示した。

    ’77年11月22日付新潟日報《女子中学生帰らず 下校途上 すでに1週間》当時13歳だった新潟市立寄居中学一年の横田めぐみさんがバドミントンのクラブ活動を終えて帰宅途上、(友人と別れて250m先の自宅までの間に)姿を消したことを公開捜査に切り替わった機に報じている。

    もうひとつは雑誌『現代コリア』’96年10月号掲載の石高「私が『金正日の拉致指令』を書いた理由」タイトルで北朝鮮亡命工作員に聞いた話を紹介していた
    ――アベック連続拉致(’78年)の一二年前、13歳の少女が日本の海岸から北朝鮮に拉致された。少女はクラブ活動のバドミントンを終えた帰り…双子の妹だという

    横田めぐみさんには双子の弟がいる。あまりにも合致する。

    数日後、神奈川県内の横田家を訪ねると、めぐみさんの父、滋さんが1人で留守番をしていた。
    「えっ?昔、あの記事を書いた人ですか?」
    サンケイ新聞で「アベック謎の蒸発」の記事を読んだ母、佐紀江さんが、産経の新潟支社に「もしや、うちの娘も…」と問い合わせに出かけたことをこの時、知った。

    ’97年2月3日、産経新聞朝刊1面中央5段見出し「20年前、13歳少女拉致」北朝鮮亡命工作員証言 新潟の失踪事件と酷似 韓国から情報
    第4章 いつまで“疑惑”なのか
    拉致した原勅晃さんに背乗りして’85年に入国した韓国で逮捕された北朝鮮の大物工作員、辛光抹の死刑判決文の詳細報道も忘れられない仕事の一つだ。
     …長大な判決文には辛容疑者の12年間に及ぶ日本国内の工作活動が微に入り細に渡り再現されている。

    ’89年7月、土井たか子、菅直人、江田五月、田英夫ら日本の国会議員130余名が署名した韓国の盧泰愚大統領宛て「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」の政治犯29名のリストに辛容疑者が含まれていた(もちろん朝鮮総連のリクエストであろう、13歳の少女をさらって何が政治犯だ。日本には何をしても良いのか)
    2002年になって当時の安倍晋三官房副長官が、この事実を公にし、署名した議員たちを「間抜けな議員」と呼んで火をつけた。…じつは署名直後の89年9月、週刊文春が大きく報じていた。
    死刑判決を受けた辛容疑者は、金大中大統領の恩赦で釈放され、2000年9月、英雄として北朝鮮に帰国した。日本の警察当局が辛容疑者から事情を聴取する機会は永久に失われた。

    第5章 金正日が私の記事を証明した
    小泉訪朝への評価は難しい。
    日本人の殆どは拉致を認めるなどありえないと思っていたし、
    共産党の不和書記長は直前に日本人拉致は「疑惑にすぎない」と断定し、
    社会党に至っては、一週間後にようやくホームページの記述を改めたほどであった。
    そのなかで、拉致を認めさせ被害者を帰国させたのだから。

     ただし、「一時帰国」で親族を訪れたりした後は北朝鮮に戻り「やはり『共和国に住むことにする』」と声明させるという(洗脳を信頼した&そのための人質も取った?)共和国側のシナリオを小泉首相は了承していたのか?それで「約束を破った」と共和国シンパの当局側人員にさえ非難されることになった。従前、「拉致を持ちだすことは共和国への侮辱だ」と北交渉側が全員退席するというパフォーマンスに出たこともあった。あの行為への謝罪はなされていない。日本人であれば額から血が出るまで土下座する。朝鮮学校の金豚の肖像は取り外す(非道な犯罪をした人でなしの肖像を掲げること自体、反社会的行為であり)、罪を他人に着せたいのであれば犯人を日本に引き渡す。
     これを一般犯罪としてみると、誘拐犯にkidnapされたbabyが取り戻されたのち「おじさんの家に戻りたい」といったとして、誰が戻すか!まして国の宝である女の子を盗み取った罪は徹底的に追及されねばなるまい。

    2020年6月の補足子どもを真剣に取り戻そうとするのは親しかない
    世襲制の国が肉親の愛情に鈍感なことは驚くべきだが、それにしても冷淡なマスコミへの告発を「共和国への挑発だ」とほざいた有田ヨシフ・スターリン主義・議員は任期が終了したあかつきには共和国の共犯者として取り調べる必要があるのではないか。
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    投稿日:2020.07.30

  • 桜田龍輝

    桜田龍輝

    北朝鮮拉致問題を取り扱った書籍は沢山あるが、本書は北朝鮮拉致問題の歴史、背景、現在を詳しく、分かりやすく記してあるので、拉致問題に初めて触れるという方には、まず間違いなく本書がおすすめ。タイトルにもある通り、拉致問題にメディアにおける諸問題を絡ませて書かれており、メディアの社会問題における重要性等、拉致問題云々にとどまらず、読者に強く訴えかけるものがある作品。続きを読む

    投稿日:2019.12.20

  • 白藍

    白藍

    北朝鮮に拠る拉致事件を取り扱ったノンフィクション。
    産経新聞記者の四十年に渡るこの事件への取り組みが綴られている。
    国家ぐるみの誘拐=拉致を画策する北朝鮮の国家構造を不気味に思った。
    読んでいて気分が悪くなるほどに、事件の本質は恐ろしい。
    戸籍を奪うために日本人を誘拐して北朝鮮に送る。そして、次の標的を見付けるためにその戸籍を乗っ取って日本人として生活する工作員。
    判明していない拉致事件もまだありそうで、やはり怖い。
    国会で国家公安委員長が北朝鮮拉致を認めたにも関わらず、数年間メディアが動かなかったことからこの書名に。
    記者人生を振り返り、自戒を込めたこの題名なのだろうけれど、平和ボケした日本人の危機管理の無さが事件を引き起こし、未だに解決されない事態に陥らせているのだろうと思う。
    でも、小泉元総理が北朝鮮に電撃訪問した時、控室で盗聴器が仕掛けられていることを見越して、「拉致を認めなければ席を立って帰国しましょう」と、随行した当時の官房副長官が決断を促したことで一気に平壌宣言、拉致被害者五名の帰国に繋がったのが救いかと。
    というのも、その官房副長官が今の安倍総理なのだから。
    ずっと信念を持ち続けている方なのだと頼もしく思った。
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    投稿日:2018.09.12

  • 山葵

    山葵

    日本で初めて拉致報道をした元産経の記者による「拉致報道」についての記録。

    同書は拉致問題を詳細に書いているわけではないため、北朝鮮による拉致問題を包括的に知るのには向いていない。
    あくまで「日本のメディアは拉致問題をなぜ報道しなかったのか」という視点から日本の拉致報道を追っている。
    私は拉致問題がまだ日本で知られていなかった時代を知らなかったため、「日本社会の問題」としての拉致問題の側面を知る上で非常に勉強になった。

    著者が拉致問題に気がつくきっかけとなった事件というのが、アベック(当時の言葉のまま)拉致未遂だったという。アベックに近づいて突然彼らを袋に詰め込んだ男たちが、なんらかの理由で彼らを放置したまま逃げた事件である。
    その目的があまりにも不可解なこと、未遂で終わったために残された猿ぐつわなどの証拠品が「日本で作られたものではなく、また日本が輸入しないような粗悪品だった」ことからなにか裏があるとみた著者がアベック失踪事件について調べ始める。それが拉致報道の最初のきっかけだ。

    私の記憶では、北朝鮮が拉致の対象としてカップルを狙い始めたのは、拉致した日本人が精神的に非常に不安定になってしまうため(かといって、民族の純血性にこだわる北朝鮮が自国人民と拉致被害者を結婚させるわけにもいかず)、最初からカップルを狙うよう方針を変更したからだ、という過程があったはずだ。すなわち、著者が「アベック失踪事件」に気づく前に横田めぐみさんをはじめ、単体で拉致された人々がたくさんいたわけだが、日本では誰もそれが北朝鮮による拉致だと気がついてなかった、ということになる。

    産経がこのアベック失踪事件を「どこかの国による拉致ではないか」と報道したときでさえ、当時は北朝鮮がそんなことをするとは誰も思っておらず、他のメディアでは後追い報道することもなかった、という。そして日本で拉致報道が盛んに行われるようになるのは、この最初の報道から20年近くもあとのことになる、という。
    もし拉致の発覚がもう少し早ければ、生存者も多かったかもしれない・・・わけで、拉致問題に関する当時の日本の関心のなさは痛恨ともいえる失敗だろう。

    現在の状況からはとても考えれないが、政府もメディアも拉致問題にまともに取り組まない中、家族会の人々はとてつもない苦労をされたのだろうということがひしひしと感じられる。同書とともに、ぜひ拉致被害者・蓮池薫さんの兄で「救う会」元事務局長の蓮池透さんの著書『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)を合わせて読んでみてほしいと思う。

    同書を通じて伝わるのは、日本という国家がその構成員である日本人を保護するという意識の希薄さである。そしてそれは「当時」の日本のみならず、現在の日本にも通じるものがある。拉致問題は「北朝鮮問題」というだけでなく、日本の問題でもあるということ、そして過去のものではないということを今一度再確認できる本だ。
    続きを読む

    投稿日:2018.07.04

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