【感想】日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集

伊藤比呂美, 福永武彦, 町田康 / 河出書房新社
(33件のレビュー)

総合評価:

平均 4.3
9
13
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0
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ブクログレビュー

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  • aya

    aya

    230710*読了
    説話集という言葉自体に馴染みがなかったけれど、人間味があっておもしろい話ばかり。
    したきりすずめ、こぶとりじいさん、わらしべ長者の基となった話などおとぎ話要素の強いものから、現実を物語にしたようなものまで、さまざま。
    最後に教訓めいたことや、集話者のまとめが書いてあるものも多かった。
    前世(前生)からの運命なのでどうしようもない的な締めくくりは、その当時ならではな感じもする。
    僧の話もたくさんあって、でも高尚な僧から俗っぽい人までさまざまで、本当にいろんな人や生き物、妖怪のいろんな話を集めました感がいい。
    実際はこの本にまとめられている話の何倍もの数の小話が存在するわけで。
    収録されていない話も気になるなぁ。
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    投稿日:2023.07.10

  • I.M.O.

    I.M.O.

    芥川龍之介が取材し、「鼻」や「地獄変」、「芋粥」等、極限状態に置かれた人間を活写する短編に落とし込んだことで知られる宇治拾遺物語。
    古語から現代語までの日本語の文章を射程に収める日本文学全集の8巻となる本書でその現代語訳を担うは——パンクロッカー町田康。穏当に済むはずがない。
    私はかつて、氏の著作を一つ読んだことがある。『パンク侍、斬られて候』。
    ノイズのごとく文中に湧き出すカタカナ、ふいに放たれ虚を突く屁、ラインの文面かと見紛うような軽い口調、教科書の隅に殴り書きされた棒人間さながらの安易な死、すべては時代小説の定番を茶化す小手先などではない。物語の画面をひたすら殴りつけ、歪曲させる彼の筆致に、ウッと呻いて覆いかけた読者の目に飛び込む世界の映像は、拳骨の形そのままの深々と陰影を帯びた立体としてある。プロジェクションマッピングを前に踊る人間のように、表皮に辛うじて浮かべる物語はあれど、パンク侍は斬られ斬られてなお意に介さず、こちらに食ってかかる。町田康は猛烈に血腥い作家、いや、噴き出す血が描く流動的形態そのものを生きる作家なのである。
    宇治拾遺物語と対面して、町田はやはり殴りつけた。何度も、何度も。一発や二発ではなく、数十発。「目の前が…一面の荒野だ…」(寺山修司)。
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    投稿日:2023.03.22

  • bookkeeper2012

    bookkeeper2012

    町田康のこぶとり爺さんを何かで目にして購入したもの。町田康のは原文と見比べると適当に盛っているところも多々あるが、意外なところが原文のままであったりする。

    古代のパワーを感じる日本霊異記、ちと抹香臭い発心集もそれぞれの魅力がある。続きを読む

    投稿日:2022.12.17

  • アワヒニビブリオバトル

    アワヒニビブリオバトル

    第38回アワヒニビブリオバトル「笑」出張@もりのみやキューズモールで発表された本です。
    チャンプ本
    2018.05.23

    投稿日:2022.11.07

  • ゆ

    民衆のうちに口承された物語(説話)を集めた説話集の巻。ひとつひとつの説話は数ページの短編で、それらがいくつも纏まって、ひとつの説話集を成している。

    収録されている作品は次の通り。

    日本霊異記 /作 景戒 /訳 伊藤 比呂美
    成立は平安時代初期の822年ごろ。伝承された説話集の中では最古のもの。

    今昔物語 /作 不明 /訳 福永 武彦
    平安末期に成立したと思われるが、詳しい成立時期は不明。

    宇治拾遺物語 /作 不明 /訳 町田  康
    成立は鎌倉時代初期の1210~1220年ごろ。散逸して現存しない説話集「宇治大納言物語」から収録漏れした物語を拾い集めたもの。

    発心集 /作 鴨長明 /訳 伊藤 比呂美
    方丈記で知られる鴨長明が蒐集した説話集。鴨長明の晩年に成立したとみられるため、彼が没した1216年の少し前に成立とされている。

    説話のいくつかは昔話として現代でも伝承されている。本作に収録されている中では、舌切り雀やこぶとり爺さんがほぼ現代に伝わるままで収録されている。


    〇日本霊異記 /作 景戒 /訳 伊藤 比呂美
    翻訳者の伊藤比呂美の訳が本当に読みやすい。これは同じく伊藤が訳した発心集もそうだ。

    日本霊異記は素朴な古代のひとびとと仏の教えがまじりあう最中の時代の作品だ。のちの時代の説話は仏教の教えや宿業のテーマがもっと押し出され、説教や道徳の側面が出てくるが、日本霊異記では、仏教が色濃く反映されてはいるものの、ストーリーは古代の素朴さを感じさせる。
    ワカタケルが部下に雷を捕まえさせる話、女狐と知らず結婚した男が女をキツネと知っても愛する話。古代の時代の自然観や愛の形が短い説話の中で息づいている。

    〇今昔物語 /作 不明 /訳 福永 武彦
    新訳ではないため、ほかの2名に比べると訳が少し硬いが読みやすい。
    「女の執念が凝って蛇になる話」では、熊野権現へ参拝途中の若僧へ求婚するも断られたやもめ女性が大蛇となって若僧を追い回す。若僧が逃げ込んだ寺の大鐘を大蛇が取り囲み、大蛇の熱気で若僧は骨まで焼かれて死んでしまう。
    現代の感覚では、若僧は女からの求婚を、修行の道から外れるからという信心から断っているわけで、そこは法華経の加護で若僧が助かる展開ではないかと考えてしまうが、死後に若僧を供養することで無事に浄土に生まれ変わることで、ひとびとは仏のありがたさを感じ入るというオチになっている。
    ひとくちに仏教と言ってしまっても昔と今の死生観からして大きく異なっていた。

    〇宇治拾遺物語 /作 不明 /訳 町田  康

    翻訳者の町田康の翻訳と、町田康を翻訳者に選んだ池澤夏樹の選定の妙が光る。

    文章は町田康そのもの。町田康の現代小説の登場人物たちに烏帽子や直垂、袈裟を着せて喋らせたがごとく、パンクとパンツを履き違え、自省と自制を知らない自堕落が時世を越えてナンセンスを繰り広げる。
    厳しい戒律を守りつつも、用法・用量をわきまえた最低限の破戒の必要性も感じ、時代に応じた戒律の解釈を加えることで結構派手に戒律を破って、和泉式部と寝る坊主。やばい鬼たちの奏でるビートに自然と体踊り出し、神業ダンスを繰り出すこぶとり爺さん。

    他の古典では味わえない、笑いながら古典を読むという新鮮な体験が催される。こんなめちゃくちゃを日本文学全集に収録することが正しいのかは分からない。が、少なくとも町田康に翻訳を任せるとしたら、雑多で猥雑でユーモアあふれる、この宇治拾遺物語しかありえない。

    〇発心集 /作 鴨長明 /訳 伊藤 比呂美
    鴨長明という人の感性は極めて現代的だ。800年前の人物とは思えない。メタ思考ができて、自分の愚かさを認め、万物流転の中で相対化して考えている。

    説話集の冒頭の彼のコメントがそれをよく表している。
    彼は自分の愚かさを語る。それは単に心が悪に傾いているという単純なものではない。心が常に移ろいゆき、感情がゆらぎ、善と悪の間を行ったり来たりすることの愚かさだ。収録する説話は身近なものに限っているが、必ずしも真実とは限らないと認める。むしろ誤りが多いだろうと考える。
    仏や菩薩を信じつつも彼らの奇蹟の伝承の真偽を、冷静にジャッジする。鴨長明という人はどこまでも信仰と客観のバランスで考えている。

    各説話の最後に鴨長明のコメントがかなり長く添えられているのが、この説話集の特色である。
    翻訳者の伊藤は鴨長明のすごさを認めている一方で、上から目線のこのコメントがむしろ余計であり、その点では日本霊異記とその作者、景戒のほうが良いと評している。しかし、私はむしろ鴨長明のコメントの解釈の深さが発心集の読み味だと感じている。
    どうだろうか。
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    投稿日:2022.05.12

  • ASHITAKA

    ASHITAKA

    このレビューはネタバレを含みます

    日本霊異記
    p37子捨ての縁
    「子を淵に捨ててくるのだ」

    今昔物語
    p174小屋寺の大鐘が盗まれる話
    したがってまた、穢れのある三十日間は、鐘つき法師も鐘をつきにこない。

    宇治拾遺物語
    p233利仁将軍が芋粥をご馳走した
    朝廷での位階が五位であったから、とりあえず五位の人という意味で、五位と呼ぶことにする。

    p257卒塔婆に血が付いたら
    それを予言した者を嘲笑った者は全員、死んだ。嘲笑われた者は生きた。

    p384盗跖と孔子の対話
    けれども、わかった、わかりました。じゃあ、やろうよ。徹底的にやろうよ。もう、このガキ、徹底的に論破しないと気が済まない。

    発心集
    p408小田原の教懐上人、水瓶をうち割る事。
    そして陽範阿闍梨、梅木を切る事
     みな、執着を恐れたのだ。

    p461 462上東門院の女房、深山に住む事
     輪廻は、限りがなく、果てもない。一人の人間が一劫の間に輪廻する身の屍がすべて朽ちなければ、高い山に積み上がるそうだ。一劫でそんなだから、無量劫なら、もっとである
     その間に、いろんな生き物に生まれ変わり、苦も楽も経験しただろう仏の出現にも出会っただろうし、菩薩の教化も受けただろう。でもわたしたちは、楽しいときは楽に耽って仏法を忘れ、苦しいときは苦を憂えるばかりで修行を怠る。今なお、凡夫のまま、さとりのきっかけもつかめていない。過去の愚かだったことを悔いてはいるが、未来も、たぶん、このままだ。



    全部読むのに時間がかかりましたが読了。一気に読む感じではなく、休み休みの読書時間でした。

    町田康さんの訳のある種の奇天烈さが取り沙汰されがちですが、どれも良い訳だったと思います。昔は小説ではなく説話や説法、口伝えで継承されてきたように、作者不詳のお話もたくさんあります。識字率の上昇、エンタメ化、ゴシップ的な要素も盛りだくさん。時代によって求められているものが変化するのは当然で、それは書き手も同様。

    今昔物語は前世の行いが今世に反映されるという観念が強く、いわゆる昔話で教訓めいたものが必ずある感じがどこか懐かしかったです。勧善懲悪、欲張ると痛い目に遭う、底意地の悪さは身を滅ぼす、質素倹約で慎ましい生活が美徳とされたのかもしれません。けれども、当時の貧しさが強いていたムードのようなものを感じないでもありません。悪い意味で。子捨て、姥捨て、乞食に襲われて逃げる女と八つ裂きに遭う赤子など、1,2Pの間に語られる残酷さが目を背けさせると同時に妙に惹きつけられます。

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    投稿日:2021.11.17

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