【感想】太陽がいっぱい

パトリシア・ハイスミス, 佐宗鈴夫 / 河出文庫
(19件のレビュー)

総合評価:

平均 4.0
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ブクログレビュー

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  • 祐之介

    祐之介

    このレビューはネタバレを含みます

    2023年一番の作品でした。
    初めはグレート・ギャッツビーと同じ系統かと思ったものの、まったく違うものでした。
    トムの行動や、できごとにどう思ったかということは細かく書かれているものの、心情についてはあまり書かれていないよう思う。けれども、トムの閉塞感や焦燥感、嫉妬なんかがじわっと迫ってくる。トムとフィリップとマージの関係が、よくある痴情のもつれた三角関係におさまらないとことが興味深い。

    映画も見てみたけれども断然こっちがいい。
    アラン・ドロンの色男ぶりはすごいですけど。
    リプリーも見てみたい。

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    投稿日:2024.01.30

  • OHNO Hiroshi

    OHNO Hiroshi

    彼の親に頼まれてブルックスブラザーズのソックスとバスローブを買ってヨーロッパへ。パリに来た。客船で快適にきた。4年も無為に過ごしたことを考えていた。毛沢東の言うように、何かできるのは、若くてお金がない、ということなのかl。意欲、パッションはいかがなものか。
    ナポリに来た。ディッキー・グリーンリーフとあった。ブロンドの女がいた。
    原題『The Talented Mr.Ripley』
    トム(トーマス)・リプリー、主人公。解説を読むとこの作品からシリーズになり、あと四冊の作品でリプリーが活躍するらしい。自作は「贋作』でこれは翻訳があるそうだ。
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    投稿日:2024.01.23

  • nt

    nt

     1955年作。
     1960年、ルネ・クレマン監督による、アラン・ドロン主演の映画が名作としてすこぶる有名で、「太陽がいっぱい Plein Soleil」というタイトルはこの映画によるもの。小説の原題は「才能あるリプリー氏」という、ちょっとつまらなそうなタイトルである。
     犯罪サスペンスもの、ということになる。全体の3分の1辺りで主人公トム・リプリーが殺人を犯して、そこからサスペンス風になる。が、私は何となくこの小説に没入できなかった。主人公の性格が曖昧でとりとめなく思われ、その心の動きに近づくことが難しかったせいだろう。
    「犯罪を犯したのちの、追い詰められる切迫感」は、もっとシンプルな描写の松本清張の短編の方が引きずり込まれるような迫力、悪夢感があったのだが、本作はもうちょっと心理描写をきちんとやっているのに、いやそれだけに、その心理がどうも私にはよく把握できなかったのである。
     結末は映画のそれとは違う。このトム・リプリーを主人公としてハイスミスは更に何編も長編を書いたらしい。私には特徴の掴みづらい人物であったため、あまり興味を持てないのだが・・・。
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    投稿日:2023.05.02

  • 1990

    1990

    これは完全犯罪と言えるのだろうか…
    トムの衝動的で突飛な殺人と、臆病なまでに練るに練られた計画的な偽装工作の連続。
    そして、あまりにも幸運すぎる逃亡劇とその最後。

    この作品では、事件自体の完全さというよりも、トム自身の感情の浮き沈みと、はたまた何があってもうまく立ち回る身のこなし、そして綻びをうまく拾っていく彼のスキル等々、“トム”という人間にスポットライトを当てることでこそ、主人公の魅力が表に現れ、非常に興味深く感じられる作品になっている気がする。

    誰かを演じることでしか(ここでは“ディッキーだが”)今の自分を保てない不安定とも言える精神状態、自分から墓穴を掘るような言動や行動に走りかねない様子、そして上機嫌で楽天的と思いきや、自己嫌悪により何も手につかない、何も食べられないという繊細さ…ここまで心情がアップダウンの激しさが、軽快に、巧妙に描かれているのがおもしろい。

    トムは、どこか、何か、罪の意識とは別の事件にいるような気さえする。
    彼が本当に恐れているものとはなんなのか…警官か?死刑か?それとも?
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    投稿日:2022.08.01

  • kikyo

    kikyo

    1960年にルネ・クレマン監督/アラン・ドロン主演で映画化(1999年「リプリー」として原作をほぼ忠実にリメイク)されたことにより、ハイスミスの最も有名な作品となった。1955年発表作だが、全編独特なトーンを持ち、時代を感じさせない。物語の舞台として、当時のローマ、カプリ、ベネツィアなどの名所を巡るため、観光ガイドとしても有用かもしれない。よく知られた粗筋は省略するが、先の映画とは随分と印象が違う。饒舌で冗長。犯罪小説と呼ぶには文学に偏り過ぎ、文学と称するには青臭い生硬さがある。

    主人公は、アメリカ人トム・リプリー25歳。幼い頃に両親を亡くし、守銭奴の叔母に育てられた。生い立ちは殆ど語らず、世界中を旅して回る望みを持つ以外は、将来について夢描くこともない。孤独な自信家で、何よりも貧しい。金持ちに対するルサンチマンを抱き、彼らの〝物真似〟をすることで自己同一性の欠損を補い、自尊心を慰撫する。切れ者だが、倫理観が欠落している。最初に犯す殺人の動機は嫉妬からくる逆恨みで、以降も犯罪を重ねていく。大金を狙うのではなく、自由に旅行ができる程度で満たされる。退廃的で刹那的、ただ今を生きている。そこには、明確な狂気がある。己が殺した相手と同化して一人二役を演じ、危険な者は躊躇わずに消す。中途で何度も危機に見舞われるが、機転と悪運によって逃れる。狂的な楽天家で罪に苛まれることがないが、犯罪が発覚することには怯える。そして、それを楽しむ余裕さえ見せる。その人間像は複雑なようで〝底が浅い〟。故に、捉え難い。

    物語の中では何度も否定しているが、主人公はホモセクシャルであることを濃厚に匂わせる。同性愛者だったハイスミスが「リプリーは自分自身である」と述べているが、青年への投影はこれにとどまるものではないのだろう。この〝男色〟が本作に漂う異様な緊張感の素因ともなっている。他の登場人物は例外なく俗物で、作者の人間不信に基づく醒めた視点を反映していると感じた。そもそも、男と女を魅力的に描く気などさらさら無かったようで、ハイスミスの造型は極めて異色だ。
    終盤で、完全犯罪を確信したリプリーは、ギリシャ旅行を夢想し「太陽がいっぱいだ」と独白。怠惰で虚無的な結末を迎え、物語は閉じられる。読み手によって、はっきりと好き嫌いが分かれる作風だが、ミステリの深遠を知ることは出来るだろう。眼光鋭い肖像が印象的なハイスミス。その屈折したスタイルによって、異端の存在であり続けたことは間違いない。
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    投稿日:2021.09.25

  • ばあチャル

    ばあチャル

    ルネ・クレマンとアラン・ドロンの映画「太陽がいっぱい」は封切られた時に観た。映画全盛時代ゆえ鮮明に覚えている。テーマ音楽と明るい青い海とドロンの美貌が強烈な印象だった。

    マット・ディモンのリメイク「リプリー」はTVで観た。これはこれで「トム」と「ディッキー」の関係を同性愛的に色濃く描いていて陰影があった。マット・ディモンの雰囲気があずかりあるのかもしれない。

    パトリシア・ハイスミスの原作「太陽がいっぱい」を読んでまた異なった感想を持った。「トム」が「ディッキー」を殺すに到る心理が丁寧に描いてあり、犯罪の良し悪しでなく、わかってくるものがある。

    「トム」の不幸な生い立ちとあがいても上昇しない人生が、人は出自によってどうしても決まってくるという不条理をはねのけたくなった時、どういうことが起こるのか。他人の人生とを取り替えられるのか、夢のような変身は可能か。

    「トム」が雇われ友人として「ディッキー」をアメリカに連れ帰る役目よりも、優雅に暮らしている「ディッキー」のようになりたいと思った時、愛すればこそ同化出来ると濃く近づくが、それが同性愛的友情(同性愛ではない)になってもおかしくない。

    やはり原作は読んでみるものだ。パトリシア・ハイスミスのミステリータッチの中にも冷徹な人間観察が感動する。どうしようもない人間個の欲望の強さ、哀しさを呼び覚まされる。

    情景にイタリア、特にベネッツアの風景がたくさんあって懐かしい(観光したので)こんなに出てきたんだっけ?とあらためて驚いた。が、それもこの小説の象徴であり、強調する脇でもある。
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    投稿日:2021.09.04

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