【感想】二宮翁夜話

二宮尊徳, 児玉幸多, 小林惟司 / 中公クラシックス
(8件のレビュー)

総合評価:

平均 4.3
3
2
1
0
0

ブクログレビュー

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  • ことりんご

    ことりんご

    どんなに正論であってもどんなに素晴らしい教えであっても、それをとなえている者の人間性に問題がらあったら聴いてもらえない。
    「積小為大」
    目の前のこと小さな事にひとつひとつ丁寧に取り組む。それを積み上げていくことで大きな目標を達成できる。
    いくら知識を持っていても、それを行動にうつさなければ意味がない。
    陽明学の「知行合一」と同じ感じかな。
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    投稿日:2023.09.11

  • らーにゃ

    らーにゃ

    【感想】
    二宮尊徳思想をわかりやすく噛み砕いてくれていて、学びが多い。二宮金次郎というとあの歩いて本を読む像しか思い浮かばない人であれば、この本は読むべきだと思います。
    どんだけすげぇ人なのかがよくわかります。噛み砕く中でうまく抽象化して現代にもあてはめるようにしてもらえているので誰でもスッと腹落ちしやすいです。

    【私的ポイント】
    下記のポイントに特に共感。
    ・物欲にかられると幸せになりにくい(分度を弁えたミニマリストへ)
    ・貧乏神というのは不清潔・整理整頓されない状態で菌や虫が発生することを揶揄したもの
    ・移気な性質は破滅への道、本文を全うするべき
    ▶︎本来自分は周りや社会から何を求められているのかを考えて思考や行動を正すべきだと感じる。色々な実践心理学に通じるところが多い。
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    投稿日:2021.03.31

  • ghostrider

    ghostrider

    人道と天道の話がよい。天道はエントロピー増大の法則。人道は天道の中にありながら,人としていかに行動するかの法則。道徳と経済の関係。じっくり吟味していく。

    夜話というだけあって語り口調。音読にも適している。続きを読む

    投稿日:2020.04.11

  • hirocs

    hirocs

    ”二宮尊徳氏の教えを、37歳年下の弟子・福住正兄氏が丹念に記録した語録集。善悪のない天道の営みを理解したうえで、人道を尽くすことの大切さを簡易な言葉で説いている。報徳・勤労・分度・推譲の4つの徳目をもとにした仕法で、多くの村に実利をもたらした尊徳の教え。

    9月の人間塾課題本。もう一、ニ周読んで当日を迎えよう。


    <読書メモ>
    ・尊徳は、当時の経世家たちと比べて特別の哲理を身につけていた。これは彼の好んだ読書から得た学問がその源泉である。とはいえ、学問とはいっても、幕藩体制の下での製薬から、読書の範囲は自ずから限られたものとなる。いきおい『大学』『論語』をはじめとする四書五経が中心である。(略)数少ない学書の中から、その片言隻語のうちから、彼は自らの経験と合致する箇所を見逃さない。(略)
     彼の学問は机上の死学問ではない。胸中の疑問を解決するためである。同時に、納得した解決策を直ちに実践しようとするものであった。(p.4:小林惟司氏の「尊徳をどう読みとくか」より)
     #「薪負読書図」で読んでいる本は『大学』とのこと。山に薪を取りにゆく道すがら大声で音読していた。

    ★尊徳は三十六歳から七十歳まで三十五年間農村の救済復興のために尽くした。その方式を仕法という。仕法の基本は、報徳・勤労・分度・推譲の四つであった。この四つが今日で言う実践徳目である。(p.10:尊徳をどう読みとくか)
     - 報徳…生活の信条。天地人三才の恩徳への恩返しに働くという人生観。
     - 勤労…天地人から受け取る恩徳が無限であるために、力のかぎり働いて返そうという情熱。
     - 分度…実力に応じた生活の限度。資産に応じた消費生活。生活の分を守る計画的な消費。
     - 推譲…分度して余剰が出たらその多少にかかわらず他に譲ること。

    ★私の教えは、書籍を尊ばず、天地を経文としている。私の歌に、
      音(聲)もなく香もなく常に天地(あめつち)は
      書かざる経をくりかえしつつ
     と詠んでいる。このように、日々くりかえしくりかえし示される天地の経文に、誠の道は明らかである。(p.1-2)
     #尊徳の教えの鍵となる歌。天地の経文。

    ★人道の勤めるべきは、己に克つという教えである。(略)己に克つというのは、わが心の田畑に生ずる草をけずり取り、取り捨てて、わが心の米麦を繁茂させる勤めのことだ。(p.6)

    ★私の本願は、人々の心の田の荒蕪を開拓して、天の授けた善種、仁・義・礼・智を培養して、善種を収穫し、また蒔きかえし蒔きかえして、国家に善種を蒔きひろめることだ。(p.61)
     #日光神領の「土地の荒蕪の開拓」を申し付けられたことを祝いに来た、大沢勇助・福住正兄に伝えた言葉。「おまえの村のごとき、おまえの兄一人の心の開拓ができただけで、一村たちまち一新した」

    ★これより上の譲とは何か。親類・朋友のために譲るのだ。郷里のために譲るのだ。もっとできがたいのは国家のために譲ることだ。この譲もつまるところは、わが富貴を維持するためであるが、眼前に他に譲るからできがたいのだ。家に財産のある者はつとめて家法を定めて推譲を行え。(p.83)
     #自身の将来、子孫への譲は、知らず知らずに行なっている。これは自分のための譲だから。さらなる上の譲には教えが必要。

    ★分限の予定外に入るものを、分内に入れないで別に貯えておけば、臨時の物入り、不慮の入用などにさしつかえるということはないものだ。(略)分外の損というのは、分外の利益を分内に入れるからである。それゆえ、私の道が、分度を定めるのを根本とするのはこのためだ。分度がひとたび定まれば、その余りを施す功徳は苦労しなくてもできるだろう。(p.85)
     #推譲を行動にうつそう。

    ★『大学』に、「安んじて而(しこう)して后(のち)よく慮り、慮って而して后によく得(う)」(心を静かにしてのち熟慮でき、熟慮してのち正しい判断が得られる)とある。本当にそうだ。世の人は、だいたい苦しまぎれに、種々のことを思い謀るから、みな成功しないのだ。(p.99)
     #あいたたた…

    ★私の歌に、
      増減は器傾く水と見よ
     といっているとおりである。私の道で尊ぶ増減はそれとは異なって、ただちに天地が万物を生育するのを助ける大道で、米五合でも、麦一升でも、芋一株でも、天つ神の積んでおかれた無尽蔵から、鍬鎌の鍵をもって、この世の中に取り出す大道である。これを真の増殖の道という。(p.112)

    ★私は、深夜あるいは未明に、村里を巡行した。怠けているのを戒めるでもなく、朝寝を叱るでもない。善い悪いも問わず、勤惰も言わず、ただ自分の勤めとして、寒暑・風雨といっても音足らなかった。(p.128)
     #数ヶ月すると…風紀が改良されていた。「官がこれを追わない過ち」。ただし「捕らえる」ではない。

    ★これは循環・輪廻の理でそうなるのだ。これを人為をもって年切りなしに毎年ならせるには、枝を伐りすかし、また莟(つぼみ)のときにつみとって花をへらし、数度肥料をやれば、年切りなしに毎年同じように実るものだ。(略)この年切りがないことを願うならば、果物の木の法にならって、私の推譲の道をすすめるべきだ。(p.144-145)
     #なるほど。これはやっていこう!

    ★釈迦が生まれたとき天上天下唯我独尊と言ったということを、侠客などが広言を吐いて、天下広しといえども自分に及ぶものはないなどと言うのと同じように、釈迦の自慢だと思う者がいるが、これは誤っている。これは釈迦ばかりでなく、世界中の者みな、自分も他人も、自分こそ天上にも天下にも尊いものであって、自分に勝って尊いものはないぞという教訓の言葉である。すなわち銘々各々が、天地間にこの上なく尊いものだ。(p.158)
     #中学時代に父から贈られた言葉。感慨深い。

    ★今あそこに立てた木札の文字を見るがよい。この札の文字によって芋種を掘り出して畑に植えて作ればこそ食物になるのだ。道も同じで、目印の書物によって道を求め実行してこそ初めて道を得るのだ。さもなければ学問とはいえない。ただ本読みというだけだ。(p.161)
     #いたたたた…。書物はあくまでも目印にすぎない、ということ。
     #心して、実行せねば。

    ★交際の道は碁や将棋の道を手本にするがよい。(略)はなはだしく力が違うときには、腹金とか、歩三兵というまでに駒をはずすのである。これは交際上に必要な理屈である。自分に富があり、才芸も学問もあって、先の人が貧しければ富をはずすがよい。先の人が不才ならば才をはずすがよい。(略)自分が貧乏にして不才、かつ無芸・無学ならば、碁を打つように心得るがよい。その人が富んで才もあり芸もあれば、幾目も置いて交際するがよい。これは碁の道である。(p.164)
     #何子も置かせてもらってでも、手合わせを願おう、ということか。なるほど。

    ★「おまえのように年中家業を怠けて働かず、銭があれば酒を呑む者が、正月だからといって一年間勤苦勉励して丹精した者と同様に餅を食おうというのは、はなはだ心得ちがいだ。(略)正月に餅が食いたければ、今日より遊び怠けることを改めて、酒を止め、山林に入って落葉をかき、肥をこしらえ、来春は田を作って米を取り、来々年の正月に餅を食うべきだ。そこで来年の正月は、自分の過ちを悔いて餅を食うことを止めろ」と懇々と説諭された。(p.187-189)
     #相手の未来を思えばこそ、厳しく諭すことが必要。
     #さらには・・・源吉が教訓をしっかり腹におとしたとみるや、「白米一俵・餅米一俵・金一両に大根・芋などを添えて与えられた」。ん?、しびれる!!

    ★私は近ごろ子供たちに教えるのに、四要ということをもって教えている。四要とは、一誠・ニ行・三勤・四徳の四つをいう。一誠とは至誠、二行とは道徳と経済、三勤は勤・倹・譲、四徳は仁・義・礼・智である。(p.218:正兄氏による「『夜話』あとがき」より)

    ★『論語』(子張篇)に、「君子に三変あり。これに望むに儼然たり。これにつくに温なり。その言を聞くやはげし」(君子の様子は三色に変わる。遠くから眺めるといかめしい。かたわらに寄ると穏やかである。そのことばを聞くと厳しい)(p.223-224)
     #3つ目の「厳しいことば」が大切なのかな。

    ★もしやむをえないことがあって、この修業ができないで相続するようなことがあれば、親類や後見のよい人を師として、一々指図を願って、それに従うがよい。(略)それを慢心して人に相談もせず、気ままに金銀を使えば、たちまち金銀を相手に取られるだろう。(p.225-226)
     #むむむ、今どうか。師を求めてつかないと…。

    ★仏説はまことにふしぎなものだ。日輪(太陽)が朝東方に出るときの功徳を名づけて薬師といい、中天に照らすときの功徳を大日といい、夕日の功徳を阿弥陀という。だから薬師・大日・阿弥陀といっても、実際はそういう仏があるというのではなく、みな太陽の功徳をあらわしたものだ。また大地の功徳を地蔵といい、空中の功徳を虚空蔵といい、世の音ずれを観ずる功徳を観世音という。(p.244)
     #そうだったのか。

    ★『論語』(学而篇・子罕篇)に、「己に如かざる者を友とすることなかれ」とあるのを、世間にはとりちがえている人がいる。(略)相手の人の長じているところを友として、劣っているところを友としてはいけないという意味にとるがよい。(p.248)
     #才能がない人にも書のうまい人も、無学でも世事に賢い人も、文字は書けなくても農業にくわしい者も。


    <きっかけ>
     人間塾 2012年9月の課題図書。”
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    投稿日:2019.08.15

  • gakuichi

    gakuichi

    このレビューはネタバレを含みます

    二宮金次郎として知られる尊徳(1787~1856)は、江戸時代後期、
    藩財政の建て直しや農村の復興に尽力した人物です。その生涯で復
    興に携わった農村の数は何と600余!今風に言えば、凄腕の再建請
    負人、地域再生コンサルタントと言ったところでしょう。

    本書は、そんな尊徳が自らの実践哲学を語った一冊で、もともとは、
    昭和8年に岩波文庫から出版されたものです。久しく絶版となって
    いたのですが、昨年、その現代語訳版が中公から出版されました。
    それが本日ご紹介する一冊です。岩波文庫版の格調高さはありませ
    んが、その分、格段に読みやすくなっています。

    260年間続いた江戸時代は、最初の百年間こそ栄えましたが、元禄
    年間をピークに、後は長い停滞期に入ります。災害や飢饉が頻発し
    た上、人口減少もあって、特に、農村部は困窮を極めました。この
    農村部の困窮を救うことに一生を捧げたのが尊徳でした。

    バブル崩壊後の長期不況に苦しむ現代と似たような状況の中で、藩
    や農村の建て直しに尽力した尊徳の、実践に基づいた哲学や方法論
    は、今の時代に対して、驚くほど示唆に満ちています。右肩上がり
    の経済成長が期待できなくなった社会を生きる智慧が、尊徳の言葉
    には溢れています。

    尊徳は、自然の原理に基づくものを「天道」、人為のものを「人道」
    と呼びました。例えば、農作物と雑草の区別なく草を生やすのは天
    道で、その中から雑草だけを抜く行為が人道です。天道は堤防を崩
    し田畑を森に返しますが、人道は堤防を築き、草を抜いて田畑を守
    ろうとします。天道と人道は相反するようですが、天道を離れて人
    道はあり得ません。水車が流水に従い、流水に反して水をくみ上げ
    るように、天理に従って種を蒔き、天理に逆らって雑草を取り除く
    のが人道だ、と尊徳は説きました。

    尊徳の復興とは、この人道を立てることでした。人道を立てるため
    には、天道を熟知している必要があります。だから、尊徳は、日々
    の自然現象に眼をこらしました。それを尊徳は、天地を経文とす、
    と表現します。そして、天地の経文を読み解くには、肉眼でなく心
    眼、肉耳でなく心耳を働かせる必要があると言います。尊徳は、現
    象の背後にある、見えないもの=天道を観ようとしていたのです。
    そして、実際に、天道を感受していた尊徳は、常に、天道の側から
    世界を眺めていました。だからこそ、人の世の浮き沈みに惑わされ
    ることのない、本質を見極めた判断を下すことができたのです。

    尊徳の言葉と生き様は、壮大にして繊細、剛毅にして柔軟です。こ
    んなに魅力的な人はなかなかいないでしょう。その魅力に触れるこ
    とのできる稀有な一冊ですので、是非、読んでみてください。

    =====================================================

    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

    =====================================================

    日々くりかえしくりかえし示される天地の経文に。誠の道は明らか
    である。

    己に克つというのは、わが心の田畑に生ずる草をけずり取り、取り
    捨てて、わが心の米麦を繁茂させる勤めのことだ。これを人道とい
    う。

    天は生々の徳を下し、地はこれを受けて発生し、親は子を育てて、
    損益を忘れ、ひたすら成長を楽しみ、子は育てられて親を慕う。夫
    婦の間もまた相互に楽しみ合って子孫が相続する。農夫は勤労して
    植物の繁栄を楽しみ、草木もまた喜びにあふれて繁茂する。みな相
    ともに苦情がなく喜びの情ばかりだ。(…)商法は売って喜び、買
    って喜ぶようにすべきだ。売る人は喜び、買う人は喜ばないのは道
    ではない。買う人は喜び、売る人は喜ばないのも道ではない。貸借
    の道もまた同じだ。借りて喜び、貸して喜ぶようにすべきだ。

    善人はとかく退いて引きこもる癖のあるものだ。つとめて引き出さ
    なければ出ない。よく肥えた土地は必ず低いくぼんだ所にあって、
    掘り出さなければあらわれないものだ。これに心づかずに開拓場を
    ならしてしまえば、肥えた土地はみな土中にうずまって永久にあら
    われない。村里の損失はこれ以上のことはない。村里を復興するの
    もまた同じ理屈だ。善人を挙げて隠れないように勤めるべきだ。

    わが道は人々の心の荒蕪を開くのを本意とする。心の荒蕪を一人が
    開けば、土地の荒蕪は何万町あっても心配には及ばないからだ。

    心の田の荒蕪が国家のためにもっとも大きな損失であり、つぎは田
    畑山林の荒蕪である。みな努めてこれを開拓しなければならない。

    開闢の昔、豊葦原に一人天から降り立ったと覚悟するときは、流水
    に潔身をしたように、潔いこと限りがない。何事をするにも、この
    覚悟をきめれば、依頼心もなく、卑怯・卑劣の心もなく、何を見て
    も羨ましいことなく、心の中が清浄であるから、願うことは成就し
    ないことがなくなるのだ。この覚悟が事をなす根本であり、私の悟
    道の極意である。この覚悟が定まれば、衰村を起こすのも、廃家を
    復興するのも、いとやすいことだ。ただこの覚悟一つだ。

    果物の木というものは、今年大いに実ると翌年は必ず実らないもの
    だ。これを世間で年切りという。これは循環・輪転の理でそうなる
    のだ。これを人為をもって年切りなしに毎年ならせるには、枝を伐
    りすかし、また莟のときにつみとって花をへらし、数度肥料をやれ
    ば、年切りなしに毎年同じように実るものだ。人の身代に盛衰・貧
    富があるのは、すなわち年切りである。(…)この年切りがないこ
    とを願うならば、果物の木の法にならって、私の推譲の道をすすめ
    るべきだ。

    昔の木の実が今の大木となり、今の木の実が後世の大木となること
    を、よくよくわきまえて、大を羨まず、小を恥じず、速成を欲せず、
    日夜怠らずに勤めることが肝要である。

    世界は自転してとどまることがない。それゆえ時節にあうものは育
    ち、時節にあわないものは枯れるのである。

    天道は自然である。人道は天道に従うけれども、また人為である。
    人道を尽して天道に任ずべきである。人為をゆるがせにして天道を
    恨んではならない。

    人世の災害で、凶年よりひどいものはない。昔から六十年間に一度
    は必ずあると言い伝えている。さもあろう。ただ飢饉だけではない。
    大洪水も大風も大地震も、その他の非常の災害も、六十年間に一度
    ぐらいは必ずあろう。たとえなくても、必ずあるものときめて、有
    志の者が申し合わせて金穀を貯蓄すべきだ。

    すべて万物は極端に不浄になれば必ず清浄に帰り、清浄が極まれば
    不浄に帰る。寒暑・昼夜が回転して止まないのと同じだ。すなわち
    天理だ。すべての物はそうなのだ。されば世の中に無用の物という
    のはないのだ。農業は不浄をもって清浄に変える妙術だ。(…)
    私の方法もまたそうだ。荒地を熟田にし、借財を無借にし、貧を富
    にし、苦を楽にする方法だからである。

    肉眼で見れば見えない所があるが、心眼をもって見れば見えない所
    はない。肉耳で聞けば聞こえないところがあるが、心耳で聞けば聞
    こえないものはない。

    わが道は、勤・倹・譲の三つにある。勤というのは、衣食住になる
    べき品物を勤めて産出することだ。倹とは、産出した品物をむやみ
    と消費しないことをいうのだ。譲は、この二つを他に及ぼすことを
    いう。さて譲には種々ある。今年の物を来年のために貯えるのも譲
    である。それから、子孫に譲ると、親戚・朋友に譲ると、郷里に譲
    ると、国家に譲るとがある。その身その身の分限によって勤めて行
    なうがよい。

    春に伸びた力で秋に根を張り、秋に根を張った力で春に伸び、去年
    伸びた力で今年太り、今年太った力で来年また太るのだ。

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    ●[2]編集後記

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    お盆休みは、北アルプスの麓の森でキャンプをして過ごしました。
    とあるキャンプツアーに参加したのですが、最初の四日間は、小一
    の娘のみの参加、残りの三日間は、一歳半の息子も含め、家族全員
    での参加でした。

    娘にとって、知らない子ども達に囲まれ、電気もガスも水道もない
    森の中で過ごすのは初めての経験でした。一人ぽっちで、さぞかし
    不安だったことと思いますが、最初の晩、少し泣いただけで、後は
    無事に乗り切ったようです。案ずるより、産むが易しですね。冒険
    を乗り切った娘は、ちょっとだけ逞しく、誇らしげに見えました。

    後半の三日間は、親子でツリーハウスをつくるという内容だったの
    ですが、これはほとんど父親達が楽しむためのものでした。昼間は
    森の中でひたすら労働し、夜は焚き火を囲んでひたすら飲む。家族
    そっちのけで、森を満喫しました。

    久しぶりにナタやチェンソーやノコギリを使ったのですが、木を伐
    り、ツタを採るのは、とても楽しい作業でした。やはり森は、眺め
    るだけでなく、使ってなんぼですね。森と格闘すればするほど、森
    が身近になるのだ、ということに改めて気づかされました。

    皆で力を合わせて何かをつくるということの大事さも改めて学んだ
    ようにも思います。初めて会った人達と、ツリーハウスをゼロから
    つくる。話し合って、力を合わせる。この話し合いと力合わせのプ
    ロセスを経ると、見知らぬ人が、仲間=チームとなるのです。

    話し合いと力合わせが、やはりチームづくりの基本なんですね。

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    投稿日:2013.08.22

  • すみす

    すみす

    日本版論語。神道に儒教、仏教のエッセンスが合わさり形成された日本的思想に基づいた報徳経の思想はわかりやすく、すんなりと入ってくる。論語等古典を日本人の感覚に合うように取捨選択したうえで解説してくれるのがうれしい。続きを読む

    投稿日:2013.05.25

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