【感想】海を渡った柔術と柔道 日本武道のダイナミズム

坂上康博 / 青弓社
(3件のレビュー)

総合評価:

平均 3.0
1
0
0
0
1

ブクログレビュー

"powered by"

  • 有坂汀

    有坂汀

    日本にルーツを持つ格闘技・柔術と柔道。本書ではイギリス・フランス・ドイツでの柔術・柔道の人気、ロシアのサンボや柔道強国グルジア、アメリカに渡ったヤマトナデシコ、ブラジリアン柔術の秘話などを紹介する。

    現在でも日本よりも海外での活躍のほうが有名な武道家はおりますが、現在ではそれもわずかであると、聞いたことがあります。本書では、オリンピックの競技をはじめとして世界中に『スポーツ』として普及している柔道と、イギリス、フランス、ドイツなどに根付いた日本の古流柔術。さらには、現代の総合格闘技の世界では必須教養とされる、ブラジリアン柔術について、海外に雄飛した柔術家や柔道家、さらに柔道や柔術の影響を受けて完成されたサンボなどのことや、現地の様子などを紹介し、学術的な考察が加えられているものです。

    全体の構成は様々な視点で書かれた7つの論文と7つのコラムから成り立っており、それぞれが独立していて、どこから読んでも面白かったです。特に自分が面白かったのはロシアのサンボにかかわる考察と、『移民』とブラジリアン柔術に関することがかれた箇所でした。

    現在ではもう、歴史のかなたに埋もれた日本人が、こんなにも熱く海外に行って、現地に溶け込み、柔術や柔道を指導し、それが現地に根付いて、あるいは土着の格闘技と融合しながら、さまざまに変化しているという話は、本当に興味深いものがありました。
    続きを読む

    投稿日:2013.07.10

  • コロちゃん

    コロちゃん

     テレビでの「世界柔道」や「オリンピックの柔道競技」は大変人気があると思う。
     その「柔道競技」が「日本の武道」から世界の「zyudo」に進化した経過はあまり知られていないと思う。その詳細な経過が知りたいと思って本書を読んでみたが、期待はずれと思えた。
     本書は、15人の専門家がそれぞれ各章を担当しているが、視点も論点も文体も全く違っている。各章での各国の歴史的エピソードには、興味を引くものもなかにはあるが、世界における「柔道」の歴史の全体像が見えるようには思えない。
     要するに、本書は内容が「バラバラ」の印象が強い。執筆者は、それぞれが「スポーツ」の専門家であるようだが、本書を執筆するにあたって全体の調整をしたのだろうか。
     世界に広がった「柔道」が各国それぞれで独自の進化を遂げた事情もあるのかもしれないが、「青と白の柔道着」や」ポイント制」などの「現代柔道」がどのようにしてつくられてきたのか、あるいは「日本の武道」から「世界的運動競技」に進化した歴史とその理由について等、「柔道」について知りたいことは多いが、本書ではよくわからなかった。本書は残念な本であると思う。
    続きを読む

    投稿日:2012.10.11

  • 隆一郎

    隆一郎

    「柔術/柔道のグローバルな展開と還流」


    「柔術/柔道はいったいいつ頃、どのようにして国境を越え、海外に根付いていったのだろうか。その国際化の道のりとはどのようなものだったのか」

     本書はこのような問題意識を出発点としており、言及される国は実に米国、英国、フランス、ドイツ、ロシア、グルジア、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルの9カ国にも及んでいる。柔道の国際化の文脈において、巷間で頻繁に語られるのは、「コンデ・コマ」こと前田光世のエピソードである。近年の格闘技ブームと相まって、「グレイシー柔術」として有名なブラジリアン柔術の祖、カーロス・グレイシーの弟エリオ・グレイシーとの死闘がテレビ番組や雑誌、漫画などさまざまなメディアで語られている。しかし、それらのほとんどが史資料に基づかない英雄譚となっており、梶原一騎の漫画『プロレススーパースター列伝』さながらの、虚構や誇張にまみれた構成・スタイルとなっている。
     それに対して、本書の特徴は大学におけるスポーツ史、スポーツ社会学の研究者や在野の研究者が、当時の、しかも現地の言語で書かれた新聞や雑誌、書籍、プロパガンダ映画といったテクストを丹念に渉猟して記述している点にある。全章をフォローするのは難しいため、以下では評者の問題関心に基づいて第1章、第4章、第7章を中心に読み進めてみたい。

     第1章「柔道vs. レスリング―変容する柔術と継承される“Jiu-Jitsu”」では、米国での受容過程が描かれている。セオドア・ルーズベルト大統領は柔道/柔術の信奉者であり良き理解者であった。しかし、一方で彼はボクシングやレスリングといった西洋の伝統的格闘技への情熱を持ち続けていた。それらが米国の開拓者精神のシンボルだったからである。

    「柔道vs. レスリングという『異種』格闘技試合とは、単に『異競技種』の優劣を見定める試合ではなく、やや大げさにいえば、まさに日本人とアメリカ人という『異人種』間の戦いだったといえるだろう」

     ここで、来るべき太平洋上での両国の戦闘が意識されていることは想像に難くない。

     第4章「ドイツの柔術・柔道」へと話を移そう。講道館柔道の創始者、嘉納治五郎は1889年から90年にかけてベルリンに滞在し、柔道を紹介した。だが、ヨーロッパに広く伝わったのは柔道ではなく柔術だった。第1章で詳しく触れられているが、定着していくきっかけは日露戦争における日本の勝利とそれによる「ジャポニズム」であった。その後、ナチ・オリンピックといわれる36年のベルリン五輪以降、ドイツでの柔道熱は急速に高まる。格闘技としての柔道が、第二次世界大戦へと向かう情勢のなかで「強兵」と親和性を持っていたためとされる。

     第7章「還流するJiu-jitsu――『移民』とブラジリアン柔術」は、柔道の団体戦でいえば「大将戦」にあたる。単にトリを務めているという意味においてではない。それはブラジリアン柔術という、最も日本から離れた地で独自の進化を遂げながら、現在の日本の格闘技に最も影響をもたらしている対象を扱っているからにほかならない。つまり、これまでの章が拡張という一方向的なフローであったのに対して、ブラジリアン柔術は日本へとの還流・循環という側面を持っているのである。
     本章著者の川越和人によれば、ブラジルで柔道が講道館柔道から独自の発展を遂げたのは、前田光世のパーソナリティによるところが多い。ただし、それが前田による影響なのかグレイシーによる新たな展開なのか、あるいは、一族のなかでもカーロスによるものか、エリオによるものかは、それぞれの立場によって見解が異なるため立証が難しい。
     その後、エリオの長男のホイラーが米国でグレイシー・アカデミーという道場を創設し、四男のホイスがUFC大会で活躍するなかで、グレイシー柔術は米国での知名度を獲得していく。ここでは、日本でも94、95年に開催されたバーリ・トゥード・ジャパン・オープンによってその知名度を拡大させていったとされている。だが、さらに付け加えるなら、マスメディアの日本におけるグレイシー柔術の名はヒクソンの無敗神話と野性性といった誇張された言説、桜庭和志とホイス・グレイシーの好勝負とそのメディア表象を抜きには語れないのではないだろうか。

     筆者が、こういったメディア・イベントの影響力を指摘しながらも、それとは異なる日系ブラジル人移民の草の根の実践に着目している点が興味深い。ここでは、一人一人の生活史から柔術とその文化、移民同士の関係、移民と日本人との関係などが描かれ、そこから「日常の生活のなかで出会い、ネットワークが作られた、というこの事例こそがメディアに依存するだけではない日系ブラジル人移民によるブラジリアン柔術の拡大経路と見ることができるだろう」と述べられている。
     マスメディアはテレビニュースを通じて、移民を犯罪者として、あるいは犯罪者予備軍として描く。一方で、日本人の多くも彼らを脱人称化した単なる労働力、「デカセギ」と見ている。しかし、ここにはブラジリアン柔術を媒介としてそういったステレオタイプや固定化された日本人との関係性を覆すような実践が見られるのである。
    続きを読む

    投稿日:2010.10.12

クーポンコード登録

登録

Reader Storeをご利用のお客様へ

ご利用ありがとうございます!

エラー(エラーコード: )

本棚に以下の作品が追加されました

追加された作品は本棚から読むことが出来ます

本棚を開くには、画面右上にある「本棚」ボタンをクリック

スマートフォンの場合

パソコンの場合

このレビューを不適切なレビューとして報告します。よろしいですか?

ご協力ありがとうございました
参考にさせていただきます。

レビューを削除してもよろしいですか?
削除すると元に戻すことはできません。