【感想】二〇世紀の自画像

加藤周一 / ちくま新書
(4件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • Στέφανος

    Στέφανος

    私の二〇世紀◆「戦後」とは何だったのか◆戦後思想史の中の加藤周一(成田龍一)◆日中関係のことなど

    著者:加藤周一(1919-2008、渋谷区、評論家)

    投稿日:2019.03.28

  • キじばと。。

    キじばと。。

    2部構成となっており、第1部は歴史学者の成田龍一が、加藤周一へのインタビューをおこなっています。第2部は、戦後思想家としての加藤の歩みを解説した成田の論考を収めています。

    加藤の著者名で刊行される本の中で批判的なことを述べるのは難しいのかもしれませんが、成田の論鋒に甘さを感じるところがありました。第1部のインタビューでは、言語ナショナリズムの問題をめぐる箇所で、外国語を貪欲に取り入れ続けてきた日本の「雑種性」を強調する加藤に対して、成田は近代化における日本語の文体の問題を提出していますが、この両者の見方の違いが追求されることなく終わっているように思えます。

    また第2部の最後で、成田は知識人論というテーマを持ち出していますが、1968年を国外で過ごした加藤が、果たして「高みの見物」の立場から脱け出しえたのかという問題の追求はなされていません。

    そういうわけで、若干の不満は残りますが、思想家・加藤周一の仕事を概観するために、格好の入門書なのではないかと思います。
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    投稿日:2015.02.10

  • bax

    bax

    [ 内容 ]
    二〇世紀は日本にとって、アジアで最初の近代国家となりながら、そのアジア全域を巻き込んだ戦争を引き起こし、二度の原爆投下と未曾有の敗戦を体験すると同時に、近年では奇跡的な高度経済成長に続いてバブル崩壊とその後の十年を超える長期不況に直面するという、実にめまぐるしい百年間でもあった。
    空前の豊かさと膨大な人的犠牲という強烈なコントラストに彩られたこの世紀は、その時代を体験した人間にどのように映ったのだろうか。
    優れた文明批評家として知られる著者が、この百年を再考し、新たな混沌が予感される現代を診断する。

    [ 目次 ]
    プロローグ―私の二〇世紀(一九二〇年代の東京;劇的な科学技術の進歩;科学のもたらす恩恵と破壊 ほか)
    第1部 「戦後」とは何だったのか(「戦後思想」を語る;ヒロシマ、アメリカ、そしてナショナリズム)
    第2部 戦後思想史の中の加藤周一(成田龍一)(「戦後」思想家としての出発;『雑種文化』の視座;「六〇年」/「六八年」の世界像と自己像 ほか)

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

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    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]
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    投稿日:2010.08.30

  • gaspard

    gaspard

    どうも、こういう本は苦手なようだ。
    テーマは戦後思想史ってか文学史って感じなんだけど。
    言ってることがわかるようなわからないようなもやもやした感じ。
    もう一回読んだらまた何か感じるかもしれないけど

    投稿日:2006.11.14

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