【感想】戦国史の怪しい人たち

鈴木眞哉 / 平凡社新書
(8件のレビュー)

総合評価:

平均 3.7
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ブクログレビュー

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  • かおるひめ

    かおるひめ

    日本史を深読みするとこんなに面白いんだなぁ、と。
    知られていない情報が散りばめられていて、
    かなり面白かったです。
    本当にこの有名人が存在したかどうかって、
    あんまり気にしていなかったことに反省。

    投稿日:2017.10.20

  • ドラソル

    ドラソル

    文字通り、戦国史の中で出てくる氏素性の知れない人に対して丹念に追ってる一冊。

    もちろん、“怪しい”にもいろんな意味があり、有名な戦国大名でも氏素性の知れない人物もあれば、そうでない講談なんかで出てくる人物もいる。
    前者は面白いけど、後者は元々物語の登場人物だから今一つに感じた(当方の興味の度合いもあるけど)。
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    投稿日:2017.08.12

  • d0se1sann

    d0se1sann

    戦国時代の武将、剣豪、忍者の中には、その功績、逸話どころか出自まで怪しい人がいる。それらの人々に対して様々な資料を元に、噂の真相を究明した本。
    初めて目にする説もあったので、大変興味深かった。

    投稿日:2012.01.22

  • たくぽん

    たくぽん

    伝えられている出自があやしい。

    経歴が怪しい。

    事蹟や功名譚が怪しい。



    また、同じ出自が怪しいといっても、名門を装っている場合から、正確な記録が残っていない場合まで。



    たとえば、

    桓武平氏を名乗る織田信長や清和源氏を祖とする徳川家康、本当に源氏や平氏が先祖なのか?

    講談に登場する「真田十勇士」や「大久保彦左衛門」の怪しい逸話。
    島左近や山本勘助など有名な逸話を持つのに存在が怪しい。



    など、有名な武将から、合戦の一場面にしか登場しない武将まで、逸話と共に解説している一冊です。
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    投稿日:2011.12.22

  • yasz

    yasz

    歴史の本は好きなのでよく読んでいますが、実は有名な人となりというのは記録に残っているもの、「そうだと伝えられてきたこと」のみを受けいているわけで、本当はどんな人だったかは実は理解できていないと思います

    この本の著者である鈴木氏は、歴史の実態に迫る大変興味深い解説をしてくれています。本当の姿を知ることによって「人間は時代を経ても案外変わらないところもある」と妙に安心することもあり、私にとっては面白い本の一つです。

    以下は気になったポイントです。

    ・織田信長のように、余り格式にこだわらないような人間でさえも立派な系図を整えたのは、源平交代思想に乗ったからかもしらない、平清盛が源頼朝に取って代わられ、その鎌倉幕府の実権が平氏と称する北条氏に、それが倒れて清和源氏の足利家が室町幕府、それに代わるのが信長とした(p20)

    ・徳川家の15代将軍のうち、徳川宗家の人間は9人、正室から生まれたのは、初代(家康)、三代(家光)、15代(慶喜)のみ、将軍家の摘出子はゼロ、家光は父秀忠が将軍となる前の子(p30)

    ・生母の素性が怪しい将軍は、四代(家綱)、五代(綱吉)、八代(吉宗)である(p30)

    ・光秀の謀反については、その後の行動に見通しの悪さを批判する声があるが、当時の状況から考えると無謀とは言えず、ツキが味方しなかったからと考えられる(p35)

    ・信長の跡目議論であるが、家督はとっくに長男・信忠に譲られていたので、織田家の家督が信忠の息子の三法師に移るのは当然、三法師はとりあえず信孝が預かって補佐役となった(p37)

    ・信雄は三法師を抱え込んだ信雄に一歩先んじられたと感じて、秀吉に接近した(p37)

    ・賤ヶ岳の戦いで勝家軍が破れて切腹まで追い詰められたのは、別働隊を率いていた佐久間盛政が悪かったことになっているが、実は、別働隊と勝家本隊との中間に陣取っていた前田利家の部隊が突然戦場から消えたのが原因(p41)

    ・家康が生涯において大小48の合戦を経験したが、大合戦としているのは、姉川・三方原・長篠・長久手・関ヶ原である(p62)

    ・戦場に持ち出された数では刀が多かったが、当時は飛び道具を使っての戦いが主流、鉄砲導入までは、弓矢であり、石・礫は刀剣類よりも大きな役割であった(p77)

    ・剣豪の宮本武蔵の関ヶ原の戦いでの参加は足軽としてである、働きが確認できるのは島原の乱、小笠原家の軍勢に加わり本丸の石垣を登っているときに石を落とされて動けなくなった(p82)

    ・忍者は戦国時代を通じて用いられたが、最後の活動の機会となったのは、島原の乱であった(p111)

    ・後醍醐天皇(大覚寺統)による討幕が成功して「建武の新政」となったがすぐに行き詰まった、後醍醐と対立することになった足利尊氏は持明院統の光明天皇をたてて自身の政権をつくり、後醍醐は大和(南朝)にのがれたのが1336年である(p117)

    ・両朝の「御合体」が実現したのは、明徳3年(1392年)の足利義満の代であったが、歴史の裏側では南朝系の反政府活動が続いた(p117)

    ・戦国時代になっても国司が存在した国が3カ国あった、飛騨・伊勢・土佐、特に、飛騨と伊勢は「建武の新政」の際に任命されて、南朝との関係が深かった(p121)

    ・楠木正成が正義の人という扱いを受けるようになったのは、江戸時代になって南朝正統論が唱えられて、明治末に国家の見解とされたため(p126)

    2010/08/10作成
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    投稿日:2011.11.06

  • のり

    のり

    戦国時代の怪しい有名人たちを取り上げた書である。本書を読むとNHKの歴史番組のいい加減さがわかる。著者の博識ぶりには驚かされる。

    投稿日:2011.11.03

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