【感想】社会学の名著30

竹内洋 / ちくま新書
(23件のレビュー)

総合評価:

平均 3.8
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  • たけのこ

    たけのこ


    社会学の名著を30本、かなり分かりやすい解説の仕方で、ピックアップしてもらってる。

    社会学とは何か、漠然とでも分かる。

    これをスタートに社会学に踏み込んでいくといい。学生時代に何で出会わなかったのか……。


    すごーく端的にいうと、「社会」の仕組みが何なのか、それを明らかにしていく。人間の営みとは何なのか、今自分たちの社会で当たり前とされている営みが、そもそも何出来上がってるのか、当たり前とされてるけど、これってそもそも何なんだ、という視点を提供している。

    個人的に深く読みたいと思ったのが、ディスタンクシオン、感情労働、ギテンズ。

    これもすっごく世俗的な意見になっちゃってるけど、所謂「親ガチャ」も、文化資本と経済資本の多寡によって、今後の人生決まってくよね、みたいなことじゃないか??

    感情労働も面白かった。よくよく考えると、相手の感情を害さないように自分の感情をコントロールして当たり前のように仕事してるけど、それってめちゃくちゃ不思議な営みだよね。という。そう出来るように育てられてきて、実践してるけど、社会的人間ならではの営みだし、それが出来ないと、おかしい人扱いされる。感情のコントロールで言うと、SNSとかもそうですね。

    ギデンズも面白かった。あまりにも複雑化した社会である故に、突如としてその綻びが現れてコントロールできなくなる社会。感染症とかの危険は勿論だけど、それに伴って明らかに社会に綻びが生じていたな、と。通勤電車の混雑の問題視やら、ライブとか飲食の規制とそれに伴ういざこざ、SNSでの炎上とかデマ拡散とか、いまの社会だからこそ、そこに綻びが生じてしまうのねと。


    ただ、これを読んだとても社会学おもしれー、理解したと思ってしまうのは禁物だろう。原著読んだら挫折するんだろうな〜。
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    投稿日:2024.02.04

  • Glenn

    Glenn

    以前読んだ「社会学の名著50冊が一冊でざっと学べる」より、丁寧な解説がなされ、ぼんやりしていた部分が、すこし明確になった。丁寧な解説書であるにもかかわらず、まだまだわからないところが多く、斜め読みするにも時間がかかってしまったので、何度も繰り返し同じような本に触れていたいと思った。

    P.16 ピーター・バーガー『社会学への招待』
    社会学的好奇心はうわさ好き、ゴシップ好きと同じであるといっているのである。といってもシャーデンフロイデ(他人の不幸は蜜の味)を動機としたゴシップ・うわさ好みのことをいっているわけではない。公式的見解や状名の背景にある構造が見通され、「ものごとはみかけどおりではない」として現実感が一変する知的好奇心である、という。社会学は遠い国の奇妙な習俗を発見する文化人類学者のような、全く見知らぬものに出会う時の興奮ではない。

    P.24 ランドル・コリンズ『脱常識の社会学』
    一見すると合理的計算にもとづいているとおもわれることも、すこし考えてみれば、そうとはいえない。たとえば節約である。節約するなら車や家などの大きな買い物の時すべきであろう。ところがたいていはそんな着物の時よりもスーパーマーケットで缶詰を買う時のほうが値段の1セント、2セント程度の差を仔細に調べて節約を実行する。そうなってしまうのはなぜか。大きな買い物は時たまであり、小さな買い物はほぼ毎日している。だkら、時たまの高価なものの買い物の場合よりも、小さな買い物の時節約に気を配る方が「上手な買い物をしている」と感じる機会がはるかに多くなるからである。計算することは良いことだという「象徴的」計算である。ここにも合理的行為とみられる背後に実は「計算」ではなく、非合理的「感情」があることがわかる。

    P.31 エミール・デュルケーム 『自殺論』
    近代社会における欲望の病は、欲望を充足できない焦慮ではない。充足したと思った瞬間、欲望はさらに彼方に遠退く。欲望が逃げ水のように無限に進行する病である。あといくら給料が上がったら満足しますか、と問われて三割ほどという人が、初期の願望が実現すれば、またあと三割増を、と繰り返すのである。

    P.39 ゲオルク・ジンメル 『社会学』
    集団の成員数という、内容から最も遠い数量(形式)が集団の内容と深い関係にあるとされる。かくて、キリスト教が国家的規模に広がったときに、原始的なキリスト教集団とは異なって、他の大集団の内容に近接していった。集団の成員数という形式による集団の内容の変質は労働組合が少数(による)組合であるときと、大きな組合になるときに、誓約集団から単なる同町圧力集団の一つのように変化することを想起すればよいだろう。

    P.55 マックス・ウェーバー 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
    この本を読んだのは、大学に入学して半年ほどたった時、古典だから読まなければならないと思った程度で文庫本を紐解き始めたのだが、すぐに引き込まれていった。というのは…この年、開発途上国に出向していたいとこが一時帰国した。そこで彼が私に言ったことは、任地の開発途上国の労働者が、日本人と違っていかに働かないかであった。給与や昇進などの誘因を与えても、あまり働こうとしないということだった。働けばお金も地位も入ってくるはずなのに、どうしてなのだろう、やはり開発途上国の人々は、先天的に怠惰なのだろうか、と私にも疑問が残った。本書を読むにつれのどに刺さった小骨が取れていくような気がし、引き込まれたのである。
    ウェーバーは、近代資本主義が遭遇しなければならなかった頑固な障壁として「伝統主義的な生活態度」をあげている。労働の集約度を高めるために企図された出来高賃金は、その意図に反して労働の増大ではなく、減少を結果した場合が多かったこと、つまり「報酬の多いことよりも、労働の少ないことのほうが彼を動かす刺激だったのだ」、「人は『生まれながらに』できるだけ多くの貨幣を多く得ようと願うものではなくて、むしろ簡素に生活する、つまり、習慣としてきた生活をつづけ、それに必要なものを手に入れることだけを願うに過ぎない」というくだりは、先の疑問があっただけに、すとんと腑に落ちた。勤勉でないほうが、むしろ自然で、われわれが自明死している勤勉は、ある種のウィルスに精神が感染しないとおからない代物ではないかと思えてきたのである。

    ウェーバーはプロテスタンティズムのなかでも特にヴィニズムの予定説に着目する。予定説とは人の救済と断罪はこの世の全校や悔い改めなどとは一切関係なく、あらかじめ神によってきめられているというものである。しかし、神は絶対であるから、人々は神に選ばれているか、呪われているかを知ることはできない。信徒は絶対不安に陥る。疑惑を拭い去り、自らを選ばれたものとみなさなければならない。そういう自己確信に到達するために職業への献身が奨励された。神はこの世の職業への献身を説いているのだから、職業において成功することは、神の嘉するところであり、不安を鎮め救いの自己確信を高めるほかない。

    P.63 ノルベルト・エアリス 『文明化の過程』
    文明化は、洟のかみかた、排せつの仕方、食事の作法の変遷にも見ることができる。しかし、この変遷は、必ずしも衛生観念の浸透によって起こったとはいいがたい。礼儀作法所には、「他人がいるところでは」とか、「他人が考えるかもしれないから」という言葉が頻出することができるように、他人の塩飽に注意を払うことが、文明化の原動力になっているのだ、とエアリスは言う。

    P.70 ユルゲン・ハーバーマス 『公共性の構造転換』
    国家に代表される公権力の領域が輪郭をもちことで、公権力=国家の客体としての講習が生まれるが、そうであればこそ私人の領域が自覚化され、私人の糾合としての、批判する講習の誕生の契機となる。こうして、はじめにふれたコーヒー・ハウス、そしてサロンやクラブに代表される、政治的機能を持った市民的公共圏が誕生する。しかし、すぐさま政治的機能を持った市民的公共圏が誕生したわけではない。まずは「文芸的公共圏」が生まれる。
    文芸的公共圏とは、文学作品をめぐっての談話による自己啓蒙と主体形成の場である。そこで確立された制度的基準は次の三つである。(1)社会的地位を度外視した対等な議論という「平等性」、(2)文学や哲学、芸術作品をめぐっての教会的・国家的権威による解釈独占権を排し、自律的かつ合理的な相互理解の中で解釈する「自律性」、(3)討論対象の入手と議論のための資格(財産・教養)があれば、すべての私人が「公衆」として参加できる「公開性」の三つである。

    P.77 ミシェル・フーコー 『監獄の誕生』
    いまや権力の本源は、人格ではなく、身体・表面・光・視線などの仕掛けの中に遍在する。一望監視装置は絶妙な機械仕掛けである。監視人の姿を目にすることができないが、そうであるがゆえに恒常的にみられている恐れにさらされる。こうした顔のない監視のまなざしは、自己を監視する自己を誕生させ、自発的にその強制を自分自身へ働かせる。「あらゆる物理的な対決を避け、常に前もって仕組まれる、永続的勝利」がなされる。監視者も監視され、取り締まられるのである。われわれは、このような意味で規律/訓練権力に攻囲された監禁社会に生きている。

    P.129 ピエール・ブルデュー 『ディスタンシンクオン』
    ブルデューの階級論は、文化資本を経済資本に代替したのではない。文化資本と経済資本のズレをも組み込んで編成されている。資本送料と資本構成人を区別して組み合わせることによってつぎのような階級社会空間が描かれる。
    労働者階級と比べれば大企業経営者も大学教授も資本送料は大きいという点で同じ側に属する。しかし、大企業経営者と大学教授を比べれば大企業経営者は経済資本の比重が、大学教授は文化資本の比重が大きい。つまり、資本構成が異なっている、こうして階級の社会空間が構成される。縦軸は資本総量の多寡、横軸左は資本構成で文化資本+経済資本-、横軸右が文化資本-経済資本+という四象限空間である。大企業経営者はこの社会空間では、右上方になり、大学教授は左上方になる。自由業や上級技術者がその間に位置する。小学校教員は、資本量は中位であるが、文化資本+経済資本-であるから、社会空間で真ん中左寄りになる。小商人は真ん中右寄りになる。一般技術院や小店員は、小学校教員と小商人の間に位置する。これらより下方に位置するのが労働者や農民である。

    P.137 作田啓一 『価値の社会学』
    「Ⅷ 端と羞恥」では、罪は個人の内部にある規則原理で、端は個人の外側にある規制原理であるというルーズ・ベネディクト(文化人類学者)の「恥の文化」論(『菊と刀』)を「羞恥」(恥じらい)に着目することで再構成する。ベネディクトの言う「恥」は所属集団を準拠にしての優劣感情(公恥)によるものだが、「羞恥」は、所属集団を越えた準拠集団などの視点から生じる恥じらい感情(私恥)である。「羞恥」という恥の変化型を組み入れることで、「罪の文化」と「恥の文化」という単純なに分割法ではなく、罪と恥の中間に「羞恥」が位置付けられる。

    P.154 アーヴィング・ゴッフマン 『行為と演技』
    私の経験にこういうのがある。20数名が集まった小さな学会の研究発表の時のことである。発表は、ハーヴぇイ・サックスの会話分析についてだった。発表者は「サックスの会話分析」というべきところを「セックスの会話分析」といってしまった。私は、篤実な学者である発表者の言い間違えがおかしかった。が、出席者のうちだれも私のように笑う人はいなかった。オーディエンスのあいだにも何事もなかったような雰囲気(察しよい無関心)が支配した。
    言い間違えという不運なパフォーマンスによって生じる狼狽や困惑という「一種のアノミー」が「察しのよい無関心」というオーディエンスによって回避されたのである。「無関心」によって「学会の研究発表の場」という相互行為秩序が守られたのである。
    人々の集まりのなかでは、自己利益や利他のためのパフォーマンス以上に、集まりという相互行為の秩序(状況の定義)の維持が肝心となる。相互行為という圏域が、独立の圏域をなしていて、その秩序維持が黙契になっていることを明らかにしたのだが、本書の独自性である。事実を隠したり、控えたりすることで状況の安定性を維持する共謀の積み重ねによって状況が存立しているのである。

    P.161 ハロルド・ガーフィンケルほか 『エスノメソドロジー』
    エスノメソドロジーとは社会のメンバーが持つ、日常的な出来事やメンバー自身の組織的な企図をめぐる知識の体系的な研究だ。
    客観主義(実証主義)のように出来事を外側からアプローチするのではない。あくまで参加者の認知や意味づけが場面の中でどうつくられていくかについて、場面を構成している人々の側からアプローチする学だというのである。

    P.170 ピーター・バーガー、トーマス・ルックマン 『日常世界の構成』
    機能主義とは、社会をシステムとしてとらえ、社会的行為が構造の維持と安定にどのように作用しているかの過程を明らかにするアプローチである。
    機能主義は、古い制度や非合理的制度と思われるものが実は社会構造の維持や安定への機能を果たしているから、そうした制度は必要であるという現状肯定理論になりがちである。また、機能主義的成層論がそうであるように、人々の行為をもっぱら計算ずくの目的合理的な視点から見るきらいがある。アメリカでは1960年代に、日本では70年代年に機能主義についてのそういう懐疑が広がり始めていた。そんなときに本書が現れた。

    P.178 ポール・ウィリス 『ハマータウンの野郎ども』
    ひとつは、周りの生徒がゆすって起こすことを当然とした教師である。もう一つのタイプはゆすって起こすことを制した教師である。ゆすって起こすことを当然とした教師は、年齢が若く新制大学の教育学部を卒業した教師に多かった。ゆす手起こすことを止めた教師は、旧制の専門学校などを出て地元で家業などをしていたが、戦後の混乱と教師不足で代用教師として集められた、にわか教師が多かった。そもそも党の生徒はどう思っているのだろうか。そんな疑問に激しい答えを示しているのが本書である。
    野郎どもはメリトラクティックな価値、つまり、能力・業績による社会的地位の獲得の価値を何ら内面化してはいない。学校や教師に反抗し、下級ホワイトカラー職などの非筋肉労働職への上昇移動など考えもしない。むしろ逞しさ信仰によってこうした精神労働を「女々しい」ものとみなし、自ら積極的に過酷な肉体労働を引き受けていく。ところがこうした犯行文化が「底辺」労働を引き受け、かえって社会的再生産をもたらしてしまうのである。

    P.188 イヴァン・イリッチ 『脱学校の社会』
    宗教と教会の同一視と同じように教育と学校の同一視が起こり、「学び」を「(学校)教育」に、「世話」を「治療」に、「安全」を「警察の保護」に取り違えることが起こるようになる。その結果、制度の整備と拡充こそがケアであるとされ、秦の学習、健康、安全への配慮が喪失していくというのである。学校によって人々は、経済成長を指向する消費社会への入会準備を受ける。医療や教育、交通などの専門職を何の疑問もなく、唯々諾々と受け取り、専門サービス社会の受益者への準備が行われるのである。これが学校された社会である。教育だけでなく、社会全体が学校化されている。

    P.212 アーリー・ホックシールド 『管理される心』
    かつては、「肉体」労働が一般的だったが、サービス産業の拡大によっていまや「感情」労働が一般的になっている。感情が商品化され、感情管理に基づく行為が労働として売られる。感情捜査に巧みな労働者は(感情)市場での価値が高くなる。
    感情労働は演技を伴うが、「表層演技」と「深層演技」に分けられる。表層演技は魂ごとではなく、眉を吊り上げたり、口を硬く閉じたり、筋肉を使って怒りや悲しみを表すものである。それに対して、深層演技は、モスクワ芸術座創設者で、かつ演出指導で有名なスタニスラフスキーの編み出した演技法である。悲しみの場面では、過去に自分に怒った悲しい出来事を思い出すことによって(悲しみの)感情を呼び起こす演技法、つまり感情記憶を総動員することによる感情喚起である。客室をあたかも自分の家のように思ったり、手に負えない乗客は、心に傷を負っている昔のあの人だと思って、何を言われてもひたすら優しく接する迫真の演技が深層演技である。

    中流階級は感情労働に携わることが多いから、大人は子供を小さな感情労働者として躾けるようになる。子どもは自らの感情を感情規則に沿って形作っていくことが求められる。新しいカーペットにインクをこぼした子供はカーペットを台無しにしたことよりも、癇癪によってそうしてしまったことが咎められる。

    P.219 ロバート・D・パットナム 『孤独なボウリング』
    そもそも今の社会を格差社会としてだけとらえることで良いのだろうか。今の格差を何パーセントか軽減したからといって、人々の不満が何パーセントか軽減するだろうか。格差をいくらか軽減したところで、相変わらず格差社会の不満が言いつのられるであろう。格差「感」社会は、別の何かの表れなのである。そう、今の日本は、格差社会としてよりも「不信社会」ととらえるべきではなかろうか。
    本書はこうした信頼を「社会関係資本」として概念化し、信頼社会論を展開している。社会関係資本とは、社会的ネットワークとそこから生じる互報性(情けは人の為ならず)と信頼性の規範である。
    格差社会是正の手立ては所得再分配などの経済問題だけにとどまらない。社会関係資本を豊かにすることがセイフティー・ネットになることが示唆されている。社会関係資本に飛んだ生活をしている人はトラウマにも上手に対応できる。睡眠剤やビタミンCだけに頼るのではなく、悩みを相談できる相手がいるからである。地域社会に絆があれば、安全性も高まるからである。
    題名は、全米でボウリング人口は増加しているのに、リーグボールが減ってきたことから、社会関係資本衰弱を象徴する日地上減少としてつけられている。日本社会ように言い直すとしたら、「孤独なカラオケ(=一人カラオケ)」だろうか…。

    P.241 ピエール・ブルデュー/ロック・ヴァカン 『リフレクシヴ・ソシオロジ-』
    ブルデューは、アルジェリアをフィールドとする人類学研究から始まり、やがてフランスの教育制度や高等教育を研究し、『再生産』や『ホモ・アカデミクス』などをまとめるにいたった。しかし、それは単なる研究対象の転換ではない。教育制度こそは、何が知ることができるか、何が知られるに値するものなのか、知るにはどのような手続きが正当なものかを定義する装置である。学問流儀や社会のまなざしそのものを問題視するならば、学者流儀の認識を押し付ける学問生産の場や教育そのものを対象にしなければならなかったからである。
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    投稿日:2023.06.30

  • けたん

    けたん

    ・とっかかりをつかみがたい社会学を驚きを伴う「おもしろさ」の観点から重要な諸理論・図書を案内してくれる。類書とあわせて読むと各理論の概略把握が進む。

    ・コンパクトなので、ちょっとした時間に見返せば「思い出し」に活用できる。

    ・紹介される全30書につけられた副題がいいなあと思って。これだけでもどういうことを考えようとしているのが社会学か?の輪郭が見えてくるような気がする。さてどの本のことか?

     ・人生は一場の戯れにしても
     ・社会学という透視術
     ・社会の発見あるいは社会学の発見
     ・社会の幾何学
     ・闘争モデルの原型
     ・近代資本主義と宗教
     ・コーヒー・ハウスからインターネットへ
     ・顔の見えない監視
     ・専門家こそ大衆
     ・羅針盤とレーダー
     ・メディアはメッセージである
     ・どこまでも透明なネオ・リアリティ
     ・保守主義は新思想
     ・ナショナリズムの誕生と伝播
     ・中間階級文化の哀しさ
     ・「はにかみ」という美しい文化
     ・義理と人情の相克
     ・うけを狙う
     ・日常知のほうへ
     ・機能ではなく意味
     ・反抗が加担に、服従が拒否に
     ・想像力の学校化
     ・二重の女性支配
     ・巨大かつ複雑なシステム疾走
     ・われらみな感情労働者
     ・情けは人の為ならず
     ・グローバル・クライシス
     ・学問・大学・文明
     ・学者的誤謬推論を撃て
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    投稿日:2022.10.09

  • 湖南文庫

    湖南文庫

    竹内洋(1942年~)氏は、京大教育学部卒、京大大学院教育学研究科博士後期課程単位取得満期退学、関西大学社会学部教授、京大教育学部・大学院教授、同研究科・学部長、関西大学人間健康学初代部長等を経て、関西大学東京センター長、京大名誉教授、関西大学名誉教授。そのほか、日本教育社会学会会長、日本学術振興会特別研究委員等審査委員会委員などを歴任。
    本書は、社会学の古今東西の古典・名著から厳選された30冊について、そのエッセンスをそれぞれ6~8ページ程度で紹介したものである。
    収録されているのは、ピーター・バーガー『社会学への招待』、エミール・デュルケーム『自殺論』、ゲオルグ・ジンメル『社会学』、マルクス/エンゲルス『共産党宣言』、マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』、ミシェル・フーコー『監獄の誕生』、オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』、マーシャル・マクルーハン『メディア論』、ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』、イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』、上野千鶴子『家父長制と資本制』、ウルリヒ・ベック『危険社会』等。
    私は、ちくま新書版の『政治学の名著30』(佐々木毅)、『経済学の名著30』(松原隆一郎)に続いて、本書を手にしたが、本書の特徴は圧倒的な読み易さであった。著者は「はじめに」で、自らの経験を踏まえて、「世の学者たちは、解説書はいけない、原書(翻訳を含めて)を読みなさいという、原理主義ならぬ原書主義をとなえる人が多い。・・・しかし、多くの人にとっては、いきなり原書は障害物が多すぎる。だとしたら、解説書や入門書で軽いトレーニングをつんでから、原書にすすむというのが順当であるとおもう。」と語っているのだが、読み易さ、面白さを意識して本書を書いたことがよくわかる。(例えば、ボードリヤール『消費社会の神話と構造』は、田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』を引用して解説している!)
    社会学は、政治学や経済学のように輪郭がはっきりしておらず、わかりにくい学問分野というイメージがあるが、逆の見方をすれば、「個人と社会の関わり」についての全てが対象となり、その関わり方が複雑化する現代においては、スコープは拡大することはあっても縮小することはないだろう。本書はその面白さを味わわせてくれる一冊と言える。
    (2022年1月了)
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    投稿日:2022.01.17

  • prigt23

    prigt23

    ほとんど知らない著者と署名が並んでいる。どれも著者の観点から名著ということになっているが、フーコー『監獄の誕生』あたりの有名どころは別として、あまり聞きなれない著者が多数を占める。そのため名著30シリーズ中でいちばん期待が大きかった一冊。

    世間的には社会学というのはいまいち評判がよくないと感じている。仕事上でも、新卒者に「大学では何を?」と質問すると、申し訳なさそうに「社会学で。。」と返ってくるというやりとりはけっこう多い。

    本書でいちばん印象に残ったのは、ガーフィンケル『エスノメソドロジー』。これまで聞いたこともなかったが、主観・客観とはどういうことか、という問題に社会学を足場にして論じるのはおもしろい。本書に限らずだが、紹介されている入門書を一通り読んでみたくなったし、社会学とは「ウェーバーを中心にした学問」というぼんやりとした(誤った)認識を正すことが少しできたような気がする。
    続きを読む

    投稿日:2018.11.25

  • ykikuchi

    ykikuchi

    "社会学に興味を持ったときに購入した本。
    気になった本は以下。
    ・社会学への招待
    ・自殺論
    ・家族社会学論集
    "

    投稿日:2018.11.14

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