【感想】意識とはなにか ――〈私〉を生成する脳

茂木健一郎 / ちくま新書
(21件のレビュー)

総合評価:

平均 3.2
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7
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ブクログレビュー

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  • yuyuy0525

    yuyuy0525

    主に認知に関する議論が多い。例えば、小鳥のさえずりや鮮やかな赤を、いかにして脳でユニークなもの(クオリア)として認識しているかという問いについて議論している。脳の解明はやはり難しく、1か0かではないところに科学らしくない科学といった印象を受ける。学問もヒトに近づけば近づくほど白黒はっきりできないものが多いように思う。もちろん共通言語として論理的に考えることはツールとして必要だが、世の中すべてを単純化して見てしまうことは、あらゆる弊害を生む気がする。もしかするとICTの限界はその辺りにあるのかも?続きを読む

    投稿日:2016.08.16

  • dai-4

    dai-4

    最初のうちは、分かっていながらもなかなか言葉に出来ないことが、”クオリア”として表現されることで、スッキリした気分を味わえた。読み進むにつれて、同意反復が気になってくるというか、”クオリア”に関する解釈を、ひたすら言葉を変えて繰り返しているだけに思えて、だんだん辛くなってきました。もう少し厚みが欲しいというか、一冊の書として纏めるには薄いというか。正直、学術論文くらいの長さで纏まっていた方が、インパクトも高まると思うし、ニュアンスもより良く伝わったんじゃないか、と思えてしまいました。続きを読む

    投稿日:2016.05.18

  • takeshishimizu

    takeshishimizu

    「クオリア」ということばが何度も登場する。本書のテーマになっていることばだ。しかし、どうもこの言葉の意味をうまく人に説明することができない。自分で使うこともできない。本書によると、クオリアとはもともとは「質」を表すラテン語で、心の中で感じるさまざまな質感を表すことばとして定着してきた。では「質感」とは何か。いろいろな具体例で説明がなされているが、私なりに解釈をすると、「苦い」ということば1つを取ってみても、コーヒーは苦くて好きになれないという人もいるだろうし、その苦さが好きだという人もいるだろう。同じことばでもそれぞれの人にとっての感じ方は違う。もっと言うと、赤いリンゴを見たとき、私とあなたで本当に同じ赤色を感じているのだろうか。それまでに生活してきた文化的な背景によっても感じ方は違ってくるのではないか。そういったそれぞれの意識の持ち方が「クオリア」となるのだろう。しかしそんなことを一々考えていたのでは話が進まない。だから皆が同じように感じているとして話を進めてしまう。ちょっと立ち止まって考えると、それは突然「難しい問題」として目の前に現れてしまう。それは哲学の問題だ。そんなことは科学としては扱えない。科学は客観的に数値で扱えるものしか扱わない。ところが、それが最近少し変わりつつあるのだそうだ。脳の研究者の中で「意識」ということを扱うのはタブー視(良いことではないと)されてきた。技術の進歩で、何かをしているとき、何かを感じているとき、脳の中のどこがはたらいているかを突きとめることが出きるようになってきた。人間の「意識」を科学として扱うことが出きるようになってきたというのだ。20世紀は物理学の時代だと言われた。21世紀は生物学の時代、特に脳研究の時代と考えられる。本書のテーマはしばらく大きく発展していくに違いない。しかし、今のところ私には、本書の内容はボヤーとしか感じることができない。ちょうど養老先生と本書の著者との対談が出版された。それも読みながらさらに考えてみたい。続きを読む

    投稿日:2015.07.05

  • prigt23

    prigt23

    うーん。内容がつかみづらい。読んでておもしろくなかった。結局クオリアってのがなんのか最後までわからなかった。

    投稿日:2015.05.06

  • キじばと。。

    キじばと。。

    異色の脳科学者である著者が、意識とは何かという問題を解決するための糸口を示そうとしています。

    著者は、チャルマーズにならって、「やさしい問題」と「むずかしい問題」を区別しています。本書での「やさしい問題」とは、クオリアなどの問題を、脳生理学であれ社会学であれ機能主義的な観点から説明することで解決できるものです。他方「むずかしい問題」では、たとえば現象学のような立場から、クオリアや「私」の固有性を突き詰めていくことが求められます。

    その上で著者は、「やさしい問題」と「むずかしい問題」を切り離すことなく、両者のつながりを見いだすことをめざします。著者は、ミラー・ニューロンの発見や他者理解における「心の理論」の重要性などに触れながら、私たちがさまざまな場面で「ふり」をする能力を駆使していることを明らかにします。そして、「むずかしい問題」として立ち現われてくるさまざまなクオリアを「やさしい問題」として処理することで私たちの社会生活が成り立っているのは、この「ふり」をする能力と関係しているのではないかという見通しが示されています。

    さらに、私たちの脳の中の電気的な布置状態は、一瞬たりともとどまることなくダイナミックに変容しつつあることに触れ、そのような脳のあり方にも関わらず、「私」が「私」であることや、「あるもの」が「あるもの」であることといった種々の「固有性」が成り立っていることが説明されなければならないと主張しています。そしてこのことが、「やさしい問題」が成り立つための前提だと論じられています。

    著者の「クオリア」という言葉の使い方に若干違和感を覚えるところがありますが、おおむね興味深く読みました。
    続きを読む

    投稿日:2015.02.06

  • だい

    だい

    クオリアの解説。感覚の説明を言葉で分かりやすく。
    <あるもの>が<あるもの>であること。なぞなぞのようだが、最も適した表現である。言葉とクオリア、言葉は共有できるが、クオリアは感覚であるので、共鳴か?共振か?
    感覚の揺らぎ=ファジーであること。
    「ふり」をする能力、感じでは振り、降り、
    ミラーニューロンとは、クオリアを伝える、行動である。同一の機能である。
    続きを読む

    投稿日:2014.08.28

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