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田山花袋 / 新潮文庫 (71件のレビュー)
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メガネカイマン
結末はあまりにも有名なので読む前から分かっていた。しかしながらいざ読んでみると矢張り名作の誉も宜なる哉。中年男性の悲哀と絶望、そして始末に負えない性慾と云う名のエゴイズム。それを最も巧妙に言語で表現…したのが「蒲団」なのだろう。 一方で「重右衛門の最後」の方がシナリオの起伏と問題意識に富んでおり読んでいて面白かった。日本自然主義文学の嚆矢と言えば上述の「蒲団」、それに藤村の「破戒」が有名だが、本作にもゾライズムの片鱗が窺える。本書を手に取るまで寡聞にして知らなかった作品なので何となくお得感があった。続きを読む
投稿日:2024.03.08
Kanon
耽美派を読む時,私は焦らされているような感覚を期待して手に取る. 蒲団は私小説ということからか,その点があまり感じられなかった. 弟子芳子との関係において,師としてなのか男してなのかの葛藤の果てに,…後者という渇きの道を選んだ主人公時雄には苦しみや一種の焦らされが認められるが,個人的には激情が過ぎた. 本作は通底して師としての選択による心象由来のマゾヒズム(焦らされ)があるが,最後の描写はその発散と言えるだろう. しかし個人的にはその関係は極めて直線的に感じられた.もうすこし揺らぎが欲しい.続きを読む
投稿日:2024.02.01
jun55
田山花袋は自然主義派として有名で、その代表作品ということで「蒲団」がある。 自然主義というのは、そもそも日本と発祥の地のフランスでは異なっており、日本の場合には、「私小説」ということで良いのだろう。 …ただ、現在、読む側からは、自然主義云々はあまり意味のないことで、作品自体をどう感じるか、ということに尽きる。 本著を読むモチベーションが、自然主義派を代表する作品だから、という消極的なものだったので、一抹の不安があったのだが、結果としては、とても面白い作品だった。 何が良かったか。 この作品が、近代日本における女性の立ち位置をうまく表現している、ということ。 当時は、特に若い女性は、女性の自立、自由についての希求が今よりも高く、純だったのだろう。 そして、主人公の竹中は、本音と建前のバランスを崩し、葛藤し、世の中の流れに乗り切れない。知識人でありながら。 そんな心理状態をうまく表現している。(芳子の心理状態を惹きたてる効果がある) 現在、ジェンダーのことが盛んに話題になっている中、同じような現象が起こっているわけで、その観点での普遍性についても面白いと感じたのだろう。 「重右衛問の最後」、も近代日本における地方コミュニティに関することが巧く表現されており、面白かった。批判的な側面もあるのだと思う。続きを読む
投稿日:2023.12.24
まっしべ
田山花袋と云えば日本自然主義文学者の代表格に位置する作家、というように中学の時に習いはしたものの’自然主義文学とは何ぞや’については綺麗サッパリ忘れてしまった私。そんな私ですら『蒲団』の結末については…よく覚えていたつもりでいて、’ああ、最後におじさんがどうした訳か女性の蒲団の匂いを嗅いで悶えて終わるやつね。’という身も蓋もない程度の前知識で気紛れに本書を手に取ってみた。 成る程、これこそが人間の’ありのまま’を描いたという自然主義文学ね……… そうなのか? 〈蒲団〉 まず、中学時分におじさんだと思っていた主人公の〈竹中時雄〉は「三十六」(p8)という事で現在の私と同い年である事に強烈な衝撃を受けました。 その時雄は東京で「ある書籍会社の嘱託を受けて地理書の編輯の手伝」(p10)を勤めていて、文学者としてはまだ燻っている現状に焦りや不満を抱いている様子。妻があり子どもは三人。 そんな彼は「出勤する途上に、毎朝邂逅(であ)う美しい女教師があった。渠(かれ)はその頃この女に逢うのをその日その日の唯一の楽み」(p14)とするような男で、むっつり悶々とアバンチュールへの欲望を秘めている訳だが、そんな彼の元へ岡山県新見町に住む〈横山芳子〉という十九歳の「渠の著作の崇拝者」(p14)にして文学者志望かつ弟子志願の女性よりファンレターが届くところから物語は勢いよく動き始める。 弟子入り・上京を許した時雄はあっという間に芳子に入れ込む訳だが彼女は当時としては大変開けっ広げに「男の友達が来る」「遅くまで帰って来ない」(p21)ようないわゆる社交的な陽キャなので、時雄としては一層悶々としつつも「男女が二人で歩いたり話したりさえすれば、すぐあやしいとか変だとか思うのだが、一体、そんなことを思ったり、言ったりするのが旧式だ」(p22)と当初は嘯き強がってみせる。 が、芳子が療養の為に独り行った先の京都で〈田中秀夫〉という二十一歳の恋人を作ってきてしまうと時雄の様子がいよいよおかしくなってくる。 表題の『蒲団』は作中三つの場面で登場する。最初は芳子に恋人が出来たショックのあまりに泥酔した時雄が「蒲団を着たまま、厠の中に入ろうと」(p29)する場面、続いて酔っ払った勢いで芳子の下宿先へ突如押しかけて、彼女を自らの目が届く監督下に移すべく芳子を下宿先から自宅に引っ越させた際の「押入の一方には支那鞄、柳行李、更紗の蒲団夜具の一組を他の一方に入れようとした」(p51)荷解きの場面、そして例の「時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷たい天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた」(p110)場面。 題にも冠されている『蒲団』が出てくるとつい意識して身構えてしまうが、上記3場面はそれぞれに印象深いシーン。『蒲団』が時雄の’関心・所有慾’を暗喩したものであると私は受け取った。 最初の泥酔場面での『蒲団』は妻が掛けてやったもので、心配した妻から呼びかけられても時雄は「それにも関(かま)わず」(p29)とにべも無い。そしてあろうことかその『蒲団』を掛けたままトイレという不浄な場所へ入っていく訳で、これらの状況から時雄の関心事は既に妻には無いことがありありと伝わってくる。まさに心ここに在らず、という感じ。 続く引越しの場面では芳子を自宅に移す事に成功したウキウキ感が「時雄はさる画家の描いた朝顔の幅を選んで床に懸け、懸花瓶には遅れ咲の薔薇の花を挿した」(p50)という行動からひしひし伝わってきて、まさに心は薔薇色、蒲団から「女の移香が鼻を撲(う)ったので、時雄は変な気になった」(p51)と、いよいよ慾望達成は近しと気持ちが昂まる。 最後のみっともなく絶望的な場面はもはや説明不要。もう芳子が使う事はない夜具や蒲団に包まって匂いに包まれながら泣く中年男の姿は哀れで仕方がない。「懐かしさ、恋しさ」(p109)が心中を「吹暴(ふきあ)れ」(p110)る轟音と泣き声を聞きながらの終幕。 けど、いっとき若い女に心乱されたとて、金銭を注ぎ込んだ訳でもなしに、彼には妻も子も職も家もあるんだよなあ。言ってしまえばおじさんの勝手な片想いが破れただけのお話。 三人いるはずの彼の子どもに関する描写が徹底して一切描かれないのも、明治という時代柄もあろうが、育児や家庭を顧みず若い女にうつつを抜かす彼の身勝手さが透けて見えてあまり好きではない。 〈重右衛門の最後〉 一般に『蒲団』が代表作という風潮があるけども、先に発表されたこちらの作品の方が圧倒的に好き。人間誰しもが持つ’悪玉’の深層深くまで分け入る…とまでは言えないかもだが、四方を山に囲まれた長野県牟礼村塩山(牟礼村は2005年に飯綱町と合併。塩山という住所については架空?ちなみに長野県には「塩」の付く地名がとても多いそうだ)という長閑な村で巻き起こる連続放火事件。その教唆犯である〈重右衛門〉と実行犯かつ彼の内縁の妻の〈少女〉はいわゆる村のはみ出し者にて、重右衛門は身体的障害を抱え、少女も「親も兄弟もなく、野原で育った、まるで獣といくらも変わらねえ」(p149)と村人から呼ばれるような人物。確かに重右衛門の内にはp175からp176にかけて書かれているように身体的コンプレックスに端を発する「憎悪、怨恨、嫉妬」(p176)が逆巻いていて、それらによる鬱屈や不平が彼を凶行に駆り立てたのであろうと思う訳だが、これらこそ犯罪心理学風に言う社会的問題の典型例なのではないだろうか。そういう意味ではかなり深い所まで’犯罪を起こす人の心理’について踏み込まれているのではと感じた。 そして、本作のもう一面の魅力は長野の美しい自然を描いている臨場感。特にp126からの描写は澄んだ空気や鮮やかな色彩が浮かんでくるくらいに素晴らしいと思う。 その雄大な美しさが目に浮かぶだけに、人間同士でチマチマやっている愚かしさが一層際立って感じられるのかなと思った。 巻末の福田恆存氏の解説も切れ味よくてめちゃくちゃ面白い。特に好きなのは「文学青年と作家志望者とは同一のものではありません。(略)文学青年とは一口にいえば、芸術家の才能なくして、芸術家に憧れるものです。かれらは芸術作品を創造することよりは、芸術家らしき生活を身につけることに喜びを感じるひとです。」(p226)の部分。 これって結構な真理を突いていて、意識高い系と本当に意識が高い人との違い・にわかオタクと真性オタクとの違いのような’自らを何者かにカテゴライズせねばやっていけない虚栄心’にかなりグサリと斬り込んだ文章だと思う。 86刷 2023.1.12続きを読む
投稿日:2023.01.12
naaga
このレビューはネタバレを含みます
36歳とすでに男としての魅力は失われていて生活に華がない中、先生、先生と自分をしたってくれて可愛い一回り下の女性が寄ってきたらどうするのか。そんな枯れた男が男としての自分を取り戻せないまま、それでもその子のことが気になって彼氏っぽい男ができたら執拗に嫉妬して(特に肉体関係面での嫉妬はすさまじかった)引き離さんとする物語。
投稿日:2022.11.06
k
日本文学における私小説の走りと言われる田山花袋の代表作。 そこそこ売れた作家である主人公(竹中時雄)の元に美しくて若い女学生(横山芳子)が弟子としてやってくるところからストーリーが始まる。 時雄には…妻子もあるが、やがて芳子に恋心を抱くようになる。芳子の恋仲である男子学生も後を追うように上京し、時雄は嫉妬を感じながらもやり場のない自分の恋心に悶えながら日々を送ることになる。 この主人公は田山花袋自身がモデルであり、彼が自分の若い女弟子に下心を抱いていたというのも事実に近いものであるらしい。 この作風というか設定が当時の日本の文壇に衝撃を与えた、と聞いて読んでみた。 100年以上前に書かれた小説であり、時代背景や表現が古いことを差し引いてもあまり面白いとは思えなかった。 これがなぜかを少しだけ客観的に分析してみたところ、こうした光景が現代にはありふれているからではないだろうか。100年の時を経てこのストーリーは陳腐化したのだ。 印象的なのは、周囲の人間がやたらと芳子の貞操に拘り、かつ若い人の「ハイカラな」考え方を遠いものとして捉えているところ。時雄と芳子は精々十何歳しか離れていないのに、まるで考えが違うようなことを時雄や妻は折々で述べる。 さらに、時雄は「温順と貞節とより他に何も持たぬ」自分の妻を比較して、芳子の闊達さを褒める。 「女子ももう自覚せんければいかん。父の手からすぐに夫の手に移るような意気地なしでは為方が無い。」とまで言ってのける。 これは明らかな矛盾であり、自分の思想と気持ちの折り合いがついていないように見える。それだけ当時の情勢(物理的にも精神的にも)の移り変わりが速かったということだろうか。 10年そこらで、少なくとも精神や文化面でここまで変化することは現代では見られない。そうした意味では100年前の方が余程「VUCA」の時代だったのかもしれない。続きを読む
投稿日:2022.10.15
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