【感想】追悼の達人

嵐山光三郎 / 中公文庫
(3件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • 四木

    四木

    あまりにも酷い文章があったため、途中までしか読むことができませんでした……。
    人々の死に様を知りたかったのですけれど、追悼は生きている者が書くので、自分が望む内容からはややズレていました。とはいえ、美しい文章を書く方を何名か知ることができたので良かったです。


    (以前読んでいた分の感想は消えてしまったので省略)

    2024/02/16 p.134-154

    p.134
    “叩(たた)かれれば叩かれるほどひらきなおるのが泡鳴の性格である。”
    ある意味の強さが羨ましいです……。このくらい自分の軸がしっかりしていたら生きやすいでしょう。

    p.149
    “鴎外の睡眠は一日三、四時間ほどで、だからこそ官にありつつ文をものにできた。”
    ショートスリーパーだったのですねえ。体力があるのは羨ましいです。

    p.152
    “鴎外は東京医学校(東大医学部)に十二歳で入学し十九歳で卒業した。”
    12歳で入学できるものなのですね。飛び級……?
    加えて、7年も在籍できることにびっくりします。


    2024/05/22 p.154-180

    p.154
    “一生懸命に入口を見付けて花園の中に這入(はい)って来た。然し先生の腰をかけて居る石の榻のある近辺までは、道が遠いばかりでなく、道の曲り具合が分りにくいので、誰も行き得るものはない。若い者供は一度(ひとた)び已に先生が歩みながら見飽きて仕舞った路傍の花を眺めてあれがいいの、此(こ)れが美しいのと、わいわい騒いでいる。先生は其の声をかすかに聞いて独りで微笑(ほほえ)んだ。”
    「芸術の庭」という、この例え話がとても美しいです。好きです。

    p.161
    ”室生犀星(むろうさいせい)は「眼のひかりが虹(にじ)のように走る感じの人。(後略)」”
    このような美しい表現で人のことを紹介してみたいものです。

    p.166

    (前略)長谷川如是閑(はせがわにょぜかん)が「享楽(きょうらく)的職業婦人を排す」としてつぎのように書いた。
    「この種の職業婦人が多少の収入を得るということは、却(かえ)って自分を滅ぼす道になる。収入を得れば、それを以て社会的に成り立たない享楽、社会関係を顧(かえり)みない自由を充(み)たす費用にする。(後略)」

    酷い時代ですね。現代の感覚では、性別に関係なく働いていいと思いますし、自分で稼いだお金をどのように使ってもいいと思います。
    そりゃあ、不倫の末に心中なんて良くないことですけれど、そんなことをする人ばかりではありません。いつの時代も、さまざまな人がいます。主語を大きくするのは危険です。

    p.170
    ”滝田樗陰(ちょいん)は「中央公論」編集長として一世を風靡(ふうび)した人である。”
    読めないですねえ、「ちょいん」……。けれど予測変換では出てきました。


    2024/05/23 p.182-236

    p.183
    “一、生かす工夫絶対に無用。”
    しにたい身からすれば、これは絶対ですね。余計なことをしてほしくないです。

    p.183

    一、人生は死に至る戦いなることを忘るべからず。
    四、若しこの人生の戦いに破れし時には汝(なんじ)等の父の如(ごと)く自殺せよ。

    子に自殺しても良いと示す芥川さん、凄いですね……。世間的には受け入れられないでしょうけれど。
    親は子に道を示す義務があるとするのなら、これもまた、そのうちのひとつだとは思います。

    p.186
    “君は新聞の三面記事などに”
    (中略)
    “いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部(、、、、、)ではない。”
    (中略)
    “自殺者は大抵レニエの描いたように何の為に自殺するかを知らないであろう。”
    (中略)
    “少なくとも僕の場合は唯(ただ)ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。”
    昔、電子書籍に収録されている小説を片っ端から読んでいたことがありました。作者の名前を見ずに読んで、「好きだ」と感じた多くは、芥川龍之介さんの文章でした。
    彼の手記を読んでまた、「好きだ」と感じました。近い感覚が自分の中にもある気がします。“君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであろう。(p.186)”の文章から、生きたい者たちには理解してもらえないだろう……と諦めが滲んでいるのもまた、共感します。

    p.187
    “僕は僕の将来に対するぼんやりした不安も解剖した。それは僕の『阿呆(あほう)の一生』の中に大体は尽しているつもりである。”
    まだ読んだことがないです。読みたいです、ぼんやりした不安の解剖。

    p.187
    “──僕の第一に考えたことはどうすれば苦しまずに死ぬかと云うことだった。”
    しにたい人たちの多くは気になりますよねえ。すでに苦しんでいるのですから、もうこれ以上苦しみたくないです。眠るようにしねたら、どんなにいいでしょう……。

    p.192
    “実際の芥川は、風呂(ふろ)嫌いのため垢(あか)だらけで近よるとにおったという。”
    うーん……それは知りたくなかったです。

    p.199
    “自殺未遂をくりかえしたはて、やっと自殺した芥川の死顔を見つめながら、文子夫人は「お父さん、よかったですね」ともらした。”
    芥川さんにとって、良き理解者だったのだと感じました。
    しにたくてもしねない苦しさから解放されたのだと、わかってくれたのではないか……。そんなことを考えてしまいます。甘いでしょうか。
    もちろん彼女の苦しさや寂しさがあることは重々承知しておりますけれども。

    p.201
    “連日、一日二升五合飲んだ。飲みすぎて肝臓を悪くして数え年四十四歳で死んだ。”
    二升五合……? 多いのは伝わってきますけれど、どのくらいの量かわからないので調べてみます。

    一升、1,800ml。2倍で3,600。
    一合、180ml。5倍で900。
    合計、4,500ml……。わあ……。凄いです。

    数え年ということは、1,2歳プラスなので、42-43歳くらいでお亡くなりになったということでしょうか。
    とはいえ、昭和初期の男性の平均寿命は44歳らしい……? ので、そんなに短命というわけでもなさそうです。好きなだけお酒を飲んでそれだけ生きられたのなら、良かったのではないでしょうか。

    p.205
    “洛陽(らくよう)の酒徳おほかたは世を去りてわれのみひとり酔へるさびしさ”
    嗚呼……切なくなります。
    生きて酔うことができるのも、しあわせのひとつなのでしょうね。わたしは飲めないのでよくわからないですけれど。

    p.215
    “「役者は黙って演出家の言う通りついてくればいい」という演出家主導の発想は小山内薫に始まった。”
    諸悪の根源はこの人でしたか……。

    p.219
    “演出の最中にはよく居眠りをしていびきをかいた。いびきをかいても眠っているわけではなく、役者の台詞は聞いていて、ときどき目をさまして、注文を出した。”
    「眠りの小五郎」みたいですね。
    眠っているのかいないのか、よくわからないです。どちらにせよ、自分のいびきで台詞が聞こえなくなってしまいそうですけれど……そうならないのが才ある人、ってことでしょうか。


    2024/05/30 p.236-244

    p.243
    “そう考えると、麗子像は糞に似ているではないか。平べったく、ぽってりと湯気がたちそうな顔である。しかも異様な匂(にお)いがある。”
    あまりにも酷い言い方……。人さまの顔を何だと思っているのですか。
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    投稿日:2024.05.30

  • detta

    detta

    このレビューはネタバレを含みます

    今まで知らなかった明治~昭和の文人・文豪の素顔を紹介してくれる著者の文人・文豪シリーズ?はどれも楽しませてくれますが、本作も亡くなった文人に寄せられた追悼文を手掛かりに本人の素顔、そして追悼する側の感情まで明らかにした怪作であり、労作です。長生きしてしまった人には追悼してくれる人が少ないとはなんという皮肉でしょうか。

    レビューの続きを読む

    投稿日:2011.08.20

  • 薔薇★魑魅魍魎

    薔薇★魑魅魍魎

    単行本が上梓されたのが1999年、すでに一度2002年に新潮文庫が出ていますが、再文庫化ということで、ともかくあの名作『追悼の達人』が帰ってきました。

    病気や死がテーマの宮澤賢治や安部公房などの文学作品を、『病いの人間学』(1999年)で鮮やかに私たちの目の前で私たちの日常的に役立つように説いてくれたのが立川昭二でした。

    あるいは追悼=死者を思って悲しみにひたるということなら、吉本隆明が『追悼私記』(1993年)という、美空ひばりや手塚治虫からミシェル・フーコーや昭和天皇への自分が書いた追悼文を集めた本を出していますが、それなら負けじと、わが鶴見俊輔も『悼詞』(2008年)というバートランド・ラッセルや高橋和己から司馬遼太郎や赤塚不二夫まで、総勢125名への半世紀にわたった全追悼文を集めた本を書いています。

    この文脈でいうと、立川昭二は別として、両巨頭には申し訳ありませんが、二冊の本がどう逆立ちしても、タモリが赤塚不二夫の葬儀のときに、まるであたかも原稿をよんでいるような振りをして、まったくのノー原稿でながながと弔辞を述べたパフォーマンスにとうてい太刀打ちできません。

    実は嵐山光三郎とは、その著書を読む前からのつきあいでした。といっても、実際に知っていたわけではなく、私が小学生の頃から雑誌『太陽』や『別冊太陽』を読んでいて、その編集長が彼だったこと、毎回とても興味ある特集を企画するこの人はいったいどういう人なのだろうという編集者に関心を持った最初だったこと、そこで知った本名が祐乗坊英昭(ゆうじょうぼう ひであき)という僧侶のような名前だったことなど、興味尽きない人なのでした。

    本書は、追悼といっても故人を忍んで称えるばかりではない追悼もある、というところに眼をつけて書かれた本だと思います。

    とかく追悼というと欠点や悪行は伏せておいて、美辞麗句を重ねたよそ行きの言葉で語られがちで、誰もひどい飲んだくれとか、とんでもない嘘つきだったとか、助平で淫乱で尻軽で不逞の輩だった、などとは、いくら今にも喉元から出そうでも、口が裂けても言わないのが人情みたいなところがあるからです。

    まあ、自分のときを想像してかもしれませんが、つまり、いまあんなにひどいこの人に言わないから、私のときにもみんな言わないでねみたいな感じ。

    それはともかく、現代において確固たる地位を確立している、文豪と呼ばれるまでになった作家なのに、批判される夏目漱石や罵倒される永井荷風、軽視される谷崎潤一郎という事実が面白くないわけがありまん。

    きっと当人たちは言われて面白くなかったはずですが、ともかく嵐山光三郎が調べに調べつくして集めた追悼文の数々によって、その赤裸々な追悼文、死者に鞭打つこの所業、かつてのあの時代の文豪たちがいかに周りにねたまれていたかがわかるのか、それとも、はたまた、彼らがずる賢く、虎視眈眈と有名になるために他人を蹴落としてまで振舞ったのかの真相は、実際に読んでお確かめあれ!
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    投稿日:2011.07.19

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